第五部

151_混迷の王宮

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お待たせしており申し訳ありません。

なんとも多忙を極めており、ご無沙汰してしまいました。


第5部の冒頭を数話、話の区切りの良いところまで投稿いたします。

月水金18時の投稿となります。

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 王都レーデルベルン。

 ロンドシウス王国の権勢を示すように華やかなその都にあって、中心地にそびえる王宮は、なお栄華を象徴している。

 全面を覆う美しい白は、まるで新雪のように清新だが、建物の佇まいは重厚で歴史を感じさせた。

 荘厳だが、無為に華美ではない。

 当然あるべき美しさと巨大さを持って屹立する宮殿は、まさに不可侵の国威を人々に感じさせるのだった。


 だが、その日その王宮では、国の重鎮たちが国威など感じさせぬ表情を浮かべていた。

 多くの者が頭を抱え、右往左往している。

 歴史上、類を見ない凶報が彼らを襲っていたのだ。


 ────霊峰ドゥ・ツェリン、陥落。


 焦燥に見苦しく歩き回る者は、まだマシであった。

 報せを信じようとしない者も少なくなかったのだ。


 霊峰の戦いは決して負けられない戦いであり、従って王国は万全の布陣で臨んでいた。

 その布陣は、ほとんどの者が万全を超えて過剰であると感じるほどのもので、王国の敗北は考えられなかった。

 なにせ、第一騎士団と第二騎士団が投入されたのだ。王国戦力の序列第一位と二位である。


 加えてヨナ教団の精強なる済生軍もり、しかも霊峰は要害である。

 負けるはずが無かった。

 敗北などあり得なかった。


 故に、敗戦の報は虚報である。そう信じたがる者が居るのは、ある種、当然のことでもあっただろう。

 だが、次々に報せは現実味を伴ってもたらされる。


 ────イスフェルト侯爵、敗死。霊峰と共にイスフェルト領も陥落。

 ────第二騎士団と済生軍は半壊し、敗走。

 ────第一騎士団は戦況を優位に進めるも、霊峰の陥落を受けて撤退。


 報告は続けざまに舞い込み、それを信じたがらない重鎮たちへも、否応なく現実を突きつけた。

 重鎮たちの疑念は焦燥へ変わり、そしてやがて悲嘆へと変わっていく。


 そして"ステファン・クロンヘイム戦死"の報が入るや、悲嘆は叫喚へ姿を変えた。


 幾人かは、ここ数か月のあいだ感じていた不安が杞憂でなかったことに気づく。

 辺境でバラステア砦を抜かれて以降、王国は立て続けに領地を失っていたのだ。


 それでも王国の国力を思えば、削がれた力は未だ僅少ではあった。

 不安を感じる者は居ても、歴史が転換点を迎えているとまで考える者は、そう居なかったのだ。


 しかし、事ここに至っては、誰もが認めざるを得ない。

 歴史は、今まで見られなかった巨大なうねりを伴い、動いているのだと。


 ◆


「……以上が、いま分かっている状況だ」


 宰相フーゴ・ルーデルスは、元より抑揚の少ない喋り方をする男である。

 だが、彼の声がここまで沈んでいたことは無い。

 平素の冷静さではなく、ただ沈痛な影が彼を覆っているのだ。


 そしてそれは、この場に居る他の者たちも同じである。

 王宮内の大広間、ウォールナット製の巨大なテーブルには、国の意思決定に関わる要人やその部下たちが集まっていた。

 その誰もが、失意と悲嘆を瞳にたたえている。


「……敗戦は分かりました。ただ、第一騎士団は健在であり、あくまで戦略的撤退による敗戦であると、そういうことですね?」


 若い高級官吏のひとりが問いかける。

 負けたことは分かった。だが、それは便宜上の負けなのだ。

 彼はつまり、そんなことを言っている。


 敗北は受け入れるが、しかしそれは所謂いわゆる敗北ではない。

 そんな益体やくたいも無いことを、なお言い募っているのだ。


 そんな姿に、周囲の者たちは溜息を吐いて首を振る。

 そしてルーデルスが疲れたように答えた。


「そのあたりの諸々は、騎士団の帰投ののち精査される。だが、宜しいか。霊峰は落ちた。そして領主イスフェルト侯爵は亡くなり、かの地は失地となった。それが事実だ」


「…………」


 高級官吏は口を引き結び、何も言えなくなる。

 ルーデルスの言葉が意味するものは、明白な、あまりにも明白な敗北である。

 戦略的撤退などという言葉でごまかせるものではない。


 大広間を沈黙が覆う。

 そして暫しののち、大臣のひとりが口を開いた。


「臣民の反乱もあったそうだが、それについては?」


「聞いてないのか? 旧アルテアン領を本拠とする反体制派だ。魔族軍と呼応して挙兵した」


 ルーデルスはそう答える。

 霊峰の戦いには、攻め手側に王国の人間も参加していたのだ。

 敵は魔族だけではなかったということになる。


「王女殿下の予測されたとおりでしたな」


 誰かがそう言ったとおり、王女セラフィーナは、反体制派の挙兵を読んでいた。

 そのうえで、勝利を期した布陣を敷いたのだが、結果は完敗である。

 皆の視線が集まる先に、彼女は黙って座っていた。


 セラフィーナ・デメテル・ロンドシウス。

 その白磁のような肌は、やや青ざめている。


「……予測したにも関わらず、敗れました。この敗戦は私の責任です」


「何を仰せです。殿下に敗戦の責などありません」


 ルーデルスの言葉は追従ついしょうのようでもあったが、彼の本音である。

 セラフィーナは状況を読み通し、第一騎士団と第二騎士団を動員した。

 この大規模な動員自体、実現性に乏しかったものを、彼女の手腕が可能にしたのだ。


 彼女は、でき得る範囲で最大限の戦力を用意したのである。

 リソースを提供するという為政者の責は果たされており、それでも敗れたとあれば、その主因は彼女とは別のところにある。

 ルーデルスはそう考えていた。


「いいえ。私は敵の強さを読み誤っていました。まさかクロンヘイムすら敗れるとは」


 王女がそう言うと同時に、外では雲が太陽を覆い、窓からの陽光が消えた。

 まるで緞帳どんちょうが下りたかのように、大広間を影と沈黙が支配する。


「……王国軍が戦に敗れたのは事実。それは認めねばならないでしょう。ですが敗戦の混乱に、情報が錯綜するのはよくあること。クロンヘイム団長の敗死を確定事項とするのは、まだ早いのではありますまいか?」


 ひとりがそう言った。

 もはや多くの者が、この期に及んで希望的観測を口にすることの愚に気づきつつある。

 だがそれでも、彼の言葉には幾人かが頷いた。

 ステファン・クロンヘイムが敗れる姿など、とても想像できないのだ。


「彼が御前で技を披露するところを見たことがありますが、あれは人の域を超えたものでした」


「同感だ。彼を倒せる者が居るとは思えない。例外はエステル・ティセリウスやボー・ブラントぐらいのものだろう」


「その例外が敵軍にも居たのだ」


 宰相ルーデルスは、大臣らの言葉を打ち消すように、やや語気を強めて言った。

 強者は王国にのみ在るわけではない。

 当たり前の事実を、改めて突きつけられる重鎮たち。


「魔族の英雄と称せられる者が居ましたな。アルテアン領の戦いでも目立っていたとか」


「私も聞いている。ヴァルターだろう」


 比較的冷静な者たちが、そう述べた。

 だがルーデルスは、その言葉を否定する。


「ヴァルターはクロンヘイムが討った」


「……では、クロンヘイムは如何にして戦死したのですか?」


 その問いに、沈痛な面持ちで押し黙るルーデルス。

 その様に、何人かは理解した。

 彼らにとって、認めたくない、決して受け入れたくないことだが、ルーデルスが言い淀む名は、かの男の名であろうと。

 そして、ようやく口を開いたルーデルスの言葉が、それを肯定した。


「大逆犯、ロルフ・バックマン。クロンヘイムは奴に討たれた」


「そ、それは、考えられぬ話で……」


「もはや虚報ではあり得ぬのだ!」


 ついにルーデルスが叫ぶと、それに釣られるように、広間で喧騒が爆ぜた。

 その日で最も大きな喧騒だった。

 無価値と断ぜられたはずの者が、国威と神威を象徴するかのような大英雄を倒したというのだ。

 その事実に、重鎮たちはテーブルを叩き、怒号をあげる。


「何故だ! その男は加護なしだろう!」


「土くれにも劣る背教者ではないか!」


「何らの力も価値も持ち得ぬ男であったはずだ!」


「…………力はあるだろう。だから霊峰は落ちたのだ」


 年かさの大臣が低く言った台詞に、皆が静まり返る。

 誰もが口にしたくなかった言葉を、代表するように彼が述べたのだ。


 悪逆の背教者、ロルフ・バックマンが王国に背き、敵軍の将となってより、国では凶事が続いている。

 領土を奪われ、そして今大臣が言ったように、霊峰すら落ちた。

 かの男は無力などではなく、敵としてはならなかったのではないか。

 彼らの脳裏を、その思いがよぎる。


「だ、だとしたら何故放逐した!」


 吐き出された誰かの台詞。

 何かに責を求めたいが為、口をついて出た言葉に過ぎない。

 だが、その言葉に重鎮たちは目を伏せ、黙考した。


 神に背く刃が、神に守られているはずの王国を斬り裂き続けている。

 自分たちは、自らが思うより遥かに危機的な状況にあるのではないか。


 加護なき者には価値もない。その認識は絶対であり、覆りようが無い。

 そのはずである。

 だが……。


 凍ったような大広間。

 誰も言葉を発することが出来ずにいる。

 その沈黙を破ったのは、王女セラフィーナの声だった。


「…………皆さん、聞いてください。私に考えがあります」


 そう言って、彼女は語りだす。

 続く言葉は、重鎮たちを驚愕させるものだった。



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