116_綻び
腕のなかのミアが落ち着くまで、俺はしばらく待った。
周囲の火勢は強まり、どこかでがらりと壁が崩れる。
そろそろ退去しなければならないだろう。
「ミア、ここから出よう」
頭を撫でると、少女は目を細めた。
それからこくりと頷く。
だが、その前に来客と話す必要があるようだ。
背後、炎に崩れた床の先から、気配を感じる。
いや、気配などという生易しいものではない。
俺に対する、疑いようの無い殺意だ。
立ち上がり、ミアを背に隠しながら振り返る。
そこに奴はいた。
「エーリク・リンデル……」
やはり。
この作戦を主導しているのは、この男だった。
リンデルは鬼のような形相を浮かべている。
眉は吊り上がり、両目は射殺さんばかりに俺を睨む。
額に幾筋もの血管が走り、顔全体が赤黒い怒りに染まっていた。
そして小さく震えながら、絞り出すように彼は言う。
「殺したのか……! ここに居た騎士たちを、皆……!」
「ああ。俺や俺の友人を害する者を、俺は倒す」
背後のミアに聞かせたくない言葉ではある。
彼女はなるべく戦いから遠ざけたい。
だが、こんな世界で戦争をしていて、そしてここは戦場だ。
残念ながら、綺麗な言葉だけを選んで聞かせてやることはできない。
せめて欺瞞に陥らぬよう、本心を語るのみだ。
「貴様……! 加護なしの大逆犯が……!」
リンデルが持つ、背信者への強い憎悪は健在だ。
だが着目すべきは、彼の口から最初に出たのが、騎士たちの死に対する怒りだったことだ。
「ハンネスは……!」
「…………」
「貴様の足元で死んでいるハンネスは、国士だった……! 貧しい出身ながらも……国を恨まず、ただ世の行く末を憂い……正しい行動を選んだ男だった……!」
言いながら、唇を噛みしめるリンデル。
ぶつりと、その唇から血が零れた。
「友だった……!」
戦う者すべてが、決して忘れてはならない、覆らぬ事実。
俺たちが正しいと思うことのために戦っているように、敵も正しさを信じて戦っている。
当然だ。自身を悪徳と定めて戦争に及ぶ者などそう居ない。
「私は……この床が崩れていることに、感謝せねばなるまい……! そちらに行けたなら、必ず、貴様に斬りかかっていただろう……!」
「…………」
「そうなれば、私は死んでいた……! 私では、貴様に勝てぬ……!!」
凄まじい怒りだ。
血走った目の奥で、激情が震えている。
「
「どうかな。エルベルデ河では、俺を組み伏せただろう」
どこかで、がらりと壁が崩れた。
炎はいよいよ、この一画を呑み込みつつある。
ふぅー…と、空気を吐き出す音がした。
リンデルが深く呼吸したのだ。
目を閉じ、自身を落ち着かせている。
感情を制御し、怒りを鎮めようとしている。
「……三年も前のことを、未だ口にするか。思いのほか執念深いようだな」
「かもな」
だが、この三年越しの再会を想像してはいなかった。
俺が今回の戦いで最も注意を向けていた敵は、マティアス・ユーホルトなのだ。
しかし世界は、幾千幾万もの人々の思いが絡んで流転する。
そうそう思惑どおりに運ぶものではない。
この男の場合はどうなのだろうか。
「俺たちがここに来たということは、ユーホルトは死んだということだ。リンデル、お前の思惑どおりか?」
「さあな。だが、もしそうなら、主目的は達成されたことになるな」
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。
がらがらと大きな音を上げ、また近くの床が崩れた。
「大逆犯ロルフ。言っておくぞ。世界を変えるのは、貴様ではない。ヨナ様に棄てられた貴様などでは……断じてな」
「俺もこれだけは言っておく。くだらぬ女に袖にされた事実など無い。俺が見限ったんだ」
「……ッ!!」
歯を食いしばるリンデル。
その時、俺たちの間に開いた穴からごうと炎が上がり、次いで黒煙が立ち込めた。
ミアを庇いつつ下がり、しばし炎を注視する。
そして火勢が落ち着き、煙が薄くなると、対岸からリンデルの姿は消えていた。
「行ったか……」
しばしの別れだ。
きっと、いずれまた
「望むと望まざるに
そしてミアを両手で抱き上げた。
彼女は大人しく俺に体を預ける。
少しだけ重くなったかもしれない。成長期だからな。
「む、あれは……」
窓に近づいて外を確認すると、門の内側で戦っていた敵たちが、撤退の動きを見せていた。
どうやら、我々の本隊がもう近くまで来ているらしい。
リーゼらはヘンセン側の門を押さえ、敵が旧ストレーム領側へ逃げるに任せるだろう。
リンデルも、彼自身が言っていたとおり、ユーホルトを追い落とすという主目的は達成したのだ。
おそらく敗戦の責を死者に押し付ける算段も立っているだろう。
欲をかいて燃える砦に留まるのを良しとはしないはずだ。
「ミア、飛び降りるぞ」
「高いですよ……」
「二階ぐらいの高さなら問題ない。しっかり掴まっててくれ」
「ん……」
ミアが俺の首に両腕を回し、強く密着してきた。
そして彼女を抱いたまま、俺は窓から脱出する。
ミアに衝撃が行かぬよう、膝を利かせながら着地し、そして周囲を見渡した。
やはり、敵は撤退していく。
あの中にリンデルも加わるだろう。
どうやら終わったようだ。
◆
「リーゼ、被害は?」
敵が去り、我々の本隊が合流したバラステア砦。
俺もリーゼと合流していた。
「負傷者数名、麾下に死者は無し。広くない場所で負けないことに徹したし、シグも居たしね」
「それだけでは無いだろう。リーゼ隊は本当に優秀だからな。だが、麾下に、ということは」
「うん……。砦の防衛隊からは、私たちが着く前に多数の死傷者が出てる」
敵がこの砦を突くことを、俺や将たちは予測できなかった。
結果、多くの者が死に、多くの者が家族を
「ロルフ、自己弁護になるけど、タリアン領を明け渡してでもここを攻めるという敵の戦略は、あまりに常識から外れてた。予測は不可能だったよ」
自己弁護などではなく、彼女は俺のために言っている。
俺の顔に自戒を見て取り、慰めが必要だと思ったのだろう。
リーゼはそういう
「ありがとう。だが
「……そうだね」
俺は、ゴドリカ鉱山を思い出していた。
カトブレパスと戦ったあの作戦で、何人もの騎士が死んだ。
そしてエミリーは、自分の指揮下で多くの部下を死なせたことに涙していた。
責任感からか叫びこそしなかったものの、あれは慟哭だった。
あの時の彼女の気持ちが、ようやく俺にも理解できた。
彼女は今どこで、何をしているだろうか。
「で、その子は……救出した民間人、だよね?」
「ああ。彼女はミアという。今、彼女の姉を捜させているんだ」
「えーと、もう安全だから、とりあえず下りたら?」
ふるふると首を振るミア。
彼女は、俺の両腕に抱かれたまま下りようとしなかった。
不安が癒えないのだろう。
砦にはエーファと共に来ていたらしく、まだ彼女は見つかっていないのだ。
ミアによると、搬入口から防壁外へ逃れているはずとのことだった。
それで、人員を出して捜させているのだ。
「リーゼさん、ロルフさん」
そこへやって来たのは、リーゼの副官、モニカだった。
そつが無い仕事をする人物で、こういう、戦いが終わった後の諸々でも頼りになる印象だ。
「居ました。合流中の本隊が、防壁外で保護していました」
その言葉を聞いて、ミアを地面に下ろしてやる。
モニカの後ろに、魔族の民間人たちが居た。
そのなかに、見覚えのある顔がひとつ。
「おねえちゃん!」
「ミア!」
駆け寄るミアとエーファ。
そして抱き合い、落涙しながらお互いの無事を喜ぶ。
姉妹。羨ましいものだ。
家族を捨てた者が、この光景に羨ましいという感想を抱くこと自体、勝手な話かもしれないが……。
エーファは、ミアを抱いたまま、俺を見て目礼した。
俺も頷く。
それからモニカへ向き直って訊いた。
「人間の民間人はどうだ?」
「無事です。全員、隔離されていました」
「良かった。それとモニカ、北側は大丈夫?」
「ええ。ヘンセン方面へ出た敵兵は居ない模様です。念のため索敵させていますが、問題ないかと」
「おい、お前ら。こいつの話を聞け」
そこへシグが連れて来たのは、防衛隊の男だった。
負傷しており、頭の包帯には血が滲んでいる。
「君は?」
「自分は、イーヴォといいます! あ、あの! 息子たちが!」
「息子? 落ち着いて話してくれ」
息子。戦場に居て欲しくない存在だ。
嫌な予感を覚えつつ、狼狽える男、イーヴォを宥めて先を促した。
「は。す、済みません。自分は、砦内部に侵入しようとする敵と交戦したのですが、情けないことに、頭を打たれて昏倒してしまい……」
俯くイーヴォ。
両目が無念の涙で濡れている。
「君たちは守るべき民間人を背に、寡兵で立ち向かってくれたんだ。誇りこそすれ、気に病む必要は無い」
「お、恐れ入ります。ただ、その民間人のなかに、自分の息子たちが」
イーヴォによると、父の仕事場を見に、彼の幼い息子が二人、砦を訪れていたそうだ。
よりにもよって、今日という日に。
守るべき者の中に、自身の子も居るとあれば、なお真剣になるというもの。
だが
そして気がついた時には、既に戦闘が終わっていたらしい。
「砦の内部には、敵が侵入してしまったとか。それで……」
息子たちが心配で探している、というわけだ。
だが……。
ちらりとエーファを見やる。
すると彼女は申し訳なさそうに口を開いた。
「あの……砦から脱出した民間人は、ここに居る人ですべてだと思います」
この場には、彼の息子と思える年頃の子は居ない。
子供と言えるのはミアだけだ。
「誰か、彼の息子さんたちを見ましたか?」
エーファが問う。
だが皆、辛そうな表情で首を振るのみだ。
「モニカ! ほかに誰も見つかってない!?」
「砦の内部からは誰も……。焼けた箇所も確認させていますが、今のところ、そこからも……」
見ると、イーヴォが唇を震わせている。
何かに思い至ったようだ。
「あ、あの、息子たちは、防衛隊の装備を見たがってました。それで、装備類は倉庫に収めてあると、何とは無しに答えてしまったのですが……」
「ロルフ!!」
リーゼが叫ぶ。
俺は走り出した。
倉庫があった区画にも、敵が入り込んでいたはずだ。
既に撤退しているだろうが、もしイーヴォの息子たちが見つかっていたら、敵は子供でも容赦しない。
ほかの皆も、続いて後ろに走ってくる。
見たくもない、最悪の光景が脳裏に浮かんだ。
どうか、杞憂であってくれと、生きていてくれと、そう何度も願いながら走る。
心臓が、どくどくと騒ぎ立てる。
そこにあるかもしれない光景を考えると、足が重くなる。
だが行かなければならない。
襲い来る嫌な予感を何度も振り払いながら、角を曲がり、その区画へ。
辿り着いた俺を迎えたのは、地に転がる何体かの遺体だった。
「あ…………」
これは……この光景は…………。
倉庫を取り囲むように倒れているのは、王国騎士たちの遺体だった。
そしてその倉庫に、俯いてもたれ掛かる男が二人。
彼らは、両手に剣を握り、前へ向け構えたままだった。
二人は人間だった。
剣を手にしているが、騎士ではない。
生きている。だが傷だらけだ。呼吸は荒く、出血が夥しい。
彼らはゆるゆると顔を上げ、こちらを向いた。
この顔には見覚えがある。
以前、この砦の兵だった者たちだ。
俺が司令官代理を務めていた時の部下である。
俺は彼らの間を通り、倉庫の中を確認する。
そこに居た。幼い子供が二人。
「ああ! ヨッヘム! ペーター!」
「おとうさん!」
駆け寄って抱き合うイーヴォと二人の子供。
イーヴォの息子たちは無事だったのだ。
家族の再会を見届け、俺は傷だらけの男たちのところへ。
そして、リーゼが回復班を呼びにやる声を背に、彼らへ話しかけた。
「守ったのか。魔族の子供たちを。なぜだ?」
「あ……司令官……お久しぶりです……」
「なんか……こうするべきだって、思って……」
「へっ。気合い入ってんじゃねぇか」
俺もシグに同感だった。
そしてこれは綻びだ。
何者かが欺瞞の糸で縫い上げた世界。
それが、僅かながら綻びを見せている。
砦に居た数百人の部下のうちの二人だ。
比率で言えば圧倒的に小さい。
だが、やはり現れた。
これを選べる者が、ちゃんと現れた。
見たかったのだ。
これこそ、どうしても見たかった光景なのだ。
俺は明日からの戦いに、改めて希望を抱くのだった。
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