例え、誰も僕を見つけなかったとしても

 それでも、僕は書き続けているだろう。誰かに言われてそうするのではなく、だから無理矢理やらされるのではなくて、ただ自分の気持ち一つで、書き続けているのだろうと思う。


 それだと、甲斐なんて一つもないかもしれない。続けている意味なんていうのも、自分がやる必要というのも、そもそも書く必要さえも、何もないかもしれない。その境地まで至って、それでも書き続けていたとしたら、それはもう自分ではなくて、文筆が生きているのだと思う。それならそれで本望だ。だが、それでは生きていけないだろう。


 自分を殺してしまっては、せっかくの感性も台無しだ。自分を生きさせなければ。その為には、文筆などしている暇はないだろうし、そのうち自然と書かなくなっていくだろう。特に収入に繋がる訳でもなく、悶々とした気持ちは解決せず、ただ辺りを漂っているばかりの文章に、自分さえも価値を見出せなくなるのだろう。そうやって、に生きていこうと試みるだろうと、そう思う。


 そして、どこかで頓挫とんざするのだ。諦めるつもりなど微塵みじんもなくても、諦めざるを得なくなるのだ。忘れようとしていた事を思い出して、記憶喪失が治ったように我に返るのだ。そうして、誰が見るかも分からない文章を書き連ねる旅に出て、そのままどこにも辿り着かずに死んでいくのだろう。少なくとも、今のままではそうなる運命だ。


 僕は変わらなくては。何を変えるのか、どう変わるのか、分かっている事は何もない。それでも、変わってみせなくては。それでこそ自分が生きている意味があるというものだ。自分の意志で始めて、自分の意志で終わらせることがなければ、いくら失敗しても、いくら成功しても、自分の経験ではないだろう。どこかで、他者の命令が引っかかっているのだろう。そう思う。そう思うからこそ、自分から動かなくては……そう思う訳だ。例え、誰も僕を見つけなかったとしても、それでも動いていなくてはならない。動作がなければ、そこには朽ちていく肉体が一つあるだけだ。




 僕はまだ、そうなる訳にはいかない。

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