(三)

 その日の授業中、吉井が何度も中指と中指をくっつけているのを、教室の後ろのほうにすわっている春香は見ていた。彼女が東条のばかげた噂話を気にしているのはあきらかだった。

 他にも同じような仕草をしている子はいた。

 もし彼女たちに東条の話を真に受けているのかと訊いたなら、信じていないと答えただろう。それほど子どもじゃないのだ。でもそれならもっとうまく隠してほしい気がした、ひょっとしたら、彼女たちは放課後に例の木の前ではちあわせするかもしれない。そのとき彼女たちがそれぞれ適当な理由を探してはすまし顔をとりつくろう様子を春香は想像してみた。


 春香は「祈りの木」のところなんかに行かない自信があった。

 あの子たちと自分とでなにが違うんだろう? 私は祈りの木なんかよりもっとおもしろい話を知ってる。たぶん、そこがちがう。

 春香はそう思った。

 ただ、クラスがこんなに幼稚な子ばかりなら、私の話をきいても理解してもらえないかもしれない。そのへんはすこし不安だ。けれども、そんな子たちばかりではないだろうし、すくなくとも先生はホメてくれるだろう。先生のような大人がホメてくれるなら、なんだかんだでみんなもそれにのせられて感心してくれるんじゃないだろうか?


 午後の授業で春香は作文を読んだ。

 自分の番になるまでは緊張したが、いざ読みはじめてしまえば、言いよどんだりつっかえたりせずに声を出すことができた。たまたま父の読んでいる科学雑誌を手に取ったこと、地球外知的生命体がいるとされる星は地球のほかに10個あるらしいこと、それらすべてが計算という方法で導けるということ。


 記事によると、計算で使われる数字のいくつかは根拠が薄弱であるらしかった。

 たとえば、文明が存続する年数である1万年はじっさいに批判を受けて、文明はもっとはやく終わるという向きからは、地球外知的生命体が存在可能な星はせいぜいのところあと3つであると言われているようだ。どちらにしてもそういう星があるかないかでいえば、ある見込みが強い。もちろん、議論の細かい話は自分にはわからない。

 でも、そのことが計算でわかるというのは心強かった。私も勉強していつか自分でもそれがわかるようになりたい。


 春香は、原稿の文字を間違えないように声を出すことばかりに集中していたから、読み終わるまでクラスメイトたちの様子を見ることはなかった。あらためて見ると、吉井も東条も、おもしろがっているようにもつまらながっているようにも見えない、なんの手ごたえもない顔をしていて、とまどった。

 歌島先生も似たような冴えない無表情をしていたが、春香の視線に気づくと先生はすばやく落ちついた表情を作った。


 歌島先生は、聖徳太子さながら複数の子どもと同時に話せることと流行に明るいことで生徒たちに人気で、英語の新聞記事が読めるということで保護者受けもいい中年の女性教師である。実年齢よりも10歳若いという評判の顔に、理解と納得と大人の余裕を浮かべて、先生は言った。

 「ありがとう、乙部さん。乙部さんはとっても頭がいいんだね」

 彼女はしいて抑揚を押えたような声で言った。

 「でも、先生はもっと乙部さんじしんの話をききたかったな。作文ってやっぱり乙部さんがなにを考えてるか書くものだしね。それだと雑誌の記事の紹介になっちゃってるかな。でしょ?」


 自分の考えを書いたつもりでいた春香は不意をつかれた。なにか書き間違いをしただろうか?


 「うん、もっと自分を出すこと」

 自分で自分の言うことを味わうみたいに先生は繰りかえした。

 「乙部さんがよく知ってる人、たとえば家族とか友だちとかについて書いたほうがよかったと思う」


 なんと反応したらいいのかわからなかったが、「ね?」と先生にうながされて、春香はうなずいた。


 「あと、みんな優しいから黙ってきいてくれてるけど、こういう話に興味ある人ばっかりじゃないからね。みんながわからない話をわざとしてて、自慢っぽいなって思われちゃうよ。そういうのも気をつけようね?」


 「はい」

 と、春香はこたえた。

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