150_今日という日
信じると決めた以上、シグの戦いにはまったく注視しなかった。
彼が勝つことは俺の中で確定事項だったのだ。
故に気づかなかったが、いつの間にか、シグたちとはかなり離れていたようだ。
こっちは随分飛び跳ねたからな。
崩れた一角を挟んで反対側、積もる瓦礫の向こうに彼は居た。
俺とほぼ時を同じくして、スヴェンに勝利したようだ。
崩落に巻き込まれずに済んだようだが、シグのすぐ横にも大きな瓦礫が落ちている。
瓦礫を迂回し、こちらへ歩いてくるシグ。
表情は憮然としていた。
「何考えてんだお前。常識ねえのか」
シグに常識を問われてしまった。
俺は自分では常識人のつもりだが、意外とそうでもないのだろうか。
「なに、天井を崩したのはこれで二度目だ。慣れたものだよ」
「慣れたものだよじゃねーんだよ。二度とやるな」
そう言って、俺の体を見まわすシグ。
「だいぶ派手にやられたな。外じゃ戦闘が続いてるが、回復班のとこまで連れてった方が良いか?」
「いや、止血しておけば死ぬほどじゃない。ただ、戦闘はもう無理だ。シグはリーゼの援護に行ってくれ」
俺たちと同じく大神殿へ突入しているリーゼ。
シグには、彼女への助勢を頼むことにした。
もっとも必要ないかもしれないが。
◆
「投降を望むなら、認めなくもないわ」
「……投降はしない。良いか、魔族の女よ。忘れるな。私がここで死すとも、ヨナ様は必ず世界から
それが
神の徒として、満足のいく最期だったかもしれない。
バルブロ・イスフェルトはリーゼの双剣に喉を裂かれ、絶命したのだった。
侯爵位を持つ大貴族であり、イスフェルト領を治める領主であり、霊峰の大神殿を預かるヨナ教団の司教。
ロンドシウス王国の重鎮であり、この戦いの司令官でもある。
それが敗死した。
「ふぅ……」
戦いを終え、リーゼは息を吐きだす。
その吐息には、あまりに多くの感慨が含まれていた。
◆
「見えるかい、ダン」
「ああトマス。見えているよ」
ふたりの目には、第二騎士団と済生軍が退いていく姿が映っていた。
彼らは大神殿に戻るのではなく、霊峰の南側へ下っていく。
南側は、第二騎士団が既にレゥ族を降した方角であり、もうそちらに戦場は無い。
そして麓の向こうにあるのは、レゥ族支配地域を迂回して王国へ帰る道である。
つまり、彼らは退却しているのだ。
「これは……終わった、のか?」
トマスは、抑揚を失った声を漏らした。
まだ信じられないのだ。
勝利を信じて戦ってきた。
だが、実際に撤退していく敵を目にした今、実感を得られないでいる。
それはダンも同じだった。
何せ、霊峰を陥落させるというのは、世界と歴史に対する、あまりにも大きな挑戦なのだ。
少し前の自分なら、絶対に不可能と考えるであろう作戦である。
今、本当にそれが成ったのかと、どこかに
そこへ、伝令の声が届く。
高揚に染まったその声が、霊峰の山頂に響いた。
「バルブロ・イスフェルト、ならびにステファン・クロンヘイム撃破! 敵軍は撤退!」
静まり返る仲間たち。
皆が報告の意味を咀嚼している。
敵将を討ったのだ。
目の前の巨大な神殿へ踏み込んでいった頼れる味方が、敵の大将を倒し、そして敵軍は撤退していった。
一拍おいて、熱を持った声が戦場全体に湧き上がる。
「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
雄たけびをあげる者、嗚咽する者、両手を天に挙げる者。
誰もが涙を零している。
誰もが勝利を喜んでいる。
彼らは勝ったのだ。
「やった! やったぞおい!」
どかりと、咳き込むほどの衝撃がトマスに。
ひとりの魔族兵が、強く肩を組んできたのだ。
隣では、別の男がダンの背中に手を当て、声をかけていた。
「聞こえるか? 勝ったんだぜ、俺たち!」
「ああ、聞こえているよ。皆でもぎ取った勝利だ」
笑顔を浮かべてそう言うと、ダンは気を失い、崩れ落ちてしまった。
体力は限界だったのだ。
「あ、いかん! おい、こっち! 回復班!」
「こっちのノッポの兄ちゃんもヤバい! 急げ!」
トマスも、
ふたりは笑顔で気絶していた。
◆
「司令官イスフェルト侯爵、戦死!」
伝令の声にも表情を変えないティセリウス。
しかし、霊峰の陥落という途轍もないこの事態を、彼女とて予想していたわけではなかった。
美しい睫毛が僅かに揺れる。
「クロンヘイム団長が司令官代理となって、山頂から指揮を執ることも考えられるが……」
副団長フランシス・ベルマンがそう言った。
確かにクロンヘイムであれば、第二騎士団と済生軍の残存兵力を糾合し、組織的な防衛戦を続行することが可能なはずである。
「それが……」
伝令が言い淀んで目を伏せる。
それを見たティセリウスは察し、そして今度は明確に表情を変えた。
瞠目し、唇から感嘆に満ちた声を漏らす。
「ロルフ……! クロンヘイムをすら……!」
その横でベルマンが問う。
「第二騎士団と済生軍は?」
「南側へ撤退しています! 山頂と大神殿は完全に制圧された模様!」
つまり、王国と教団は完敗を喫したのである。
そうとなれば、ティセリウスのとるべき行動は決まっている。
第一騎士団も撤退するのだ。
この東側の麓付近からなら、南側へ出ることができる。
交戦中の反体制派、およびレゥ族も、まさか追ってはくるまい。
「フランシス、全軍に戦闘の停止を命じよ」
「やむを得ませんな」
最強の第一騎士団が踏み留まり、戦闘を続行すべし。
そう主張する者は、ここには居ない。
最強であればこそ、それが無意味であると分かっている。
第二騎士団も済生軍も、リーダーを失い、敗れた。
この地の領主は死に、そして本拠であった大神殿も制圧されたのだ。
敗戦を受け入れるよりほか無い状況。
なお戦いを選んでも、山頂と麓から挟撃を受け、無為に兵を減らすのみである。
「あの連中も見事だったな」
ティセリウスは言った。
その視線の先に居るのは、反体制派とレゥ族である。
彼らはついに、第一騎士団を相手取って戦い抜いた。
潰走することなく、最後まで戦ったのだ。
ティセリウスは、胸中に若干の感謝を自覚している。
反体制派とレゥ族が第一騎士団を最後まで引き付けていなければ、ティセリウスは山頂へ戻り、次の戦いに臨んでいた。
そして、その戦場で彼に
「………………」
「お嬢様」
「帰るぞ。撤退だ」
最後に振り返り、ティセリウスは山頂へ目をやった。
届くはずの無い視線を相手へ向けたのだ。
◆
「あいつら……南側へ向かってないかい?」
レゥ族と反体制派が糾合し、兵力を増大させても、なお第一騎士団は強大だった。
勝ち筋など見えず、しかしそれでも士気は保ち、皆、全力で戦っていた。
フリーダもそのひとりである。
傷だらけになり、肩で息をしながらも、なお剣を握る手に力を込め、戦い続けた。
そして折れぬ心で敵を見据えていた彼女は、異変に気づく。
第一騎士団は戦闘を止めると、霊峰の南へ向けて動き始めたのだ。
南側の麓にはレゥ族が本陣を張っていたが、彼らは全軍で反体制派の救援に来ている。
つまり、向こうに戦場は無い。
「山頂へ戻るでもなく南へ? これは……」
エリーカが疑問に声をあげる。
ある可能性について気づいているが、それを信じ切ることができない。
そんな彼女に向け、デニスが言った。
「勝ったんだよ。私たちは」
そう言って、どさりと地面に尻をつく。
大きく息を吐いて、顔を上へ向けた。
「デ、デニス。つまり……?」
「つまりも何も、言葉のとおりだよ。山頂でロルフ殿たちが勝った。結果、霊峰の戦いは我々の勝利に終わったわけだ」
勝った。
デニスのその言葉の意味を、フリーダはすぐには理解できなかった。
だが状況から見て明らかである。勝ったのだ。
生き延びてしまったな。
デニスは、頭の中でそう呟く。
第一騎士団を相手に踏み留まって戦うという彼の選択は、多くの死傷者を出した。
その選択の正しさを理解してはいる。
だが、このうえはひとりでも多くの部下たちを、そしてフリーダを生きて帰すために、自分の命は捨てるつもりだった。
しかし、そこに至ることなく戦いは終わった。
勝利によって。
周囲にも、勝ったという事実が伝わっていく。
そして少しの間をおいて、皆が歓喜の声をあげた。
泣き、笑い、そして抱き合う。
人間と魔族も抱き合っている。
それを見て、口元に笑みを浮かべるデニス。
エリーカもその光景に微笑んでいた。
だがその笑顔には影が差している。
それに気づいたデニスは立ち上がり、彼女に近づいた。
エリーカの肩に、そっと手を置く。
そして真剣な顔と声音で言った。
「私もずいぶん
「……?」
「死者はいつだって共に居るよ。これは本当だ。いずれきっと分かる」
それを聞き、エリーカの
そして、ひとしずくがぽろりと零れた。
エリーカは涙にゆれる目を細め、笑顔を作る。
「……ありがとう」
◆
「許せぬ……!」
アネッテは、撤退の列の最後尾にあって、屈辱に顔を歪める。
彼女は大神殿の一階で敵と交戦した。
味方であったはずの敵だ。済生軍のアルフレッドとマレーナである。
そして敗れた。
第二騎士団の副団長である彼女でも勝てなかった。
大神殿からの敗走を余儀なくされたうえ、しかも悪夢のような報告を受ける。
クロンヘイムが死んだのだ。
結果、彼女たちは霊峰からの撤退に至っている。
最悪を極める事態の中、彼女は口中でぶつぶつと呪詛を吐く。
呪詛は復讐の言葉だった。
敬愛する団長のため、彼女は復讐を誓っているのだ。
「まさか、こんなことになるとは……。予想もしていなかった……」
うしろでフェリクスが言った。
その、ぼそぼそとした、いかにも気弱な物言いがアネッテを苛立たせる。
彼女は振り返り、中年の軍師を叱責した。
「貴様の予想が外れたことなど、どうでも良い! それより次の戦いの算段を整えろ!」
「ああ、いや。私はただ驚いているのです。敵が、こうも予想の上を行くとは……」
アネッテの目に、フェリクスは敗戦を深刻に受け止めていないように見えた。
どこか他人事のように感想を述べている。
それが彼女を激昂へ追い立てた。
「貴様! 敵を褒めてどうするか! 状況が分かっているのか!」
「分かってますよ。第二騎士団は敗れ、団長、副団長とも戦死。終わりです。団は解体のうえ、ほかへ糾合されることになるでしょう。勝てればそれで良かったのですが……」
副団長も戦死と彼は言った。
意味の分からない言葉を、アネッテは問い
「何を言っ────」
だが、最後まで言葉にできない。
腹へ深く短剣が刺さっているためである。
短剣を刺したフェリクスは、憐れな者を見る目をしていた。
「こうやって、届かぬ場所へ刃を突き立てる。それこそ強さなのです。あなた方"武人"には、それが理解できない」
その武人の矜持を振り絞り、アネッテは血を吐きながら腰の剣に手を伸ばした。
だが、それと同時に周囲から槍が突き込まれてくる。
「ぁが……!」
本来であれば、謀殺の刃を易々と身に受ける彼女ではない。
だが戦傷と疲労の蓄積した身である。
アネッテは自らの死を理解し、膝をついた。
だがその目はフェリクスを見据え、最期に問うている。
誰が私を殺したのだ、と。
それを言葉にすることは叶わなかったが、フェリクスには伝わった。
だから彼は、目に憐れみを
「そりゃあエーリク・リンデル殿ですよ」
◆
「第一騎士団はあのまま離脱していきました」
「分かった」
撤退した第一騎士団が、そのまま霊峰を離れたという報告を受け、俺たちは息を吐く。
これですべて終わってくれた。
「…………」
「どうしたの? ロルフ」
「いや、何でもない」
さっき一瞬、視線を感じたのだ。
覚えのある視線だったが、さすがに気のせいだろう。
結局、エルベルデ河以来の、望まぬ再会とはいかなかったな。
それを喜ぶべきなのかどうか……。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
「傷は塞がりましたが、安静にしてくださいね。かなり出血してますから」
回復術士に礼を言い、辺りを見まわす。
俺は大神殿の入り口付近に座っていた。
霊峰は夜を迎え、空に星が瞬き出した。その星空の下、皆が勝利を喜んでいる。
「さて、戦後処理を始めないとな。まず部隊長たちと話を……」
「私がやるから座ってなさい。安静にしてろって言われたでしょ」
俺を気遣うリーゼ。
申し訳ないが、ここは甘えさせてもらうとするか。
「それと、貴方たちのことも話さなきゃね。私たちと来るでしょ?」
リーゼが問う。
彼女の視線の先に居るのは、アルフレッドとマレーナだ。
「うむ。私はそう決めた。厄介にならせて頂こう。マレーナもそうであろう?」
「お、おらも行って良いだか……?」
「良いに決まってるじゃない」
「ああ、友を拒む理由は無い」
「…………」
俺の言葉を聞くと、マレーナはやや固い笑顔を浮かべ、それから頷く。
ヘンセンに居を移すことを決めてくれた。
彼女とアルフレッドは恩人だ。ふたりが居なければ、俺たちは禁術により大敗を喫していたのだ。
きっと皆に受け入れられるだろう。
いや、それが無くとも
何せ今日、魔族と人間は共に戦い、そして勝ったのだ。
少し前まで、まず考えられなかったことが起きたのである。
今日という日は、歴史の中で至上の意味を持つ一日になる。
きっとそうなるはずなのだ。俺たちが、前を向いて歩き続ければ。
……そうだよな?
夜空に息を吐きながら、友に、去った魂たちにそう問いかけた。
美しい夜空だった。
「何を見てるの?」
「空を。山の夜空は綺麗だ」
「あ、ほんとだ」
リーゼも空を振り仰ぐ。
多くの血が流れた日に、美しい夜空はやや皮肉にも見える。
だが星明りは穏やかで、何かを
そして俺は、遠くヘンセンのある北西の空へ目を向けた。
まだ最終ミッションが残っているのだ。
すなわち、必ず帰るという約束が。
さあ、任務を完遂するとしよう。
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