自分の事が嫌いだからって

 それだけで、自分の事を見捨てるに値する理由になる訳じゃないって、そう言いたい。自分の事を救ってやれるのは、最後には自分だけだ。他の誰も、自分の事を自分として認識していやしないんだから。


 その人にはその人の自分っていうのがあって、それは僕の自分とは違うものだ。だから、土壇場になってその人の自分が損なわれようとしたら、僕はその人を助けようとするかもしれないけれど、それはそこにがあるからそうしているのではなくて、単に大変そうだから手を貸そうとしているだけなんだろうと。

 逆に、誰かが僕を助けてくれたとしても、それはそこに僕のがあるからそうしているのではなくて、それは単に善意の賜物たまものなのだろうと思う。だから、自分の事を嫌いになったとしても、誰かに頼ったら何とかなるとは全く言えないと、そう言いたいのだ。


 自分の事を嫌いになるなら、いくらでもそうなればいい。だけど、それでも手放してはならないという事だ。ここにいる自分というものは、他の誰にもありえない。その上で、それは誰もが抱えている観念だという事だ。誰もが、そうやって自己嫌悪を抱える可能性を持っているという事だ。そんな事、どうでもいいだろうか。どうでもいいのなら、どうして捨ててしまわなかったのか?


 そうやって抱えている以上、大事に扱う他にはないのだ。そうしているしかないのだ。向き合っていく事だ。それができるはずなのだ。ずっとそれをしてきたはずなのだ。そうやって、生きていくしかないのだ。例え、死んでしまおうとしていても、それまでは生きていなければならない。そういう事だ。

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