139_生者の義務
デニスの耳が、不穏な声を拾う。
あえてデニスらにも聞こえるようにしているようだ。
────南側の戦線で第二騎士団勝利
────クロンヘイム健在
────ヴァルター撃破
どうやら虚報ではないようだ。
レゥ族は敗れたらしい。
そして、ヴァルターも死んだという。
デニスは、アーベルの会合で会ったヴァルターの顔を思い出した。
縁ある者の死は何度目か。
数え切れないが、しかし縁ある魔族の死は初めてだった。
この戦いに勝ち、生きて再会できたら、我々の関係も変化するかもしれない。
ヴァルターとは、そんな言葉を交わした。
だが、その機会は永遠に失われたのだ。
デニスは、魔族の死に胸を痛める自分に気づく。
「…………たいした進歩だ」
「
その時、離れた場所で魔法剣の炎が燃え上がる。
声はエステル・ティセリウスのものだった。
彼女もほかの英雄たち同様、前に出て自ら戦うと聞いている。
それを思い、デニスはいよいよ焦燥を強めた。
精強きわまる騎士たちに加え、ティセリウスの剣は信じがたいほどの暴威だった。
それを前にした反体制派の被害は甚大である。
第一騎士団は、手に負える相手ではなかったのだ。
「デニス、大丈夫かい?」
「フリーダ、綺麗になったな。お前さんの花嫁姿を見たかったよ」
「おいやめなって!」
台詞の不吉さもさることながら、父親のような物言いに寒気を覚えるフリーダ。
だが、台詞には若干の本気が含まれているようだ。
フリーダの目には、デニスが死を覚悟しているように見えた。
「いいかい! 諦めるんじゃないよデニス!」
デニスの軽い口調は、苛烈な人生を誤魔化すためのもの。
そのことをフリーダは理解している。
ゆえにこそ、いよいよその表情に現れ出した悲愴感にも気づくのだ。
そしてデニスにしてみれば、覚悟を決めているのは事実だ。
だが、死を受け入れているわけではない。
戦いを諦めて逃げ去るという選択肢も出てきてしまったのだ。
「………………」
撤退すれば、第一騎士団は追ってこないだろう。
デニスたちにも聞こえるようにレゥ族の敗北を伝えたのは、それを意図してのことだ。
要は、とっとと失せろと言っている。
結果、反体制派はただ多くの仲間を喪ったのみで戦いに敗れるが、全滅は免れる。
反体制派の危機に加え、レゥ族も敗れたとあっては、もはや全体での敗色も濃厚なのだ。
そして戦前に取り交わしたとおり、彼らは同調して攻め込んでいるのみで、積極的な同盟関係にない。
となれば無理をするべきではないのだ。撤退が正解である。
「でもなあ……」
「デニス?」
南側で勝った第二騎士団は、山頂へ戻る。
大神殿の守りに入るだろう。
そこへ第一まで戻らせては、残ったヴィリ・ゴルカ連合も確実に敗れる。
ロルフがいかに強くとも、ティセリウスとクロンヘイムを同時に相手取って勝てるチャンスなど無い。
「………………」
だが、それが何だと言うのだ。
デニスは自問する。
彼にとって大事なのは自分の部下たちで、ロルフや魔族たちがどうなろうと知ったことではないはずだ。
「…………つっても、それやったらフリーダに嫌われちゃうしなあ……」
「?」
「それに見たいよなあ」
「何が? 分かるように言いなよ」
「フリーダ。ロルフ殿は本気で望んでるらしいよ。人間と魔族が手を取り合う世界をさ」
今日、戦線を
少し離れたところで同じく戦っている仲間が居る。
厳しい戦いの只中にあって、その事実は思いのほか支えになっていた。
デニスが自覚しているかは定かではないが、この戦いは、彼の心に意味ある変化をもたらしているのだ。
「俺ねえ、やっぱり見てみたいよ。その世界」
「だったら! 勝たなきゃ駄目だ!」
「そりゃそうだ」
覚悟をより深めなければならなかった。
そして覚悟を決めるなら、すぐが良い。
特に戦場では。
「よし、それで行こう」
「それって?」
「第一騎士団をこの戦場に引き留める。分かるよな、フリーダ」
「……!」
ロルフに託す。
彼らが第二騎士団と済生軍を討ち、大神殿を制圧する。
それを信じて、自分たちは第一騎士団を釘付けにするのだ。
「ああ、やろう!」
フリーダは力強く即答する。
本当、いい女になったよなあ……。
胸中にそう呟くデニスだった。
◆
霊峰南側、麓付近。レゥ族本陣。
そこに彼らは居た。
霊峰に踏み入り、第二騎士団と交戦し、そして敗れた兵たち。
継戦不可となり、麓まで撤退してきたのだ。
誰もが沈痛な表情で押し黙っている。
その中でひとり、とりわけ重い空気を纏う女。
簡易椅子に腰かけ、上体を倒したまま顔は地面を向いている。
「エリーカ……」
その人物、エリーカにギードが話しかける。
ギードもまた心身に傷を負っている。
激戦に負傷し、仲間を喪ったのだ。
だが、ギードには分かっている。
生き残った者のうち、最も傷を負っているのはエリーカなのだ。
ヴァルター。
幼いころからエリーカと共にあった存在。
いつもエリーカの後ろを付いて歩いていた気弱な少年。
彼は成長し、強さと、そして正しさを得て戦場に立ち。
エリーカを守って死んだ。
彼女を押しのけ、自らクロンヘイムの刃に立ち向かったヴァルター。
自分の身を優先すべき最重要戦力として、軽挙にも見える行動である。
だがヴァルターには分かっていたのだ。
あのままでは、彼もエリーカも斬り伏せられていた。
だから彼は、せめてエリーカだけでも逃がしたのだ。
自身を盾として。
ギードには、彼の決意が理解できた。
「………………」
武人としての自分を誇るギードは、膝を折って嘆き悲しむことは無かった。
だが、胸を締めつける強い悲しみを無視することはできない。
ヴァルターも、そして長年の相棒、グンターも死んだのだ。
しかし、それでも彼は進言せざるを得ない。
まだ仕事があるのだ。
「……エリーカ。今は、この後のことを考えなければ」
彼女は族長の娘で実績もあり、リーゼ同様、軍の幹部に収まっている。
ヴァルター隊に専念してはいたが、生き残った者たちの中では序列が高く、敗戦処理に責を負う立場にあるのだ。
「………………」
しかしエリーカは黙したまま動かない。
ギードは無骨なばかりの男だが、彼女の気持ちは分かるつもりだった。
彼女にとってヴァルターは特別だったのだから。
だがギードがいま考えたいのは、死んだ者たちの思いについてだ。
彼らの思いを無下にはできない。
その死を、無意味なものにはできない。
「……エリーカ。グンターはヴァルターを守って死に、そのヴァルターはエリーカを守って死んだ。お前が為すべきを為し、責を全うしてこそ、彼らは浮かばれるのだぞ」
ヴァルターがエリーカのために死んだという事実。
今それを突きつけるのは残酷である。
だが、言わなければならなかった。
「………………」
しかしエリーカは動かない。
俯いた顔に髪が零れ、表情はまったく見えなかった。
ヴァルターのことを考えているのだろうか。
それとも、何も考えることができずにいるのだろうか。
続けてかけるべき言葉を見つけられないギードだった。
────
ギードの耳に、ヴァルターの最期の叫びが残っている。
彼はクロンヘイムの剣に刺し貫かれながらも、至近から雷を放った。
受けた剣は致命傷だったが、それでも絶命の瞬間まで立ち向かったのだ。
しかし、ギードにとって思い出すだに無念な、あまりにも無念なことに、ヴァルターはその雷でクロンヘイムを討つことはできなかった。
クロンヘイムは剣を捨てて退いたのだ。
あそこまでの激戦の中にあっても、なお残してあった体力と、そして恐るべき身体能力で、彼は一気に跳び
あの時、
そして最後の最後で運はクロンヘイムに味方する。
大きく散った雷は、クロンヘイムをかすめてダメージを与えるも、直撃とはいかなかった。
そして傷を負ったクロンヘイムは、剣を放棄したままその場を離れた。
彼の傷は明らかに浅かったが、剣を回収するために再度踏み入るリスクを嫌ったのだろう。
それにヴァルターを倒した以上、ギードやエリーカに用など無かったのだ。
そこに屈辱を覚えるギードだが、そのおかげで自失するエリーカを連れて離脱する時間がとれた。
横たわるヴァルターの体を
そしてヴァルター戦死の影響は大きく、レゥ族軍はほどなく撤退に至ったのだった。
「………………」
あのぐらいの傷なら、クロンヘイムは回復措置を受け、戦線に復帰するはずだ。
ヴァルターは彼を倒せなかった。
だが、ヴァルターはそのことを悔いたりはしないだろう。
ギードはそれを理解していた。
あの時、彼はエリーカを守ることだけを考えていたに違いないのだ。
そして、その目的は達せられた。
だからこそ、エリーカは前を向かなければならない。
「さあ立とう。な、エリーカ」
「あの……」
声をかけてきたのは、部隊長のひとりである。
指示を仰ぎたいのだ。
「東側はまだ戦っていますが……どうしますか?」
「反体制派か。救援に向かう選択肢もあるが……」
言い淀み、ギードはちらりとエリーカに目をやる。
一応、麓では伝令が走り、ほかの二方面の戦況を確認している。
北のヴィリ・ゴルカ連合は山頂に至ろうとしているが、東の反体制派は第一騎士団に苦戦中らしい。
三方面は谷で隔てられているが、レゥ族の居る南側と、反体制派の居る東側は、この麓付近では繋がっている。
レゥ族から救援に向かうことは可能だ。
敗走に至ったレゥ族だが、要であるヴァルターを失ったことによる撤退である。
兵力として纏まった数はまだ残っている。
反体制派と協力すれば、戦うことは可能と思われた。
「反体制派は、麓付近まで押し込まれています。ここからなら近いです」
「押し込まれているのは事実だろうが、引き込んでもいるのだ。敵を山頂から遠ざけているのだろう」
ギードは部隊長にそう答えた。
レゥ族を降した第二騎士団は、山頂に戻ってヴィリ・ゴルカ連合を迎え撃つ。
さらに、済生軍にもまだ戦力が残っているようだ。
ここに第一騎士団まで加わったら、ヴィリ・ゴルカ連合に勝ち目は無い。
だから反体制派は、第一騎士団を自分たちに引き付けているのだ。
今なお諦めぬその行動。あのデニスという男の判断だろうか。
ギードは思った。人間にしては、たいしたものだと。
「人間。人間か……」
「ギードさん?」
「いや、何でもない。それよりエリーカ、どうする?」
「………………」
エリーカは答えない。微動だにしない。
「エリーカ」
「……どうでもいい…………」
ぼそりと。
消え入りそうな声で、ようやく答えるエリーカ。
だがそれは答えとも言えないものだった。
考え込むギード。
この戦を放棄し、帰るならそれでも良い。
ヴィリ・ゴルカ連合や、ましてや人間である反体制派を助ける義務は無いのだから。
だが、その反体制派は踏み留まっている。
彼らは、なお勝利を信じ、第一騎士団を引き付けている。
それを思えば、武人たるギードは恥を感じるのだ。
自分たちは立ち去って良いのか? と。
ステファン・クロンヘイムは、あまりにも恐ろしい敵だった。
彼に勝てる者が居るとは、ギードには思えない。
だが、あるいはあの者なら。
ロルフならやれるかもしれない。
そうであるなら、まだチャンスがあるなら、第一騎士団を山頂に戻らせるわけにはいかない。
ティセリウスとその軍団を、残った者たちで引き受けなければならないのだ。
「エリーカ。東側へ救援に向かうべきではないだろうか」
「……そんなの、興味ない」
もはや彼女に、再び戦場に立つ気力は無い。
その姿を前に、悲しげに目を伏せるギード。
報告を聞く限り、反体制派は予想以上にやるようだ。
ギードにとってはやや意外なことだった。
彼らは済生軍の分隊を撃退したうえ、今なお第一騎士団と戦っている。
だが、これ以上は無理だろう。
相手はレゥ族が戦った第二騎士団より、さらに強い者たちなのだ。
救援が無ければ、まずもたない。
「エリーカ。俺たちが行ってやらねば、反体制派は敗けると思うぞ。そしてそれは即ち、この霊峰の戦いでの完全な敗北を意味してしまう」
「…………知らない。敗けでいいよ、もう……」
勝ち気で、いつも勝負に拘ったエリーカ。
今は見る影もない。
「救援に向かうべきです」
そこへ別の人物の声。
ギードが振り返ると、女がひとり立っていた。
「連絡官どの……何を?」
何のつもりでそんなことを?
ギードはそれを問うていた。
彼女はヴィリ・ゴルカ連合の連絡官である。
情報の伝達が任務であり、軍務に口を差し挟む権限など無い。
そもそもギードの印象では、彼女は静かで主張の無い人物だった。
戦いに関する場へ踏み入るようにも見えなかったのだ。
しかし彼女は救援に行くべきだと、戦うべきだと言っている。
「ギードさんが言ったとおりです。いま南側を支えなければ、北側も敗れます」
「連絡官どの。貴方がヴィリ・ゴルカ連合を案じるのは当然のことだ。だが」
「身内を案じてのことではありません。ここで動かなければ、霊峰での戦いのすべてが無意味となるのです。彼女の想い人の、散った命も」
「おい……」
視線に非難の気持ちを込めるギード。
打ちひしがれるエリーカに対し、遠慮の無い物言いであった。
だが女は怯むことなく、エリーカへ近づく。
そして座り込む彼女を見下ろしながら言葉を続けた。
「甘えないでください。子供じみた振る舞いをすれば、きっと後悔しますよ」
「いいかげんにしてくれ! 何のつもりだ!」
「死んだ人は帰ってきません! そして生き残った者には等しく義務があるのです! 死者に報いるという義務が!」
「……!」
女は叫ぶ。
その叫び声に、ギードは理解した。
「…………連絡官どの。どうやら貴方も誰かを喪っているご様子。だが彼女は今、たった今、別れを経験したのだ」
それも、あまりに特別な人との別れを。
戦場に死は付きものとはいえ、エリーカはまだ、それを受け入れることができない。
「悲しむなと言っているのではないのです。心が張り上げる声を止めることは、誰にもできません」
それは女が以前、ある者に言われた言葉だった。
彼女は、死が人の心をいかに
だがそれでも。それでも人は進まなければならないのだ。
「いいですか」
瞳に強い力を込めながら。
「北で戦っているのは、あなた方に引けを取らぬ強い思いを持つ者たちです。そしてそこには、貴方たちに愛された英雄ヴァルターが友とした者も居るのです」
女は知っている。
その男は、決して諦めない。
「賭けるべき目は残っています。最後まで戦ってください」
エリーカたちがヴァルターを信じたように、女もまた、誰かを信じている。
それを感じ取ったエリーカは、ようやく顔を上げた。そして女と目を合わせる。
彼女は確か、ディタという名だ。ゴルカの族長を父に持つ身だという。
「さあ立って。未来はまだ、閉じていません」
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