121_協力関係

 ロルフたちが戦いの準備を進めているヘンセンから南へ行ったところに、バラステア砦と旧ストレーム領がある。

 そして、その東に隣接するのが、先般陥落したタリアン領。

 さらにその南に位置するのが、次の戦いの場と目されるイスフェルト領である。


 ロルフたちは、そのイスフェルト領を三方面から攻撃しようとしている。

 攻撃するのは、ヴィリ族とゴルカ族の混成軍、レゥ族軍、そして人間による反体制派である。


 反体制派は、イスフェルト領の東に隣接する旧アルテアン領を本拠としていた。


 そのアルテアン領の先代領主は、有名な暗愚であった。

 領民の暮らしより、自身の贅を優先させる男だったのだ。


 彼は芸術を好み、領の運営よりも、絵画や彫刻の蒐集に忙しかった。

 領民から吸い上げたカネは、そのために使われた。


 だが、それを誤った行為とは思っておらず、むしろ自らを芸術の守護者と評していた。

 自分は優れた感性を持ち、物の価値を解する男なのだと信じていた。

 芸術の保護は為政者の責務であるという建前を、我欲のために拡大解釈しているという事実に、彼は決して気づかなかったのだ。


 時おり重い腰を上げて領地運営に乗り出すも、良い結果は得られなかった。

 政治においても経済においても、彼にセンスは無かった。

 だがそれを恥じることも無い。彼にとって重要なのは芸術のセンスだったのだから。


 ある時、造船用の木材に需要があることを知った彼は、領内の山で大規模な伐採を行った。

 またぞろ蒐集活動の合間にやる領地運営の真似事か、と周囲は溜息を吐く。

 だが、そのうち数名は、泡を食って彼を止めた。

 土地の調査もせず、無計画に伐採など行って良いものではないからである。


 だが彼は聞き入れず、木々を刈り取った。

 果たして翌月、裸になった山で大規模な地滑りが起きる。

 折悪しく、長雨の時期だった。

 三桁にのぼる民家と作地が、そこにあった命もろとも土砂に呑まれたのだ。


 いよいよ人々の不満は限界を超える。

 そんな中、領主は精神に変調をきたして寝込んでしまった。

 多くの領民の命を損なったこと。

 その結果、ついにすべての支持を失ったこと。

 それらは関係なかった。

 彼の屋敷へ収蔵された美術品の多くが贋作であることが判明したのだ。


 だが、それを良い機会と、彼の長男が立ち上がった。

 そして抜け殻のようになった父に認めさせ、新たに領主となる。


 長男はすぐに、土砂災害からの復興に乗り出した。

 予算を組み、スケジュールを引き、大規模な対策班を立ち上げた。

 中央の支援も取り付けた。


 その手腕は確かで、施策は的確かつ迅速だった。

 長男は有能だったのだ。

 まさに鳶が鷹を生んだと、人々は喜んだ。


 しかし、災害復興は自然を相手にした事業である。

 それは水物であり、思いどおりに行かないのが常なのだ。

 実際、復興は、予定との間のズレを徐々に生じさせた。


 だが俊才と呼ばれる手合いは、自身の予定が狂わされることを嫌う。

 長男は日増しに苛立ちを強めていった。

 彼は自己愛が強かった。

 有能な自分を好ましく思い過ぎたのだ。


 無能な先代の不始末を有能な自分が解決し、人々の支持を得る。

 大きな不幸の渦中にあった人たちは、彼によって救われる。

 救世主である。


 その未来図は、彼の名誉欲を大いに刺激していた。

 彼にとって、絶対に実現させるべき未来だった。

 そのため、計画したとおりに進まない復興を目の当たりにし、それによって名誉への酔いから醒め始めた時、彼が感じたのは焦りだった。


 負けそうになった時、謙虚な者は引き返してやり直す。

 そうでない者は、どうにか現有のリソースだけで押し通そうとする。やれるはずだ、と思ってしまうのだ。

 彼は後者だった。


 想定を大幅に超過するかたちで人足たちを働かせた。

 膨大な土砂や瓦礫の撤去作業は毎日深夜に及んだ。

 人足ひとりあたりの一日の作業時間は、十時間から十二時間に増え、さらに十六時間へ。最終的には二十時間にまで増えた。

 睡眠もそこそこに、人々はひたすら働かされる。倒れる者も出始めた。


 本来は軍を動かすべきだった。

 この地は山脈を挟みながらも魔族領と隣接しており、領軍を保有しているのだ。

 だが、その領軍を投入することはできない。

 この数か月、山々を越え、魔族のレゥ族が度々現れており、それによる戦闘が散発していたためである。


 やむを得ず長男は、人員を追加で徴発して復興作業にあたらせた。

 だが作業は過酷を極めるばかりで、当然の帰結として逃走する者も出始める。

 それに対して激昂する長男。

 彼は現場の監督官たちに鞭を持たせ、それで人足を打たせた。


 そこへ再びの長雨。

 例年では見られないものだった。

 小規模な地滑りが頻発し、いよいよ死者も出始める。


 それでも人々は過酷な労働に従事させられた。

 領主の怒りに焦らされ、監督官は怒号をあげる。

 精魂つき、膝をついた人足の背中に、鞭が叩きつけられた。


 復興現場は地獄の様相を呈していた。

 そして働き手を奪われた人足の家族たちは、困窮を深めていく。


 そもそも、この復興は最早急ぐ必要も無い。

 すでに生存者は無く、災害のあった地は長いスパンで立て直すしかないと判断されているのだ。

 まして領境では戦闘が続いている。

 残念だが、領軍が使える状態になるまで、失った土地は放棄するのが妥当だった。


 だが長男は、なおも復興に拘った。中央から支援を受けていることも影響したのだろう。

 しかしそんなことは人々には関係が無い。

 どうしてこんな目に。

 彼らの悲憤と怨嗟は、爆発寸前だった。


 それに呼応し、この地で活動していた反体制派が勢いを強めていく。

 もともと、先般のストレーム領とタリアン領の陥落を受け、各地に存在する反体制派は活発化していたのだ。

 中でも、この地方の反体制派は勢力が非常に大きく、それが更に力を増している状況だった。


 そして蜂起寸前にまで至ったところで、領民を衝撃が襲った。

 レゥ族が、領の中心部にまで攻め入ってきたのだ。


 ◆


 レゥ族は数こそ多いが、ここ数年目立った動きを見せておらず、山を踏み越えてくることもあまり無かった。

 だが、氏族内にヴァルターという男が現れてから、情勢が変わったのだ。

 彼の戦果は著しく、いまや魔族の間で英雄と名高かった。


『雷杭』ラベイジステーク!」


 そのヴァルターが杖をかざすと、天から雷の杭が何本も降り注いだ。

 それが領軍の隊列に突き刺さる。

 神罰を想起させるその光景は、女神ヨナと共にあることを最大の自負とする王国兵にとって、許し得ぬものだった。


 だが、そんな怒りは知ったことではないと言わんばかりに、次の魔法が詠唱される。


『風刃』ブリーズグリント!」


 巧みだった。

 大きな魔法で散らされた隊列へ、幾つもの風の刃が撃ち込まれる。

 雷が討ち漏らした王国兵を、風が拾い上げるように斬り裂いていった。


「ぐあぁぁぁっ!」


「奴だ! ヴァルターを仕留めろぉ!!」


 ヴァルターさえ倒せば。

 その思いのもと、領軍は魔族の英雄へ剣を向ける。


 だがレゥ族はよく統率されており、敵をヴァルターに近づけさせない。

 時おり高位の王国兵が、どうにか肉薄一歩手前までいくが、ヴァルターの周囲を守る精鋭たちに跳ね返される。


「せい!」


 ことに剣閃の鋭い女剣士が居り、ヴァルターには槍の穂先たりとも触れさせなかった。

 このままでは領主のもとまで攻め込まれる。アルテアン領が終わる。

 そんな焦燥を強める兵たちを鼓舞すべく、後方の馬上から指揮官が大音声だいおんじょうで号令をかけた。

 彼はこの地の領軍をまとめ続けた、信の厚い将軍であった。


「臆するな!! 負傷者を下げつつ、左右を固めろ!」


 その声を後ろに聞きながら、ヴァルターを視認していた領軍兵のうち何人かが、ぎょっとした表情を浮かべる。

 凄まじい魔力光がヴァルターの杖を包んでいるのだ。

 ばしばしと激しい音をあげ、赤黒い雷がその杖に集まった。

 雷は一点に集束し、暴れ狂うエネルギーを溜め込む。

 そしてしばらくののち、彼は詠唱した。


『赫雷』イグニートスタブ!!」


 熱線が撃ち出される。

 それはおよそ魔法の射程とは思えぬ距離を穿ち、遠く後方の馬上へ突き刺さった。


「かっ……?」


 熱線が将を射落としたのだ。

 目を見開き、馬上から落ちる指揮官。

 一拍おいて、領軍は恐慌に陥る。


「うわあぁぁぁぁーーー!?」


 指揮系統と戦意と勝ち目を失った領軍。

 彼らを追い立てながら、レゥ族は領主の館へ迫る。


 そして数刻後、アルテアン領は陥落した。

 領主父子は泣き喚いて投降を拒んだすえ、逃げる領軍で混乱を極める戦場に死んだ。


 復興に関わらされていた人々は、この侵攻によって、大げさではなく自身や家族の命を救われた。

 誰もが、言い知れぬ何かを胸中に燻らせるのであった。


 ◆


「地下抵抗組織の長なんだから地下に籠ってるのかと思ってたよ」


 旧アルテアン領の傭兵ギルド。

 その本部の二階、それなりに整った執務室にフリーダは通されていた。


 応接用の椅子に彼女と向かい合って座っているのは、デニスという壮年の男。

 この傭兵ギルドの長である。


 黒味の強い茶の髪に、傭兵らしからぬ、整えられたあご髭。

 体はやや小さめだが引き締まっている。

 佇まいに余裕を感じさせつつも、その眼差しに油断は無い。

 現役を退いてはいるが、傭兵として熟練の領域にあったことが見て取れる。


「そりゃ本当に地下に居ちゃ仕事にならんからな」


 デニスは崩した態度で答えたが、フリーダの来訪にはやや驚いていた。

 魔族側からの使者を迎える約束であったこの日、現れたのは旧知の傭兵だったのだ。


「来るのがお前さんだとは思わなかったよ」


「色々あってね」


 そう言って、出された茶を口に運ぶフリーダ。

 彼女はタリアン領を本拠としてきた傭兵だが、このアルテアン領にも知り合いは多い。

 ギルド長であるデニスとも親しかった。


「ここんとこ、どう? 忙しいかい?」


 そう訊ねるフリーダ。

 デニスは、この地方の傭兵の顔役と言って良い存在で、年もフリーダより一回り以上、上である。

 だがフリーダは物怖じしていない。もともと気安い間柄なのだ。

 しかし、そのフリーダの心情を見透かしたように、デニスは小さく笑った。


「ふふふ……」


「ん、何だい、その笑いは?」


「いや、お前さんもちゃんと世間話から入るんだと思ってな。あのフリーダが渉外担当とはねえ」


「い、いいじゃないか別に」


 易々と主導権を握られるフリーダ。

 熟練の傭兵は戦場の外でも老獪なようだった。


「私と旧知とは言え、フリーダが交渉ごとに向くとも思えんが、まあ、魔族どもは君の人品を信頼したということなのかな」


 そう言って、ティーカップを口に運ぶデニス。

 唇を茶で濡らし、やや間を置いてから尋ねた。


「フリーダ。魔族を信じるのか?」


「まあ……全幅の信頼を、とはいかない。迷いはあるよ。これまでずっと敵と定めてきたんだから」


「ではどうして?」


 穏やかな口調ながら、デニスの声音には真剣さが含まれている。

 それが重要な問いであることは明らかだった。


「第一に、魔族がどうとか以前に、王国を諦めた」


「国を見限る理由は? 聞きづらいことだが、やはりアールベック子爵の件か?」


「加えて、同じようなことがまたあってね」


「……そうか。気の毒だったな」


 フリーダの大切な友人であるアイナとカロラは、タリアンの手によって再び貴族の無法に晒された。

 フリーダ自身も危険な目に遭ったが、それ以上に、彼女は二人の身に起きたことが許せない。

 かつて二人を襲ったアールベック領での悲劇を知りながら、なお欲のために彼女らはかどわかされたのだ。

 しかもタリアンは、騎士団長として国家に重用された者だったのである。

 フリーダとしては、最早あのような者の跳梁を許す王国に忠誠を感じなかった。


「そのへんは、デニスも同じだろ?」


「まあな」


 直近二代の領主によって、荒れに荒れたアルテアン領。

 多くの者が人生を壊された。


 デニスの生家は豪農で、食うには困らなかったが、それ故に、先代の治世で重税を課された。

 画家の卵のための奨学制度を設けるとかで、突然為された課税だった。

 それも、あまりに無茶な税率で、デニスの家はたちまち困窮した。


 デニスは三人兄弟の次男であった。

 弟は口減らしのため、他領の貴族のもとへ奉公に出た。

 そしてまともな待遇を与えられず、病を得て死んだ。


 兄は、家を守るため両親を支えた。

 だが両親は、いよいよ首が回らなくなってきたところに、奉公先での息子の死を聞くに及び、遂に自死を選んだ。

 並んでぶら下がる両親を発見した兄は、その時に精神のすべてを使い果たし、あとの人生では酒だけを友とし、二年後に吐血して死んだ。


 傭兵として生きるデニスは、自身の食い扶持を稼ぐのが精いっぱいだった。

 家族を救えなかったことに、今も忸怩じくじたる思いを抱いている。

 そして同時に、家族を奪った国と体制への憎しみを募らせるのだった。


 反体制組織を育て上げ、蜂起の寸前まで行ったところで、アルテアン領は魔族によって陥落した。

 だがデニスの敵はこの地の領主だけではなく、国であり、体制である。

 体制が、あのような領主の存在を許した。

 そしてアルテアン領だけの問題ではない。弟は他領に行ってなお、死ぬ羽目になったのだ。

 彼の戦いは何も終わっていない。


「しかし魔族と結べるかというと、それは別の話だ。フリーダ、魔族の側に付いた理由の第二は何だ?」


「友人の存在だよ」


 そう言って、フリーダはひとつ息を吸った。

 それからロルフについて話す。

 彼に受けた恩。

 彼に抱く信頼。

 ロルフという男が、いかに凄い人物であるか。


「それほどの男が信じるものを、あたしも信じるべきだと思ったんだ」


「お前さんらしい考え方だ」


「それで改めてこの目で見ると、ヘンセンの魔族は悪い連中じゃないように思えたよ。……おかしなことを言ってるように聞こえるかもしれないけど、仲良くなれるかもしれないって、そう思えた」


「………………」


「いや、本当に。ええと、どうしよう。上手く伝わらないな……」


「ふふ。そこで狼狽うろたえてちゃあな。やっぱりお前さんは交渉ごとに向かないよ。ところで……」


「何だい?」


「そのロルフのこと、ずいぶん熱を持って話すんだな」


「いや、そういうのじゃないよ……たぶん。あるのはあくまで敬意」


 答えるフリーダの表情を眺めつつ、デニスは考え込んでいた。

 ロルフという男のことは聞いている。

 国へ、ひいては人間社会へ弓を引いた大逆犯。

 女神に棄てられ、魔族と結んだ悪逆の徒。

 そういう評判だった。


 だが、デニスと部下の傭兵たちは信仰への傾倒が小さく、女神に棄てられたという点に、さほど強い嫌悪感は抱かない。

 王国では、剣を取る者は概ね信仰心が強いが、この地の傭兵たちは違っていた。

 もともと自立の気風が強い風土である点に加え、実利主義者たちで構成されたローランド商会との繋がりが強いことも影響しているのだ。


「そういえば、トーリ会長も魔族との間によしみを結んだそうだな」


「そうだよ。会長も王国には失望してるしね」


 顎に手をあて、考え込むデニス。

 彼の知る限り、トーリはたいへんな知恵者で、判断を誤ったことは無い。

 更にストレーム領とタリアン領も、魔族の手に落ちて以降、上手く回っている。


「……お前さんたちの願いは、次の戦いで同調したいということだよな?」


「そう。あくまで攻撃のタイミングを合わせたいだけ。無理に同盟を求めるわけじゃないよ」


 ロルフたちの狙いは三正面作戦である。

 王国のイスフェルト領を、北の旧タリアン領側、東の旧アルテアン領側、そして南のレゥ族支配地域から、同時に攻めるというものだ。

 同盟を結んでの高度な連携は望んでいない。

 これまでの魔族と人間の対立を思えば、急に手を携えて大きな戦いに臨むのはリスクが大きすぎるのだ。


 デニスから見て、その考えは妥当だし賛同できる。

 部下の傭兵たちがヨナ教の教義に傾倒しておらず、ロルフや魔族への差別意識が低いとは言っても、それはあくまで相対的に、という話でしかない。

 一朝一夕では越えられぬ対立意識は、厳然として存在するのだ。


 だが、同盟を結ぶでもなく、ただ同調して攻撃するという前提なら、デニスとしてもやりようがある。

 半ば魔族を利用するというていにもできるし、それなら組織の動きをまとめやすい。


 またデニスはフリーダを信用している。

 彼女の言いようを真似るわけではないが、そのフリーダが信じるなら、個人的にはロルフという男を信じても良いのだ。

 更に、このアルテアン領を落としたレゥ族に対しては快哉を叫ぶ自分も居り、そちらと同調することにも強い忌避感は無い。


「イスフェルト領……。あの地にある霊峰は、王国の現体制を決定づけているヨナ教団の重要拠点だ。私たちとしても落としたい」


「うん。それで?」


「敵の敵と手を組むという論法は、戦略上ごく常識的で、正しい。そして我々にとって許し難い敵は、あくまで王国の現体制だ」


「………………」


「その体制は、国王が病臥してからは特に酷い。あの王女様はそこそこ頑張っているが、もう国は命数を使い果たしていると私は思う」


「…………うん」


「魔族との協力。我ながら信じ難い判断だが、そういう変化を拒絶できる時代が終わるのかもしれん。あくまで同調して攻め込むのみで、積極的な同盟関係じゃないという点は強調させてもらうが、良いだろう。協力する」


「デニス! ありがとう!」


 身を乗り出し、デニスの手を取るフリーダ。

 傭兵ギルドの一室で、歴史の転換点になるかもしれない判断が為されたのだった。



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