義務は僕を生きさせない
言うまでもない事だが、僕は義務で生きながらえはしないだろう。意志でもなく、休息でもなく、ただ生きていられるから生きていくのだ。僕は強者でもなければ、弱者でもない。自分の行く先を選択する事ができる。なけなしの希望もある。消えずに残っていると伝えるべきなのかもしれない。
心臓は動いているが、僕の為ではないだろう。体の機能を保つ為であって、決して僕を生きさせる為ではないのだ。自己というのは、命からすればついでに過ぎない。あってもなくても構わないだろうし、もっと言えば、ここにいるのは誰でも良かっただろう。それでもここにいるのだとしたら、それは義務ではないはずなのだ。決して。少なくとも、僕はそう信じている。
別に、生きる事に理由などは必要ではない。僕が言いたいのは、生きる事がどうであれ、生きるという決断をした者がそこにいるはずだということだ。それだけだ。そんな事は、皆分かっているはずだ。本来どうでもいいことだ。常識だとでも、吐き捨てられる事柄であるはずだ。いつからか、どうもその事がよく分からなくなるようなのだ。自分で決断したはずの生存が、自分が望んだ形とは違っていたとして、自分から投げ捨ててしまうような……決断したのは生存であって、幸福や成長ではないだろう。得ようと思って、努力して、やがて得られるであろう容易いものではない。例え、他の誰もが望まなかったとしても、それでも自分だけは自分の日々を送っていようと、そういう決断であったはずなのだ。
例え、他の誰もが望まなかったとしても、それでも自分を生きる……そうでなければ、自分などというのは、自分にとっても、他の何者かで替えが効くようなものだったということだ。そう言われて腹が立たないのか? 自分で言い聞かせるならともかく、他人に、自分の苦労も知らずに、そんなに好き勝手言われて、憤りの一つも抱えないのか? しかも、よくよく考えてみれば、そうやって好き勝手言っている方だって、結局は誰でもいい訳なのだ。
なら、そんな奴でも肯定してやろうというのが、人間性というものなのだろうと、僕は思う。それが人を生きさせているものの正体であって、だから義務は人を生かすものではないのだ。義務は動機の一つに過ぎないのだ。心臓の鼓動は身体にとっての義務だ。だから自己を生きさせる直接的な理由ではないのだ。そして、そんなこまごまとした言葉の数々よりも、たった一つこの言葉を口にすればいいのだ。
自分を生きている。
たったそれだけでよかったはずだ。しかしいつからか、そうではなくなってしまうようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます