144_変わり始める世界
「退がりながらで良い! 崩れた隊列はもう組み直すな! 中央へ固まれ!」
デニスの声からも、いよいよ余裕は消えていた。
圧倒的な強者である第一騎士団。
その武威の前に、彼ら反体制派は麓近くまで押し返されていた。
だがそれでも、なお抵抗を続ける。
ここに居るのは体制によって何かを蹂躙された者たちである。
目の前に居るのは、その体制の、最大の守護者たる第一騎士団。
彼らの胸にある怒りは並々ならぬものだったのだ。
「うおおぉぉぉぉっ!!」
「踏み留まれぇ!!」
反体制派は正規の軍ではなく、際立つ強さを持っているわけではない。
だがここに来てなお、粘りのある戦いを見せ、ギリギリで戦線を維持していた。
中核を為す傭兵たちは、場末の戦場からの叩き上げである。彼らには泥臭さがあったのだ。
「それで良い! 無理に斬り込むな! こっちに引き付けろぉ!!」
決死の表情で戦い続ける反体制派の兵たち。
フランシス・ベルマンは、その姿を第一騎士団の中衛付近から観察していた。
そして隣にいる団長エステル・ティセリウスに言う。
「たいした者たちです。あのレベルの敵に、ただ引き付けることを目的とした戦いをされると、我らとて、おいそれとは勝ち切れません」
「そうだな」
短く答えたティセリウスの視線は、反体制派の右後方へ向いていた。
ベルマンもそちらへ視線をやる。
そして、この冷静な紳士にしては珍しく、驚愕に声をあげた。
「むっ!?」
そこに現れたのは、新たな敵影。
魔族の一軍である。
南側から、レゥ族が駆けつけたのだ。
「増援……だというのか」
ティセリウスが言った。
彼女をして、想定していた事態ではない。
反体制派は、一瞬、後方から現れた軍に顔色を変えた。
何者かに挟撃を受けたのかと思ったのだ。
だがレゥ族は彼らの横に並び立ち、一斉に第一騎士団への攻撃を始めた。
「いくぞぉ!」
先頭で豪槍を振るう男、ギードは、気合も十分に雄たけびをあげる。
そして彼に呼応するように、レゥ族の兵たちは剣を振り上げた。
「おおおおおおぉぉぉぉっ!!」
彼らは一度敗れたが、その雪辱を晴らそうとするかのように戦場へ戻ってきた。
人間に助勢するためである。
ここに居る人間たち、反体制派は、済生軍を退けたうえで、かつ第一騎士団を相手に、なお踏み留まっている。
見れば、誰も彼もが戦傷を負っていた。
第二騎士団に敗れ、諦めようとしていたレゥ族。
突出した英雄に支えられていた彼らは、その英雄の敗死に、一度は望みを失ったのだ。
だが英雄を持たぬ者たちが、なお戦っている。
レゥ族の兵らの胸中には、第一騎士団を相手に諦めぬ人間たちへの、引け目や羞恥心、それから敵愾心があった。
そして誰の胸にも、僅かながら生まれていたのだ。
敬意が。
「こっち! 回復班まわせ!」
「人間! 弓を扱える者はこちらへ来い!」
怒号が空を
人間と魔族が手を取り合おうとする怒号が。
デニスはその光景を、驚きをもって見つめていた。
傍らのフリーダも同様である。
そのふたりへ、レゥ族の女が近づいた。
「デニスさん。それとそっちの貴方はフリーダさんかしら? ふたりとも、まだ戦える?」
「あ、ああ。貴方は……エリーカ殿。
「エリーカさんというのかい。勿論まだ戦えるよ。たった今、元気になった」
「そう」
微笑むエリーカ。
その笑顔を一瞬よぎる陰に、デニスは気づいた。
アーベルで会った時、ヴァルターに向ける彼女の視線は、ただの戦友のものではなかった。
人生経験に富むデニスである。男女の機微にも敏い。
ヴァルターの戦死が彼女にとって如何なる意味を持つか、理解できてしまうのだ。
だが、今は慰めの言葉をかけている時ではない。
それを思い、デニスは敵の方へ向き直り、そして言った。
「よし、もうひと頑張りだ。あと少し、あと少し耐えれば、きっとこの戦いは意味あるものになる」
根拠は無かった。
だが確信があった。
いま少し第一騎士団を引き付ければ、きっと山頂で歴史が動く。
デニスの言葉に、人間の女と魔族の女が同時に頷いた。
そして反体制派とレゥ族は、第一騎士団に立ち向かう。
士気を満たした掛け声が、
「ご覧なさい、お嬢様」
正面に目を向けたまま、ベルマンは言う。
隣に居るティセリウスも、前方に広がる光景に視線を取られたままだ。
「人間と魔族が、共に戦っております」
「ああ、そのようだな」
ティセリウスは答え、目を閉じ、俯き、それから暫しののち顔を上げ、目を開いた。
そして少しだけ震える声で言う。
「誰かが世界を変えようとし、世界がそれに応えつつあるのだ」
◆
「ぬぐっ!」
「トマス!」
ダンが駆け寄る。
トマスは肩口に槍を受けてしまったのだ。
本丸である大神殿を背後に置いた済生軍と第二騎士団は、ここへ来てその攻勢を強めている。
背水の状況が如何に人を強くするか、ヴィリ・ゴルカ連合の者たちは思い知っていた。
「だ、大丈夫だ! 傷は浅い!」
なお剣を手に前へ踏み出るトマス。
確かに肩の傷は浅い。
だが彼が受けている傷はそれだけではなかった。
体中、あちこちから出血している。
そしてそれはダンも同様だ。
戦傷著しく、頭から流れる血が片目の視界を塞いでいた。
ふたりはクンツを回復班のもとへ送り届け、すぐに前線へ戻った。
そして退くことなく戦い続けているのだ。
大車輪の活躍だが、結果、ダメージの蓄積は無視できぬものになっている。
「おい! あんたたち、退がれ! ここは俺たちが!」
「いやいや! 心配なさるな! ここを薄くしたら斬り込まれてしまうぞ!」
「そうだ! 最後まで共に戦うとも!」
ひとりの魔族兵が声をかけるが、トマスとダンは謝絶する。
勝負の
「しかしその傷では……!」
「友よ! 傷ついた者たちを守るための戦いではないか! 我ら傷つくことを
「うむ! 心配無用だ!」
「…………!」
周囲の魔族たちが言葉を失う。
トマスとダンは朴訥な顔立ちをしており、そういう強い言葉はあまり似合わない。
だが、傷だらけの笑顔で口にしたその言葉には、不思議と力があった。
真摯に戦う姿を見せることで、信じるに値する人間も居ると魔族たちへ示す。
それはロルフの目標のひとつだ。
実際彼はそれを実行している。
トマスとダンは、そのロルフの思いを詳しく知るわけではない。
だが、図らずも彼らの行動はロルフの思いに沿っていた。
「さあ行くぞ! ここが頑張りどころだ! 遅れるなよダン!」
大神殿に突入できた者たちは居るが、果たしてそれで十分かどうか。
何せ、神殿の中にはまだ恐るべき強者たちが居るはずなのだ。
さらに敵は外で戦っていた隊列から、一部の人員を神殿内に向かわせた。
突入した者たちを追わせているのだ。
これ以上、神殿内で戦っている味方に、不利を強いるわけにはいかない。
不甲斐ない戦いはできないのだ。
ふたりは、それを強く思った。
「やるぞトマス! 皆も最後まで油断するなよ!」
トマスとダンが、そしてふたりに感化された魔族たちが、力を振り絞る。
この最後の局面にあって、彼らは決意を新たにした。
戦い抜くという決意を。
◆
「気でも触れたのか……!」
これ以上なく険しい顔つきで、そう言葉を漏らしたのは第二騎士団副団長、アネッテだった。
敵が神殿内へ入り込んだことに気づき、それを追ってきたのだ。
この戦いの司令官であり、この地の領主でもあるイスフェルト侯爵を討たれれば、彼女たちは敗ける。
ゆえに、入り込んだ敵は止めねばならない。
大神殿に突入したのは、強力な敵戦力であるロルフらと目される。
個の武勇に優れる者でなければ、止めることはできないだろう。
当然、侯爵に護衛は居るし、上階には強力な戦力も残っているが、大逆犯を放ってはおけない。
それを思い、アネッテは外の指揮をフェリクスに任せ、
しかし、彼女はロルフが向かったと思われる上階へ至れていない。
一階で足止めを食ったのだ。
「いったい何のマネなのだ、アルフレッド殿!」
目の前には、侯爵の息子アルフレッドが立ちはだかっている。
その横にはもうひとり、済生軍の女兵士の姿もあった。
「言ったとおりだ。ここは通さぬ」
アルフレッドの周囲に、数名の騎士が倒れ伏している。
押し通ろうとしたアネッテの部下たちである。
アルフレッドによって倒されたのだ。
「我々は、貴方のお父上をお救いしに行くのだぞ!」
「あれは私の才を買っただけの男。父ではない」
実家に居るのも父などではないが。とアルフレッドは胸中で続けた。
ティモは復讐を望まぬだろうが、さて私は何を選ぶのか。
自身にそう問う。
「敵に
「第二騎士団の名も知らぬ副団長よ、よく聞け。私は敵に与する」
「貴様……!」
アネッテの額に血管が浮き出る。
アルフレッドは覚悟を口にしたまでだが、台詞は挑発の意味を為した。
アネッテの部下たちも怒りに顔を歪ませている。
「そっちの女も同じ考えか!」
「ああ、おらもだよ!」
「どこの愚物か知らんが、何をしているのか分かっているのか!」
「おら、やんなきゃなんねえ事をやってるだけだ」
アネッテは震えた。
我慢の限界だった。
この日は霊峰を侵され、あまつさえ聖域である大神殿を踏み荒らされているのだ。
敬虔なヨナ教徒である彼女にとって、ひたすら不快であった。
加えて、この造反。
目の前に、女神を裏切る人間がふたりも居るのだ。
一方は侯爵の息子である。だが、魔族を守る意思を見せるなら、それは神敵なのだ。
「もう一度だけ、もう一度だけ、確認するぞ……! 裏切るのだな……!」
「そうではない。自らを裏切ることを止めたのだ」
ぎりりと歯を食いしばるアネッテ。
大きく呼吸し、自身を落ち着ける。
それでもなお震える手。
彼女はその手を上げ、そして振り下ろした。
「かかれえ!!」
斬りかかっていく騎士たち。
アルフレッドは杖を構え、マレーナは戦鎚を手に踏み出した。
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