146_歓喜する獣
「この神殿に突入できてる時点で強者だ。こりゃあ気をつけないとな」
スヴェンは俺へ固定していた視線をシグに向け、警戒を強めた。
そう。彼が言うとおり、シグは強者だ。
「じゃあ、俺の相手はお前だ」
あっさりと言い放ち、シグはスヴェンに斬りかかる。
それを剣でガードし、
「とっ!」
スヴェンは、やや意表を突かれたようだ。
そしてパワーではシグに分がある。
剣を離し、鍔ぜり合いから逃れつつ、スヴェンは横へ跳ぶ。
すかさずシグはそれを追った。
そのまま、ふたりは俺から離れていく。
俺はクロンヘイムと、シグはスヴェンと戦うことになったらしい。
シグは理由も無く、このかたちを選択したが、これで合っている。
スヴェンのような変則的な剣を使う男は、体系だった剣を修める俺のような相手を得意とすることだろう。
シグの方が相性が良い。
ただ、神器はやはり厄介だ。
「シグ! そいつは剣の力で自動回復する! 気をつけろ!」
「ああ!? 何だそのフザけた力は!」
そう言いながら、剣を構え直すシグ。
台詞とは裏腹に、口角が上がっていた。
それを見届け、俺は自分の相手に目を向ける。
こっちの相手も十分にフザけているわけだが、大丈夫だ。
負けはしない。
「立ち直ってしまったか。たいしたものだよ、君も彼も」
クロンヘイムはそう言った。
友の死を受け、精神に変調をきたしていた俺だが、もう迷いは無い。
黒い剣をまっすぐ構え、俺は倒すべき敵へ向き直った。
◆
シグと呼ばれるこの男は、本名をシグムンドと言う。
本名と言っても、親から与えられた名ではない。
路上の孤児として生きた彼に、いつの間にか付けられていた名だ。
確か、どこかの酒場の名を適当に振られただけと本人は記憶しているが、定かではない。
彼は裕福な家に生まれたロルフとは対極の子供時代を送っている。
泥を啜って生きてきたのだ。
そんな彼が今、ロルフと共に在る。
そして、そうとは口にしないが、彼はこの数か月、今までの人生に無い感情を感じていた。
楽しいのだ。
シグは何者でもなかった。
いかに強くとも、誰に顧みられることも無い存在だった。
世界の片隅で潰えるだけの、一粒の
だが彼は今、世界を変える戦いに参加している。
そして実際、彼の眼前で、世界は変わりつつある。
それを見るのは楽しい。
その戦いの中にあって、とにかく退屈しない。
次々に訪れる想像もしていなかった日々は、彼に喜びを与えた。
そう。考えもしていなかったのだ。
出来事という出来事が、彼の想像力の範疇を超えている。
あの男、ロルフは、彼を次の世界へ
そして国と戦い、領土を落とし、さらに大きなうねりを作り出している。
今日に至っては、誰もが知る信仰の象徴である、霊峰ドゥ・ツェリンへ踏み入ったのだ。
そしてその頂にそびえる大神殿までやって来た。
そんな場所で今、自分は剣を振るっている。
ただ日々の糧を得るために戦った日々からは、考えもつかない。
こんなところにまで来ることになるとは。
どこに繋がっている? この道を往けば、どこに辿り着く?
楽しみだ。まったく退屈しない。
シグはまさに、歓喜の只中にあった。
その思いが、口をついて出る。
「見せてもらおうじゃねーか!」
がつがつと打ちつけられるシグの剣。
さっきまで戦っていたロルフの剣とはまるで違うその剣筋に、スヴェンはやりづらさを感じる。
だが彼も超一流である。
シグの剣の間隙を縫い、凄まじいばかりの剣速で突きを入れた。
それを躱しつつ、なお剣を振り入れるシグ。
ふたりの剣が交錯する。
そして一瞬の
シグの肩口とスヴェンの胸元に、それぞれ一直線の傷が走っている。
剣は互いを捉えたのだ。
だが。
スヴェンの傷は、一瞬で塞がる。
そこには、元通り無傷の肉体があるのみだった。
「はぁん。世の中には、こんなんまでありやがるのか」
感嘆するシグ。
こんな敵まで現れるとは、つくづく遠くまで来たものだ。
「で、どうするね?」
「まあ首落としゃ死ぬだろ」
シンプルな解を出すシグ。
剣戟において斬首など、ましてや実力が拮抗した相手の首を落とすなど、そうそうできることではない。
それを思い、シグの目を覗き込むスヴェンだが、そこにハッタリは無いように見える。
「自信家だな。俺の首を落とせるか?」
「知らねえ。やってみりゃ分かんだろ」
そう言って、再び突っ込むシグ。
無造作に、しかし本能的に探り当てた有効な角度で、次々に剣を打ちつける。
「やっぱり面倒だなあ」
駆け引きを好み、得意とするスヴェンとしては、一様に激しい剣戟を挑んでくるシグは嬉しい相手ではない。
しかし我慢のしどころだ。
宝剣アルトゥーロヴナを巧みに操り、シグの攻撃をガードしながら隙を探す。
「…………ッ!」
だが、ずしりずしりと衝撃が、スヴェンの両腕に痛みを蓄積させる。
十合、二十合と打ちつけられる剣。
そろそろかと思うも、剣は途切れない。
どういう肺活量なんだと恨み言を口にしたくなりつつも、スヴェンの目はシグを冷静に注視し続ける。
そして足元に一瞬の隙を見つけた。
剣でガードしたまま、するりと懐へ入り、足払いを仕掛ける。
「とっ!?」
バランスを崩し、転倒しかけるシグ。
そこへ向け、スヴェンは剣を振り下ろした。
「でい!」
「オラァ!」
シグは転倒しなかった。
膝を折り、上体を床とほぼ平行にまで倒した姿勢から、剣を振り抜く。
あり得ぬ角度から飛来する刃に、スヴェンは完全に虚を突かれた。
自身の剣を弾かれたうえ、首の左半分を斬り裂かれたのだ。
「ぐぅっ!?」
たたらを踏むスヴェン。
シグは上体を戻し、追撃に入る。
だが、すでにスヴェンの傷は塞がっている。
踏み留まり、返礼とばかりにシグの首を狙うスヴェン。
その首を、刃は浅く通過した。
「いっつ!」
「ちっ!」
表情には常に余裕を浮かべていたスヴェンだが、ついに顔を歪めた。
そして屈辱に舌打ちしている。
シグの剣は、スヴェンの頸動脈を断っていた。
スヴェンの手にあるのが神器でなければ、勝負がついていたのである。
対してスヴェンの剣も、あと1センチずれていればシグの頸動脈に達していたのだが、それはシグに何らの感想も与えない。
生きている。
シグにとって意味を持つのは、その事実のみである。
その男に、スヴェンは若干の恐怖を感じた。
首から血を垂らし、しかしそれを意に介さず彼はずいずい踏み込んでくるのだ。
「狂人め!」
叫びながら突きを繰り出すスヴェン。
動揺とともに剣先が乱れるであろう場面だが、しかし彼はここに至って一流だった。
その剣はなおも鋭さを失わない。
回避を試みるシグだが、完全には躱せなかった。
宝剣アルトゥーロヴナは目の僅かに横を突き通り、耳を斬り裂いていく。
にも関わらず、シグは瞬きすらしない。
恐怖を知らぬかのように、スヴェンと同様に選択した突きを、彼の胸に突き込んだ。
「がっ……!」
剣が胸を貫通する。
吐血するスヴェンにそのまま組み付き、その鼻先へシグは頭突きを見舞う。
「どぉらあ!!」
「ぅぶ……!?」
半歩を退きつつ、シグは剣を抜いた。
そして抜いたままの流れで後方中段に構えた剣を、スヴェンの首へ向け振り抜く。
「るあぁぁ!!」
白刃が閃く。
剣は、スヴェンの首をまっすぐ通過した。
「こ……!!」
口から血を零し、目を見開くスヴェン。
「……!!」
次の瞬間、シグも瞠目した。
さすがの彼も、驚くほか無かったのだ。
首は落ちず、刃が通過した先から接合されていった。
そして、血走った目をぎょろりと向けるスヴェン。
首を斬られてなお取り落とさなかった剣を、彼は下段に振り抜いた。
「ちっ!!」
即座に跳び
だが腿に刃を受ける。
びしりと血が飛んだ。
距離をとって構え直す両者。
死出の旅から帰還したスヴェンは、ぶるりと首を振った。
当然、突かれた胸の傷も消えている。
「ふぅ……。貴重な経験だが、二度とゴメンだね」
「てめえ、気色ワリーな」
シグの感想は、見た目の
それに気づくこと無く、スヴェンは言う。
「ご挨拶だな。でも、これで万策尽きたんじゃないか?」
ふたりは気づいていないが、実のところ、煤の剣なら斬首でスヴェンを殺せたのだ。
刃に触れるものから魔力を消失させる黒い剣であれば、神器の魔力が首に流通し、そこを繋ぐ前に、スヴェンを絶命せしめていただろう。
ここへ来て、マッチアップの幸運がスヴェンを照らしたのだった。
「さあ、どうする?」
「…………」
シグはスヴェンに正対し、まっすぐ立った。
そして剣を正眼に構える。
「おや?」
策が尽きれば、立ち戻るべきは正攻法。
シグの選択は、戦いにおいて理に適ったものであるようだ。
だが、それはスヴェンに怖さを与えない。
彼にとっても、望むところだった。
同じく正眼に構え、スヴェンはシグへ切っ先を向ける。
目の前の敵が強者であることを、スヴェンは理解している。
何せ致命の斬撃を度々食らわされたのだ。
だが、それは相性によるところが大きい。
スヴェンはそう見ていた。
正面からの技量の比べ合いなら負けはしない、と。
じりじりと、両者が距離を読み合う。
数センチずつ、数ミリずつ近づいていく。
ここまでの戦いで、ふたりは相手の間合いを把握している。
それを元に、有利な距離を作ろうとしていた。
一寸を奪う差し合い。
正統派の剣士が戦う際に見られる展開である。
変則的な剣を使う者同士が、戦いのすえ、正統的な勝負に及んでいるのだ。
「…………」
「…………」
少しずつ、少しずつ近づく。
シグの顎先から、汗が一滴、次いで、切れた耳から流れる血が一滴、床を打った。
両者が相手の呼吸を見定めようとする。
瞬きもせず、すべての神経を次の一閃に込めようとしていた。
「…………」
「…………」
ふたりの剣先が、ぴくりと動く。
次の瞬間、同時に上段斬りを放った。
「せい!」
「うらぁ!」
シグの脳天へ向けて飛来するスヴェンの剣。
対して、シグの剣はスヴェンの剣を打った。
「っ!?」
シグは、剣をスヴェンの剣の軌道に割り込ませ、刀身同士をかち合わせる。
そして剣の背を捕らえた。
そのまま振り下ろし、磨き抜かれた石の床に剣を叩きつける。
ばきりと鈍い音が響いた。
ヨナ教団の至宝である神器、宝剣アルトゥーロヴナが、無残にも叩き折られた音である。
当然の帰結として、
「ぐぅっ!?」
手を伝う激しい衝撃に、声をあげるスヴェン。
シグは再び、上段の構えをとっている。
もう奥の手は使えない。降伏しろ。
そういう言葉を用いるシグではなかった。
彼は彼流の敬意を剣先に乗せ、再度の振り下ろしを見舞う。
「おおぉぉぉっ!!」
どしゅり。
剣は真っすぐスヴェンを捉えた。
そこに走った深く紅い傷は、もう塞がることは無い。
「ぁ…………」
スヴェンは両膝をついた。
それから顔を上げる。
信じ難いものを見る目をシグに向け、何かを言おうとしたが、吐き出される血が言葉を阻害した。
そしてうつ伏せに倒れ込む。
床に広がる血が、彼の死を告げた。
最後の差し合い。
シグは決死の覚悟を持って臨んだが、スヴェンは違った。
首を斬られても死ななかった彼は、決死の覚悟など持ち得なかったのだ。
それが勝負を分けたのだった。
「ふん」
今の技は、屈辱と共にシグの記憶に刻まれたものだった。
アーベルでロルフと初めて会った時、シグは彼に剣を叩き折られたのだ。
その技を今、成功させてやった。
ロルフが攻めあぐねていた相手に対してである。
それを思い、彼は歯を剥き出しに笑った。
「やってやったぜ!」
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