112_引き裂く炎

 ミアの発案で、私たちは砦に火を放った。

 そして砦の奥へ走る。

 広い砦だ。火の手から離れれば、さしあたり煙に巻かれることは無い。


 他の民間人たちも一緒に逃げている。

 私たちが同行させてもらっていた、隊商の人たちも居る。


 このあたりの廊下には、木材やら油樽やらが雑多に置かれている。

 こちらに火が回れば、火勢は一気に強まるだろう。

 その前に、どうにかして脱出方法を見つけたい。


 途中、窓から外を確認した。

 さっきまで整然と砦を包囲し、門を固めていた王国軍だが、今はその動きに乱れが出ている。

 多くの王国騎士が、何かを叫びながら走り回っていた。


 明らかに出火が影響している。

 このまま包囲に穴が開いてくれれば、チャンスがあるかもしれない。


 そんなことを私が思った時。

 その淡い期待を嘲笑うように、怒号と剣戟音が一層強くなった。


「これは……近いですな」


「敵は二階まで攻め入ってきたようです!」


 一緒に逃げている人たちが、苦虫を噛み潰したような顔で言う。

 王国軍は、私たちが居る三階のすぐ下まで来ているようだ。


「みんな! こっちです!」


 声をあげたのは、隊商の人だった。

 彼は窓のひとつから、下を指さしている。


「防壁に……扉が?」


 彼が指さす先、南側の防壁に、両開きの扉がついている。

 門とはかなり離れた場所だが、通用口のようなものだろうか。


「あれは搬入口です」


 彼はそう告げた。

 この砦が死地だったころ、補修用の資材が頻繁にアーベルから搬入されていた。

 そしてその高頻度の搬入に対応するため、門とは別に搬入口が必要だったらしい。


「占領後は利用されていませんでしたが、存在はアーベルの商人から聞いていました」


 人間から教わっていたらしい。

 何にせよ、あの扉から防壁の外へ出られるということだ。それを聞き、皆の顔に希望の色が浮かぶ。

 でもミアは浮かない顔をしていた。私も同じ思いだ。


「あの……。つまりあの搬入口は、砦が王国領だった頃からあるんですよね?」


 王国軍は、あの搬入口のことを把握している。

 つまり、あの扉を出た先には王国騎士たちが待ち構えているということだ。

 だから隊商の人たちも、あの扉から逃げず上階へ逃れてきたのだろう。


「エーファさん、仰ることは分かります。ですが貴方たちのアイディアで火を放った結果、敵の包囲も乱れています。今なら賭ける価値はあるはず」


 とても分の悪い賭けですが、とは彼も言わなかった。

 分かり切っているからだ。

 でも、逃げ場がまったく無い状況から、ほんの僅かでもチャンスを見出せたのは確かだった。


「よし、俺が先に行く。安全が確認できたら続いてくれ」


 そう言って、隊商のリーダーが歩み出た。

 そして窓から出て、雨どいを伝って下りていく。


 地面に辿り着くと、慎重に周囲を見まわしてから、防壁の扉へ近づいた。

 その姿を、皆が窓から固唾を呑んで見守っている。


 リーダーは扉に手をかけ、慎重に開く。

 そして両開きの扉にできた隙間から、外を覗き込む。

 私たちの生死が決まるかもしれない瞬間。

 皆の緊張が限界まで高まる空気を感じた。


 ややあって、リーダーは振り向く。

 そして、冷や汗にまみれた顔に硬い笑みを浮かべ、親指を立ててみせる。

 あの搬入口の向こうに、王国軍は居ないのだ。


 皆が安堵の息を大きく漏らした。

 私たちは、九死に一生を得たらしい。

 私もひとつ息をいて、傍らのミアに目を向けた。


「ミア……?」


 ミアの表情はこわばっていた。

 彼女の視線を追って、私も廊下に目を向ける。

 そこに居た。

 王国騎士が数人。ついにこの階まで上がってきたのだ。


「貴様ら!! 逃がさんぞ!!」


 彼らは、相手が民間人であっても決して見逃さない。

 魔族はすべて"誅殺"か、さもなくば捕らえて奴隷にするのみ。

 あの王国騎士たちはまさに、私がよく知る種類の人間なのだ。

 この砦で魔族に歩み寄りつつあった人間たちとは違う。

 ましてやミアを救ってくれたあの男とは比べるべくも無い。


「うわぁぁーーー!!」


「見つかったぞ! 急げ!」


「嬢ちゃん! あんたは俺が背負って───」


 皆が半ば恐慌に陥るなか、ミアが信じられない行動をとった。

 私の手を放し、王国騎士の方へ駆け出したのだ。


「ミア!?」


 ミアの小さな手。

 陶器瓶を片手で持つのも難儀する小さな手が、廊下の端にあった油樽を掴んだ。

 その意図が分からず、咄嗟に行動を選択できない私をよそに、ミアは必死の形相で樽を引っ張る。


「くっ……!」


 危機的状況で、十分以上の力が出るというそれだろう。

 ミアは、重い油樽をどうにか傾け、そして倒したのだ。

 樽の蓋が外れ、油が廊下へぶちまけられる。


 同時に、やっと私はミアへ向けて走り出した

 そして彼女は、壁の燭台を外し、床へ投げつける。

 たちまち炎は広がり、廊下を火の海にした。


 その光景に瞠目しながら、胸のなかで妹に問う。

 どうして、そんな行動に踏み出せるの?

 いつの間に、そんなに強くなったの?


 ミアはさっきまで震えていた。

 いや、今も震えている。怯えている。心底から怖いと思っている。

 表情を、瞳の揺れを見れば一目瞭然だ。


 それでも。

 生きるための行動を自ら選び取っている。

 恐怖に心臓を掴まれながらも、耐えて、そして動いている。


 もともと聡明で前向きな子だった。

 でも、この強さはどうだ。


 常軌を逸する絶望を知り、そして生きて帰ることで強くなったのだろうか。

 それとも……強さを教わったのだろうか? あの男に。


 いずれにせよ、この子は生きなければならない。

 分かる。私の妹は、価値ある子だ。


 それを思い、走りながら手を伸ばす。

 ミアも炎を逃れ、こちらへ走ってきた。

 他の皆は、飛び降りるように窓から外へ出ていく。


「嬢ちゃんたち! 急げ!」


 隊商の人が大声で呼びかける。

 それを背に、私の手がミアにふれる直前。

 炎をかき分けて現れた王国騎士がミアの髪を掴んだ。


「あっ!」


「ミアぁっ!!」


「逃がさんぞ貴様!!」


 赤く炎に照らされた男の顔は、更に憤怒の赤に染め上げられている。

 他に数人の王国騎士が後ろへ続いた。


「躊躇も無く火を放つとはな! 娘! 元々の出火も貴様の仕業か!」


「ハンネスさん! 火勢が強すぎる! 向こうへ!」


 ハンネスと呼ばれた男は、ミアを捕らえる手を怒りに震わせている。

 その時、他の油樽に火が移り、廊下は更に燃え上がった。


 炎は轟音と共に噴きあがり、煙が立ち込める。

 私とミアを、炎の壁が隔てた。

 壁がばきりと音をたて、崩れていく。

 そしてミアと王国騎士たちは、炎と煙の向こうへ消えてしまう。


「こっちだ! 来い!」


「ミアあぁぁーーー!!」


「駄目だ! 死ぬぞ!!」


 私は半狂乱で炎の中に飛び込もうとする。

 そんな私を、隊商の人が後ろから羽交い絞めにして止めた。


 あの日。

 私たちの集落が襲われた日。

 私は養護院に行っていて、家族と一緒に居てあげられなかった。


 だから今度こそ。今度こそ手を放さないと決めたのに。

 私にたったひとつ残された宝物だけは、絶対に守るって決めたのに。


 それなのに、皆で生き延びるため、あの子は必死に行動して。

 私はそれを見ているだけで。


 どうして私はこんなに弱いの!?

 どれだけ奪われれば目が覚めるの!?


「うあああぁぁぁぁーーー!!」


 助けて! 誰かあの子を助けて!

 大事な子なんです!

 優しくて、いつだって自分以外を思いやれる子なんです!


 それなのに、それなのに悲しい目に遭って!

 それなのに傷ついて!


「ああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!」


 慟哭は、ただ炎の中に響いた。



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