(四)

 放課後までの短くない時間、春香はひたすらはやく帰って寝てしまいたいような気持ですごした。

 春香は気づいていた。

 もちろん、先生は春香が書いたことなんて知らなかったのにちがいない。それで恥ずかしく思いたくなかったんだ。子どもが知っていて大人が知らないことなんてたくさんある。東条が言いふらしてるような噂がいい例だ。先生はそんなことを知らなくたって恥ずかしいとは思わない。知らなくていいと思ってしまえるからだ。でもきっと私の話は知らなくていい話と思えなかったんだ。


 もし私が家族や友だちのことを書いていたら、先生は私よりもよくものを知ってる大人らしく、なにか言って私に教えることができたんだろう。

 それが宇宙の話になってしまうと先生はなにも教えることができない。そんなに頭がよくないからだ。先生はそれが恥ずかしかったんだ。みんなの手前それを隠したくて、私のほうがおかしなことをしている子みたいに扱ったんだ。

 卑怯だ!

 なんでそんなことができるのか?

 先生のほうがずっと年上だから。それだけじゃないか?

  いや、それだけじゃなくて、クラスのほかの子どもたちがバカだからだ。そのせいで先生がずるいことを見抜けないんだ。


 先生にうながされて大人しくうなずいたことがいまさらのように悔しくて恥ずかしかった。眉間がつめたくなった。みじめな気持ちを怒りに変えることでなんとか泣かずにすんでいる自分気づき、気づかなきゃよかったと後悔した。

 とにかく、こんなことで泣くなんてバカげていた。けれども、「だれもやらないようなことをして、しかも失敗するのがいちばんダメだ」という父の言葉を思い出すと、かなしくなった。自分の顔をだれにも見られたくなくてうつむいた。


 やっと帰りのホームルームが終わった。はやく1人になりたい一心で机まわりの片づけをしている春香だったが、クラスメイトに話しかけられた。


 肩のあたりで髪を切りそろえられた女の子で、はっきりと春香の名字を呼んでいた。

 彼女は小5の秋に転校してきた子で、春香はあまり話したことはない。

 ひとみが大きくて、まっすぐ人を見る。すこし険があるくらいだ。よく見るときれいな顔なのに、そのせいかうっすら壁を感じさせた。といっても、彼女が転校してきてまだ1年も経っていないことを思えば、壁があるのも当然なのかもしれなかった。窓からさす光に、彼女の月の形をした髪飾りがひかった。


 「乙部さんの作文、すごくおもしろかった」

 と、彼女は言った。


 春香は不意をうたれた。なんて言葉を返せばいいのかわからなかった。


 「友だちや家族の話なんかよりおもしろかった。先生ったらみっともないのね。生徒と張りあってバカみたい」


 「あ、ありがとう」

 と、春香がやっとだした声は、自分でも驚くほど波打っていたから、あわてて平静をよそおった。

 「彼方さんは宇宙とか好きなの?」


 「ううん、そういうわけでもないんだけど」

 彼方茜は言った。

 「でも、作文はおもしろかった。宇宙人ってほんとにいるのね?」


 「たぶん……、科学者の計算でも、この銀河系に知的生命体がいる星が地球以外にないなんて、考えられないんだって」


 「乙部さんはそれを信じてるの?」


 春香は答えるのをすこしためらった。が、言った。

「うん、宇宙はすごく広いのに、地球以外の星に生き物がいないなんて、ないと思う。それに、生き物がいれば……、いつかは頭がよくなるように進化する気がするし」


 「ふうん」

 彼方は言った。

 「でも私は地球にUFOが来てるなんて信じられないな。いくらアメリカ軍でも隠しきれないと思うわ」


 「UFOと宇宙人は、違うよ。彼方さん」


 「そうなの?」


 「そうだよ。私が言ってるのは、宇宙人はいるかいないかで言えばたぶんいるだろうって話」


 彼方はいかにもわかってなさそうに「ふうん」と言ったので、春香はつづけた。

 「UFOはそうじゃないよ。UFOはね、そのいるに決まってる宇宙人が、私たちよりもずっと頭がよくて、地球まで来てるだろうって話。

 「私はそこまでは思わないの。私が思うのは、遠すぎて私たちに会いに来れないかもしれないし、私たちよりも頭が悪いかもしれないけど、この宇宙のどこかに宇宙人はきっといるだろうってことなんだ。もしかしたら、みんな生きてる間に会えないかもしれないけど、いるかいないかで言ったら、いるんだよ」


 彼方が「ずいぶんスケールの大きなすれ違いね」とか「まるで奇跡みたいね」とか、春香が言ってほしいあいづちを打って素直に聞いてくれるから、春香も自分が言いたいことを言うのに熱中してしまった。

 だから、東条に呼ばれたとき、彼女の存在にもその声にも気づくのが遅れた。


 「ねえ、ちょっとってば!」

 気をひきたくて東条は繰りかえした。

 「乙部さんたち、なにを話してるの? おもしろい話?」


 「宇宙人の話」彼方は即答した。


 「へえ」

 東条はちらりと春香のほうを見た。その目にはありありと不信が浮かんでいる。春香は恥ずかしくなった。東条が先生の言ったことに乗せられているのはあきらかだった。


 「乙部さんの話すごくおもしろいの」

 彼方は言った。


 「どんな話?」

 東条が訊いた。話の行きがかり上訊いてみるけどなんの興味もありませんよと言いたげな声だ。


 「UFOが来てるのと宇宙人がいるのは違うんだって」


 「ごめんねえ」東条はどちらかというと得意げに言った。「私そういう難しい話ってぜんぜんわからないんだ」


 「そんなに難しい話なんかしてないわ。ね?」

 彼方は春香を見たが、春香は顔を背けてしまった。


 「そんなことより、2人とも知ってる?」

 東条は言った。

 「ねえねえ、私聞いたんだけどさ……」


 それは祈りの木の話だった。東条は、今朝春香に話したことをもう忘れているようで、祈り木が公園のどこにあるか念を押すところから話はじめた。うっかり忘れてしまうのにもほどがある。あるいは彼方さんはこの話を聞くのははじめてで、彼東条は女向けにくどくど話しているんだろうか?


 彼方は腕を組んで聞いていたが、話がひと段落すると、東条に訊いた。

 「だれかそれで願いがかなった人がいるの?」


 「ううん、知らないよ。そういう話を聞いただけ」

 東条は答えた。


 「だれからそんな話を聞いたの?」


 「私のこと、疑ってるの?」

 東条は彼方の質問に答えず訊きかえしたが、彼方はさらに訊きかえした。


 「だれから話を聞いたのかって覚えてないの?」


 「わかった!」

 東条は言った。

 「彼方さんはお呪いとか信じてないんでしょ。だから、こういう噂話を信じられないって言いたいんでしょ。でも私思うの。こういう話って信じるとか信じられないとかじゃなくて、楽しめるか楽しめないだよ」


 「どんな誤解をしたかしらないけどね、お呪いなら、私、信じてるわよ」

 彼方はおどけるように口角をあげたが、目は笑っていない。

 「ただ私が知ってる話とちがうなと思ったの。私の知ってる話だと、あの木は願いごとを叶えてくれる祈りの木なんかじゃない、ってだけ」


 「なにそれ?」東条は言った。


 「知りたい?」


 東条は返事をしなかった。


 「あの木はね、首吊りの木なの」

 彼方はつづけた。

 「6年前にね、守平等公園のあの木で、女の子が首を吊って自殺したの。彼女は私たちと同学年だった。だから、勢いあまって死んでみたけれども、死んでみたらまだこの世にやり残したことがたくさんあったってわけ。死にきれなかったのね。以来、彼女は首吊りの木に地縛した霊になってる。いまの彼女にあるのは、ぼんやりした生前の記憶と、生き返りたいって思いだけ。それで近くの公園や学校をうろついては憑ける身体を探してる」

 彼方は東条の頭から足まで視線でなぞるように見おろした。

 「あの木にぎゅっと抱きついたりなんかしたら、憑かれるんじゃないかしら。中指のつけ根が合うっていうのは、その子とちょうど同じくらいの背丈って意味だからね。憑くのにちょうどいい身体って意味」


 彼方の視線を挑発と受けとった東条は高い声で言った。

 「憑かれたらどうだって言うの?」


 「さあねえ、人によるわ。強い人もいれば、弱い人もいるから」


 「彼方さんこそ、そんな話をどこで聞いてきたの?」


 「気になる?」


 「そんなこと、ないけど」


 「私ね、じつは見えるの。だから、この話も霊本人から聞いたようなものよ。あの子、今日もクラスやってきてて、東条さんのことをじっと見ていたわ」


 彼方は東条から目をそらすと、彼女の背後へ、黒板のほうへと視線をなげた。東条もつられて後ろをふりむいたけれども、そこには誰もいなかった。

 「バカみたい」

 東条はふるえる声で言った。

 「オバケなんているわけないじゃん。私そんなの信じない。彼方さんって子どもっぽいね」


 「こういう話はね」

 彼方はあざけるように言った。

 「信じるとか信じないかじゃなくて楽しめるか楽しめないかだと思うわ」


 「ぜんぜんおもしろくないよ」


 「そうかもね。でもね、同じ噂話を何度も聞かされるのも、私もぜんぜんおもしろくないの。だれに話をしたかってことくらい覚えていてくれる?」


 東条は彼方をにらみつけた。

 その視線を言葉に変えたらひどい悪口になっただろう。けれども、なにも口にはしなかった。そのまま彼女は教室から出て行った。

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