(二)
けれども、小学6年生のある日、父の読んでいる雑誌をなんとなく手にとってみたら、地球外知的生命体は存在するという見出しが目に入った。春香はその記事をひらいた。
20世紀のある科学者によると、この銀河系には地球のほかにあと10個知的生命体が存在する星あるらしいのだ。計算の仕方と解説が載っていたが、残念ながら難しくて、あまり理解できなかった。ただ、科学者という頭のいい大人の代表みたいな人たちが宇宙人はいると言っていること、しかもそのことが計算という方法によってわかるということには、驚いた。
人間という生き物の頭のよさに感動してしまった。
だれかにそれを話したくなったが、父や母に話してもおもしろくない返事しかしそうになかった。ちょうどいま学校ではみんな順々に作文を発表する授業があって、なにを書こうか話題を探していたところだった。せっかくなので春香はそれを作文に書いた。うまく書けた手ごたえがあった。じつは言いたいことを文章にするというのもはじめてのことだったのだ。
胸が高鳴った。
次の日の朝、いつもの通学路の風景もこれまでと違って見えた。
あの記事には、知的生命体の文明が存続する年数も計算に使われていた。それによると、人間の文明が存続するのは約1万年であるらしい。きっと1万年後には人間は居なくなってしまうんだ。
春香はそう思った。
いま見える自分の家も、初夏の朝陽にきらめく木立ちも、アスファルトもコンビニも、横断歩道の上の巨大な高速道路も、目に入るものすべてに人間の手が入っている、それらはいつか1つ残らず失くなってしまうんだと思うと、なんとも言えず、ぐっときた。
信号の前で、ポニーテールに髪を結った少女と目が合った。
彼女は手を振った。クラスメイトの東条知美だった。
「ねえ、知ってる?」
東条は訊いた。そして、春香が答えるよりもはやく先をつづけた。
「B組の飯塚君ってこんど映画に出るんだってよ!」
「知ってるよ」春香は答えた。
「そうなんだ」
東条はすこし残念そうに言った。
「じゃあさ、C組のユッキーと陽子が付きあってることは知ってる?」
「知ってる」
「すごいなあ」
彼女はつまらなさそうに言った。
「春香ちゃんはなんでも知ってるんだね」
「ぜんぶ東条さんから聞いたんだよ」
あれえ、そうだっけ、と言って東条はうす笑いでごまかした。
東条は噂話が好きでいつもいろんな話を聞かせてくれた。
春香たちの担任の歌島先生が離婚してほんとうは旧姓の佐藤に戻っていること、同じクラスの関口真矢が万引きを店員に見つかってその店員から脅されていること、通学路にある小さなパン屋の店主が飼っていた犬が死んだこと、春香はみんな東条から教えてもらった。学校を中心とする半径数百メートルにかぎれば、彼女が知らないことなんてないかのようだ。
けれども、あまりにもなんでも見てきたように話すので信用できない。
彼女は友だちがおおくて、だれかれ構わず話して回るから、いちいちだれになにを話していたのか覚えていないことがおおかった。
春香は大事なことは東条には知られたくなかった。
東条が訊いた。
「それじゃあさ、祈りの木のことは話したっけ?」
「ううん、それは知らない」
「祈りの木はね、守平等(かみだいら)にある魔法の木なんだよ。じゃあ、教えてあげるね」
東条は人さし指をピンと立てて得々と語りはじめた。
「学校から校庭をはさんで向かいに守平等公園があるでしょ。そこに東屋があるのは知ってる? 校庭から見えるアスレチックのそばにあるやつじゃなくて、噴水と池をはさんでもっと奥のほうにあるやつ。そうそう、さすが春香ちゃんだね。その東屋から見て、病院のあるほうに、植木がならんでいて、そこに1本の銀杏の木があるの。普通の銀杏じゃないんだよ。すごく変な形をした木なの。噂ではね、その木には優しい神様が宿っているんだって。だから、その木を恋人のように抱きしめて、願いごとをすると叶うの」
なにが「だから」なんだろう、と春香は思ったが、言わなかった。
「ほんと? すごいね」
「ほんとだよ。でもね、だれでも願いを叶えてくれるわけじゃないんだ。ちゃんと条件があるんだよ。1つは、まず願いごとをするのが小学生の女の子なこと。中学生とか男の子じゃダメなの。2つめは、その願いが心の底から出たほんものの願いなこと。3つめが、木の幹を抱きしめているちょうどそのとき、その子の左右の中指のつけ根がくっつくような長さじゃないといけないんだって。それよりも長すぎても短すぎてもダメ。自然に抱きついたときにそうならなくちゃいけなくて、がんばって腕を伸ばしたり、緩めたりしてもダメなんだよ。ねえねえ、すごくない? 春香ちゃんならなにを願う?」
「すごいね」
春香は言った。「それがほんとうならね」と思ったが言わなかった。
「でも腕と指長さがちょうどよくなきゃなんて、難しそう。私はきっとダメだろうなあ」
「なんで? 春香ちゃんは夢がないなあ」と東条は言った。
「それなら東条さんはなんて願うの?」
「ひみつ」東条は甘えたように1つずつ音を伸ばして答えた。
祈りの木なんて、 と春香は思った。
どうすると願いがかなってどうすると願いがかわないのかなんて、そんなこと、どうやって調べたんだろう?
もちろん、訊く気はない。東条が知っているはずがなかったし、仮に答えが返ってきてもその場でつくった答えだろう。それにしても抱き付くのが小学生の女の子じゃないと願いを叶えてくれない神様なんて、ずいぶん変態でロリコンな神様じゃないだろうか? その辺はなにも思わないのか?
春香は逆に訊いてみた。
「ねえ、私もおもしろい話知ってるんだけど、東条さんって宇宙人は信じる?」
「信じないよ」
「私、じつは信じてるんだよね」
「ウソつき。からかってるんでしょ、その手には乗らないからね!」
ほんとだよ、と言おうとしたら、急に東条は春香の背後にむかって声をあげて、手を振った。
「千佳ちゃんだ! 千佳ちゃんにも教えてあげなきゃ!」
東条は小走りで吉井千佳のほうへ行ってしまった。それは学校とは逆の方向だったが、東条は吉井の前に立ちどまって、春香にしたのと同じ話をしているらしかった。あとから2人がゆっくりやってくるのを、春香は立ちどまって待っていた。
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