世間に僕が追い付いていかなければ

 世間の方が僕より遅れていて、やっと追いつこうとしているなどと言い放ったところで、誰も、どこにいるかも分からないような人間の言葉など、消えている事にさえ気づかない。僕はそういう人だろう。そうやって忘れ去られる事もない、覚えられずの人なのだ。


 ここにいる。そんなのは、皆そうなのだ。そんな事で注目を浴びようとするくらいなら、何もしていない方が好奇心をくすぐるに違いない。ここにいる、という事を真っ向から否定してみせようとする方がまだ珍しいかもしれない。それはむしろ野次馬の群れかもしれないが。それでもまだ、注目は浴びているだろう。少なくとも、存在している事だけで人に知ってもらおうと画策している、そんな馬鹿たれよりは。


 僕の事だ。間違いなく僕の事だ。そのように他者が発言する事を想定しているのではなくて、実際にそうなのだ。そんな馬鹿たれというのはここにいる一人だ。こんなのは一人だけでいい。そうならないから、可能性というものはつまらない。ただのガラクタだ。ハリボテだ。それでも僕は可能性という存在を否定する事はない。ただ、気に食わないだけだ。無限だなんだと宣伝しておきながら、それは都合の良い方向にのみ無限であったのだ。後は全部、元からあった道をそのまま残しているだけで、だから雑草が生えて、それがまるでジャングルのように……とにかく、可能性は、僕を注目の的にしてくれるような都合の良いものではないという事だ。


 僕が、題名に挙げたような事を馬鹿正直に想像できるような人間であったなら、こんな風に文章を連ねる訳もない。しかし、そのような人間であったなら、もっと人生を豊かに生きる事ができていたかもしれない。周りから何と言われようとも、自分らしい人生というものを、その人は生きていたかもしれない。それは結局、可能性が僕に追いついていればと、考えているのと変わらない。違う方向性を持った、馬鹿みたいな考えに過ぎないだろう。そうしてそのままの勢いで、馬鹿であったら幸福になれると言っても、偏見に過ぎない訳だ。


 そうやって馬鹿だ阿保だと口にしている人は、本当はそれが何なのか分からずにいて、とにかくあたり構わず同じ事を言って、馬鹿や阿保が何を意味するのか教えてくれる人に出会おうとしているのかもしれない。そして、そういう風に希望的観測を済ませた後というのは、大抵思い通りにはいかないのだ。こんな事をしていても、何にもならない。仕事をして、給料を得て、ささやかな贅沢をしてやれる人の方が、絶対に幸福だろう。少なくとも、こうやって何の足しにもならないような文章を書いている人よりは、ずっと幸福だ。そうであってくれ、僕の方が幸福であったなら、幸福というものは、嘘っぱちのかりそめになってしまう。


 そんなのは、ごめんだ。




 ああ、世間よ、僕が追い付くまでそこで待っていてくれないか。世間は常に僕の前にあり、まるで亀のように緩慢に、しかし確実に距離を離していく。だから追いつけないのだ。どうか、そこでじっと佇んでいてくれないか。どうか、この卑しい者の為に、一肌脱いでくれないでしょうか。頼みます。どうか僕を拾い上げてください。ここにいるだけの大したことのない人間を一人、優しく出迎えてください……。

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