138_憎しみを踏み越えて
自分の名はトマス。
兵隊です。
今、自分が感じているこの感情が何なのか、どうにも説明が難しく。
剣戟音の響く戦場にあって、間違いなく恐怖は感じています。
兵としてこれを感じなくなったら終わりですから。
加えて、高揚もあります。
たぶん恐怖を薄くするための防衛本能なのだと思いますが、戦いへの熱も感じるのです。
ですがそれだけではありません。
恐怖とも高揚とも違う、何かが胸の真ん中に居座るのです。
そこに引っかかりを感じながら、剣を手に戦います。
我々は霊峰ドゥ・ツェリンに攻め入ったのです。
戦う相手は、かの済生軍。
目指すは山頂、大神殿。敵の本丸です。
敵軍の隊列を踏み越えて行かなければなりません。
行かなければならない。
そうです、この感情。
使命感。
これは使命感に違いありません。
いや……何に対する使命なのでしょうか。
使命などという大仰なものが、ただの兵士である自分にあるというのでしょうか。
しかし、ここにあるこれは、確かに使命感なのです。
使命感。使命感か。
本当にそんなものを感じて良いのかどうか。
何せ自分は今、人類に仇なしています。
この霊峰は、人々の聖なる信仰の象徴です。
国も、信教も、人々の
それは疑いようの無い事実でしょう。
そして自分は今、それに対して剣を向けています。
あり得ぬ蛮行。
許されざる愚挙。
そのはずなのに、信じています。
自分が今、正しいことをしていると。
自分は、自分こそは、誰にも恥じぬ人間であると。
そうだ。信じています。
そして、信じたものを、証明しようとしています。
それが使命感。
自分に対する使命感。
自分が信じたものに対する使命感。
自分には今、それがあるのです。
「トマス! 前を崩せそうだ! 行けるか!?」
「ああ! 行こう!」
傍らで声をあげるのは、相棒のダン。
バラステア砦に赴任した時に知り合った友人です。
◆
ひょろりと背ばかりが高い自分に対し、背は低いが筋肉質の、ずんぐりとしたダン。
我々はその風貌から、
バラステア砦での任務はキツいものでした。
何せ、あの砦は死地と呼ばれていたのです。
日々、厳しい戦いの連続です。
自分もダンも、剣は得意な方でした。
それでどうにか生き延びることができていましたが、しかし明日をも知れぬ身だったのです。
ある日、激務の果てに司令官が病を得て倒れました。
それを受け、代理として赴任してきた人物には驚かされたものです。
騎士団を追放された人物で、しかも何と、女神の加護をまったく持たないとか。
自分もダンも、そんな人間が居るのかと嫌悪を感じました。
本来、地上に存在し得ない人間なのです。
周りの仲間たちも皆、彼を嫌っていました。
しかし彼の仕事ぶりは確かなもので、砦の戦況は大きく好転します。
それでも皆は彼を嫌悪し、それは自分も同じでした。
ただ、そのころ何か、自分は恥のようなものを感じていたのです。
彼によって生命を守られているのに、彼を疎んじるのは理屈に合わないような気がしました。
あくまで気がするのみ。
しかし、気がする、とはおかしくないか?
命を守られているのに、どうしてそんな感想を?
どうにも、何かが変です。
彼は以前、相手が魔族であっても民間人を害するのは間違っているとし、辺境伯と衝突したと聞きました。
それを聞いた者は皆、何と愚かなことかと嘆息します。
そう。魔族に対してそのような考え、確かに愚かです。愚かなはずです。
しかし、どうも心の折り合いがつきません。
自分は、どこかおかしいのでしょうか。
「ダン。司令官の考え方をどう思う?」
「それは……愚かな考えだろう。やはり……」
意を決して問う自分に、ダンは答えます。
しかし、どうにも奥歯にものが挟まっているような回答でした。
ダンも、自分と同じような考えに捕らわれているのではないか?
そう思うのでした。
そのうえあの司令官は、剣の腕が凄かったのです。
基本的には指揮卓に居ますし、魔力が無くては剣に意味などありません。
しかしどういうわけか、訓練の際に見せるその剣技は、およそ理解の外にある代物でした。
皆はそのことを、特に気にしません。
ですが、どうしてもくだらぬ者の剣技には見えないのです。
自分もダンも、剣は人並み以上に振ってきました。
だからか、どうしても司令官の剣技が気になったのです。
その後、彼は反旗を翻し、砦を落としました。
大事件に皆が泡を食っていましたが、自分はどこか得心します。
ああ、やはり。何となくそう思ってしまいました。
彼は、無辜の民を守るために行動を起こすのではないか。そんな気がしていたのです。
無辜の民。
魔族のことか?
魔族が無辜?
自分の考えが分かりません。
その後、解放された砦の兵たちは、他領に移ったり、この地で職に就いたりしました。
自分はダンと共に、アーベルで日銭を稼いで過ごすことに。
剣を活かし、警護などを主とした日雇いです。
日雇いとは言え、食い詰めることなく暮らすことができました。楽な暮らしではないものの、しかしこれは意外です。
アーベルでは、人間と魔族によって善政が敷かれていたのです。
価値観がゆらぎます。
ある時、自分はダンを誘ってバラステア砦を訪れてみました。
そう時間も経っていませんが、懐かしき職場です。
若干の感慨を自覚しつつ訪れたそこでも、人間と魔族が協業していました。
ここは物流の中継地なのです。
そう。ヘンセンと旧ストレーム領で、種族によって分かたれていた両地域で、物が流通しています。
そして砦では、人間と魔族が共に話し合い、仕分けに荷運びにと、協力して働いていました。
「………………」
沈黙する自分とダン。
眩しい光景、のような、気がします……。
司令官が求めていたのは、おそらくこれだったのです。こういう世界を望んでいたのです。
いや、正確にはこれもまだ、途上の光景なのでしょう。
しかし自分が見る限りこれは、元いたあの世界より良いような気がします。
……いや、良い。この世界の方が良い。
見ると、ダンが、感情の読み取りにくい表情をしていました。
たぶん自分も今、同じ表情をしているはずです。
名状しがたい感情を持て余すように、自分たちは砦を歩き回りました。
そして、自分とダンが掃除を担当していた武器倉庫へ、何とは無しに足が向きます。
「わあ! ここでおとうさんが働いてるんだね!」
「うん! すごいよね! えへへへ!」
子供。
そこには魔族の子供が居ました。
どうやら父親がこの砦で働いており、その職場を見物しているようです。楽し気に、はしゃいでいます。
「あ! もしかして人間のひと?」
「こんにちは!」
「………………」
魔族の子供たちは、自分とダンを見つけ、声をかけてきます。
無邪気な笑顔。
ですが自分とダンは答えません。
目の前で微笑む邪悪の象徴に、何と答えて良いのか分からないのでした。
そう。彼らは邪悪。
…………邪悪な、はず、なのです。
その時。
門の方から大きな音が響き、次いで悲鳴と怒号が聞こえてきました。
これは……?
子供たちは、笑顔から一転、不安そうな顔をしています。
それはそうです。いよいよ剣戟音まで聞こえてきました。
ややあって、彼らは現れます。
王国騎士です。
「こっちに魔族が居るぞ! ガキだ!」
「逃がすな! 殺れ!」
「えっ……? えっ……?」
子供たちは、ぶつけられる敵意に困惑し、そして悲しんでいます。
突然の非日常。
突然の暴力。
これがこの世界における、魔族へ与えられた環境なのです。
「…………ダン」
「……なんだい、トマス」
「今、同じことを考えているかな?」
「ああ。どうやらそのようだよ」
まずあり得ないはずの判断に及ぶ自分とダン。
もし我々に家族や立場があったら、こうもシンプルにはいかなかったでしょう。
その日暮らしの兵隊崩れなど、気楽なものだと思うのでした。
「子供。その倉庫に入っていなさい」
「え……?」
「倉庫だ。そこに入って、決して出てくるんじゃないよ」
そう言って、腰の剣を抜く自分とダン。
相手は正規の騎士です。
やれるのか? これで死んだら、あまりにも愚かです。
でも自分たちは、決して愚かなどではありません。
意味の分からない感情が湧出します。
しかし正しい。これは正しい。
いま自分たちは、正しいことをしているのです。
◆
数か月後。霊峰ドゥ・ツェリンに自分とダンは居ました。
我々が参加するヴィリ・ゴルカ連合は、敵の隊列を突破し、いよいよ山頂に至ります。
不思議と、中腹よりこのあたりの方が霧が薄く、視界が開けてきました。
そしてその視界に現れたのは、巨大で荘厳な大神殿。
我々はついに、敵の本丸に至ったのです。
その我々に向け、矢と魔法が飛来します。
済生軍は山頂で糾合し、隊列を組み直したようです。
組織立った動きで展開し、攻撃してきました。
それに対し我々は、定石どおりに障壁を張り、少しずつ距離を詰めていきます。
「くっ……! さすがに厳しい!」
ダンが漏らしました。
そう。敵の攻撃は極めて激しいものになっています。
彼らの背後にあるのは本丸なのですから、敵も必死です。
ここはじっくり時間をかけて……。
「おい、トマス!」
焦燥に叫ぶダン。
彼が指さすのは、右前方の岩場です。
岩陰に隠れて矢から逃れる魔族兵が居ます。
彼は腹から出血しています。
やや深い負傷に見えました。
その岩場へ、敵が四人ほど、少しずつ近づいていきます。
彼は負傷で動けません。
このままでは殺されるでしょう。
「いかん! 行くぞダン!」
「よし!」
飛び交う攻撃の中、我々は走り出します。
身を低くしての全力疾走。
岩場までの二十メートルほどを駆け抜けました。
そして、負傷者の居る岩陰に滑り込みます。
矢が、自分の頬をかすめました。
間一髪です。
ですが、気を抜くことはできません。
この岩場には、今まさに敵が近づいて来ているのです。
すぐにも離脱しなければなりません。
負傷者を見ると、やはりかなり出血していました。
すぐにも回復班のもとへ連れて行かなければ。
「おいあんた! 立てるか?」
「しっかりしろ!」
彼はぐったりしていましたが、声に反応して薄く目を開けました。
そして、その目を見開き、我々を睨みつけます。
「に……人間か!」
「我々は味方だ! ここを離れるぞ! さあ、自分が背負う! 急ごう!」
「だ、だまれ! 人間など……信用できるか!」
彼は、差し出された手を払いのけました。
瞳には激しい憎悪が浮かんでいます。
「失せろ! 俺に……俺に触るな!」
「自分はトマス。彼はダンだ。あんた、名前は?」
「ぐぅ……! 人間に……名乗る名など、な、無い! アデリナを殺した……人間などに!」
出血で消失しそうになる意識を、怒りで繋ぎとめて叫ぶ男。
彼は大切な者を亡くしたようです。
人間に奪われたのです。
「トマス! 敵が来たぞ!」
我々の居る岩陰へ敵が至りました。
彼らは、我々を見て顔に怒りを浮かべます。
「人間……? 貴様らも裏切り者か!」
「おのれ!」
自分とダンを恥知らずだと思っているようです。
敵は四人。槍を一斉に突き込んできます。
ですが、怒りに満ちた槍は鋭さに欠けていました。
これは対応できます。
ヘンセンでの特訓が活きるというものでした。
「せっ!」
「であ!!」
ダンとは一瞬で意志の疎通ができました。
先頭二人の槍を同時に払い、そして彼らの真横へ踏み込みます。
すかさず、後ろの二人へ剣を突き入れました。
これも、ダンとまったく同時です。
「ぐぁっ!」
間髪いれず次の敵へ向き直ります。
再び突き込まれる槍をギリギリで躱し、下段からの振り上げを見舞いました。
「がは!」
今ひとりの敵はこちらに向かわず、負傷者に向け槍を構えていました。
しかしダンはすでに動いてます。
彼は負傷者との間に割って入りました。
「づっ……!」
槍に横からぶつかり、軌道をそらすダン。
そして腕と脇腹で槍を挟み込みます。
若干、脇腹を穂先が通過しましたが、負傷は大きくありません。
そして槍を制したまま、ダンはもう一方の手で剣を突き入れました。
「ぐぅ!」
喉に剣を受け、敵は崩れ落ちます。
何とか撃退できたようです。
「よし! すぐに離れるぞ!」
「……ぐ、ぐ……。ちく、しょうめ……」
負傷者の顔は屈辱に歪んでいます。
我々に助けられることを認められないのでしょう。
自分は膝をつき、彼の肩に手を置きます。
それから再度問いかけました。
「あんた。名前は?」
「だま、れ……」
「お願いだ。名前を」
「…………ク、クンツ、だ。もういいだろ。失せろ……」
「よしクンツ。あんたはトマスとダンが助ける。さあ、自分の背に」
「いけ、よ……」
がしゃりと音がしました。
隣でダンが膝をついた音です。
そして彼はクンツの襟首を掴み、叫びます。
「いいかげんにしろォ!!」
怪我人に対して乱暴ですが、ダンはそうせずにいられなかったのです。
我々も、魔族への憎しみに囚われて戦っていた者。
理解できてしまうからこそ、腹立たしいのです。
「アデリナが誰かは知らんが、いいか! 絶対に! 絶対に、アデリナはあんたがここで死ぬことを望まない!!」
「……だま、れ……」
「命も! 未来も! 憎しみに明け渡す気か! 馬鹿げていると思わないのか! アデリナが泣くとは思わないのか!」
「…………」
「誰が何と言おうと、あんたを助ける! 黙って助けさせろォ!!」
「…………」
ダンは温厚な男ですが、本気で怒っています。
クンツの憎しみは分かります。
ですが、命と未来に対して不誠実であって良いはずがありません。
それらを捨てようとするクンツに、ダンは激しい怒りをぶつけました。
そんな怒りに満ちた顔を、閉じかけた目で見つめるクンツ。
自分はダンの腕に手をやり、クンツの襟首を放させました。
「さあ、行こうクンツ。我々のままならぬ怒りについて、後でゆっくり話せると良いのだが」
そう言って自分が背を向けると、少しの沈黙を置いて、クンツはその背に乗ってくれました。
そして自分が立ち上がると同時に、ダンが周囲を確認します。
「よし、行けるぞ! 走れ!」
我々は駆けだします。
クンツを救うため、回復班の居る方へ向けて急がなければなりません。
背のクンツが、ぼそりと何かを言った気がしました。
────────────────────
WEB版初登場のクンツ。
書籍版では第2巻に登場しています。
────────────────────
そんな書籍版 発売中です!
https://kakuyomu.jp/publication/entry/2022031702
https://kakuyomu.jp/publication/entry/2022061706
https://kakuyomu.jp/publication/entry/2023021705
https://kakuyomu.jp/publication/entry/2023031704
コミック版も発売中!
https://kakuyomu.jp/publication/entry/2023022502
────────────────────
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます