152_同盟締結
旧イスフェルト領。
霊峰ドゥ・ツェリンの麓に、俺たちは居た。
曇天の下、今日は慰霊式典が行われている。
霊峰の戦いで散った仲間たち。その御霊の安寧を祈る式典である。
この種の式典は、一般的には戦死者たちの故国で行われる。
実際、彼らの墓は、それぞれの故郷に建てられている。
だが今回は事情が違う。
異なる地から、文化も信仰も異なる者たちが集い、共に戦ったのだ。
今日はその戦った場所に皆が集まり、散った友たちを偲ぶのである。
ヴィリ族とゴルカ族、それからレゥ族。そして反体制派から、多くの人々が列席している。
野外に設けられた会場、その壇上には今、デニスが立っていた。
魔族側の族長らに続き、反体制派の代表として、式辞を述べているのだ。
「告白すると、あの時、撤退も頭をよぎりました」
デニスは礼服をきっちりと着込み、真剣な表情で言葉を紡ぐ。
普段の軽い口調は鳴りを潜め、去った者とここに居る者に対し、真摯な思いを伝えている。
「ですが同時に、霊峰を挟んだ別方面で戦っている方たちのことも頭に浮かんだのです。我々は同盟関係になく、ただ同期して攻め込んだだけである筈でした。しかしあの時、私たちは確かに戦友だったのです」
誰もが壇上へ目を向け、しっかりと傾聴している。
魔族も、人間も、誰もが。
「その思いは正しかった。レゥ族が救援に来てくれた時、それが証明されたのです。そしてヴィリ族とゴルカ族が山頂で得た勝利は、その思いに応えるものでした」
人間の口から、こんな言葉が出ている。
少し前まで、まず考えられなかった状況である。
あの戦いは、間違いなく何かを変えたのだ。
「私は友を得た。ここに友が居ることを、去った者たちが教えてくれた。僕は先に行くから、ここに居る皆と仲良くしてくださいね。そんな言葉が聞こえるのです」
それはヴァルターの言葉だろう。
英雄たるヴァルターがそう言うなら、仲良くせねばなるまい。
皆もきっと、そう思う筈だ。
「あなた方にも、その言葉が聞こえていると信じます。そしてこの道の先に、望まれた未来のあらんことを」
そう言って式辞を結ぶデニス。
一拍置き、ぱらぱらと拍手が聞こえてきた。
まだ憮然とした感情を瞳に滲ませながら手を叩く者も居る。
だがそれでも、確かに拍手を贈っていた。
ほかにも、ある者は遠慮がちに、ある者はおずおずと手を叩く。
それに釣られるように、幾人かが拍手に加わる。
今の言葉を肯定しても良いのだなと、それを周囲に確かめるようにしながら、手を叩く。
ぱらぱら、ぱちぱちと、音は少しずつ大きくなっていった。
それから拍手はどんどん広がる。
ややあって、それは万雷のものへ変わっていった。
霊峰の麓に響く大きな拍手。
死者の魂にも届けとばかりに、それは暫く続いた。
◆
式辞が終わった後は、幾人かの代表者が霊峰へ向けて花を手向ける。
それから黙祷が行われた。
この式典には、異なる信仰を持つ者たちが集まっている。
それを受け、いずれの儀礼にも矛盾しないシンプルな形式で式典は進行した。
皆、目を閉じて祈っている。
祈る相手はまちまちだ。
だが、それで良い。何も問題は無い。
俺に至っては信仰を持たず、祈るという習慣が無い。
だが死者に誓うことは出来よう。
俺は目を閉じ、魂たちに語りかける。
きっと命に報いると。
戦死した仲間たち。
部下の顔と名前が、次々に想起される。
一つとして無駄な死は無い。
それは俺が証明してみせる。
そしてヴァルター。
思い起こされる、あの優し気な表情。
彼がエリーカを守らなければ、レゥ族が反体制派の救援に向かうことは無く、即ち俺たちは敗けていた。
ヴァルターの随行員としてアーベルに来ていたグンターも忘れ難い男だ。
ヴァルターを守って死んだという。
彼のその献身が無ければ、ヴァルターがエリーカを守ることは無く、つまり勝利は無かった。
守るべきを守り、未来を繋いで死んでいった者たち。
そのすべてが恩人で、そして友なのだ。
報いる。
報いるからな。
必ず。
◆
式典の後、壇上に大きな机が運び込まれた。
そこで調印が行われるのだ。
同盟の調印である。
おかしな話ではあるが、俺たちは、戦いが終わった今、同盟を結ぶに至ったのだ。
共に戦うことで互いを知ったのである。
慰霊式典の場で同盟締結というのも、またおかしいが、死者に背を押されるように皆がこれを望んだのだった。
式典に参加している多くの人々が見守る中、各族長が壇上で席に着く。
ヴィリ族のアルバン、ゴルカ族のドゥシャン、それからもう一人、レゥ族の族長だ。彼はエリーカの父親である。
そして反体制派からデニス。
さらにストレーム領、タリアン領、アルテアン領の旧王国三領をそれぞれ治める参事会の代表者たち。
彼らも調印に参加しているのだ。
俺たちとしては、魔族と人間の同盟締結を内外に知らしめる為、反体制派だけではなく、更に多くの人間に参加して欲しい思いはあった。
よって旧王国三領の参事会に、それを求めたいと思っていたのだ。
だが、彼らへの同盟参加の要請は見送った。
参事会は、魔族側が支配地域に設けた現地政権のようなものだ。
軍事的勝者からの要請は強制の意を帯びてしまう。
それでは、この同盟の意味が無い。
よって今回は、人間側からの参加は反体制派のみとするつもりであった。
だが、いずれの参事会も参加を申し出てきたのだ。
それを受け俺たちは彼らに、同盟に参加せずとも不利益となることは無い、と念入りに伝えた。
しかし彼らは参加を望んだ。
「
とは、ある参事の弁。
旗色を鮮明に、とはこの場合、王国への帰参の可能性を除外するという意味だ。
参事会による統治が上手く回っている点に加え、トーリらローランド商会の尽力もあり、三領とも安定している。
そして勿論、それだけが理由ではない。
民衆に対する最もシンプルな説得材料は戦勝である。
一定の軍事的勝利は、民心を味方に付けるのに極めて有効だ。
そして今回は一定どころではない。
霊峰を陥落せしめたのである。
そのアピール力は計り知れなかった。
結果、三領とも同盟参加がスムーズに決まり、この同盟は魔族と人間の一大連合となったのだ。
「魔族の皆さん、話せますしな、結構」
「そうそう」
何気ない参事らのその言葉。
どうやら本音であるらしく、これが打算のみでの同盟参加ではないことが見て取れる。
俺はそれが嬉しかった。
族長たちとデニスに続き、その参事会の代表らもサインし、ここに同盟は成った。
壇上で、代表者たちが握手をしている。
そこへ向けられる拍手。
この同盟が、歴史において輝きを持てるかどうか。
それは俺たち、生き残った者にかかっている。
◆
ロルフたちが戦勝を背景に同盟を結ぶ一方、王国は敗戦に揺れていた。
中央に衝撃を与えた霊峰陥落の事実は、凶音となって国中へ響いたのだ。
誰もが強いショックを受けていた。
それでも国民たちは、なおも信じ続けることを選ぶ。女神と、そしてそれに守られた王国が魔族たちを討つと。
しかし人々の心には今、迷いも生まれつつあった。
胸の中にさざ波が立っているのだ。
女神信仰の象徴たる霊峰。
神の威に守られた、絶対不変の聖なる存在。
それが失われた。
失われる筈のないものが失われた。
その事実が、人々の心の奥底で呻き声をあげる。
「イ、イスフェルト侯爵も亡くなったと言うの? 司教様よね?」
「ああ。間違いないよ」
「そんな……」
街の酒場で、若い住人たちが話し込んでいる。
少し前までは、神威を疑うことなど無かった者たちである。
いや、今も恐らく、疑ってはいない。
だが、安心が欲しいのだ。
しかし、事実を知れば知るほど、不安が膨れ上がっていく。
事態が大きすぎるため、中央も情報統制が出来ない。
最大戦力をぶつけたうえでの敗戦であったことや、誉れ高い英雄が死んだことも、人々の知るところとなっていた。
「これ、どうなっちまうんだ?」
「どうして邪悪な魔族が勝つの? おかしいわよ、そんなの……」
酒場では、どのテーブルでもそんな会話が為されている。
誰もが沈痛な面持ちであった。
そこへ、同じく沈んだ表情の、しかし沈痛というよりは憮然とした表情の一団が現れる。
騎士たちであった。
この地、ノルデン領に本部を置く第五騎士団の騎士である。
しばしば街に現れるため、住人たちにとっても馴染みが深い。
「店主、エール。それと腸詰を頼む」
「え、ええ。分かりました」
人々は黙り込む。
騎士たちが居る中、敗戦について話せるものでもなかった。
騎士たちも、その沈黙に察するものがある。
テーブルに着きながら、酒場に来たことを少し後悔していた。
だが、不安に駆られる住人たちの中には、騎士たちに慮ってなどいられない者も居るようだ。
女が一人、申し訳なさそうにしながらも、彼らへ話しかけた。
「あの、騎士様」
「…………」
「霊峰で王国軍が敗けたって聞いて……。それで、この後どうなるのか知りたいんですが……」
「…………」
騎士たちは応えない。
やや中年にさしかかる彼らは、それなりのキャリアがあるように見える。
女は気づかないが、実際、彼らが着けている徽章は幹部のものだった。
それだけに、情勢についてはよく知っている筈だが、しかし口を開こうとはしない。
表情は憮然としたままだ。
しかし、女は問わずにいられなかった。
「あの、このあたりも戦場になるんですか?」
「……ならない。敵がここまで攻め上がって来ることは無い」
騎士の一人がようやく応える。
この地、ノルデン領は、王都にほど近い場所にあり、前線は遠い。
魔族軍に勢いがあったとしても、ここまで来ることは無いと、彼らは信じている。
それでも、酒を必要とせずにはいられないようであったが。
ノルデン領に本部を置く騎士団は、第五騎士団である。
ここに居る彼らは、その幹部であった。
歴史的大敗にショックを受けているのは誰でも同じだ。
だが、王国全土において最も衝撃を受けているのが、恐らく彼ら、第五騎士団の者たちなのだ。
彼らは皆、信じたくない思い、認めたくない思い、そして行き場の無い焦燥に身を焦がされている。
「ほ、本当ですか? でも、敵は強いって話で……」
女が声を震わせているのは、不安のほかに、失望があるからかもしれない。
それを思い、眉間に皺を寄せる騎士たち。
彼ら自身、つい最近まで、ロンドシウス王国を最強不敗と信じていたのだ。
そこには少しの疑いも無かった。
それが立て続けに敗れ、遂には霊峰の陥落という事態にまで発展してしまったのだ。
彼らこそ天に問いたい気持ちなのである。
「……戦は水物なのだ。時運が敵に味方することもある」
「あの、でも」
「…………」
「クロンヘイム団長まで負けたって……」
その言葉に、騎士たちは苦虫を噛みつぶしたような顔を見せる。
最強の一角。
誰もがその名を知る、英雄の中の英雄。
第二騎士団、団長。ステファン・クロンヘイム。
そんな人物が敗れたのだ。
「そ、そうだよな。騎士様、俺もそこを知りたい」
「ねえ……本当に間違いじゃないんですか?」
店中から声があがり始める。
皆、問わずにはいられないようだった。
「……クロンヘイム団長は亡くなった」
騎士は答えたが、「負けた」という言葉は使わなかった。
使いたくなかったのだ。
彼を破った男のことを、考えたくないのである。
だが、誰かがぼそりと口にした言葉が、それを許さなかった。
「あり得るのかよ、そんなの……。一体どんな奴が、クロンヘイム団長を倒したっていうんだ……」
幹部たちが、不快さにいっそう顔を歪める。
そして、うち一人が、遂に椅子を蹴って立ち上がった。
「敵は大それた存在ではない! たまたまクロンヘイム団長を出し抜けただけだ!」
「ああ、そうだ! 卑怯な手を使ったに決まっている!」
別の幹部が続く。
屈辱に満ちた怒号をあげながら、同じく立ち上がった。
敵軍の中心には、彼らが見下し、蔑み、そして放逐した男が居るのだ。
その男が、この事態の主因の一つであり、そしてクロンヘイム団長を倒したのも彼だった。
軍才などある筈も無いと、彼らがそう信じた男が、加護なしと蔑んだ男が、いまや王国の脅威になっているのだ。
幹部たちは、それを認めることが出来ない。
だから、何か卑怯な手段を使ったのだと、そう信じたいのだった。
だがそこへ、冷や水が浴びせられる。
「奴は卑怯な手など使っていないぞ」
「え……」
奥のテーブルから立ち上がり、近づいてきた男。
長い睫毛と高い鼻を持った、伊達男という風情の若い男。彼は第五騎士団の高級幹部であった。
「イェルドさん……」
「居たのですか?」
「またノルデン侯爵に呼ばれていてな。ここで二人と待ち合わせだ。……ああ、丁度来た」
「何を叫んでんだよ? 表まで聞こえてたぞ」
イェルド・クランツが目を向けた先、店の入口から、女が二人入ってくる。
その姿に、幹部たちの頭は冷えるのだった。
「ラケルさん、それに」
「団長……」
ラケル・ニーホルムを伴って現れたのは、第五騎士団の団長、エミリー・ヴァレニウスであった。
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