119_小さなパイ
「また、純軍事的な兵力増という点を抜きにしても、戦術的見地において、人間との協力関係は有効と言える」
何度目かの、議会への出席。
こうして人前で話すのにも、だいぶ慣れてきた。
周囲からの視線に含まれる俺への敵意も、幾ばくか薄れている。
徐々にだが、信頼は獲得できていると見て良いだろう。
タリアン領での戦勝も評価されているようだ。
「つまり、他種族からの多面的な物の見方が加わることで、戦術に幅が広がるということだ。一例を挙げると───」
アルテアン領に確認された、王国への抵抗組織。
かなりの規模であるらしく、次の戦いへ向けて彼らとの協調が検討されている。
今日は、その点について合議しているのだ。
こういったことも、将軍である俺にとって大切な仕事である。
「実際、参謀職に他国の将官を招き入れるケースも戦史には散見され───」
だが、この種の仕事のあとは、何か自身が剣から遠ざかるような不安を感じてしまう。
やはり俺は、剣を取って自ら戦ってこその男なのだ。
こういう日は、決まって訓練の量が増える。
おそらく今夜も、いつもより多く剣を振ることになるだろう。
◆
「ロルフ、お疲れ様!」
議事が終わり、議場から吐き出される人波の中、話しかけてきたのはリーゼだった。
隣にモニカも居る。
二人も今日の議会に来ていたのだ。
ヘンセンの議会には、武官もよく出入りする。
発言ができるのは請われた場合のみだが、傍聴は自由だ。
「今日、ミアたち来るんでしょ? 私たちも行くわ」
そう言って、俺と並んで歩き出す。
ミアたちは、この数か月、集落とヘンセンを行き来していたが、本格的にこちらへ移住することが決まったのだ。
あの集落の地下で、エーファと共に子供たちを匿っていた年配の女性、イルマ院長。
彼女の養護院をヘンセンで再開する目処が立ったため、ミアたちもこちらへ移るのである。
住まいは、俺の家のすぐ近く。
あの区画は軍関係者が住む場所なので、ミアには好ましくないと思ったのだが、彼女がその場所を希望したのだ。
まあ、見知った顔が近くに居た方が安心するだろうし、彼女が望むなら異論は無い。
「それにしても、反体制派と協力する件、無事に可決されて良かったですね」
「ああ。あとは、向こうが首を縦に振ってくれるかだが」
「フリーダに期待ね」
今日の議会で、反体制派と手を組むことが可決された。
フリーダが先方のリーダーと親しいため、交渉に向かっている。
戦いの準備は着々と進み、軍の編制も予定どおりに片付きつつある。
あとは、反体制派、および魔族のレゥ族。今回手を組むことが予定されている彼らと、どう協力するかだ。
それについて今後の展望を話し合いながら、俺たちは歩く。
やがて見えてきた俺の家の前には、ミアとエーファが居た。
「済まない。もう着いていたんだな。あがって待っててくれても良かったのだが」
「大丈夫。いま着いたところよ」
そう答えるエーファの横、ミアが上目遣いで俺を見ていた。
確かスモックドレスと言ったか? ふわりと、ゆとりのあるワンピースに身を包んでいる。
俺と同じように
俺の方は未だに、剣を振るたび煤にまみれるが。
「……ロルフ様」
口元に小さな笑みを浮かべている。
ミアが、笑顔を浮かべている。
「ミア。集落からの道中、疲れなかったか?」
「大丈夫、です」
ひとつ歳を重ね、十三歳になったミア。
受け答えもずいぶんしっかりしてきた。
嬉しいことだ。
子の成長を喜ぶ親の気持ちになる俺だった。
◆
「ん」
「うん?」
「ん」
「ふむ、これは?」
家に入って座るや、ミアがバスケットから皿を取り出し、両手で持って差し出してきた。
これは、パイだろうか?
一口サイズの丸いものが皿に沢山載っている。
「それ、引っ越しのご挨拶よ。このへんでは近隣の家にパイを振る舞うのが風習なの」
「ほう、それは知らなかった」
エーファの説明に得心する俺。
引っ越しの際に何かを振る舞う文化は他にもあるが、パイとは珍しい。
俺は切り分けるタイプのものしか知らないが、何とも可愛らしい一口サイズのパイだ。
「ありがとう。いただきます」
そう言って、差し出された皿からひとつを手に取り、口に運ぶ。
さくり、と心地よい食感に続き、果物の甘味がじゅわっと広がった。
「む……旨い。これはかなりのものだ」
「うん。ほんと、おいしい!」
「上手にできてますね」
リーゼらも賛辞を贈る。
本当に旨い。見事な出来だ。
「色々な果物が入っているんだな。リンゴにブドウ、それから……これはスグリか。俺はこういうのは初めて食べる」
そう言いながら食べ切ると、ミアがにこにこしながらもうひとつ差し出してくれる。
遠慮なく受け取り、それをまた口に運ぶ。
「ミンスパイ……干し果物を果実酒に漬け込んだもので作ったパイよ。私も少しだけ手伝ったけど、ミアが殆どひとりで作ったわ」
「本当か。やるじゃないかミア。うん、ぎっしり詰まった果物の旨さが力強い。かなり好きな味だ」
そう言いながら、更にもうひとつ貰う。
それを見ながら、モニカが口を開いた。
「ミアちゃんは、ロルフさんの恋人候補ですね」
とんでもないことを言いだすモニカ。
リーゼの視線に剣呑さが混ざる。
俺のことを小児性愛者だとでも思ったのだろうか。
「ミアは子供だ。そういう話になるわけがないだろう」
さっきまで笑顔だったミアが、不機嫌な表情を見せる。
彼女にとっても、この種の話題は不快だろう。
やはり子供にこういう話は良くない。
子供の感性は、周囲の影響を大きく受けるうえ、不可逆だ。
そのあたり、大人は気を遣わなければならないというのに。
「この子、幼く見えるけど十三歳でしょう?」
「幼くは見えません……」
「いや、だから十三歳は幼いだろう、普通に」
「幼くありません……」
なぜか反論を挟むミア。
自身の幼さを否定したがるのは人にとって普通だが、子供がそれをする必要は無い。
あとで教えてやらねばならないだろう。
「ロルフさんとはせいぜい八歳差でしょう? 別におかしくないじゃないですか。私の両親は十四歳離れてますよ」
「年齢差ではなくミアの歳が問題なんだ」
モニカは見た目によらず、破天荒な人物であるようだ。
俺は、頭の中の要注意人物リストに彼女の名を書き加えるのだった。
「では数年後には差し障りが無くなってますね!」
ぽん、と両手を合わせ、得心したかのように破顔するモニカ。
厄介極まりない。
エーファは何やら苦笑しているが、妹が馬鹿なことを言われているのだから、助け舟を出してほしいものだ。
その横でリーゼが、何かに思い至ったように言い出した。
「シグもアルノーって子に懐かれてるけど、人間には幼児に纏わりつかれる特性でもあるのかしら?」
「幼児じゃないです……」
先が思いやられる。
戦いを想起させるものからミアを遠ざけるため、一度は離れたが、こうして縁がまた交わった以上、彼女の健やかな成育に寄与してやらねばならない。
周りの大人がおかしなことを言うような環境は良くない。
俺は無理にでも話題を変えることにした。
「ところでエーファ。ヘンセンでの暮らしに不便は無さそうか? 何かあれば頼ってくれ」
「ありがとうロルフさん。今のところ大丈夫よ。支援を受けてこっちでイルマと養護院をやれることになったし、仕事も何とかなりそう」
以前、集落の地下で会った時、俺へのエーファの態度にはかなり険があった。
今はそれが、だいぶ
バラステア砦でミアを救った結果、俺を認めてくれたようだ。
「あの集落は大事な場所だけど……でも、まあ、帰ろうと思えばいつでも帰れるしね」
生まれ育った場所から居を移すことに迷いはあっただろう。
ましてミアは、まったく意に沿わぬかたちで、かの地から連れ出されたのだ。
ようやく帰れた土地に、思い入れの無かろうはずも無い。
だが、あの集落の生き残りは、ミアのほかは、あの地下に居た人たちだけなのだ。
ほかはもう、ひとりも居ない。
かの地で生活基盤を得るのは、現実的に言って少々厳しい。
それに、あの集落には慰霊碑も建立され、土地の保全はできている。
このヘンセンからは馬で一日の近さだし、エーファの言うとおり、帰ろうと思えばいつでも帰れるのだ。
それならば、周囲に頼りやすいこちらに居た方が良いだろう。
ヘンセンに来たのは正しい判断だと思う。
「いつでも頼ってねエーファ。それと……」
リーゼが居ずまいを正し、エーファに向き直った。
そして真剣な表情で言う。
「あの時、あの敵襲の中、よく逃げてくれました。私たちの不甲斐なさで危機を招いてしまい、申し訳なく思っています。そして、生き延びてくれてありがとう」
礼を述べてから、胸に手をあてて瞑目するリーゼ。
俺とモニカもそれに倣う。
そう。
あの敵襲の中、逃げて生き延びてくれたことが、本当にありがたい。
人々がそうやって諦めずにいてくれることが、何よりの助けになるのだ。
「謝罪とお礼が遅れてしまってごめんなさい。中々ちゃんとした時間が作れなくて」
「そ、そんな、やめて。貴方たちは命がけで助けてくれたんだから」
恐縮して慌てだすエーファ。
それから、ミアの後ろに回り、その両肩に手をあてて言った。
「謝ったりなんかより、ミアのことを褒めてあげてほしいわ。この子が活躍したんだから」
急に水を向けられ、少し驚いた様子を見せるミア。
エーファの言うとおり、あの時は砦に火を放つというミアの機転が活きた。
王国騎士たちが出火への対応に追われていたから、俺たちが砦に突入する隙ができたのだ。
「ああ、ミアは賢い。俺は知っていたよ」
言って、ミアの頭に手を載せる。
リーゼとモニカも、少女に向け微笑んでいる。
とは言え、建物に火を放つことを褒めるのもさすがにおかしいので、俺は言葉に迷ってしまう。
結果、俺の行動は黙ってミアの頭を撫でるに留まった。
くすぐったそうに目を細めるミアを見て、思う。
胸に宿した自戒のことを。
捨て去った家族との絆を都合よくミアに見出してはいけない。
そこは、
ミアはフェリシアの代わりなどではない。
そんなのはミアに失礼だ。
俺はただ約束を守るのみ。彼女がもう悲しい思いをしないで済む未来を作るのみだ。
少女を前に、改めてそれを思うのだった。
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