114_煤を纏いて

「リーゼさん。防衛隊はまだ士気を保っています。これなら上手く挟撃できそうです」


 副官のモニカがそう言う。

 年上で私より背が高く、目尻の下がった優し気な面立ちの女性だ。

 包容力を感じさせる穏やかな物腰ながら、戦場では凄く頼りがいがある。

 部隊運用に優れていて、私の意図を完璧に汲んで麾下きかを動かしてくれるのだ。


「分かったわ! ただ無理に討ち減らそうとはしないで! 本隊到着まで待てば勝てるから!」


 私たちは、砦を掌握される前に突入することができた。

 その時点で、最大の危機は潰せている。

 この砦を完全に掌握され、籠城戦に持ち込まれていたら、たぶん詰みだった。


 ツキもあった。

 砦から出火があり、敵の隊列が乱れていたおかげで、私たちは容易に門を突破し、防壁内部に入ることができたのだ。


 今いるここは、広い砦の広い前庭ぜんていとは言え、空間に限りのある防壁内部だ。

 おかげで数の不利を大幅に緩和できる。

 それに、戦況を支える好材料がもうひとつ。


「オラァ!!」


 ガラの悪い掛け声と共に、敵を斬り伏せるシグ。

 好き放題に暴れているようでもあるけど、注意深く見れば、敵の嫌がるポイントを痛打していることが分かる。

 まるで獣が獲物の喉笛を狙うみたいに、陣形の急所を的確に突いていくのだ。


 ただ、考えてそれをやっているようでもない。

 戦況を大掴みして、感覚を頼りに行動を決めているようだ。

 天賦の才とは、ああいうのを言うんだろう。


 彼の居たザハルト大隊が、如何にとんでもなかったかが分かる。

 あのウルリクという男も凄く強かったし、更にエストバリ姉弟も居たのだ。

 ロルフが居なかったらどうなっていたことか。


「斬られてぇ奴から前に出ろや!」


「ぐっ……!」


 シグがぐいぐい前に出る。

 どうやら彼の武器は剣だけじゃない。

 全身から発する物凄いプレッシャーが、戦況に大きく影響している。

 シグを前にすると、格下の敵たちは一瞬、二の足を踏む。行動の選択を迷うのだ。


「せいっ!」


「ぐぁっ!?」


 おかげで、私や部下たちが斬り込む隙ができている。

 これは有り難かった。

 狙った相手を潰し易い。


『火球』ファイアボール!」


 その狙うべき相手のひとり、敵の魔導士が詠唱する。

 すると彼の頭上へ火の玉が生成された。

 でもその火球が完成を見る前に、私は隊列の隙間を縫って魔導士に斬りかかる。


「がはぁっ!?」


 魔導士の絶命と共に、火球も消え去った。

 現状、敵の隊列は乱れ、彼らは前衛が魔導士に時間を作るという基本戦術を採れなくなっている。


「リーゼ隊! 左翼側へ! 残りの魔導士を叩いてください!」


 斬り込んでいる私に代わり、モニカが指示を飛ばす。

 私がこうしたい、と思ったとおりの指示だった。

 それに従い、スピードのある部下たちが、すぐさま他の魔導士を捕捉し、前に出た。


「立て直せ! 魔族の女などにやられるな!」


「だ、だがあの男が……!」


「人間ではないか! あの大逆犯同様、魔族に与するというのか!」


「よそ見してんじゃねぇ!」


 崩れる敵を、シグが更に叩く。

 前衛に穴が開き、そこへ飛び込んだリーゼ隊が魔導士たちを討ち取っていった。


「ぎゃあぁ!!」


 私は魔法の処理が苦手で、ヘンセンでもだいぶ苦戦した。

 それは部下たちにとっても同様で、やはり魔法は面倒なのだ。魔導士は優先して潰したい。

 そしてその思惑は、上手くいっていた。


 魔導士のなかには、詠唱のタイムラグもクールタイムも無しで魔法を放ってくるような恐ろしい連中が居るけど、幸いここにそのクラスは居ない。

 そこまでいくと総隊長級だからね。


 そういえば、アーベルの収容所でロルフが撃退したという彼の妹は、魔導部隊の総隊長らしい。

 一撃でも食らったらヤバい彼がどうやって勝ったのか……と思ったけど、そうか。彼は魔法を斬ることができるんだった。


 とは言え、飛来する魔法の尽くを剣で捉えるというのも非現実的に思えるけど……まあ、彼はそれをやれてしまうのだろう。

 彼の剣の腕は、煤の剣を持つに相応しいものなのだから。


 あの剣。私も触ってみたことがあるけど、やっぱり手が焼けて持てなかった。

 今なら分かる。選ばれなかったんだ。

 思うに、きっと何かがロルフを選んだんだろう。

 いや……少し違うかな。その何かは、ずっとロルフを待ってたのかも。


 私はロルフを竜の子じゃないかと少し疑ったけど、彼は否定した。

 それどころか、彼は自分が特別な存在であることを否定したがる傾向にある。

 誰もが自分を特別と信じたいのに、彼はそれを嫌がるのだ。

 ひとりの、只の男が、この世界で役割を全うできるって、それを証明したがってるように見える。


 ならば私にも役割はあるはず。

 そう思って、双剣を握る手に力を込めた。


「ボケっとしてんじゃねぇぞメスガキがぁ!」


 私の意識を戦場に引き戻したのは、襲い来る敵の怒声、じゃない。

 シグだ。

 ほんと何なのアイツ。

 何よメスガキって。初めて聞く単語なんだけど。


「分かってるわよ!」


 でも私もモニカと同様、大人の女性なので、この場で食ってかかりはしない。

 敵を倒しつつ、いったんそのモニカのもとへ戻り、確認する。


「中衛、前に出せそう?」


「はい。余力はあります。前衛と替えますか?」


「ううん。中衛を前衛の右側へ展開させて。こちらが薄くなっても良いから、敵の陣形を広げさせるの」


「分かりました。中衛、右前方へ! 出すぎないで! 後衛は中央から左翼よりを支えてください!」


 こちらの動きに引っ張られ、敵の隊列が左右に伸びる。

 必然、薄い箇所が幾つか出来上がり、そこへすかさず野獣が飛び込んだ。


「うぅるぁぁーー!!」


 暴風雨の如く敵に惨禍を振りまくシグ。

 がしゅがしゅと肉が断たれる音を巻き上げながら、敵を削っていく。


「素敵な殿方ですね」


 頬に手をあて、意味不明なことを言い出すモニカ。

 いま自分の上官がメスガキ呼ばわりされたのを聞いてなかったのだろうか。

 彼女の嗜好に口出しはしないけど、私としては、もっと落ち着きがあって思慮深い男性が良いと思う。

 強ければなお良い。


「はーーーっはっは!! どうした、その程度かァ!?」


 まあ、ワイルドなのはモテるらしいし、ああいうのが良いって人も居るか。


 ◆


 わたしは、二階の奥にあった部屋へ連れて来られていた。

 火のいきおいが強い場所から離れ、外へ向かうのかと思ったら、同じく火に包まれつつある場所に来ていた。

 そうまでして来なければならない理由があったみたいだ。

 資料室のような場所。

 王国騎士の人たちは、ここが焼ける前にだいじな資料を持ちだそうとしてるらしい。


「ハンネスさん、ここの資料を回収すれば良いのか?」


「ああ。ここにある戦闘ノウハウは焼ける前に回収しろと、リンデルさんからの命令だ」


「必要なのか? あの加護なしの大逆犯が蓄積したノウハウだろう?」


「だからこそ……とのことだ。重要なものは、先に持っていってくれ。あとの者は残って回収作業を続行だ」


「分かった。このあたりも火の回りが早い。急げよ」


 そう言って、何冊かの資料を抱えた騎士が走って行った。

 入れ違いに、別の騎士が駆け込んでくる。


「ハンネスさん! 敵の増援が来た! 半壊してた砦の防衛隊も息を吹き返しやがった!」


「人質を使う。民間人の喉元に刃をあてて下がらせるんだ。見ろ、捕らえてある。ひとりとは言え効くはずだ。奴らはガキが殺されるのを特に嫌がるからな」


 ハンネスと呼ばれた人が、わたしの手を強引に引っ張る。

 わたしを人質にする気みたいだ。


 引かれる手に痛みを感じながら、わたしは引き離されてしまったおねえちゃんを心配する。

 おねえちゃんも、わたしを心配してるに違いない。


 あの日。集落が襲われたあのとき。

 おねえちゃんは養護院に行ってて、家族と一緒に居られなかった。


 おねえちゃんは、それをすごく後悔してる。

 今度こそ、わたしを守るって決めてる。


 それなのに、わたしはおねえちゃんから離れてしまった。

 心配かけたくないって思ったのに。そう決めたのに。


 でも行動しないと、わたしも、いっしょに居たみんなも危なかった。

 王国騎士の人たちをみんなから引き離さなきゃならなかった。

 そう思うと、からだが勝手に動いたんだ。


 その結果、おねえちゃんを悲しませることになってしまった。

 せめて、無事に逃げてくれたかな。

 ぜったいに逃げてほしい。

 おねえちゃんはわたしが大事だけど、わたしもおねえちゃんが大事だから。


「それと援軍のなかに、奴が、ロルフが居るようだ」


「はん。そうか、来たのか。 面白い」


 ロルフ。その名前は知ってる。新任の将軍さまだ。

 慰霊碑を建ててくれた優しい人で、そしてすごく強いって聞いてる。

 もしかしたら、助けてくれるだろうか。

 そんなわたしの淡い願いをかき消すように、声がかけられた。


「おい、娘」


 声の主は、ハンネスという人だった。

 すごく冷たい目がわたしを見下ろしてる。


「火を放ったのはお前だな?」


「………………」


 目と同じく、声もすごく冷たい。

 その冷たさに、わたしは何も答えられなかった。


 でも、この人は質問してるわけじゃない。

 ただ事実を確認してるだけ。

 それには、わたしの表情を見れば十分なようだった。


「ふん……。なぜやった?」


「………………」


「……娘」


「…………王国のひとたちが……慌てれば、逃げられるかもしれないと思って……」


「それだけか?」


「………………」


「………………」


 彼は、剣をわたしの喉元に突きつけた。

 恐怖が、こわい記憶が、一気におそいかかってくる。


「う……うぁ……」


「答えろ」


「…………砦の、砦のみんなが、魔族軍がタリアン領までせめこんでるって……。だから、王国軍は砦を占領して……魔族軍をとじこめようとしてるんだと思って……」


「お前は気づいたわけだ。我々がこの砦を確保し、魔族軍を孤立させようとしていることに」


「………………」


 こわい。

 唇がふるえる。膝がふるえる。


「そうか……」


 彼は剣をひいて、うしろを向いた。

 それから少し押し黙ったかと思うと、近くの壁を蹴りつけた。

 ばきりと音がして、木の壁にひびが入る。


「こんな小娘が! 我々の策を! あの方の策を解するとはな! ユーホルトをすら欺いたあの方の策を!」


「お、おいハンネスさん! 誰かに聞かれたら……!」


「我々以外に聞いているのはこの娘だけだ!!」


 まわりの騎士たちが慌てるのにもかまわず、怒鳴り散らしている。

 彼にも信頼する人が居るみたいだ。

 その人の計画を、わたしが傷つけたと思ってる。


 そしてこの人は今、聞かせてはいけないことを言ってるらしい。

 それをわたしには聞かせてもいい、ということは、つまりわたしを生かしてはおかない、ということ。

 恐怖が、どんどん膨れあがっていく。


 彼は振り返ると、わたしに近寄り、そして髪の毛をつかみあげた。

 ものすごい怒りを表情にうかべて、わたしをにらみつける。


「残念だったな。これだけ大きな砦だ。火は回っているが、全焼とはいかぬ。拠点として機能するだけの箇所が残り、防壁があれば、計画に差し障りは無い」


「で、でも……」


「なんだ?」


「……でも、増援がきたって……さっき、言ってました」


 そう言ってしまった。

 ただ殺されるよりは、なにかを信じたくて。

 みんなを助けようと戦ってくれてる、将軍ロルフさまが来てくれるかもしれない。


 いや、もしかしたら、もしかしたら、どこからかあの人が来てくれるかもしれない。

 そんなあり得ない、ばかみたいな夢想。

 でも、そんなものでも、縋りたかった。


「貴様……」


 髪の毛をつかむ手にぎりぎりと力をこめ、それから彼は私を投げ出した。

 わたしは声をあげ、床に尻もちをつく。


「あぐっ……」


「やはり魔族をただ生かしておくのは背信か。人質に使うとしても、目を潰すなり、耳を削ぐなりしておくべきだろうな」


 そう言って、彼は私に剣を向けてくる。

 床に座りこんだまま、わたしは後ずさった。


「う……うぅ……」


 こわい。

 心臓がどくどく言ってる。

 まわりの火がこんなに熱いのに、全身の血がひどく冷たい。


「どうした? 叫んでみろ。許しを乞うてみろ」


 壁まで後ずさり、わたしは追い詰められてしまう。

 目の一センチぐらい手前に、剣先が突き付けられた。


 その目から、涙がぼろぼろと零れる。

 あの日もこうやって、剣に涙した。


「う……うぐ…………」


 どうしてそれを選んだのか分からない。

 わたしは、許しを乞わなかった。

 恐怖に全身を支配されながら、でも叫び声をあげず、目を閉じもしなかった。


「……そうか。では、やはり死ぬか」


 剣先が目から離れ、少し下へ向く。

 わたしの心臓へ。


 まわりの騎士たちの表情は、わたしを蔑むものだった。

 そしてハンネスという人の顔には、ただ怒りがあるだけ。


 火はますますいきおいを強めている。

 その火が、怒りに満ちた彼の顔を、赤くゆらゆらと照らしていた。

 同じく剣も、赤いゆらめきを反射していた。


 ばちばちと火が爆ぜ、火の粉があがる。

 赤い剣先が、わたしの左胸にあてられた。


 この人が本気だって、わたしにも分かる。

 人質を失うことになっても、わたしを殺すことが優先になってしまったんだ。

 彼と、彼の大事なものに関する、ゆずれない誇りを、魔族が傷つけた。

 彼はそれが絶対にゆるせない。


 それでもわたしは、命乞いをしなかった。

 たぶん、したところで殺される。

 でも、それだけでなく、どうしてか、彼に許しをねがう理由が見つからなかった。


「ではな。死ね」


 ゆっくりと、剣が突き込まれようとしている。


 おねえちゃん、大丈夫かな。逃げてくれたかな。

 ほかのみんなも、無事でいてほしいな。


 …………。


 …………。







 ────会いたかった、な…………。

















 激しい衝撃。




 わたしを襲ったのは、痛みではなく轟音だった。


 数メートル横に木の破片が降りそそぐ。

 天井が崩れたみたいだ。

 焼けて崩落したのだろうか……。


 部屋中に、たくさんの煤がふき上がっていた。

 煤は、崩れ落ちてきた場所を中心にして、渦を巻くように舞い散る。


 炎が真っ赤に染め上げた部屋のなかで、まるでその赤を圧倒するみたいに、黒い煤が舞い上がる。

 その黒はどこまでも真っ黒だった。

 闇だって塗りつぶすように見えるその黒は、とても力に溢れていて、でもどういうわけか、とても優しい。


 火の粉を平伏させるみたいに宙を舞う煤。

 風格のあるその舞いは、わたしや騎士たちから言葉を奪った。


 そして煤は、中心からきれいな放物線を描いて、薄く消えていく。

 まるで、その中心の何かを見せびらかすように。


 そこにあったのは、大きな背中だった。

 どくんと、心臓が跳ね上がる。


 はげしい鼓動は、向けられた剣のことをわたしに忘れさせた。

 代わりに場違いな疑問が頭に浮かぶ。


 すごく深い黒をなんて言うんだっけ。

 …………そう、漆黒だ。


 煤が消えて、炎の赤が支配を取りもどした部屋。

 でもその真ん中に、何者にも侵されない漆黒があった。


 それは何度も見た背中。

 夢で追いかけた背中。

 見間違えようのない、大きな背中。




「あ……あ…………」





 それは、大きな。







 わたしの、大きな────────!

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