120_強き人たち

「ふぅ……」


 池を往復して泳ぎ切り、水からあがる。

 だいぶ息も切れなくなってきた。


「はぁ……! はぁ……! くそっ! まだ勝てねえか!」


 少し遅れて、シグも泳ぎ切る。

 数日前に泳ぎを覚えたばかりの男だが、俺とたいして変わらないスピードだ。


「おいロルフ! もう一勝負だ!」


「待て。オーバーワークだ。少し休憩を挟まないと、訓練も逆効果だ」


「関係ねえ!」


 いや、あるだろう。

 シグは訓練にはちゃんと取り組む男だが、しばしば理屈を無視する。

 理論への傾倒を忌避したスタイルこそ彼の強みであるとも言えるが、ノウハウを完全に度外視して良いものではない。


 ただ、人の振り見て……というやつで、彼を見ていると、俺は自身の省みるべき部分を思い出す。

 俺も、怪我を押して訓練を続ける等、割と理屈に合わないことをやってきたのだ。


 根っこの部分で結構似てる、とは、俺たちを評したリーゼの言葉だ。

 言われた時はそんなこともあるまいと思ったが、あれは的を射た言葉だったかもしれない。


「よし、休憩終わりだ!」


 何でだよ。

 まだ十秒ほどしか休んでいない。

 やはり、これと似ているというのは納得がいかない。


「てめえ! 失礼なこと考えてやがるな!」


「だからその動物的な勘は何なんだ」


 前回の戦い。

 ヘンセンから深くタリアン領まで向かい、敵の屋敷を突いた。

 その後、王国軍の企みに気づき、領境の平原へ向かい、その足でバラステア砦まで取って返し、戦ったのだ。

 たいへんな強行軍だった。


 にも関わらず、シグに疲れは見えなかった。


 ───いちどの戦で、あれだけ動き回って暴れたのは初めてだぜ!


 終わったあと、彼は楽し気にそう語るのだった。

 対して俺はと言えば、さすがに少し疲れてしまっていた。


 剣の技術はどれだけ修めても十分とは思えないが、実のところ体力には結構自信があったのだ。

 にもかかわらず、その体力において俺は、シグに水をあけられているらしかった。


 これではいけないと思い、体力強化に励んでいるのだ。

 まあ、結局シグも訓練に付き合っているので、差は縮まっていないかもしれないが。


「おい! 深いほう行くんじゃねえよ! エマの言うこと聞いとけ!」


「はーい!」


 今日は気温が高く、アルノーとその友人たちが水遊びをしている。

 エマが見てくれているが、子供たちは活発で、あちこち動き回ってしまう。子供の相手は本当に大変だ。

 そのエマが、少し離れたところから、こちらに向けて何かを言っている。


「いらっしゃいましたよ!」


 彼女が指さす先、若い男が二人、こちらへ歩いてきていた。

 長身ながら、かなり痩躯の男と、対照的に、背は低いが肩幅の広い筋肉質の男だ。

 いずれも朴訥ぼくとつな顔立ちをしている。


「司令官……いや違った。ロルフさん。それにシグさん」


「今日はよろしくお願いします!」


 痩躯の男がトマス。筋肉質の男がダン。

 彼らは人間である。

 バラステア砦で、イーヴォという男の息子たちを王国騎士から守った二人だ。


 彼らは以前、そのバラステア砦に兵として勤めていた。

 つまり俺の部下だった者たちである。


 二人は魔族軍への合流を希望してくれた。

 最初は、バラステア砦の防衛隊として職を斡旋しようかと思ったのだが、当人たちがヘンセンへの赴任を望んだのだ。


 ───もし可能なら、いっそ元からの魔族領に住んでみます。折角ですし。


 とのこと。

 魔族の子供を守るため、剣を取って王国騎士たちを斬り伏せた二人だ。

 腹は据わっているようだった。


 今日は二人の剣術訓練に付き合う約束なのだ。


 ◆


 服を着て、木剣を手に、池のほとりにて訓練を行う。

 俺は人に教えるほどのタマではないと思うが、請われれば技術を伝えることに否やは無い。

 バラステア砦在籍時、トマスとダンは訓練等で何度か俺の剣を見ており、そこに倣うべきものがあると思ってくれていたそうだ。


「こうですか?」


 二人が上段の構えから木剣を振り下ろす。

 二振りの木剣が、びゅごうと風切り音を上げた。


 良い剣筋だ。

 彼らは、かなり優れた腕前を持っている。

 第三騎士団の騎士数名を相手取り、著しく負傷しながらではあるが、子供たちを守り切ったのだ。

 その技量は確かなものだと思って良いだろう。


「うん。二人とも、かなり使う・・な。ただ、意識が剣に行き過ぎているように見える」


 そう言って、俺も木剣を上段に構えた。


「肝要なのは、五体の力をロス無く剣に乗せることだ」


 振り下ろす。

 ふっ……と吐息のような風切り音があがり、木剣は下段でぴたりと止まる。


「え…………」


 二人が目を丸くしている。

 一振りへ込められた技術に気づけるだけの下地を持っているということだ。


「今の振り、できそうか?」


「む、無理です」


「すぐには無理だろう。だが、訓練すればできるようになる」


「そうでしょうか……?」


「自分らには難しい気がしますが……」


「いや、できるさ」


 そう言って、二人に素振りの手ほどきをする。

 一振りごとを丁寧に、しかし数も大事だ。

 愚直で反復的な素振りは、最も有効な剣術訓練のひとつなのだ。


「ああ、それと二人はプレッシャーで押し込むすべをもう少し身に着けた方が良い。素振りの大切さを説いたばかりで逆説的なようだが、振るばかりが剣じゃないからな」


「それは前から思ってるんですが、どうにも上手くいかなくて……」


「どう踏み込んでも、相手がプレッシャーを感じてくれないんです」


「おい、ただ構えて踏み込むだけじゃ意味ねえぞ」


「シグの言うとおりだ。敵は肩口の動きや呼吸を見て、こちらの動作を予測する。次の瞬間にも切っ先が動くと思わせることが重要なんだ」


 そう告げて、手本を見せる。

 俺は二人に向け、木剣を正眼に構えて踏み込んだ。


「う……!?」


 彼らはびくりと震えて後ろに退がる。


「訓練と分かっていても、剣が襲い来るように感じられただろう? 相手が高位の剣士であればあるほど、こういった技術が有効になる。覚えるんだ」


「は、はい!」


「よーし、そのへん踏まえて地稽古といこうぜ。二人まとめて来い」


 シグが木剣を手に前へ出る。

 トマスとダンは、絶望的な表情を見せた。

 二人は、シグの実力のほどを知っているが、凶暴性も知っているのだ。


 まあ、シグもあまり無茶はしないだろう。

 それに彼のような相手との稽古も身になるはずだ。


「お、お願いします!」


 二人の木剣の先が震えていた。


 ◆


 シグもあまり無茶はしないだろう。

 いったい何を根拠に俺はそんなことを考えたのか。

 俺の判断ミスを嘲笑うかのように、ぼろぼろになった二人が横たわっている。


「オラァ! 立ちやがれ!」


「ぜぇ……はぁ……。は、はい……!」


「お、お願いします!」


 よろめきながらも立ち上がり、膝をがくがくと震わせて木剣を構えるトマスとダン。

 ガッツと向上心がある。

 二人とも良い剣士だし、更に良い剣士になれる男だ。

 だが、ここで壊されてしまっては元も子もない。


「そこまでにしておこう。続きは後日だ」


「ああ!? やっとあったまってきたとこだろうが!」


「アルノー。今日の訓練は終わった。シグと遊んで良いぞ」


「わーい! シグにい! あっち行こうよ!」


「あ、おい!」


 アルノーに纏わりつかれ、連行されていくシグ。

 それを見送り、俺は二人に向き直った。


「次の戦い。言うまでも無く、王国との戦いだ。トマス、ダン」


「し、失礼します! 上官のお話を遮って申し訳ありませんが、す、座る許可を!」


「も、申し訳ありません! いつつつつ……」


 律儀に許可を求めるトマスとダン。

 ふたりは最早立っていられず、俺が頷くと、どさりと座り込んだ。

 一挙一動ごとに、痛みで顔を歪めている。


 見事に全身ぼろぼろだ。

 しかし瞳には力があった。


 いずれも朴訥な顔立ちの、ひょろりとした男とずんぐりとした男。

 この風貌に強さを想起する者は少ないだろう。

 だが、優れた剣士だ。


 二人は座りこんだまま、ふうふうと呼吸を整えた。

 それからしばしの間をおいて、口を開く。


「……ロルフさん、こう続けるつもりだったでしょう。"手伝ってほしい。だが、強制はしない"」


「"しかし俺には君たちのように強い味方が必要だ"とも言うつもりだった」


「はは。このザマを見てください。自分らは強いですか?」


「強い。気づいていないかもしれないが、あの日、バラステア砦で子供たちを守る決断をした時、君たちは無上の強さを証明した」


「………………」


 またも、しばしの沈黙。

 二人は考え込んでいる。

 胸中で何かを咀嚼しているように見えた。


「戦いますよ、もちろん。すべきことをするために、ここへ来たんです」


「そうそう。やってやりますよ!」


「ありがとう」


 笑い合う俺たちへエマが近づく。

 その手に救急箱を持っていた。


「兵隊さん。怪我を手当てしましょうね」


「すまないエマさん。彼らはトマスとダン。王国を出て合流してくれたんだ」


「聞いてますよ。イーヴォさんの息子さんたちを助けてくれたんですよね。みんな感謝してます」


 そう言いながら、エマは二人に寄り添って座る。

 そして薬瓶と包帯を手に取り、手当てを始めた。

 二人は恐縮し、やや戸惑いながら礼を言う。


「あ、ありがとうございます」


「えっと、助かります」


 たおやかな指が、優しく、ゆっくりと包帯を巻いていく。

 二人が痛みを感じないようにという心遣いが、その指先に感じられた。


「トマスさん、ダンさん。こんなになってまで、人々のために訓練を頑張ってくれて、ありがとうございます」


 手当てをしながら、穏やかに微笑むエマ。

 それを見つめて、二人は頬を赤らめている。


「あ、あの! 自分はトマスです!」


「ダ、ダンです!」


「ふふふ」


 いまエマが名を呼んだにも関わらず、名乗る二人。

 一様に頬を赤らめている。

 これは興味深い光景だ。


 人間の多くは、魔族を性愛の対象とはしない。

 だがそれは思想的背景に根差したもので、善悪や美醜についての感性は別に変わらないのだ。


 よって、魔族への差別意識を乗り越えた者には、異性愛も生まれ得ると俺は考えていた。

 トマスとダンの赤い頬は、それを裏付けている。


 もっともエマは人妻で、夫フランクとは、とても良い関係を築いている。

 睦まじい夫婦仲はつとに有名だ。

 気の毒だが、トマスとダンにチャンスは無い。


 それをどう伝えたものか、俺は迷うのだった。



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