153_無力と無価値
「イェルド、何の騒ぎ?」
「闊達に議論をしていたところさ。加護なしがどうやって勝ったのかって話だ。奴が卑怯だというのが彼らの主張らしい」
「……卑怯なんかじゃないわ」
低く沈んだ声、そして沈んだ瞳を、幹部らに向けるエミリー。
気圧されつつも、幹部らは全員、起立する。
うち、比較的冷静だった一人が言った。
「ですが団長。奴は不遜にも、大神殿の天井を崩したとか。クロンヘイム団長はそのせいで……」
「それは知恵による搦め手であって、卑怯ではないでしょ、少しも」
「しかし……!」
「そもそも本拠である大神殿で迎え撃ったのはこちら。クロンヘイム団長が有利だったのよ」
「……!」
きっぱりと明言するエミリーに、幹部たちは色を失う。
「ロルフはそこへ突入し、戦った。そして魔法を使えず、魔法に耐えられない彼が、剣によってクロンヘイム団長を倒したのよ」
「な、何かほかに、卑劣な手を使ったに違いありません!」
そうであって欲しい。
そうでなくては困る。
そんな本音が、言い募る男の顔に張り付いていた。
「使ってないと思うけど……じゃあ仮に卑劣な手を使ったとして、貴方はクロンヘイム団長に勝てるの?」
「ッ!!」
勝てない。
ここに居る幹部たちは皆、知っている。
クロンヘイムは、周囲に立つすべてを一振りで両断する絶技の持ち主なのだ。
しかも剣士として超級で、その一振りが凄まじい技量に裏打ちされている。
騎士団の幹部たる彼らも腕利きではあるが、クロンヘイムを前にし、果たして一秒でも立っていられるかどうか。
それほどの英雄が負けたのだ。
誰よりも劣る筈だった男にである。
その事実に、彼らは押し黙った。
「聞け。僕も奴が、加護なしが嫌いだ。だが、敵を過小評価していては次もやられるだけだろう。女神と王国のために、考えるべきを考えろ」
イェルドの言葉に、顔を伏せる幹部たち。
だが、肩は屈辱に震えている。
それを気に掛ける余裕も無く、居合わせた者の一人がエミリーに近づく。
最初に幹部たちへ声をかけた女だった。
「ヴァレニウス団長……」
平素なら、英雄エミリー・ヴァレニウスに会えたことを喜ぶであろう、市井の女である。
だが今、そこに喜びなど無い。
「今言ったロルフって、追い出された人じゃ……」
「…………」
口を引き結ぶエミリー。
その表情を見て、イェルドは若干の焦りを感じる。迷惑な質問であった。
「その人が、クロンヘイム団長を倒して、王国軍に勝ったんですか? 間違いないんですか?」
「…………ええ。事実よ」
エミリーの声は冷たい。
かつてあった快活な少女の面影を、今の彼女に見ることは難しい。
「私たちに追放された人が、そんなことをして見せたのよ。私たちの誰にも出来ないことを」
「あの、では……」
「この情勢が私たちのせいだと言いたいのなら、そのとおりね。貴方の批判は真っ当だわ」
幹部たちが屈辱を強めて拳を握る。
そしてエミリーは、ふ、と息を吐いた。
自嘲の吐息であった。
「私たちに」追放された人。自身がそう言った意味に気づいたのだ。
「私に」とは言わなかった。
自分はここに至ってなお、何かの所為にしたいのだ。
その浅ましさが惨めであった。
そんなエミリーの心情を分かる筈も無く、女はなお問う。
エミリーが訊かれたくないことを。
「いえ、ただ……その人って、ヴァレニウス団長の恋人だったんですよね?」
「…………」
「あの……?」
「……恋人。どうなんでしょうね。婚約者ではあったけど」
愛していた。今も愛している。その筈である。
ではどうして、二人は敵同士なのか。
同じ大陸に居る。同じ空を見ている。
それなのに、二人の間には、あまりに大きな隔たりがあった。
「で、でも、とにかく仲は良かったんですよね? それじゃあ、何とか出来ないんですか? 説得とか……」
「…………」
エミリーは答えることが出来ない。
こうなった理由が、自分にあることは分かっている。
それを後悔しない日は無い。
自分に強い意志があれば。
お仕着せの権威などではない、本当の力があれば、情勢は違っていた筈なのだ。
価値だけを与えられ、しかし無力だった。
それを認めずにはいられない。
まったく逆に、一切の価値を認められず、しかし誰よりも強かった人。
何が相手でも、絶対に諦めなかった人。
神にすら膝を折らない、そんな人。
その隣に居る資格が、自分には無かったのかもしれない。
それを考えるたび、落涙しそうになる。
その涙をどうにか堪え、そして言う。
自身をこれ以上傷つけぬよう、当たり障りの無い言葉を選んで。
「説得しようにも、会えないから……」
離れているのは心ではなく距離なのだ。
そう信じたいのだろうか。
もはやエミリーにも、自分の本心が分からない。
「よ、呼べば良いじゃないですか?」
呼んだけど来なかった!
参謀長への呼びかけに彼が応じなかったことを思い出し、そう叫びたいエミリーであった。
「もう良いだろう? 国家の計に類する話だ。事はそう単純じゃない」
イェルドが諌めるように言う。
だが、エミリーへの助け舟である筈のその言葉も、彼女には不快であった。
単純じゃないって、どうして?
分かり合える筈なのに分かり合えない。
傷つけ合いたくないのに、傷つけ合う。
それはどうして?
彼女こそ、誰かに問いたい心境なのだ。
「でも、その……何か、何か出来なかったんですか? 婚約者なのに……」
無形の刃が、エミリーの胸に突き刺さる。
自身の胸元を強く掴み、絶叫をそこで押し留めるエミリーだった。
「心配は要らない。いずれ奴は討たれる。さあ二人とも、もう行こう。店主、置くぞ。迷惑料込みだ」
「だな。遅れちまう。アンタら、あまりクダ巻いてんなよ」
イェルドがテーブルに銅貨を置き、ラケルが幹部らを注意する。
そしてエミリーは、まだ何か問いたげな女にちらりと目をやって、それから背を向けた。
三人が退店したのち、そこには冷えた空気が残るのみであった。
◆
「説得と来たよ。馬鹿なことを言うもんだ」
侯爵邸への道すがら、ラケルが不満を漏らす。
「ああいう声は今後増えるだろう。勝っているうちは良いが、そうでない時は遠慮も冷静さも消える。民衆とはそういうものだ」
「思うんだけど、タリアン領の戦いじゃなくて、霊峰でアタシらが客員参謀になってたら、勝ててたんじゃねーの?」
ロルフは大神殿で天井を崩した。
それはゴドリカ鉱山でも用いられた策である。
それを進言出来る者が戦場に居たら、結果は変わっていたのではないかと、ラケルはそう言っている。
「まあ、そう簡単な話でもないだろうが……ただ、何と言うか」
「あん?」
「まるで世界が僕たちを置いていっているように感じる」
霊峰での戦いに際し、第五騎士団に声がかからなかったのは必然である。
王女セラフィーナは、第五騎士団を含む国内の戦力を精緻に見極め、そのうえで第一と第二の両騎士団を動員したのだ。
だが、自分たちが歴史の本流に居ないと、イェルドはそう思わずにいられない。
口惜しさがあった。
何せその本流には、自分たちを差し置いてあの男が居るのだ。
「よく分かんねーな」
「ラケルはシンプルで良いな」
「褒めてねーだろ」
「いや、褒めている。本当にそう思うんだよ」
ラケルとて、かつては迷いに満ちた道程を歩いた。
それを知るイェルドだからこそ、今のラケルには舌を巻く思いである。
彼女のシンプルさがエミリーにもあれば良いのにと、そう思い、沈黙する上官を横目に見るのだった。
「…………」
「エミリー。大丈夫か?」
「ええ……」
そう答えるものの、先ほどの女の言葉がエミリーの耳から離れない。
────何か出来なかったんですか? 婚約者なのに……
出来なかった。
無力だから。
後悔はある。
恥じてもいる。
出来ることならやり直したい。
でも。
でも、こんなに辛いなんて。
自分に力が無かったからといって、ここまで悲しみを強いられる謂れはあるのか。
そう思わずにはいられない。
もし平和な世であったなら、無力は罪になどならないのだ。
世を乱すものが無ければ、こんなことにはなっていないのだ。
その思いが半ば逃避であると、エミリーには分かっている。
だが、そう考えてしまう。
どうしても。
エミリーの記憶にある世界は、あまりに綺麗だった。
彼と彼女たちの少年時代は、あまりに優しく、穏やかだった。
どうしても、どうしてもそれを忘れることが出来ないのだ。
いつまでも続くと思っていた彼女たちの世界。それが消えていくことを、どうしても受け入れられないのだ。
「また色々変わるなあ。第二は副団長もやられたって話だし」
「そうだな」
ラケルとイェルドの会話を、エミリーは遠くに聞いていた。
世界から置いていかれているとイェルドは評したが、この先では、第五騎士団にも改めて役割が与えられるだろう。
今や国中の者が、本流に居るかどうかはともかくとして、当事者なのだ。
魔族軍の侵攻は、いよいよ王国領に深く食い込み始めた。
もはや、誰もが戦わねばならなくなる。
魔族軍と。そして大逆犯ロルフと、である。
考えること、やることは、山ほどある。
「………………」
考えたくないし、やりたくもない。
そんな思いに沈むエミリー。
誰にも未来を見通せない、激動の時代。
だから当然、彼女にも知る由は無かった。
再会が近いことを。
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