136_不穏な決断

「北を抜かれたか」


 大神殿内部。

 イスフェルト侯爵は不快な報告を受けた。

 息子アルフレッドを擁する済生軍本隊が敗れ、撤退に追い込まれたのだという。


 アルフレッドは健在で、この大神殿に退いたうえで再戦に臨むようだ。

 それは良いが、しかし敗れるとは。侯爵は嘆息する。

 北側劣勢との報を受けていたが、アルフレッドが居れば押し返せる可能性は高いと思っていたのだ。


「敵も中々やる」


 短く感想を述べる侯爵。

 東側では済生軍分隊が反体制派に退けられ、予備兵力の第一騎士団を向かわせた。

 南側では第二騎士団がレゥ族と交戦中。

 そして北側では済生軍本隊がヴィリ・ゴルカ連合を前に撤退。


 イスフェルト侯爵の本来の軍である済生軍だけが敗れた格好だ。

 侯爵としては、忸怩じくじたる思いである。

 そして北からは敵が大神殿に向かってくる。


 済生軍の本隊と分隊を糾合させ、山頂で迎え撃つかたちになるが、やや厳しい。

 第一か第二が敵を倒して戻ってきたら、まず敗けは無いと侯爵は見ているが、それを前提とするわけにもいかない。


「神器をスヴェンに持たせろ。命令だと伝えてな」


「はっ」


 答えたのは、イスフェルト侯爵の側近で、ヨン・リドマンという男だった。

 彼は今、大神殿に置かれた武器、神器の使用を伝えられたのだ。


 それは強力な剣で、スヴェンのように秀でた剣士が使えば大幅な戦力アップが望める。

 大逆犯ロルフはアルフレッドを退けたのだ。彼の強さを侯爵は認めざるを得ない。

 また、報告を聞く限り、ほかにも個の武勇に優れる者は居そうに見える。

 彼らへの対抗措置が必要だった。


 もっとも、神威というものは何の代償も払わずに縋れるものではない。

 神器を持つことで、スヴェンは大幅に体力を消耗し、しばらくは戦えなくなる。

 世にイメージされる神器の神性を保つため、その事実は秘匿されているが、おそらくスヴェンは気づいているのだ。

 だからここまで、神器を持たずに戦っている。


 だが、それを許して良い状況ではない。

 敵が霊峰の頂へ迫っている。

 スヴェンのように強力な剣士には、もっと働いてもらわなければならないのだ。


「それと禁術もだ。使うぞ」


「……やむを得ませんな」


 決定を受け、リドマンは額に汗を浮かべた。

 神器もそうだが、奥の手を避けている場合ではない。

 聖なる御山を守るために、神の徒として、すべきをせねばならないのだ。


「触媒はそろっているな?」


「は。魔族の捕虜が百余名、牢に居ります」


 神殿という場所にも関わらず、侯爵たちの足元、地下には牢がある。

 それは聖戦の行使において必要なもので、信徒たちはその点に矛盾を感じない。

 そこには労働力とするための魔族が捕らえられているのだ。


 平素は十数名であるが、今は百名超がそこに押し込められていた。

 禁術を使用しなければならない事態に備えていたのだ。

 よくある話。奇跡を降ろすための生贄である。

 神器に比べ、禁術が求める代償は極めて大きい。


 侯爵としては、この事態に至ってほしくはなかった。

 当然、魔族たちを慮ってのことではない。

 禁術を使うこと自体を避けたかったのだ。


 禁術は、大神殿とその周囲に居る者を焼き払う。

 要は大規模な攻撃魔法である。神殿に迫る敵を殲滅できるのだ。

 しかも優れた指向性を持っており、魔力を生まれ持った者だけを焼く。

 つまり、魔族を殺すことに特化した魔法であった。


 行使には膨大な魔力が必要で、神威の間と称される、大神殿の二階にある部屋でのみ発動できる。

 そこでは部屋中に大規模な魔法陣が施されている。

 その神威の間で百名ほどの魔族を殺し、その身に宿った魔力を解放することで、禁術は発動するのだ。

 理論上、おそらく人間を殺しても発動するが、当然のこととして生贄は魔族と決まっている。


「業腹だが……やるしか無いのだ」


 歯噛みする侯爵。

 百余名の命という代償は巨大だが、魔族の命なのだ。そこは問題ではない。


 問題は、神威に縋る、女神の手を煩わせるという点にある。

 神に頼ることは信徒にとって当然だが、禁術ほどの奇跡となると、それは勝手が違う。

 使用は大事おおごとなのだ。


 ヨナ教の司教であるイスフェルト侯爵は、そこを重く考える。

 聖なる霊峰に踏み込まれたことは、彼の責ではない。

 だが、苦境に立たされ、禁術を使うに至れば、それは教団内において彼の汚点となる。


 使えることは魔法理論のうえで証明されている禁術だが、今までに使われたことは無い。

 そして、一度使えば二度と使えないとされている。

 それを使ったという事実は、司教イスフェルトにとって大きなマイナスポイントとなるだろう。

 禁術の使用は、政治的理由により躊躇われているのだ。


 だがやむを得ない。

 大神殿を落とされては元も子も無いのだから。

 イスフェルト侯爵が、保身のためにそれを決断できない小人であれば、それは魔族たちにとって幸運だっただろう。

 しかしそうではないのだ。

 厳格な声で彼は命じた。


「地下牢の魔族どもを、神威の間へ移送させよ」


「はっ! ただちに!」


 北側から魔族軍が上ってくる。

 だが、禁術を使うまで時間が稼げれば良いのだ。

 済生軍が彼らを押し留めている間に、術は完成するだろう。

 魔族軍には、大神殿内部へ至り、神威の間を押さえる時間は無いのだ。

 そもそも、そこで禁術が行使されること自体、知りようが無い。


 ほぼ勝敗は決した。

 それを理解しながら、しかしその苦さに苛立つ侯爵だった。


 ◆


「移送任務だ。戦闘から外しても良い者を何人か回せ」


 山頂で部隊の再編にあたっていた指揮官は、リドマンから命じられた。

 それを受け、数名を差し出す。


「向こうの部隊から……そう、お前らだ。それから貴様も行け」


「は、はい。分かっただ」


 命じられたのはマレーナだった。

 彼女は指揮官から直接下された命令に、恐縮しながら答えた。


「地下牢の魔族どもを別の部屋に移す。滞りなく履行するように」


「禁術か」


 割り込む声。

 それは一兵卒のものであり、侯爵の側近であるリドマンと、上官である指揮官に対して礼を失する態度であった。

 だが彼らは怒声をあげたりしない。

 そこに居る者は、特別なのだ。


「アルフレッド様。お戻りですか」


「あれは一度使えば二度と使えぬ。此度の敵はそれ程か?」


「は。予備兵力の第一騎士団も投入される戦況です」


「……そうか」


 平素は感情を出さないアルフレッドだが、常に無く、機嫌の悪さを表情に滲ませていた。

 禁術を使い、イスフェルト侯爵が権勢を失えば、息子アルフレッドの未来も変わる。

 彼がそれを嫌うことはリドマンらにも理解できた。

 だがこのままでは敗北もあり得るのだ。


「アルフレッド様。仕方ありません。侯爵様の決定でありますれば」


「分かっている。だが私はまだ戦える」


 禁術は人間には作用しない。

 ゆえに、あの許し難い人間を排除するのは自分だ。

 そう決意するアルフレッドだった。


「ご期待申し上げますアルフレッド様」


 恭しく述べるリドマン。

 禁術が発動すれば勝利は確定するが、それまで敵を食い止めなければならない。

 そのためにはアルフレッドが必要なのだ。


 それにもうひとつ、重要な駒がある。

 それを考えるリドマンのもとへ、分隊の者たちが現れた。

 今リドマンの脳裏に浮かんでいた者の姿もある。


「来たかスヴェン。神器を持て。侯爵様のご命令だ」


「リドマン殿。多分あれ、持つ人間の魔力か体力をごっそり持ってくでしょう? 嫌なんだが」


「おい、スヴェン……」


 秘匿されている事実を、公然と口にするスヴェン。

 リドマンの声音に剣呑な気配が混ざる。


「ああ、はいはい。持ちますよ。しゃあねえ」


「禁術の使用も決定した。必ず御山を守るのだ」


「じゃあ生贄を大勢殺さにゃならんでしょう。俺がやりましょうか?」


 スヴェンの視線が鋭さを帯びる。

 デニスらを圧倒したものの、軍としては撤退の憂き目に遭っているのだ。

 やや苛立ちを感じているようだった。

 それに気づきながら、リドマンは答える。


「その怒りは戦いで発散せよ。禁術が発動するまでは敵を食い止めねばならんのだぞ」


 戦う力を持たぬ生贄を殺すなど、スヴェンでなくともできるのだ。

 最強の剣士である彼には、強力な敵を排除するという役割がある。


「了解しましたよ」


 そう言って、スヴェンは面倒くさそうに大神殿へ入っていった。

 その背を見送り、息を吐くリドマン。

 これで良い。神敵を討ち滅ぼす準備は着々と進んでいる。


「よし、お前らも行くぞ。付いてこい」


「は、はい」


 マレーナたちを伴い、大神殿の地下へ向かう。

 侯爵の無念を共有しているリドマンではあったが、巨大な神威の発現を前に、高揚を感じてもいた。


 ◆


 デニスは認識不足を恥じていた。

 常に安全マージンを重視する彼は、敵を過小評価したことが無い。

 だが今度ばかりは、予想の上を行かれていたのだ。


 最強と称せられる者たちがここまでだったとは。

 最強がこれほどだったとは。

 頂が、こんなに遠かったとは。


「こりゃあキツイ」


 自身の甘さを後悔すると共に、しかし態度にはそれを出さず、変わらず軽い口調で零す。

 しかしその台詞はいつもと違い、無駄な修飾の無い簡潔なものになっていた。

 やはり追い込まれているようだ。


 デニスは以前、第二騎士団の戦いを見たことがあった。

 見事に統率された組織の力に目を見張り、これ以上があるのかと疑念を抱いたものだ。


 だが第一騎士団は、間違い無くそれ以上だった。

 正確に言えば、上という表現も当てはまらないように感じる。

 第一騎士団の戦いは、第二のそれとは根本的に違っていた。

 個人がそれぞれ強いのだ。


 突出した強者が居る軍と、弱い者に合わせて統率された軍。

 後者の勝率が高いというのは、軍略における常識である。


 よって魔力というものが存在し、特に強い者が存在し得るこの世界では、そういった者は単独で行動することが多い。

 それほどまでに、統率というものは重要なのだ。


 そしてデニスの目の前に居る第一騎士団。

 当然の如く見事な統率だ。見事な統率なのだが、瞠目すべきはそこではない。

 彼にとってふざけた冗談としか思えない事実。

 全員、強いのだ。


 デニスの隣に居るフリーダは、傭兵の中でも相当に高い技量を持った剣士であり、間違いなく一流である。

 だが第一騎士団の中には、そのフリーダと伍して斬り結ぶ一兵卒も居た。

 幹部クラスではない。一兵卒である。

 デニスに言わせれば、そんなものは軍事による対応限界を超えている。

 天を仰ぎたい気分だった。心底ふざけている。ここまでの軍団が存在するとは。


 実際、第一騎士団は、エルベルデ河以降、更に精強になっていたのだ。

 稀代の英雄、エステル・ティセリウス。彼女は、大きな被害を出したエルベルデ河での戦いを事実上の敗戦と捉え、今日こんにちまで軍を鍛え続けてきた。

 結果、元より最強であった第一騎士団は、今では更に恐ろしい軍団となっている。

 それを可能にしてしまうのが、ティセリウスという人物なのである。


「まあ、不公平なのが世の中なわけだが……」


 デニスは、覚悟を決めねばならないと理解していた。

 死への覚悟である。



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