140_退けぬこの時

「はっ!」


 俺は煤の剣を振り抜いた。

 済生軍は魔導ばかりの軍ではなく、当然そこには強い剣士も居る。

 だが、これまでのところ目を見張るほどの剣士とは会わなかった。


 それでも幾らかの者は剣を手に最後まで踏み留まる。

 信仰と矜持のなせる業であるらしく、彼らの眼差しには覚悟があった。

 その信仰が、ひとつの種を原罪と見做すようなものでなければ、戦わずに済む世界もあっただろう。


 信ずるものに殉じ、ある種、曇りの無い瞳で斬りかかってくる剣士たち。

 その瞳に言いようの無い感情を覚えながら、俺は彼らを倒した。


「ぐぁはっ!」


「駄目だ! 退け! 退けぇ!」


 剣士たちを倒し切ると、残った敵はついに潰走していった。

 彼らが逃げる先にあるのは、薄く霧を纏う、巨大で荘厳な建物。

 それこそが霊峰の頂にそびえるヨナ教団の大神殿である。

 俺たちは、いよいよ敵の本丸に至ったのだ。


「ロルフさん! すぐに隊列組み直します!」


「ああ、頼む」


 部下に答え、俺は周囲を見まわした。

 損害は大きくないようだ。


 済生軍は霊峰中腹から撤退したあと、山頂付近に再び防衛ラインを敷き、戦いを挑んできた。

 他方面で戦っていた分隊と糾合したのだ。


 俺たちはそれを退けた。そして今、大神殿に迫っている。

 だが、このまま王手とはいかない。

 大神殿の周りには、騎士団が展開していた。


「あれは第二騎士団でしょうか?」


「そのようだ」


 部下のひとりが言うとおり、大神殿を守るのは第二騎士団だ。

 予備兵力として最初から山頂に居たわけではない。

 一戦交えてきたことは、見れば分かる。


「………………」


 すなわち、勝って戻ってきたということだ。


「彼らがどちらから戻ってきたか、見ていた者は居るか?」


「居ないようです。ただ、東から戻ってきたなら誰かが捕捉しているでしょう。したがって……」


「ここから逆方向の南から戻ってきたと。そうか……南か……」


 レゥ族は、第二騎士団に敗れたのだ。

 彼らと山頂で合流できていたら頼もしかったのだが。


「………………」


 もっとも、俺たちは既にレゥ族に救われている。

 もし第二がもう少し早く戻り、済生軍の防衛ラインと糾合されていれば、こちらの勝ち目は薄かっただろう。

 しかしそうはなっていない。第二騎士団は遅れての登場となった。

 クロンヘイムを相手に、ギリギリまで戦い抜いた者たちが居るのだ。


 脳裏に、アーベルで新たに友とした男、ヴァルターの顔が浮かぶ。

 それに彼の仲間たちも。


「………………」


「あとロルフさん。第一騎士団の姿が見えないということは……」


「……まだ戦っているんだろうな」


 そちらは東側。反体制派だ。

 第一騎士団は、エルベルデ河で見た時よりさらに強くなっていることだろう。

 ティセリウス団長は、あの戦いに自戒を感じていた。

 何もせぬままであったはずが無い。


 それを思えば、第一はこちらで引き受けたかった。

 ティセリウス団長と戦いたくはないが、正規の軍ではない反体制派では厳しいだろう。


「…………いや」


 俺は何様のつもりなのだ。

 少し戦勝を重ねたぐらいで、いい気になっているのではないか。

 増上慢ほど剣を曇らせるものは無い。


 友軍を信じるべきだろう。

 東側にはフリーダも居る。

 そして彼女が信頼する、あのデニスという男。

 アーベルで会った時は、かなりの傑物と感じた。


 事実、今この時点も第一騎士団は山頂に現れないのだ。

 反体制派が引き付けてくれている。俺たちが、ほかの強敵と戦えるように。

 ならば、その敵をこそ見据えるべきだろう。


 そう。未だ手ごわい敵が残っている。

 あの恐るべき魔導士、アルフレッド・イスフェルトは、大神殿で俺を待つと言った。

 それに司令官イスフェルト侯爵を守る者たちも皆一流だろうし、侯爵自身、強力な魔導士と聞いている。

 そして第二が戦場に居る以上、クロンヘイムも健在と考えねばならないし、ほかにも強敵はまだ居るだろう。

 なお心してかからねばならない。


「ロルフさん! 攻撃準備、できました!」


「よし」


 攻撃プランは、リーゼらと話し合って決めてある。

 ここに至って採るべき策はシンプルだ。


「目標は大神殿の制圧。各部隊長の指揮のもと敵防衛ラインを引き付け、少数の突撃要員で大神殿へ突入。イスフェルト侯爵を打倒し、大神殿を掌握する」


 黒い剣を掲げ、俺は伝えた。

 霊峰の戦いは、ここに最終局面を迎える。


「行くぞ!」


 ◆


「済生軍。不甲斐ないことだな」


「副団長……。聞こえますよ」


 びくびくと周囲を見ながら声を潜めるフェリクス。

 彼らは大神殿を背に、前方に展開するヴィリ・ゴルカ連合を見渡している。

 そして周りには、その魔族軍の方から逃げ延びてきた済生軍の兵たちが居るのだ。

 だが、事も無げにアネッテは言う。


「いちいち気を揉むなフェリクス。どうせこれから力を示すのだ。魔族どもを、我々第二騎士団が倒してな」


 治療を受け、戦線に復帰したアネッテ。

 先の戦いではヴァルターの遠距離魔法に不覚を取ったが、今度はそうはいかぬと鼻息を荒くする。

 また彼女の自信には、大きな根拠があった。


「それに団長もられる。英雄ヴァルター撃破という戦果を挙げたうえでな」


 彼女らの団長、クロンヘイムも、回復措置を受け、この大神殿の守りについている。

 であれば、敗れることは決して無い。

 アネッテにとって、それは曲がらぬ事実であった。


「まあ、クロンヘイム団長に勝てる者など、この戦場に存在しませんからな。ティセリウス団長は例外ですが」


 クロンヘイムがヴァルターと戦っている時、援護に向かうべしという騎士たちの具申を、フェリクスは退けた。

 敵も強いが、団長に負けは無い。

 彼はそう言い、実際、クロンヘイムが勝ったのだった。


 そして援護に向かわせなかった分を含め、騎士たちを糾合。

 クロンヘイムがヴァルターを排除したと見るや、すかさず攻勢に出てレゥ族軍を撤退させた。

 勤労意欲と無縁のフェリクスとしては、楽ができないことに不満を感じるばかりだ。

 しかし、それでも彼は能力を発揮している。


「いや、ティセリウス団長よりクロンヘイム団長の方が上だ」


 そんなフェリクスの言葉を否定するアネッテ。

 彼が見る限り、さすがに彼女のげんは大げさだが、反論はしない。

 クロンヘイムに対するアネッテの敬意は、信奉の域にあるのだ。


「何にせよ、先の戦いでは、大事な場面で役に立てなかった。だが今度は違う」


 そう言って自らに気合いを込めるアネッテ。

 危うげな言動も目立つが、彼女は第二騎士団の副団長。

 力の程は間違いなく一流である。

 その力をぶつける相手を、今や遅しと待ち構えるのだった。


 ◆


 地下牢に押し込められていた、百余名の魔族たち。

 老人や子供も含まれている。

 済生軍の兵十数名が、その魔族たちを移送していた。


「止まるな。さっさと歩け!」


 槍を突きつけ、暗い廊下を歩かせる。

 魔族たちは不安な表情をしながら、ぞろぞろと歩いていた。


「おい、外の様子、聞いたか?」


済生軍ウチはほぼ壊滅。ここまで押し込まれるとはな」


 アルフレッドやスヴェンといったタレントを大神殿内部に置いたとはいえ、神殿の外で戦うそれ以外の者たちも弱くなどない。

 だが彼らは敗れ、魔族たちはこの大神殿へ肉薄しているのだった。


「俺ら、この移送任務につかされてなきゃ死んでたかもなあ」


 男はそう言う。

 その声音に危機感は無かった。

 第二騎士団が戻って防衛についているうえ、今から行使しようとしている禁術は、確実に勝利をもたらすのだ。

 何も焦る必要は無かった。


「そこだ。突き当り、全員入れ」


 彼らは大神殿の二階へ上がっていた。

 そして小突かれながら、魔族たちが部屋へ入れられていく。

 中には運命を悟り、表情に悲愴感を浮かべる者も居た。

 それでも逆らう力は誰にも無い。


 ややあって百余名全員が部屋に入れられる。

 彼ら全員が入っても、なお広い大部屋。

 そこには侯爵の側近リドマンと、数名の魔導士が待ち構えていた。

 さらに今ひとり。

 重要な戦力として魔族軍を迎え撃つはずの者がそこに居た。

 魔族を移送してきた兵のひとりが、彼に尋ねる。


「アルフレッド様。どうしてここに?」


「父のめいだ。有史にて最初で最後の禁術。魔導に生きる者として、この目で見ておけとのこと」


 神威の間と呼ばれるこの部屋は、窓が無く暗い場所だったが、そこにあってもなお、金髪と白皙はくせきの肌は明々めいめいと美しい。

 アルフレッド・イスフェルトは禁術をその目で見るため、立ち会うのだ。


 禁術の使用はイスフェルト侯爵にとって望ましくない事態だが、使う以上は可能な限り有効利用したいらしい。

 アルフレッドはやや面倒に感じながらも、父イスフェルト侯爵を、転んでもただでは起きぬと評するのだった。


「全員をその魔法陣に入れろ。すぐにも始めるぞ」


「リドマン様、どのような手筈で? 自分たちが突き殺すのですか?」


「お前らの任務は移送のみ。この数をいちいち突き殺していては時間がかかるばかりだろう。そのための彼らだ」


 その場にいる数名の魔導士へ、リドマンが振り返る。

 百余名の魔族を、魔法で一息に焼き殺そうというのだ。

 そして魔族たちを生贄に、禁術は発動する。

 その瞬間、大神殿に迫っている魔族は皆死に、この戦いが終わるのだ。


 リドマンと魔導士たちの顔には、興奮が見て取れた。

 巨大な神威の発現。

 それを前にし、彼らの信仰心は、大いにその琴線を震わせるのだった。


「あ、あの。殺すって、何のことだか?」


 そこへ、やや間延びした声。

 移送任務にあたっていた兵のひとり。巨体の女、マレーナだった。


「…………」


 それに取り合うことなく、手筈は進められる。

 魔族たちは、次々に魔法陣の中へ入れられていった。


「あ、あの」


「黙れ。うるさいぞ」


「で、でも、あの。殺すって」


 マレーナには理解できない。

 自分が魔族を相手にした戦争に参加していることは分かる。

 魔族を倒すべき敵と認識してもいる。


 だがこの場に居るのは、ただの虜囚だ。しかも子供や老人も居る。

 殺すとはどういうことなのか。


「すみません。こいつ、ちょっとおかしいみたいで」


 兵のひとりがリドマンに頭を下げ、そして後ろからマレーナの襟首を掴む。

 だが引っ張っても、マレーナの大きな体は動かない。


 いつもなら、殴るなり引き倒すなりすれば、マレーナはすぐに従う。

 だが今は、どんなに強く引っ張っても、マレーナは動こうとしなかった。


「こ、殺すだか? 子供もいるだよ? 爺さんや婆さんも」


「おいデブ! わけの分からんことで駄々をこねるな! 下がれ!」


「あぐっ!」


 兵士のひとりがげきし、槍の石突でマレーナの横面を殴った。

 さすがにマレーナはよろめく。

 だが、すぐに向き直り、また同じことを言いだした。


「だ、駄目だぁよ! どうして殺すんだ!」


「魔族だからだよ! 第一こいつらを殺せば、多くの人間が死なずに済むんだ! お前はもう黙ってろ!」


「で、でも! この人ら、何も……!」


「うるせぇ!!」


「ぎゃっ!!」


 打たれても聞き分けぬマレーナに苛立ち、兵は近くに居た魔族を蹴倒けたおした。

 抵抗する力など無い、中年の女性だった。


「止めるだ!」


 マレーナの手が、ついに腰の戦鎚に伸びる。

 それを見た兵たちが、剣呑な雰囲気を纏った。


「てめぇ……。気は確かか」


「お、おら……。おら……」


「貴様……」


 兵たちの後ろで、より怒りに震える者が居た。

 アルフレッドである。


「その戦鎚をどうする。戦うつもりか……!」


 血走る目、こめかみに浮き立つ血管。

 彼をよく知るリドマンもついぞ見たことの無い、凄まじい怒りに満ちた表情だった。


「……そうだよ! この人たちは殺させねえだ!」


 十数名の済生軍兵士に、リドマンと数名の魔導士たち。そしてアルフレッド。

 どう見ても、戦いを選ぶ場面ではない。

 だがマレーナは叫んだ。

 彼らと戦うことを選んだのだ。


 初めて、自ら選んだ戦いだった。



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