141_手渡された未来
ただ、友だちが欲しかったんだ。
うちは大きな商家で、地元で有名だった。
よく分からないけど、すごく力があったみたいだ。
ぼくはそこの後継ぎ。
だからか、お父さんは同年代の友だちを作らせてくれなかった。
悪い影響を受けると思ったんだろう。
でもぼくは友だちが欲しかった。
ずっと欲しかったんだ。
教育係だけが訪れるぼくの部屋。
その窓から、時々近所の子供たちが見える。
身なりは良くないけど、みんな笑ってる。
騒ぎながら走り回ってる。
ああやって誰かと一緒に居るのは、きっと楽しいに違いない。
ぼくは違う。ひとりだ。
でも、ぼくの家には、同年代の男の子が居た。
ティモって子。屋敷で働いてる。
ぼくはまだ子供で、働いてない。
でもその子は働いてる。
働いてると言っても、給金は無いらしい。
下男というか、要するに奴隷だった。
汚くて辛い労働を、子供がやらされてた。
それが何故なのかはよく分からなかったけど、どうも彼はぼくたちと違うようだ。
肌の色が薄い褐色である以外は、別に違いは無いように見えるんだけど、人間とは別の存在なんだって。
彼が話に聞く「魔族」らしい。
魔族って、生まれついての邪悪だと教わってる。
ただ、ぼくは教育係があまり好きではなくて、彼の言葉を疑ってかかる癖があった。
彼が教えてくれる神学は結構好きだったけど、その中でひとつの種を全否定するところは、ちょっとピンと来なかった。
だから、そのティモと直接話してみることにした。
同年代だし、ひょっとしたら気が合うかもしれない。
お父さんからは彼に関わるなと言われてるけど、話さないことには、いい人なのか悪い人なのか分からない。
その時間、彼はいつも荷運びをしてた。
火薬とか堆肥とか、使用人があまり運びたがらないものを運んでるらしい。
それで、搬入口のあたりを探すと、居た。
ぼくと同じ、たぶん十歳ぐらいの男の子。
ティモだ。
ぼくは、彼に近づいて挨拶する。
「やあ、こんにちは」
「……えっ?」
「話すのは初めてだね」
「あ、あの」
次の瞬間、ばしりと大きな音がした。
ぼくの頬が張られたのだ。
いつの間にか、目の前にはお父さんが居た。
「これに関わるなと言ったろう!
打たれた頬を押さえ、茫然とするぼく。
ティモは怯え、それから謝った。
「ごめん……なさい」
「黙れ!」
父は、ティモも打った。
ぼくにしたより、ずっと強く。
ティモは何もしてない。
ぼくに話しかけられただけ。
でも、どういうわけか謝ってた。
そして打たれてた。
穢れるという言葉の意味は理解できない。
ただぼくは、打たれた頬ではないどこかに、何かよく分からない痛みを感じた。
◆
数日後。
ぼくは初めて、勉強をサボった。
教育係が来る前に部屋を抜け出したのだ。
何かずっとモヤモヤしてて、屋敷に居たくなかった。
と言って、行きたい場所があるわけでもない。
ぼくは何となく、屋敷の裏手に広がる林へ来てた。
その林の奥の方にある、池のほとり。
ぼくはそこに座り込んで、ぼーっと池を見てた。
今日はよく晴れてて、水面がきらきら光ってる。
そのきらきらを、ただずっと眺めてた。
「あ……」
その時、池の中に何かを見つけた。
動いてる。
あれは……蟹だ。
蟹って池にも居るんだ。
というか、野生の生き物をぼくは初めて見た。
窓の外に見る近所の子供たちは、虫取りなんかもしてたみたいで、ぼくはそれがすごく羨ましかったんだ。
それで、何だか気持ちが昂ってしまう。
ぼくは濡れるのも構わず、池の中にざぶざぶと踏み入った。
「か、蟹……!」
外で遊んだことのある普通の子供なら、それが危ない行動だって分かっただろう。
でもぼくは、そんなこと考えもしなかった。
ただ、初めて見る生き物を捕まえたかった。
突然、ごぶりと身が沈んだ。
池には、急に深くなってる場所もある。
ぼくはそんなことも知らなかった。
「あ……あぶっ!?」
突然、視界が水で覆われる。
反射的に暴れ、そして前後が分からなくなった。
「は……! がばっ……!」
息ができない。
ぼくは危険なんてものをまったく知らなかった。
この時、初めて命の危機を感じたんだ。
「ごぼっ……! ぶぁっ……!」
喘ぐように水面を探すけど、どこにも無い。
周囲にずっと水だけが広がってるような感覚。
本当に、死を感じたその時。
腕が、ぼくを掴んだ。
ぼくと同じ、小さい子供の腕だった。
◆
「はぁっ……! はぁっ……!」
水から引き揚げられ、大きく息を吐くぼく。
傍らには、同じく息を吐くティモが居た。
「はぁっ……はっ……だ、大丈夫ですか?」
ぼくを案じるティモ。
彼が助けてくれたのだ。
「た……助かったよ。ありがとう……!」
ぼくがそう言うと、ティモは目を丸くした。
お礼を言われたことに驚いてる。
彼はきっと「ありがとう」という言葉とは縁遠い日々を送ってるんだ。
「ティモ、どうしてここに?」
「あの、薪を拾いに。そうしたら、坊ちゃまが池へ入っていくのが見えて……」
本当、九死に一生を得た。
彼がたまたま居てくれなかったら、ぼくは死んでいただろう。
「ティモ、君は命の恩人だよ」
「そんな……僕はただ……」
居心地が悪そうに、視線を彷徨わせるティモ。
助けた側の彼が、申し訳なさそうにしてた。
「でも、君がぼくを助けたことは黙っておかないと」
「お、お気遣い、ありがとうございます」
このことが知れれば、お父さんはまた怒る。
ティモに感謝なんかしないだろう。
それどころか、息子の命が魔族に救われたと分かれば、きっと激怒では済まない。
いいことをしたはずのティモが、ひどい目に遭わされる。
ぼくがそう考えたことを、ティモはすぐに理解したみたいだ。
彼は賢い人だった。
それから、服を乾かしつつ色んな話をした。
ぼくは、彼がどうしてうちで働いてるのか訊いた。
ちょっと遠慮の無い質問だったかもしれない。
でも彼は、穏やかに答えてくれた。
「お父さんが、以前こちらのお屋敷で働いてて……」
話を聞くと、彼のお父さんも、うちで働かされてたそうだ。
確かに、前は大人の奴隷も居たような気がするけど、ぼくはよく覚えていない。ここに来てそう経たたず亡くなったらしい。
それで、父親と一緒に連れて来られていたティモは、そのままひとりで働くことになったようだ。
「でも、ティモはぼくと同じで、子供なのに」
「まあ……仕方ないです」
力ない笑顔で答えるティモ。
魔族は子供だからと配慮を与えられたりしない。
彼の境遇の悲しさを、ぼくはまだ理解し切れてなかった。
そんなぼくに比べ、ティモは色んなことを知ってた。
さっきの蟹の名前とか、向こうの木には美味しい実が
草笛というものには心が躍った。
ただの葉っぱなのに、ティモが口に当てると、ぷうぷうと音が鳴った。
ぼくが中々上手くできなくて少ししょげてると、ティモは丁寧に教えてくれる。
彼の言うとおりにすると、ぼくも綺麗な音が出せるようになった。
すごく嬉しかった。
ティモは、故郷に居た時、お父さんにこういうことを教わったらしい。
ぼくもだけど、ティモにはお母さんが居なくて、お父さんだけが家族だったそうだ。
お父さんの話をする時、やっぱりティモは悲しそうだった……。
それからしばらくして、服が乾いた。
屋敷に戻る前に、ぼくにはティモへのお願いがあった。
「ティモ、頼みがあるんだ。敬語はやめてくれないかな」
「え……でも……」
「お願いだ。ぼくは友だちが欲しいんだよ」
「友だち……」
戸惑うティモ。
しばらく考え込んだあと、彼は答えた。
「うん……。分かったよ」
こうして、ぼくに初めての友だちができた。
◆
それからというもの、ぼくの日々は変わった。
灰色だった世界に色がついたようだった。
友だちが居る毎日って、きっと楽しいんだろうなって、ずっと憧れてた。
でもそれは思ってた以上だったんだ。
もちろん、ぼくらが友だちだってことは、お父さんや家の者たちには内緒だ。
だからぼくたちは、もっぱら夜に会った。
家の者たちがその日の仕事を終え、自室に戻っているころ、ぼくとティモはこっそり会う。
そして二人だけで遊んだ。
夜に部屋の外へ出ること自体、すごくワクワクしたし、そこにティモが居れば最高に楽しかった。
ティモも次第によく笑うようになっていった。
ティモと一緒に居ることで、ぼくの世界は一気に広がった。
それまでは、教育係から伝えられることだけがぼくの世界だった。
でもそれは瞬く間に様変わりしたんだ。
色んなことをした。
蔵を探検したり、裏庭で虫を探したり。
屋根裏に忍び込んだ時はすごく興奮した。見たことも無い大きなクモが居て、ぼくもティモもびっくりした。
あの林にもよく行った。木に登って鳥の巣を見つけた時は感動した。
厨房に忍び込んだりもした。
果物を盗み食いした時はティモも躊躇っていたけど、構うもんかとぼくは言った。
ここで働いてるんだから、それを食べる権利がティモにはある。
ぼくがそう伝えると、ティモは小さくありがとうと言った。
それと、ぼくたちは駆けまわるばかりでなく、時にはゆっくり語り合った。
裏庭に座って月を眺めながら、色んなことを話した。
その日あったこととか、最近屋敷を訪れた人の話とか。
ティモは、彼のお父さんから教わった季節と自然の話に詳しかった。
ぼくはそれを聞くのが大好きだった。
対してぼくは、教育係から教えられた、歴史の話なんかを伝えた。
それはたぶん、王国の主観による歴史だったんだろうけど、それでもティモは興味深げに聞いていた。
でも未来のことは話さなかった。
いつかこんなことをしたい、あんなところに行きたい。
そういう話をティモとすることはできなかった。
ティモにちゃんとした未来があるのか、それは考えたくない問いだったんだ。
だから今日を生きた。
ぼくとティモは、ぼくたちの少年時代を大切に過ごした。
その日々は本当に楽しく、ぼくは夜を待ち遠しく思うようになっていた。
◆
ある日、お父さんがぼくに、養子の話を告げた。
偉い貴族が子を欲しがってるそうだ。
すごく名誉なことのようにお父さんは言ってる。
でもぼくはショックだった。
お父さんとの仲は良好とは言えないけど、でも家族だ。別れたいわけじゃない。
そして何より、ここには大切な友だちが居る。
離れ離れになりたくはなかった。
それに、ぼくは知ってる。
その貴族がやってるのは、青田買いというやつだ。
子を何人も囲って、
そういうやり方だから、ほかの貴族家から養子を取ることはできない。
かといって出自のちゃんとしない子を迎えることもできない。
だから、うちみたいに平民ではあるけど中央との繋がりもある商家なんかはもってこいなんだ。
お父さんは、うちの後継ぎには別の子を養子に貰うつもりなんだろう。
そして有力な貴族家と親族になる。
「お前が貴族家の跡取りとなるのだ。私より偉くなるんだぞ」
お父さんは、楽し気に言ってた。
◆
「ティモ。今日は夜を待たずに出かけてみないかい?」
「え?」
「海を見てみたいんだ。ティモは見たことがある?」
「無いけど……」
「じゃあ行こうよ!」
その日、父や主だった家人は出かけており、明日まで戻らない予定だった。
例の養子の話で、会合があるのだ。
だから日のあるうちから出かけることができる。
この機会に、ぼくは海を見てみたかった。
この地には海があるんだけど、ぼくは一度も見たことが無い。
屋敷から海までは、子供の足で三時間ぐらいの距離らしい。
今から行けば、夜には戻って来られる。
「でも……」
さすがに大胆な行動だ。
だけど、ぼくはどうしても行きたかった。
ティモと海を見てみたかった。
彼との日々に証が欲しかった。
ぼくの表情から、そのことが伝わったのかもしれない。
ティモは少し考えてから笑顔を見せ、そして言った。
「分かったよ。行こう」
◆
数時間後。
ぼくとティモは海を見ていた。
「………………」
「………………」
二人とも、言葉を失っていた。
すごい。
見渡す限り、空と水面が広がってる。
世界。世界ってこういうことなんだ。
どれだけの時間、無言で海を眺めていただろうか。
ぼくは、その日のもうひとつの目的を思い出した。
「ティモ……話しておくことがあるんだ」
「ん? なに?」
「ぼくね、養子に行くことになった」
「………………」
それからぼくは、ぽつりぽつりとティモに話した。
貴族家に貰われていくということ。
気が進まないということ。
でも、その日は近いということ。
十三歳になっていたぼくは、未来のことを考えなければならない。
ティモも同い年だけど、彼にはここで働く日々しか無い。
解決方法が欲しかった。
でも、何も思い浮かばない。
そんなぼくに、ティモは穏やかな声で言った。
「そもそも、断りようが無いんでしょ?」
それはそのとおりだ。
お父さんには断る気なんかないし、あったとしても、たぶんそもそも断れない。
これはそういう話だ。
「平民が貴族になるって、すごいことなんだよね? それに、ずっとあのお屋敷に居ちゃ駄目だよ」
同い年だけど、ティモはぼくより大人だった。
ぼくよりずっとたいへんな思いをしてきたんだから当然だ。
「そ、それじゃあさ。ぼくは貴族になって、偉くなって、そしたらティモを領地に呼ぶよ!」
何とも現実味に欠ける話。
それでもティモは笑って、ありがとう、期待してるよと言ってくれた。
◆
それからぼくたちは、しばらくの間、海風を共に受けた。
残された時間を噛みしめるように。
そして数時間の距離を歩いて帰り、屋敷に戻った時にはすっかり日が暮れていた。
「!?」
ぼくは、その光景に狼狽えた。
屋敷の前に、大勢の人が出て騒いでいる。
ぼくが居ないことについて話していた。
そして使用人のひとりがぼくに気づいて指さした。
お父さんが走り寄ってくる。
「いったい何処に行ってたんだ!」
「あ、あの。お父さん」
「うん!? 貴様! どういうつもりだ!」
お父さんが、ぼくの隣にいるティモに気づいた。
すると表情をみるみる怒りに染め、そして怒声をあげた。
「貴様が連れ出したのか!!」
これは駄目だ。
誤解を解かないと、ティモがひどい目に遭う。
ぼくが口を開こうとすると、父の後ろから身なりの良い男が近づいてきた。
「これはどうしたことですかな?」
「あ、いえ、これは……」
激しく動揺するお父さん。
男は貴族だった。
どうやら、ぼくを養子に取る例の貴族だ。
予定を変えてこの屋敷を訪れたらしい。
ぼくを見定めようということだろう。
それなのに、その子供は魔族と行動を共にしている。
お父さんが顔中に脂汗を浮かべるのも当然だった。
「ふん。少し脅しつけてやっただけでホイホイついてきやがって」
お父さんもぼくも思考できなくなっている時、声をあげたのはティモだった。
「少しばかり外に出てただけだよ。ここは窮屈だからな。お坊ちゃんには共をさせてやったのさ」
「貴様ァ!!」
お父さんが叫んだ。
貴族の男も怒り、ティモを睨みつけている。
魔族が善良な子供を勝手に連れ出した。
それがティモの筋書きだ。
ここに居る貴族の不興を買えば、養子の話は無くなる。
それは、都合よく元に戻ることを意味してはくれない。
この家は権勢を失うし、ぼくにも良くないレッテルが貼られる。
色んな未来が消えて無くなる。
魔族と共にあろうとしたぼくには、希望の無い未来だけが与えられる。
それはこの国で、大げさな話じゃないんだ。
そのことを、ティモは正しく理解してしまった。
「ま、待ってティモ……!」
「黙れ! 鬱陶しいぞお前!」
「あっ……!」
両手でぼくを押しのけるティモ。
ぼくは尻もちをついてしまう。
「こいつを捕らえろ!!」
お父さんの怒号は、絶叫に変わっていた。
使用人たちがティモに飛びかかる。
ティモは特に抵抗すること無く、捕らわれていた。
◆
屋敷の地下にある倉庫。
正確には倉庫だった場所。
暗くてがらんとしたそこは、今では懲罰房のような用途になってるらしい。
ティモが捕まった日の深夜、ぼくはそこへ来ていた。
それまでぼくは自室に押し込められていたのだ。
ティモを庇いたかったけど、誰にも声を届けることができなかった。
ぼくは気が気でないまま時を待ち、見張りの者が居なくなる深夜になったところで、ここを訪れたのだ。
扉を開け、中に入る。
殆ど明かりの無い中、彼は居た。床に蹲ってた。
「ティモ!!」
ぼくは駆け寄る。
冷たい床に倒れる彼は、血まみれだった。
「こんな……!!」
ティモは鞭で打たれていた。
鞭打ちは、大人にとっても恐ろしい刑罰だ。
背中の皮膚が破れ、肉が裂け、とにかく痛みに喘ぐことになる。
ティモはそれを子供の身で、しかも全身に受けていた。
「あ…………」
ティモがぼくに気づく。
血を大幅に失い、顔面は蒼白だった。
命が零れ落ちていっている。
それが分かる表情だった。
「ティモ! ティモ!」
「来てしまった……の、かい……?」
「大丈夫! 誰にも見られていないよ!」
そう言って、ぼくは手巾でティモの顔を拭う。
彼は笑顔を浮かべていた。
いつもの穏やかな笑顔だ。
「ごめんよ! ごめんよティモ! ぼくが海を見たいなんて言ったから! ぼくは……ぼくは君に迷惑をかけてばかりで……!」
ティモはゆっくりと首を振った。
それから、消え入りそうな声で言う。
「迷惑だなんて……思ったことはない、よ……。君が居なければ、ここでの、僕の日々は……ただ悲しいだけの、ものだった……」
ティモは別れの言葉を言っている。
愚かなぼくでも、それは理解できてしまう。
彼は、命を使った。
ぼくのために。
ぼくが、ぼくが弱いから、彼にそれを選ばせてしまった。
「ティ、ティモ! しっかりして! うあああ! ごめんよ! ごめんよ! ぼくは卑怯者だ!!」
「いや……君は、卑怯者なんかじゃない。だって……泣いてるじゃないか……。僕のために……」
「ティモ! ティモ!」
瞳から光を失っていく友だちに、たったひとりの友だちに、ぼくは精一杯、声をかける。
ティモの居ない世界なんてイヤだ。
絶対にイヤだ。
「ありがとう……君の未来を…………信じてるからね……」
「いかないで! いかないでティモ!」
涙が頬を伝う。
ぼろぼろと、次から次へ雫がこぼれ落ちた。
それとは対照的に、ティモはにこりと微笑む。
そして最期の言葉を口にした。
「……ずっと、友だちだよ……………………アルフレッド」
◆
貴族家に貰われたぼくには、実家に居た時よりさらに厳しい英才教育が施された。
辛かったけど、ぼくはティモが言った「未来」のために頑張った。
ただ、王国貴族としての未来を目指すということは、つまり魔族と戦うということなのだ。
仕方が無かった。
ほかにはまったく道が無かったのだ。
友だちの死を無意味にしないためにも、ぼくはここで自分の未来を作るしか無かった。
でも時々、自分がどうしようもない人間に思える。
至ろうとしている場所が、本当に正しいのか分からなくなるのだ。
そしてそういう毎日を過ごしていると、記憶の中で微笑むティモの顔に靄がかかっていく。
彼を忘れるのは受け入れ難いことだ。
だからそんな時は彼の言葉を思い出しながら、日々を耐えた。
◆
イスフェルト侯爵家へ養子に入ってより二年後、神疏の秘奥では、図抜けた魔力を与えられた。
私は正規の後継ぎとされた。
そこから数年間、魔導の修業と、そして戦いに明け暮れた。
それが私の役割だったのだ。
そしていつの間にか、私は済生軍で最強の魔導士となっていた。
魔族を、滅ぼすべき邪悪と見做し、打倒する日々。
未来への途上にそれがある以上、受け入れるよりほか無かった。
そう。魔族は敵なのだ。
今では、そう考えることに
神疏の秘奥を受けてからは、迷いが消えていた。
人間である以上、この世界で責務を与えられている以上、それと向き合わねばならぬ。
魔族との戦いが責務であるなら、それを全うせねばならぬ。
当然のことだった。
私はそれを何度も考え、自身に納得させたのだ。
だからこそ。
あの男には苛立った。
大逆犯ロルフ。
奴は私の前で、身を呈し魔族の男を守ったのだ。
「人間として生まれておきながら……! ましてその男を守らねば、いま私を殺せたはず!」
「彼は友人だ。友を守る。それの何がおかしい」
「友……! 友、だと……!!」
友と言った。
奴は、魔族を友と。
私が諦めた道を、奴は堂々と歩いている。
許せぬ。許せるはずが無かった。
嫉妬と怒りが、激しく胸に渦巻く。
こうなれば、奴を倒すことでしか、私は未来に至れぬ。
それを思う私の前に、またしても現れたのだ。
今度は女だった。
「その戦鎚をどうする。戦うつもりか……!」
「……そうだよ! この人たちは殺させねえだ!」
怯える百余名の魔族たち。
切り抜けようの無い状況において、女はその魔族たちを守ると言っている。
いったい私は、何を見せられているのか。
いや違う。問うべきはそれではない。
いったい私は、何をしているのか。何を目指しているのか。
そして今、何をすべきなのか。
そうだ。考えるべきは、それだ。
そこに答えを得ることでのみ私は、いま感じている羞恥心と向き合うことができるのだ。
決意が込められた女の目。
何かを信じ、何にも迷わぬその目。
私はそれを強く見返す。
すると頭の奥で、何かがぱきりと音を立てたような気がした。
「
私の放った火の玉が、済生軍の兵士を捕らえた。
兵たちは、驚愕をもって私を見ている。
あの女もそうだった。
戦鎚を手に、私を見つめている。
「
「えっ!?」
「アルフレッド様! ご乱心あそばしたか!?」
侯爵の側近リドマンが叫ぶ。
狂ったか、と。
違う。
今までがおかしかったのだ。
「ずいぶん回り道をしてしまったが……この身に刻まれた罪は、もはや消えぬであろうが……」
杖を構える。
守るべき存在と、倒すべき存在を見まわし、そして言った。
「やるぞ……ティモ!!」
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