134_立ちはだかる最強
やや時間は遡る。
霊峰ドゥ・ツェリン山頂、大神殿。
エステル・ティセリウスは司令官バルブロ・イスフェルトに呼び出されていた。
「何度も呼び立てて済まない。戦局がある程度進んだのでな」
イスフェルト侯爵は、三方で戦う全軍の司令官である。
それぞれが独立して動いている攻撃側と異なり、防衛側は山頂から三方の軍を流動的に運用できる。
その全体を指揮するのがイスフェルト侯爵であった。
今、彼は予備戦力として第一騎士団を山頂付近に置いてある。
この第一騎士団をどう使うかが重要なのだ。
「いえ。それで状況は?」
「北では済生軍本隊がヴィリ・ゴルカ連合と衝突。やや劣勢のようだ」
それを聞いても、ティセリウスは表情を変えない。
ロルフの居る北側。
迎え撃ったのは強力な魔導士を多く擁する済生軍本隊だった。
その本隊でも劣勢らしい。
「ご子息は?」
「アルフレッドは健在。彼の居る戦域では我が方有利とのことだ」
この時点では、アルフレッドはまだ撤退に至っていない。
イスフェルト侯爵やティセリウスは、彼がロルフと戦うことも当然知らない。
「現時点までで敵に与えた損害は分かりますか?」
「たいして削れていない。幹部級も、大逆犯ロルフをはじめ主だった者はいずれも健在だ」
「そうですか」
「…………」
イスフェルト侯爵は、ティセリウスの表情に注視する。
そしてそこにある感情を読み取ろうとしつつ、言葉を続けた。
「東では済生軍分隊が反体制派と衝突。優位に進めるも、敵の伏兵にあったとのこと。撤退に移っている」
それはティセリウスにとって予想外だった。
敵地で伏兵を仕込んでくるとは反体制派も中々巧みだと、胸中で彼らを評価する。
「そして南だ。第二騎士団がレゥ族を迎え撃った。こちらは拮抗している。クロンヘイム団長がヴァルターと交戦しているようだ」
「ふむ……」
「それで、第一騎士団をどうするかだが……貴公の考えは?」
ティセリウスに意見を求めるイスフェルト侯爵。
それは彼女を試しているようでもあった。
「当然、撤退の憂き目に遭っている東側へ向かうべきでしょう」
「だが言ったとおり、北も劣勢なのだぞ」
「東はすでに撤退に追い込まれていると仰いましたよ。そちらを押さえねば」
「………………」
イスフェルト侯爵の視線が鋭さを増す。
ティセリウスの胸の
「ティセリウス団長。大逆犯と戦いたくないというのではあるまいな?」
「そのようなことはありません。済生軍本隊は健在なのでしょう? 霧の深い北に二つの軍を投入して、指揮系統を混乱させる必要などありません」
「……確かにそうだが、貴公には大逆犯へ同調的な発言が見られたとか。そんな噂を聞いてな」
「私を追い落としたいなら、噂などではなく一剣によって為すべきです。それが分からぬ者たちの
「これは耳が痛い。気をつけるとしよう。それではティセリウス団長、ただちに東へ」
侯爵も、第一騎士団は東に向かわせるのが順当と考えている。
ここで腹の探り合いをしていても意味が無い。
「その前に今ひとつ。侯爵様、禁術の使用はお控えください」
「………………」
予備戦力を投入する段に至っても、侯爵に大きな焦りは見られない。
神の御座であるこの霊峰には、邪悪な魔族を焼く神威が存在するからである。
そこにティセリウスは言及した。
「使わずに勝てれば、それに越したことは無い。貴公の働き次第だ」
「心得ました」
「武運を祈るぞティセリウス団長」
「有り難いことで御座います」
互いに感情のこもらぬ定型文での挨拶を交わす。
そしてティセリウスは大神殿を後にした。
◆
「うーん。冗談であってほしい」
「そんなわけ無いだろ」
デニスとフリーダが、そして反体制派の面々が目を向ける先。
いま撤退に追い込んだ済生軍が帰っていった山頂方向。
そこに、新たな敵影が現れたのだ。
デニスに言わせれば、次の敵が襲ってくること自体は仕方が無い。
迷惑ではあるが、しかし予想できたことだ。
敵は第一騎士団、第二騎士団、済生軍と三つの軍を持ちながら、済生軍を分けていた。
デニスら反体制派が戦ったのは、その分けた一方だったのだ。
であれば、いずれかの軍は「浮いた」はず。
予備戦力として待機させていたのだろう。
それが来たのだ。
だが、それにしても早い。
スヴェン擁する済生軍を撃退した反体制派は前進したが、幾らも進まぬうちに第二陣と会敵する羽目になったのだ。
山頂はまだ遠い。
敵は、撤退する済生軍が帰り着くより早く、おそらく済生軍が撤退を開始した直後から第二陣を動かし始めたのだ。
判断が早く、そして部隊運用に優れる。
優秀な指揮官、優秀な組織。その表れであろう。
それもそのはず。
前方には、王国の者なら誰もが知る深紅の軍旗がはためいている。
展開しているのは紛れも無く、ロンドシウス王国最強の軍。
第一騎士団である。
「伏兵作戦がハマってくれたから、兵の損耗は少ない。戦いにならないということは無いだろうけど、あれに勝てるかっていうと流石にな……」
「でもデニス。戦場で権威に怯えてちゃ、いいようにやられるだけだよ」
「ああ、そりゃ真理だ」
剣にではなく、名望の前に屈する。
それはあまりに無様だ。
王国最強という権威に恐れをなし、勝てないと決めつけてはならない。
戦場では、看板の美しさを競わせるわけではないのだ。
「まあ、やるしか無いしな」
そう言って、隊列の前に歩み出るデニス。
すらりと剣を抜き、第一騎士団を指し示す。
それから少しの間をとって、そして叫んだ。
「見ろ! まさにあれこそ王国を象徴する存在! 我々の、敵だ!!」
声は周囲によく響いた。
日頃のデニスからは、あまり想像のつかない
「この時のために戦ってきた! 道はここへ繋がっていたのだ! 喪った家族が! 恋人が! 友が、この戦いを見ている!」
デニスは組織の長として人を動かしてきた男だ。
そして世をよく知る男であり、また口が回る。ある種の魅力もある。
優秀なアジテーターなのだ。
「やるぞ! 我々の力を示す時! 我々の怒りを見せる時だ!」
その声に呼応し、反体制派が雄たけびをあげる。
力強い声が霊峰を震わせた。
「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
声と共に足音を響かせながら、反体制派が第一騎士団へ襲い掛かっていく。
その光景にやや驚いたのは、第一騎士団の中衛に居たティセリウスだった。
「士気も数もまだ十分か」
そう漏らすティセリウス。
正規の軍ではないからと、侮って良い相手ではない。
反体制派は傭兵たちを母体としている。彼らは戦闘のプロである。
傭兵の中にはベテランが多く、騎士らより長く剣を握っている者も少なくないのだ。
そんな者たちが突っ込んできている。
お前らなど怖くない、と言わんばかりに。
「ならばお手並み拝見といくか」
ティセリウスは剣を抜き、前方を指し示した。
彼女もまた、正面からの攻撃を選択したのだ。
こうして、反体制派と第一騎士団が激突した。
◆
「これは……」
戦闘開始からしばらくの
第一騎士団の部隊長が声を漏らす。
正面から踏み込んできた反体制派だったが、その動きが僅かに不自然なのだ。
あくまでごく僅か。第一騎士団で部隊長を務めるほどの騎士であればこそ気づけたレベルであった。
本来なら、まず分からなかっただろう。
反体制派は、隊列全体をほんの少しだけ左にスライドさせながら攻めてきているのだ。
正面の部隊が左翼に回る、といった運用ではない。
ただ本当にごく僅かだけ、左方向に踏み込みながら戦っている。
第一騎士団から見る限り、それは意味の無い動きに思えた。
それはフリーダにしても同じである。
彼女は傍のデニスに尋ねた。
「この動きは、どういう意味があるんだい?」
「意味は無いな」
「え?」
策の妙味を見せ、スヴェンら済生軍を撤退に追い込んだ反体制派。
その知謀を第一騎士団が警戒することは自明であった。
だがデニスにしてみれば、それは過大評価というものだ。
大規模な魔獣討伐作戦などを指揮した経験はあるが、一軍を率いての戦争となると初めてなのだ。
そう都合よく策を用意できるわけではない。
そこで、敵の過大評価を利用することにした。
思わせぶりな行動を取ることによって、不要な思考を押しつけるのだ。
どこかに奇策が、と身構えた第一騎士団は、消極的にならざるを得ない。
ぶっつけ本番の部隊運用だが、「やや左を狙え」。指示はそれだけで良い。
ほぼ無意味に見える、そして実際無意味な、いつもと僅かに違う動き。それができれば良いのだ。
それは最強たる第一騎士団でなければ、まず気づかなかったであろう僅かな違い。
デニスはそれを演出したのである。
ゆえにこそ、第一騎士団の動きは鈍った。
これで時間を稼げる。
その間に、別方面での戦いが動き、状況が変化してくれれば、第一騎士団は引き返すかもしれない。
そうなれば、また考えを巡らせる時間が取れる。
それを期待するデニスだが、この戦場に居るのは王国で最も高名な英雄である。
言うまでも無いことなのだ。彼女は強く、そして賢い。
「反体制派の動きに意味は無い! 正面より突撃し、踏み散らせ!」
容貌と同じく、透き通るように美しい声だった。
だが言葉の内容は、反体制派にとって最悪を極める。
歯噛みするデニスたちへ、第一騎士団が改めて剣を向けた。
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