115_やっと名前を
落ちた先。
周囲には、かなり火の手が回っていた。
振り返ると、そこには騎士たちが居る。
うち一人は、剣を突き出していた。
突き出す剣の先には、涙をこぼす少女が。
「………………」
許せぬ光景を前に怒りが湧き上がる。
分かっている。心を怒りに囚われてはならない。
理性なくして戦場に立つことなど、決してあってはならない。
……だが、今日は別だ。
俺は、例外に身を委ねることにした。
「ミア……。目を閉じてくれ」
そこに居た少女。
俺を見たまま言葉を失っている少女に声をかける。
彼女はすぐさま瞼を閉じてくれた。
少女に剣を向ける騎士が、怒りを露わにする。
「貴様……! ロル────」
お前の台詞に、微塵も興味が無い。
それより、その剣は何のつもりだ。
騎士との距離は約四メートル。
完全に間合いの中だ。
俺は一瞬で踏み込み、下段に構えた剣を上へ振り抜く。
騎士の右腕は、剣を持ったまま胴体に別れを告げた。
「っが……!? ぁ……!!」
彼が仰向けに倒れるのと同時に、別の騎士が二人、斬りかかってくる。
ふざけたものだ。
幼い少女を大勢で取り囲むような輩が、剣を持って一体何をしようというのか。
俺は二人へ向け、全力の横薙ぎを放つ。
剣が、騎士の体を鎧ごと上下に両断した。
そのまま黒い刀身はもう一人の騎士へ叩きつけられる。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
ばきごきと骨が砕ける感触を残しつつ、彼の体は壁へ吹き飛んだ。
喧しい音をあげながら、彼は燃える壁を突き崩し、その中へ消える。
怒りは俺に、間を置くことを許さなかった。
この呼吸の中で、まだ剣を振れる。
流れを切ることなく、俺は前方にまっすぐ踏み込んだ。
ずしり、ばきりと響く音。
俺が踏み込んだ場所で、床板が割れたのだ。
床の脆さに構うことなく、剣を上段から振り下ろす。
そこに居た騎士は、同じく上段に構えた剣を動かす間も無く、胸から腹にかけてを大きく斬られた。
血と共に命を吐き出して倒れゆく騎士の後ろから、三人の敵が襲い来る。
部屋に満ちる炎が、彼らを赤く照らす。
瞳のなかに火の色のゆらめきを
炎に高揚しているようだ。
だが俺に言わせれば、この炎はこいつらを彼岸にやる送り火でしか無い。
一本目の剣を半身になって躱し、二本目を下から煤の剣でかち上げ、三本目を払い落とす。
一秒に満たぬ時間のなかでこれらを行い、そして同じく、一秒に満たぬ時間のなかで、返す刀を見舞う。
首に一閃、袈裟懸け一閃、逆袈裟一閃。
どさりどさりと倒れる騎士たちを背に振り返り、ここで呼吸を吐き切った。
「はぁーー…………」
一呼吸の中の攻撃で、七人が倒れ伏した。
残りの騎士は三人。炎を背にじりじりと間合いを測っている。
彼らはタリアン邸で戦った敵と同じ、第三騎士団の者たちだ。
弱いはずが無い。
だが関係ない。何故なら俺は怒っている。
怒りなど、剣を濁らせるものでしか無いはずだが、思いのほか世界がクリアに見えていた。
そういえば稀に、怒りが極まると、激昂とは逆に冷たく目を細める者が居る。
俺もその手合いだったのかと少し意外に感じながら、しかし怒りを萎えさせること無く、剣を叩きつけた。
「あがっ!?」
向かってきていた騎士の頭が、兜ごと真っ二つに割れる。
そして突き込まれる二本の剣をバックステップで躱し、すぐさまこちらも突きを繰り出す。
騎士の鎧を破り、脊椎を折り砕きながら背中へ貫通する黒い剣。
その時、最後のひとりは、この状況でなお勝ち筋を探し、そしてそれを見出した。
俺が騎士へ剣を突き入れた隙に、背後を取っていたのだ。
後ろからの横薙ぎが、俺の首筋を襲う。
風切り音が、刃の接近を俺に伝えた。
俺は騎士の体に剣を刺したまま身を沈める。
直後、頭上を銀の剣が通過した。
味方を尽く斬られたその騎士が発する怒気は強烈だった。
それは殺気となり、周りの炎より余程強く、俺の背中を焦がす。
だが怒っているのは俺も同じなのだ。
その怒りを両腕に込め、俺は剣を騎士の体から引き抜いた。
そして腰を回転させながら、背後の騎士へ向けて煤の剣を振り抜く。
「でぇあっ!!」
空中を舞う火の粉が、黒い刃に道を開ける。
そこへ煤が帯を作り、宙に半円が出来上がった。
半円は、騎士の体を通過している。
胸をざくりと斬られた彼は膝をつき、そしてうつ伏せに倒れた。
「……ふぅぅー…………」
肺のなかの空気をすべて吐き出し、精神を落ち着ける。
そして怒りを俺の中から追い出していった。
約束の少女に目をやると、胸の前で握り拳を作り、未だ瞼を閉じていた。
歩み寄り、声をかける。
「ミア……」
「あ…………」
目を開け、揺れる瞳で俺を見上げるミア。
その瞳に、立ち上がる敵の姿が映る。
振り返ると、最初に腕を飛ばした騎士がそこに居た。
「はぁ……はぁ……き、貴様…………!」
「う、うぁ……」
ミアが怯えている。
俺は男に対峙しつつ、彼女を背中の後ろに隠す。
「大丈夫だミア」
大丈夫か、と問うたりはしない。
ただ請け負う。大丈夫だ、と。
そして男に問いかけた。
「聞きたい。バラステア砦を突いたのは誰の策だ?」
この変則焦土作戦を考えたのは誰なのか、それを確認する必要がある。
王国軍の狙いは、砦を塞ぎ、魔族軍をヘンセンから引き離して孤立させることにあった。
これにより、帰り道と補給路を失った魔族軍は、枯死の危機に陥る。
飢えが極まれば、掠奪も起き得た事態だ。
それすら狙いの内で、つまり敵は、魔族軍を掠奪に至らせようとしていたようにも見える。
俺たちから、戦いの正当性を喪失させようという策略。
狙ってやったのなら、この敵は厄介だ。
この先、きっと立ちはだかることになるだろう。
「大逆犯め……! き、貴様は……いずれ、必ず敗れる…………! 必ず……!」
「お前にそう思わせるのは誰なんだ? ここにある資料を回収するよう命じたのもそいつか?」
騎士たちが居たここは、砦の資料室だ。
ここに人を遣っているということは、収められたノウハウを回収しようとしたのだろう。
いや、もう回収されているかもしれない。俺の戦い方を。
それを指示した者は、事の優先順位が分かっている。
おそらく、この作戦をコントロールする者と同一人物だろう。
そいつこそ、ここに居た騎士たちの首魁だ。
がらがらと、大きな音が轟く。
火が更に回り、男の背後で床が崩れたのだ。
だが男は動じない。
ここが彼にとっての最期の戦場だと理解しているようだ。
「ふ、ふふ……。も、申し訳ありません、リンデルさん……。私はここまでです……」
「リンデル?」
「リンデルさん……どうか、この国を……」
リンデルと聞いて思い出すのは、三年前、エルベルデ河で会った男、エーリク・リンデルだ。
奴なのか?
「……女神ヨナのもと……王国に、正しき光を…………リンデルさん、貴方こそがそれを……」
なんてことだ。
この男は信ずる者のために戦っている。
神を奉じながらも、神ならぬ者のために戦っている。
忠義のもとに。
彼の忠義は、俺の価値観に照らせば、濁った精神性の賜物でしかない。
だが彼や彼の仲間にとってはこの上なく美しく、命を懸けるに足るものなのだ。
これを持つ者たちは、手強い。
「大逆犯よ…………教えてやる。あの方は大局を見ている……。あの方にとっては……私もただの捨て駒なのだ……」
男は口角を上げながらそう言った。
そして残った左腕で床から剣を拾い、ゆっくりと振り上げる。
俺はミアを背中から出さぬまま剣を構えた。
「だが……それで良い。私は、私はそれで!」
そして男は飛びかかってくる。
俺は彼の目を見据えたまま、煤の剣を振り抜いた。
黒い刃が、頸動脈を断ち斬る。
「……かっ…………」
見開いた目のまま、仰向けに倒れゆく男。
骸がどさりと転がり、ばちりと火が爆ぜた。
「………………」
敵は掃討され、この場における戦いは終わった。
俺は目を閉じて深く息を吐いた。
それから剣を鞘に納め、後ろを振り返る。
「ミア……」
「………………」
周りでは、ただ炎がゆらめく。
さっきまでぱちぱちと爆ぜていた音は止んでいる。何かに遠慮するように。
少女の瞳は揺れる炎に照らされ、そこに俺を映していた。
煤にまみれた俺を。
そう言えば初めて会った時、この少女も
アーベルの路地裏で出会ったあの時が、もう随分昔に思える。
色々なことがあり過ぎた。
俺は膝をついて、そっと手を伸ばした。
そして少女の頬に触れる。
何となくだが、こうすることで彼女を安心させられるような気がしたのだ。
「あ…………」
彼女の唇から小さく声が漏れる。
そうだ、思い出した。
初めて会った日もこうしたのだ。
ワンパターンだな、俺は。
「ご主人さま……」
「ロルフ」
「え……?」
やっとだ。
やっと伝えることができる。
「ロルフだよ。俺は、ロルフだ」
「…………ロルフさま……」
するりと掌を頬から離し、ミアは俺に近づいた。
そして小さな手を俺の体に回し、精一杯の力で抱きつく。
「ロルフ…さま………ロルフさま……!!」
「ミア……」
掌を彼女の背中にあて、その名を呼ぶ。
俺に戦う理由をくれた少女の名を。
そして彼女も、俺の名を呼んでくれる。
「うっ……うぅっ……ロルフさま……」
「怖い思いをさせて済まない。もう大丈夫だ。俺はここに居る」
「ロルフさま……! ロルフさまぁーーー!!」
涙に濡れる声が、炎のなかに、そして俺の胸に響き渡った。
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