127_待ち受ける者たち
旧タリアン領の中心部にある、ローランド商会本部。
その一室に、彼らは居た。
商会の会長トーリと、その娘アイナ。そしてアイナの友人カロラである。
「……ロルフさんたち、今はどのあたりでしょうか」
「イスフェルト領に入った頃だろうね」
落ち着かない様子のカロラに、トーリが答える。
ロルフたちは敵地に着いたはずだ。
そして霊峰に至れば開戦である。
「アイナ。落ち着きなさい」
カロラ同様、アイナにも落ち着きが無い。
立ち上がって、無為にうろうろする彼女をトーリが
「は、はい」
「気持ちは分かるが、焦っても何にもならないからね」
「そ、そうですね。恥ずかしいです……。戦場に立つのは私たちじゃないのに」
彼女が羞恥を感じるのは、戦う者たちへの敬意があるからこそだ。
それを分かっているためトーリは黙したが、ロルフなら「
しかも本心で。
トーリは商人である以上、打算を忘れないし、他者の打算にも敏感である。
そんな彼からしてみれば、ロルフはまったく稀有な若者だった。
ロルフが望む世界を、トーリも見てみたいと思っている。
そのために様々な助力を行ってきたし、これからもそのつもりだ。
だからこそ、この戦いでロルフたちに勝ってもらわなければならない。
旧王国領と魔族領に成立させた経済圏は上手くいきつつあるが、まだ課題は多い。
特に両種族間の感情面でのしこりは、やはり難しい問題だ。
そんな中、大きな勝利は人心の安定に繋がるはずだ。
人間と魔族が共同戦線を張り、王国の強大な戦力を破ったとなれば、その影響は計り知れない。
両者の距離は、きっと大きく縮まるだろう。
もっとも、そういった点を抜きにしても、今度の戦いは勝たなければならない。
なにせ、負ければ道を大幅に後退することになる。
この旧タリアン領の維持も難しくなるだろうし、結果再び王国領に組み入れられれば、商会はどうなることか。
それでも、トーリは表情に焦燥を見せない。
そういった感情を顔に出さないのが一流の商人である。
「フリーダも大丈夫でしょうか」
アイナが言った。
友人であり、トーリとも懇意にしている傭兵フリーダは、今回、反体制派との橋渡しとして活躍し、そのまま彼らと共に戦闘へ参加しているのだ。
「大丈夫よ。彼女は強いからね」
カロラが元気づけるように言った。
娘とその友人───トーリから見ればカロラも娘同然だが───が励まし合う光景を、トーリはとても好んだ。
自然と浮かんだ笑顔のまま、彼は伝える。
「そうだな。それに、いま彼女と共にあるデニスは信用できる男だ。私とは旧知でね。物事がよく見えている。頼りになるよ」
彼の言葉に、娘たちは頷いた。
戦場に向かっている旧友たち。盟友たち。
北、南、東の三方から霊峰を目指している。
彼らはきっと勝ってくれる。
帰ってきてくれる。
三人は胸の中でそれを思い、不安を取り払う。
そして願った。
ロルフさん、皆さん、ご武運を、と。
◆
霊峰ドゥ・ツェリン山頂、大神殿近く、第一騎士団野営地。
エステル・ティセリウスはピンクブロンドを風になびかせ、腕を組んだまま遠くを眺めていた。
その背後から、男がひとり近づいてくる。
「お嬢様。敵はイスフェルト領に入ったとのこと。開戦予想日に変更はありません」
「分かった」
男は副団長のフランシス・ベルマンだった。
五十代後半。オールバックの白髪に白髭を持った細身の男性。まるで貴族家の家令を思わせる風体である。
実際、ベルマンは家令としてティセリウス伯爵家に務めていた。
約二十年前、当主である伯爵が、騎士を志す娘エステルのために、高名な騎士であったベルマンを家に引き入れたのだ。
伯爵が、彼に剣の指南役ではなく家令の職を与えたのは、常に
よって、実際に家令の職務が期待されたわけでは無いが、ベルマンは才ある男で、家令としての仕事も難なく遂行した。
本業である剣と軍略の指導も優れたもので、元々非凡極まる少女であったエステルはたちまち成長していった。
そしてエステルが騎士団に入団したのちは、ベルマンも団に復帰し、以降も彼女を支えている。
「それとお嬢様。そちらは西です。意中の人物が来るのは北ですぞ」
「うるさい」
ベルマンは家令であった時の名残りで、公的でない場ではティセリウスを"お嬢様"と呼ぶのだ。
彼は上官たる彼女に対しても遠慮の無い物言いをする。
この二人の浅からぬ歴史が見て取れるというものであった。
「と言うか西からは誰も来ません。いったい何を見据えておられるのですか?」
「うるさいと言っている」
やや語気を強めて振り返るティセリウス。
その表情を見たベルマンは彼女の心情を理解した。
そして大仰に嘆息する。
「未だ迷いがお有りではないですか。ヴァレニウス団長にあのような態度までとっておいて」
「………………」
叱られた子供のように、バツの悪そうな表情を見せるティセリウス。
反論し得ぬものがあるようだ。
「人の恋心をどうこう言える立場でもないでしょうに。お嬢様こそ、
「うるさいぞ。黙れ」
「だいたい王国の女子の平均結婚年齢を、ご自分が幾つ踏み越えているのか分かっておいでですか? 社交の場に出るでもなく、休日のたびに部屋でひとり酔い潰れる始末。私の故郷では、そういう女性を乾物女と」
「どうしてそう辛辣なんだ! いいから黙れ!」
怒鳴り声をあげるティセリウス。
気のせいか、やや涙目になっているようにも見える。
ベルマンは、やれやれといった風情で首を振り訊いた。
「それで、イスフェルト侯爵は何と仰せでしたか? 我が団の役割は?」
「山頂付近で待機」
「ほう……」
ベルマンは、やや驚きを持ってその言葉を迎えた。
敵は三方から攻めてくる。
ヴィリ・ゴルカ連合とレゥ族、そして反体制派だ。
対して王国・教団サイドは、第一騎士団と第二騎士団、そして済生軍。こちらも三勢力である。
よって、単純にそれぞれが三方を守る戦術が、まず考えられる。
だが、この戦いの最高司令官、バルブロ・イスフェルト侯爵はそうしなかった。
第一騎士団を予備戦力として後方待機に回したのだ。
これは騎士団への疑心あってのことではないだろう。
戦術上、理に適った判断なのだ。
「イスフェルト侯爵は、世間の評判どおり有能な男であるようですな」
「ああ」
戦力の逐次投入を避けるという、教練書に従うばかりの用兵を侯爵が見せたなら、それはティセリウスの冷笑を買ったことだろう。
だが彼は地形を理解している。
この地を治める者ゆえ当然ではあるだろうが、それを差し引いても良い判断と言えた。
攻める三方は、谷によって戦場を隔てられ、限定的にしか行き来できない。
基本的に山頂を目指すのみだ。
それに彼らの連合は消極的なものと考えられる。魔族と反体制派は別々に動くというのが大方の予想だった。
これらの条件から、三方が有機的に繋がることは、おそらく無い。
だが防衛側は違う。
山頂側からなら、いずれの方面にも自由に兵を投入できる。
兵力の流動的運用が可能なのだ。
このアドバンテージは大きい。活かさなければならない。
それに攻撃側が三方のいずれかを突破して山頂に至ったら、即座に大神殿を制圧できてしまううえ、そこから他方面へ向かい防衛側の後背を突ける。
初期段階では山頂に予備戦力を置き、戦況に応じてその兵を動かすという策が正解なのだ。
イスフェルト侯爵はそれを選択した。
「話していて分かったが、そこそこ頭の良い貴族だ。最近では珍しい」
危険な物言い。
それを咎めるでもなく、ベルマンは言った。
「まあ、やがて出番は来ます。ゆっくり待つとしましょう」
その言葉に頷くティセリウス。
そして視線を北へ向けるのだった。
◆
霊峰南部、中腹。
そこに第二騎士団は展開していた。
王国東部の戦線を支え、その尽くで勝ち切り、そして霊峰へやってきたのだ。
ここでも勝つために。
「いよいよだな……」
そう呟いたのはステファン・クロンヘイムだった。
三十歳を迎えて数年経つが、風貌は二十代前半に見える。
やや小柄で、瞳にはあどけなさすら残り、どこか少年のような印象を与える男である。
だが実力は、そのような可愛らしいものではない。
王国において紛れも無く最高の戦力のひとりであり、第二騎士団の団長なのだ。
「アネッテ。各部隊の配置は?」
「いずれも予定通りに展開中。まもなく配置完了の見込みです」
答えたのは長身の女性だった。
副団長のアネッテである。
やや不愛想だが、彼女がクロンヘイムに向ける敬愛の念はつとに有名であった。
「分かった。それとフェリクス。北と東の状況は?」
「予定と変わらずです。北、東とも済生軍が展開しています」
答えたのは背の低い中年男性。参謀長のフェリクスである。
彼が言ったとおり、北側、東側とも済生軍が防衛にあたっているのだ。
兵数は済生軍が最も多い。
また、攻撃側のうち、反体制派が最も寡兵である。
司令官イスフェルト侯爵は、済生軍を分け、メインの部隊を北に向けてヴィリ・ゴルカ連合へぶつけることとした。
残りを東の反体制派に向けたのだ。
そして南、レゥ族との戦いを受け持つのが、彼ら第二騎士団である。
「第一が予備戦力か。心強いね」
「危なくなっても、すぐティセリウス団長が助けに来てくれるわけですから」
「黙れフェリクス。そんな状況にはならない」
「す、すみません」
アネッテに睨まれ、身を縮こませるフェリクス。
第五騎士団のエドガー・ベイロンと同じく、彼は軍拡後の体制刷新に際して参謀長へ就けられた男である。
もう新参とは言えぬほどには務めているものの、常より腰が低く、自信の無さげな男であった。
「まあ、第一を後ろに置く方針は妥当だよ。イスフェルト侯爵はちゃんと考えてくれてるね」
「タリアン子爵、アルテアン伯爵と、領を接する盟友が立て続けに斃れました。仇を討ちたい気持ちがあるのでしょう」
やや強い口調になるアネッテ。
表情からも、敵に対する憤りが見て取れる。
「勇戦むなしく敗れた彼らのためにも、必ずや勝たなければ」
「うん。考え方は自由だ。でも僕は彼らのために戦いたくはないかな」
「え?」
「正直、あのふたりについては、あまり好きじゃなかったよ。死者を悪く言いたくはないけど」
「タリアン子爵は騎士団長を務められたのですよ? まさに
「そういう見方もある。でも僕の目には、領民の暮らしより自身の欲を優先させる男に見えたんだよ」
「そ、そうなのですか」
「言っておくけど、あくまで僕の意見だからね」
そう強調するクロンヘイム。
「でも、今やその種の貴族は珍しくないよ」と続けるのは止めておいた。
「まあ、死者のためより、国の未来のために戦う、ということで良いじゃないか」
「お、仰るとおりです」
その姿にやや苦笑しながら、クロンヘイムは考える。
王女はどう思っているのだろうか、と。
あまり感情を表に出さない彼女だが、憂いてはいるはずだ。
国を何とかしたいと思っている。
だが王女とて、与えられた権限は踏み越えられない。
国王は病に臥せったままだが、未だ至尊の座にあるのだ。
それを蔑ろにして専横に及ぶなど、あの王女にはできない。
今はまだ、王国は魔族たちより大きな力を持ち、なお優勢にある。
だが、バラステア砦の陥落以降、何かが変わったのだ。
このままでは、国は望まぬ局面を迎えるかもしれない。
それを阻止するためにも、自らの国を守るためにも、勝たねばならない。
そう決意を新たにするクロンヘイムだった。
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