ここって何も書かなくてもいいのかな

 というのは、題名のところだ。そんな事も分からずに僕はこのサイトを利用しているのだ。いや、スペースキーを押せばそれで空白だと言われたら、納得はするだろうけども。でも、それは少しさみしい。




 現実は、いつも僕をさみしくさせる。僕にはどうしようもないものを遠方から投げつけられて、その姿を笑われている様な気分にさせられる。その上、時には励ますこともあるのだ。だから、さみしい。そうやって、現実はどこまでも他人事だ。僕を見ているのではなくて、僕からただ離れていくのでもなくて、いつも同じところでじっと佇んでいて、なのに何よりも素早く変化していくのだ。


 そして、その様を僕に見せつけて、何も言わずにまた、どうしようもない出来事を投げつけてくるのだ。既に終わった出来事を放り投げてきては、笑っているのか悲しんでいるのか。多分、からかっているのだろう。そうでなければ、善意でその情景の投擲とうてきを続けているのである。おせっかいだった。


 そんな事をわざわざしてもらわなければ、自分から認識することもできない人間であると言っているようなものだ。神経を逆撫でするなら適当だが、そういうつもりではないのだろう。そのような、自分事ではないのだろうと思っている。だからただ善意であって、もっと言えばただ意志であって、さらに言うとしたら、そのような場所に僕は生きているのだと、そう言わざるを得ない。


 生きる事が幸福なら、死ぬ事は不幸なのだろう。僕は、そのような二元論には逃げられない程にしてしまった。もちろん皮肉だ。そのように思い込んでいる未熟さと、ただ頭でっかちになった事への、皮肉だ。二元論が間違っているのではないのだ。二元論を正確であるとか、あるいは全くの出鱈目でたらめであるとか、そう言って何者かを根拠もなしに否定する事が、間違っているのだ。そして、そうやって否定する人の大半は、あるいはその全ての人は、根拠などというものは一つも持ち合わせておらず、しかも自分が抱えているただの好悪を根拠に仕立て上げる始末だ。そして今、僕もそうだ。だから僕は、僕の事が心底きらいだ。だいきらいだ。子供の頃に心から恐れていた暗闇よりもずっとだ。


 多分、ずっと嫌いだ。死ぬまで……いや、死んでしまっても嫌いだろう。死んでしまう程に時が経っても、自分の事くらいしかろくに分かっていないからだ。現実は、そういう事を思っていないのだろう。何も思わず、しかし確信は持っているのだ。心を持たず、しかし慈しむ姿勢はのだ。僕には、そういう一貫したところが足りない。嫌悪は長くは続かない。寿命が過ぎれば何もない。だからやはり書かなくては。現実に打ちのめされたと、被害者面をする前に、自分に落ち度がないか探さなければ……。




 そんなもの、あってたまるかバカヤロー!! 現実なんてのはどうしようもないものを投げつけてくるだけだ! なりふり構わないし、誰でもいいんだ!! ただそこに誰かがいただけなんだ! それがその時僕だったんだ!! たったそれだけの事じゃないか。たったそれだけの事を、どうやって反省すればいいんだ!?

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