125_決戦前夜
「なんと……」
ヴァルターも驚いている。
力を示すことはできたようだ。
「今よ! 斬り込みなさい!」
「いや、リーゼ。もう良いだろう?」
互いに腕のほどを確認し合うことはできた。
決戦前に無理もできないし、これ以上は必要あるまい。
「そうですね。僕も、もう十分かと。エリーカも良いよね?」
「う……まあ、うん」
「まあうんって何よ。魔法が斬れると信じてませんでした、ゴメンナサイって言いなさい。ほれ、言いなさい」
「ぐ……こいつ……!!」
エリーカを煽るリーゼ。
心底から嬉しそうな笑顔だった。
「まあまあ。とにかくロルフ殿の力のほどは分かった。彼の強さは疑うべくもない」
「それにリーゼ殿を見る限り、彼はヴィリ族内で信頼を得ているようだ。我々も信じるべきだろう」
ギード、グンターが諫める。
俺を信じると言ってくれた。
またひとつ、壁が取り払われたのだ。
「それはいいとして、エリーカはゴメンナサイしなさい。ほれほれ」
「ぬぐぐ……!!」
……たぶん。
◆
「それにしても物凄い剣技ですね」
「まだまだ道半ばだよヴァルター殿。凄いのはこの剣さ」
そう言って剣を見せる。
漆黒を
「魅入られるような黒ですねえ。貴方しか手にできないという点も興味深い。いったいどういう
「これは古竜グウェイルオルの炎に焼かれた剣なんだ。それはあくまで伝承だが、俺は事実と確信していて───」
「竜!? グウェイルオルと!?」
「ああ」
途端に目を輝かせるヴァルター。
学者然とした風貌のとおり、伝承の類は好きと見える。
「ちょ、ちょっと触らせてもらえませんか?」
「構わないが、火傷するぞ」
「ちょっとだけ! ちょっとだけですからうあっちゃぁぁぁぁぁ!」
ヴァルターは興奮するまま、煤の剣に触れた。
そして手に火傷を負い転げ回る。
「何してんのよヴァルター!」
「まったく……」
エリーカが声をあげ、ギードとグンターは呆れている。
それにめげず、起き上がったヴァルターは俺に詰め寄った。
「さ、さすが古竜ゆかりの剣! なぜ貴方は
「俺には魔力が無いんだ。おそらく、この剣は魔力を拒絶していると思われる」
「な、なるほど! グウェイルオルは魔法を嫌ったとされますからね!」
興奮を強め、拳を振りたてるヴァルター。
その様子に、リーゼが尋ねる。
「ヴァルターさんは竜が好きなの?」
「あっ……!」
何故かエリーカたちが、マズいという表情を見せた。
それをよそに、ヴァルターは熱っぽい口調で語り出す。
「好きですとも! 良いですか? 古竜グウェイルオルが吐く炎は、鋼を炭に変えたと言われています! ですがこの逸話は、炎の凄まじさを伝えるだけのものではありません! 竜の炎に、ある種の神性が認められることが重要なのですよ! 炎を浴びたものに何らかの神秘が発現するケースは実際に報告されています! これは決して突飛な論ではなく、歴史に積み重ねられた幾つもの事象がそれを真実たらしめているのです! かのアガトもそのひとつであるという説をご存知ですか? 僕はそこをずいぶん調べましたが、文献を
「おおっ? ヴァルター殿、詳しいじゃないか。貴方もアガトに関する説を支持しているのか?」
「ではロルフ殿も? ええ、ええ! 勿論です! 地域や地形から言って、アガトの入江が冬でも凍らないのは理屈が通りませんからね! かつて竜の炎がかの地を舐めたという説を採用すれば、アガトに関する様々な事象に説明がつくのです! 近くの山中で竜の爪痕とおぼしきものが見つかっていることもご存知ですよね?」
「もちろんだ。炎の神性については、ほかにも様々なケースが挙げられているぞ。グウェイルオルの炎がベゼ地方の肥沃化に関わっているという説は知っているか? これに関しては論拠の積み上げが不十分で、現状では否定されることが多いが、現地の民は揃って肯定しているんだ。熾竜ジュヴァに関する伝承で有名なベゼで、このケースは興味深い。そもそもジュヴァの炎については神性が伝わっていないという点に意味がある。二柱の竜の相違は最も意義深いテーマのひとつだからな」
「分かります! 分かります! 」
リーゼやエリーカが妙に冷めた目をしているのが少し気になるが、それより同好の士に会えたことが嬉しい。
俺たちは、しばし竜について語り合うのだった。
◆
「はい、ロルフさん。馬乳酒、おすそわけです」
「ありがとうエマさん。ああそうだ。ちょっと待ってくれ」
俺はヘンセンの自宅に戻っていた。
決戦を控えても、日々の訓練は変わらない。
庭先で素振りを終え、井戸で体を拭いていると、エマが馬乳酒を分けてくれた。
「これ、俺からもおすそわけを」
隣家の奥方である彼女からは、いつも貰ってばかりだ。
良い近所づきあいのため、こちらからもおすそわけを、と以前から思っていた。
忙しくて、なかなか機会を得られなかったが。
「鹿肉じゃないですか! こんなに上等なの、どうしたんですか?」
「アーベルからの帰りに出くわしてな。俺が仕留めたんだ」
「ええっ、本当ですか?」
驚くエマ。
実際、狩猟の心得をまったく持たぬ俺が、森の中で偶然出くわした野生動物を仕留めることなど、そうそう起こり得ない。
運が良かったのだ。
戦いを前に、幸先が良いというものだろう。
「まあ、処理は分かる者にやってもらったけどな」
「ありがとうございます。うちの人も鹿肉は大好きで。早速今夜いただきますね!」
そのフランクも、明日からしばらく出征だ。
いよいよ戦いが始まる。
しばらくひとりになるエマだが、寂しそうな顔は見せない。
周りに気を遣わせたくないと考えているのだろう。
彼女の夫を、必ず妻のもとに帰してやらねばならない。
そして俺も生きて帰るのだ。
◆
「うむ……」
旨い。
馬乳酒は俺の生活にとって欠かせぬものになった。
心地よい酸味と、涼やかなほろ苦さ。
冷たく綺麗な小川へ身を浸したかのような気分になれる。
「………………」
家の中、ひとり座って夜を迎える。
俺は椀に揺れる馬乳酒へ目を落とし、考えた。
いよいよ進発となる明日のことを。
そしてこれまでのことを。
あれは約九か月前。
俺がこのヘンセンを訪れている間に、領軍が攻めてきたのだ。
魔族軍はそれを撃退し、返す刀でバラステア砦を落とす。
そして領都アーベルを陥落させ、ストレーム領を奪取した。
それから
俺たちはタリアン子爵を討ち、領境の平原で第三騎士団を撃破。
タリアン領を落とした。
その後、敵にバラステア砦を突かれるも、これを撃退。
ここまで怒涛の日々で、いずれも厳しい戦いだった。
だが、いま臨もうとしているのは、それらとは比べ物にならないほど大きな戦いだ。
そして、重要な戦いなのだ。
今、俺たちにとって良い流れが来ている。
戦勝を続け、少しずつ王国領に踏み込んでいる。
人間による参事会は上手く機能しており、ローランド商会という味方も得た。
魔族領と旧王国領の垣根を取り払って経済圏を作り、文化を交わらせている。
望んだ世界の片鱗が、見えつつあるのだ。
次の戦いに勝てば、それはさらに現実味を帯びるだろう。
勝たなければならない。
勝たなければ。
「………………」
霊峰ドゥ・ツェリン。
ヨナ教団にとって信仰の象徴のひとつ。彼らにしてみれば、絶対に守るべき拠点だ。
そして、教団と密接に繋がる王国としても、霊峰の陥落など許せない。
だから敵は、その防衛に全力を挙げてくる。
教団の精強極まる軍、済生軍に、王国からは第一騎士団と第二騎士団。
恐ろしい布陣だ。
こちらも万全を期してはいる。
俺たちヴィリ・ゴルカ連合に加え、レゥ族、さらに人間の反体制派。
大兵力である。レゥ族の兵数はヴィリ・ゴルカ連合に匹敵するし、反体制派も想定された以上に大規模だった。
しかし、それでも厳しい戦いになる。
敵はかつてないほど強大なのだ。
「……ティセリウス団長か」
口をついて出たのは、第一騎士団団長の名。
王国最強の騎士であり、俺を理解してくれた人。
そして、敵だ。
俺と同じように、彼女にも戦う理由がある。
譲れぬ強い思いが、きっとあることだろう。
それに加え、ステファン・クロンヘイムが率いる第二騎士団。
さらに、侯爵の息子であるアルフレッド・イスフェルトを擁する済生軍。
いずれも難敵だ。
「………………」
今の俺は一軍を預かる身で、そこには大勢の仲間が居る。
それは本当に感謝すべきことだ。
だが、多くの者の命を預かる責は、あまりに重い。
そして、ひとりも欠けずに帰って来ることは不可能だ。
戦いは必ず誰かを喪わせるし、何かを損なわせる。
それは避けようの無い未来なのだ。
なればこそ、絶対に勝たねばならない。
そうでなければ、すべてが無駄になってしまう。
命も、時間も。すべてが。
「………………」
夜に静寂が満ちる。
俺は馬乳酒をあおった。
皆は決戦前夜をどう迎えているだろうか。
隣家のフランクは、もう帰宅しているはずだ。
無事を誓い、無事を祈り、夫婦で大事な時を過ごしていることだろう。
ほかの者たちもそうだ。
父母から激励される者。
兄弟姉妹から別れを惜しまれる者。
恋人と抱きしめ合う者。
あるいは、去った魂と語らう者。
あちこちの家で、これから戦う者たちが、愛する人と過ごしているのだ。
そして、戦う前の最後の平穏を与えられている。
誰もひとりではない。
「………………」
家の中を見まわした。
今夜は、やけに広く感じる。
「………………静かだな」
虫の音ひとつ無い夜。
誰も居らず、何も聞こえない。
時間が凍っているかのような静寂の中に、ひとり俺は居た。
「ふぅ…………」
何とは無しに、息を
ただの吐息が、やけに大きく聞こえる。
「………………」
静かだ。
────こん、こん
ごく控えめなノック。
だいぶ明るくなってきた彼女だが、この小さなノックの音は変わらない。
「どうぞ。入ってくれ」
ドアが開き、少女が現れた。
ミアだ。
「……あの」
「ミア。こっちに来て座ると良い」
椀に馬乳酒を注ぎ、対面に座ったミアへ差し出す。
彼女もこれが好きなのだ。
酒と銘打たれているが酒精はほぼ無く、子供もよく飲む。
「ありがとうございます……」
緊張した面持ちで椀を両手で持ち、口に運ぶミア。
それから、おずおずと話しだした。
「あの……ごめんなさい。大事な時間なのに」
命がけの戦いに赴く日の前夜。
大切な時間だ。
そういった感覚は普通、十三歳の女の子に分かるものでもないと思うが、ミアという子には分かるのだ。
「大事な時間だからこそ、ミアが来てくれて嬉しいよ」
「は、はい……」
はにかむように俯くミア。
本当に、表情を見せてくれるようになった。
「あの……」
「うん」
「すごく大きな、戦いなんですよね。いつもよりもっと……」
「そうだな」
戦いについて何かをミアの耳に入れたりは、誰もしていない。
だが、多くの者たちが忙しく準備にあたっているのだ。
ミアは察してしまうのだろう。
「大丈夫。必ず帰って来る」
「分かってます……」
「ほう?」
即答だった。嬉しい話だ。
信用があるようだな。
「ロルフ様は、強いですから。すごく……」
「強いかな? ミアがお墨付きをくれるか?」
「はい。砦でも、わたしを助けてくれましたし……」
あの時はミアの危機に激昂し、常に無く暴れるような戦い方をしてしまった。
今にしてみれば反省点も多いが、ミアがそう言ってくれるなら有り難い。
「……だから、怖がらなくても大丈夫です」
「やっぱりミアには分かってしまうか?」
「……はい」
戦いは怖い。それは当然だ。
戦いを前に、怖さを感じぬことなど無い。
だが、人は勇気を手に、いつだって恐怖へ立ち向かえる。
これまでずっと、俺はそうしてきた。
恐怖自体は人にとってある種必要な感情だし、恐怖を恥じる必要も無い。
それも分かっている。
だが、今夜はいつにも増して、落ち着かない。
胸中で熾火のように
怖いのだ。
少しでも判断を誤れば負ける。多くを喪う。
今度の戦いは、そういう戦いなのだから。
それを思っていると、ミアが立ち上がった。
そして俺の傍に来る。
「ミア?」
その行動の意味が分からず、俺は座ったまま彼女の顔を見上げる。
するとミアは俺の頭に両腕を回し、そのまま胸に抱いた。
「……大丈夫です。ロルフ様は負けません。…………いちばん、いちばん強いですから」
いちばん強い。
ミアはそう言ってくれた。
彼女の中で、俺は最強の男であるらしい。
その期待に応えるために、頑張らねばならないようだ。
それからミアは、俺の頭を胸から離し、そして目を覗き込むように見つめてきた。
数秒の沈黙を置いて、今までで最も強く、はっきりした口調で言う。
「待ってますから、早く帰ってきてくださいね」
「……ああ、分かったよミア。ありがとう」
感謝の言葉が、自然と口をついて出た。
胸の中の恐怖が急速に
「不思議だ。ミアはどうして、人の考えていることが分かるんだ?」
壮絶な経験を持つ子だ。
その日々が、人の心を見通せるほどの深みを彼女に与えているのかもしれない。
だがそれにしても、ここまで正確に分かってしまうとは。
まったくお手上げと言うほか無い。
「……誰のでも分かるわけじゃありません。ロルフ様の考えてることが分かるだけです」
「……? 俺だけそんなに分かりやすいかな?」
「………………」
ミアは再び、俺の頭に腕を回して抱きしめる。
だが、さっきより妙に力が強い。
と言うか物凄く強い。全力で絞めてきている。
ミア? 痛いのだが。
あと苦しい。
しかし声が出せない。
「………………」
「………………」
決戦前夜は、こうして更けていった。
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