145_死の痛み
「すぅ……」
俺はスヴェンから距離をとり、呼吸を整えた。
何度目かの仕切り直しだ。
「ふぅ! いやはや、強いな。たいしたもんだ」
スヴェンの言葉は本音であるようだった。
実際、
だが、奴の手にある神器がその差を埋めている。
致命傷ですら一瞬で快癒してしまうのだから。
「俺の剣は、魔法を消し去ることができるんだがな」
「聞いてるよ。でもこれ、魔法じゃないから。神の奇跡、宝剣アルトゥーロヴナってんだよ」
アルトゥーロヴナ。
聖者ラクリアメレクの
だが聖なる
実際あれは魔法の一種だろう。
剣から湧出し続ける魔力が、奴の全身に魔法効果を及ぼしているのだ。
あの剣は
神器とは、要するに高度な魔法処理が施された武器なのだと思う。
したがって、煤の剣で魔力の流れを断てば勝ち筋が見えるかもしれない。
だが、奴を斬っても、神器から奴の体へ流入する魔力が一瞬で傷を塞いでしまうのだ。
それなら神器を持つ両腕を一刀で落とせば良いのだが、それは簡単ではない。
凡百の剣士が相手なら可能だが、いま
まして、俺がそれを狙うことは、奴にも分かっているはずなのだ。
「ロルフさんよ。それだけ強いなら、もっと大胆に踏み込んできても良いんじゃないか?」
スヴェンが誘う。
俺としても、できれば強い一撃で勝負に出たい。
しかし、このレベルの剣士を相手に、おいそれと勝負に出ることはできない。
「慎重さが持ち味でな」
「時には思い切りも大事だぞ」
時間をかけるという選択肢もある。
神器という武器は、リスク無しで使えるものでもないだろう。
根拠は無いが、神と名がつくなら、代償は強いられると思う。
生命力なり何なり、スヴェンは消費しているのではないか。
だが、俺としても時間を使い過ぎるのは
何せこちらにもタイムリミットはあるのだ。
こうしている間にも、仲間たちは命がけで戦っているのだから。
それに、スヴェンのような
予想外の状況が
「ふぅー……」
いけない。息を吐いて、いったん頭をクリアにする。
思考の淵に嵌っていては、奴の思う壷だ。
「風体に似合わず、考えて戦うタイプなんだな」
にやりと余裕を見せるスヴェン。
治るとはいえ、身に刃を受ければ焦りが出そうなものだが、そんな気配は無い。
戦い慣れしているのだ。
俺は改めて糸口を探すべく、スヴェンを観察する。
筋肉の動き、表情に呼吸、それから纏う空気。
それらを視界に捉えて何かを探す。
その視界が、望まぬものを捉えた。
スヴェンの後方に人影。
誰かがこちらへ近づいてくる。
「おや?」
スヴェンも気づき、そして声をかけた。
「来られたのですか」
「外は部下に任せてある。うちの者たちは皆、優秀だからね。問題ないよ」
そう答え、男は俺に顔を向けた。
茶色い直毛に、やや童顔の騎士である。
「外よりこちらが重要だからね。強い敵を迎え撃たないと」
俺の目をしっかりと見据えながら、そう言った。
彼は俺と戦いにきたのだ。
「ステファン・クロンヘイム……」
「覚えててくれたかい? 何度か会ったことあるよね」
向こうが俺を覚えていたことの方が意外だ。
エミリーの従卒として中央へ行った際、確かに何度か顔を見たことがある。
言葉を交わしたことは無いが。
「旧知と斬り合うのは気持ちの良いものじゃないけど……」
そう言って、剣を抜くクロンヘイム。
その所作だけで、空気が張り詰める。
「まあ何はともあれ、やろうか」
「…………!!」
構えを見ただけで気づく。
否応なしに気づかされる。
やはり、とんでもない強さだ。
そして二対一という状況。
第二騎士団団長と、済生軍最強剣士である。
「クロンヘイム団長。私は構いませんが、よろしいんですか? 正道を行く騎士として高名な貴方が、二人がかりとは」
肩を竦めながらスヴェンが問う。
騎士に対してやや敵愾心も感じる物言いだった。
彼はおそらく、戦いに精神性を見出す考えを嫌う種類の人間なのだろう。
「スヴェン殿。戦争なんだよ、これ。しかも大将の近くにまで攻め込まれている。全力で排除しないと駄目だ」
「ごもっとも」
二人の意見は統一されているようだ。
俺は彼らを、同時に相手取らなければならない。
そして、まともに戦力を比較すれば、当然向こうが上である。
連携の隙を見つければ、勝ち筋が見えるだろうか?
「おや、それが例の黒剣かい?」
考える俺をよそに、クロンヘイムが煤の剣に気づいた。
そして興味深げに見つめる。
「なるほど……美しい剣だね」
「ああ、俺もそう思う。見惚れるような黒だ」
「それに何かこう……何だろう。美しいだけじゃなくて」
怒り。
この剣からは、僅かながら怒りが感じられる。
何に対する怒りなのかは分からないが。
「まあいいや、それじゃあ、行くよ」
会話を切り上げ、間合いを詰めてくるクロンヘイム。
剣が一瞬で突き入れられる。
凄いスピードだった。
俺は退かずに、煤の剣で突きを払う。
ギリギリ間に合ったかと思いきや、真横には既にスヴェンが居た。
「せっ!」
気合いと共に、スヴェンの中段斬りが飛来する。
俺は身を低くし、スヴェンの方向へ転がりながら回避した。
そして彼の横で膝立ちになり、剣を横薙ぎに振る。
その剣を躱し、大きく跳び
入れ違いに、クロンヘイムの剣が襲いかかってくる。
「くっ!」
膝立ちの姿勢から、俺は大きく後ろへ跳んだ。
そしてすかさず立ち上がり、剣を構え直す。
「何とまあ。今のも対応できちゃうのか。凄いよな、やっぱり」
「これは油断できないね」
ふたりはそう感想を漏らす。
クロンヘイムは油断などと口にしたが、元より彼にそんなもの期待できない。
マズいのは、彼らの攻撃がすでに連携の
個の力に優れる者が連携を不得手とすることはよくある。
それを期待し、隙を突けないかと思ったが、そう上手くはいかないらしい。
しかも戦っているうちに、ふたりの連携はさらに
不利な条件ばかりが揃い過ぎている。
「
そこへ、さらなる不利を強いる声があがった。
音に聞こえた、クロンヘイムの魔法剣だ。
彼は、
俺は頭の中で激しく鳴り響く警鐘にしたがい、横合いへ転がる。
それを見たクロンヘイムは、振り抜いた剣を反転させ、すかさず横薙ぎに振った。
立ち上がっていた俺は、何も無い真横の空間へ向けて煤の剣を振り下ろす。
何かを斬る感触。そしてそれが掻き消えた。
そこには魔力の帯が流れていたようだ。
「……なるほど。君は魔力そのものを斬れるのか」
今のが、清騎士クロンヘイムの見えぬ刃か。
何とか煤の剣で迎撃できたが、紙一重だった。
「それにしても初見で……しかも連撃を見舞ったというのに斬れてしまうとはね。凄まじいな、君という男は」
クロンヘイムが感嘆に声を上げ、スヴェンも瞠目している。
俺はヴァルターとの模擬戦を思い出していた。
あの時、彼が放った
あれを見ていなければ、クロンヘイムの刃に対応できていなかっただろう。
ヴァルターという友が俺を生かしたのだ。
それを思う俺に、クロンヘイムが言った。
「強いね。ヴァルター以上かもしれない」
「…………あんたが?」
「ああ、僕が倒した。死んだよ」
「………………」
覚悟してはいた。
だが聞きたくなかった。
「友達だったのかい?」
「ああ」
降りる沈黙。
ややあって、俺は口を開いた。
「……彼の部隊の仲間は?」
「多くは討った。一部は逃れていったが」
「……そうか」
第二騎士団が山頂に戻ってきた以上、レゥ族は敗れたということだ。
そしてレゥ族は、多くの点でヴァルターという英雄に支えられている。そんな彼らの敗北は、高い確率でヴァルターの敗死を意味していたのだ。
それでも生きていて欲しかった。
だが目の前のクロンヘイムは嘘を言っていない。それが分かってしまう。
「彼は強かったよ」
「……知っている」
戦っていれば、
つまり、この痛みは常に付き纏うということ。
受け入れなければならない。
…………そう、受け入れなければならないのだ。
「せい!」
「つっ!」
スヴェンの剣が襲いくる。
剣でガードしながら、俺は後ろへ下がった。
そこへ刺さる殺気。
クロンヘイムが遠間で上段に構えている。
彼が剣を振り下ろすと同時に、俺は横へ跳んで転がり、不可視の刃から逃れた。
そして立ち上がり、スヴェンから距離をとる。
「ふぅー……!」
息を吐きながら、剣を構え直した。
今、意識に一瞬の間隙を作ってしまった。
友の死に自失したのだ。
これではいけない。
目の前の戦いに集中しなければ。
心に活を入れ、俺は剣を握る手に力を入れる。
そして距離を取り、ふたりとの間合いを測り直した。
また不可視の刃が来る前に踏み込みたいが、スヴェンがカウンターを狙っている。
精神を消耗する差し合いの中、俺は心に
そこに焦りを感じていると、視界に、クロンヘイムが中段を振る姿が映った。
俺は、不可視の刃を煤の剣で迎撃しようとしたが、それが誤りだと気づく。
スヴェンが踏み込み、下段を狙っているのだ。
不可視の刃と、宝剣アルトゥーロヴナ。
中段と下段が同時に襲ってきている。
「くっ!」
俺は迎撃の構えを解き、すかさず後方へ跳んで逃れた。
だが、ふたりの攻撃を完全に躱すことは叶わず、脛にずきりと痛みが走る。
スヴェンの剣が、その剣に纏われた魔力が、俺の足をかすめたのだ。
「捉えたぞ。精神が乱れてるな?」
スヴェンは微笑を浮かべて言う。
彼の言うとおりだった。
理屈のうえで、俺は人々の死を受け入れている。
だが、感情面での痛苦を無視することはできないらしい。
今、ヴァルターの、友の死は、改めてそれを俺に突きつけている。
ヘンセンでベルタという友を得た日。
俺はその日に彼女を喪った。
彼女は、友となった日に逝ったのだ。
そのことを思い出す。
無情だ。これから
そうやって、死は突然訪れる。
戦っている者たちにとって、死はあまりに身近なのだ。
ヴァルターも、あの気の良い男も、再会すること無く逝ってしまった。
これから日々を共有できるはずだった。
だが、もう二度と会えない。
「………………」
痛い。
この痛苦を、あとどれだけ味わうのだ。
分かっていても、分かっていても痛いのだ。
思考が沈む。
体が重さを増していく。
「せぁっ!」
「くっ!」
再び襲いかかる、クロンヘイムとスヴェン。
俺はその場に踏みとどまり、どうにか不可視の刃を砕き、宝剣アルトゥーロヴナを払う。
そして返す刀をスヴェンに振り入れた。
だが、煤の剣は空を切る。
スヴェンは一瞬で跳び
「はぁ……はぁ……!」
「削れてきてるな。こりゃあ何とかなりそうだ」
今のは対応できたが、かなり危なかった。
判断が僅かでも遅れていれば、俺は死んでいただろう。
次の攻撃も、その次も、この有様で防げるわけが無い。
これでは駄目だ。
俺は全力で床を踏みしめ、自らを奮い立たせる。
戦うのだ。
戦わなければならないのだ。
そう、残された者は、戦い続けなければならないのだ!
たとえ、ひとりになっても!
「僕も何人も喪ってるし、覚えがあるけど、その沼に捕らわれたら、すぐには戻って来られないよ」
「……!!」
誰であれ、死から目を逸らすことはできない。
クロンヘイムはそう言っている。
心の
頬を伝う汗が、顎先から滴り落ちた。
そんな俺へ、クロンヘイムは剣を向け直して言う。
「さあ、君の旅を終わりにする時だ」
「終わんねーよボケ」
………………。
男が、肩に剣を担ぎ、悠然と歩いてくる。
ああ。
そうだ。そうだとも。
去りゆく者は居る。だが、留まる者も居るのだ。
友人たちは居る。常に傍らに。
俺は、ひとりではないのだ。
そんな当たり前のことをようやく思い出し、不覚にも感動している俺へ向け、奴は犬歯を露わに叫んだ。
「てめぇ……しけたツラしてんじゃねーぞロルフ!」
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