5-1 早朝クエスト(朝クエ)

 4/23 金曜日


 学生の朝は割と早い。

 起きて、朝食を食べ、準備をして、徒歩ないし自転車などの移動手段で始業時間までにクラスの自分の席に座っていなければならない。

 俺たちの通う高校は八時二十分始業。

 十五分には予鈴が鳴る。

 余裕を持って登校したい派の俺はだいたい八時には席に着くように登校する。

 家から学校までは、自転車で全力で飛ばして二十分、朝から全力は出したくないので、だいたい三十分程度かかる計算だ。

 つまり、七時半には家を出る。

 七時半に家を準備万端で出る為には、六時には起きておきたい。

 起きて、トイレ、朝食、顔を洗って、ここら辺でようやく頭が動き出す。前日の夜の内に準備した鞄の中身をもう一度確認し、もう一度トイレ、着替えて、少しだけゆっくりして朝のニュースを見る。

 そして、師匠、もとい親父と同じタイミングで家を出る。

 今日はこのルーティンを三十分巻いて行う事になった。

 言うまでもなく、リアルワールドゲーム部の活動だ。

 朝練などあるはずもない部活で、こんな事になるとは思ってもみなかった。

 強いて言うなら、これは朝クエってやつなのかもしれない。


 学生の朝は早い。

 とは言うものの、始業時間から五十分前の学校は流石に静けさに包まれていた。 

 むしろこの時間にも既に校門が開いている事が驚きだ。

 人気のない学校を歩くってのは、なんだか背徳感がある。

 いや、なにも後ろめたいことをする為に早く来たわけじゃなんだが。

 下足室から教室にたどり着くまで、誰一人ともすれ違う事はなかった。

 まるで、休日に間違えて学校に来てしまった気分だ。

 そんな気分は教室のドアをくぐった所で吹き飛ぶ。

「早いじゃないか、ねみい」

 何故か俺の席に堂々と座っている乃愛が、元気に手を挙げた。

「お前が早く来いって言ったんだろ」

「それにしても、集合予定時間よりも十分早いぞ」

 俺が十分ならお前は何分早いんだよ。

 いつものように心の中でだけ突っ込んで、俺は席に鞄を下ろす。

「十分前行動だよ」

「実に日本人らしいな。因みに私は一時間前に来たぞ」

 聞いてもないのに得意気に乃愛は言った。

「校門が開く瞬間を確認したくてな。結果として三十分ほど校門前で待つ事になったが」

「暇人なのか?」

 七時から校門が開くという貴重な情報を手にしたが、この先使うことはないだろう。

「朝なんて、誰だって暇人だろう。起きて準備をして登校するだけなのだから」

 多くの反感を買いそうな意見だ。

「少なくとも俺は違うな」

「ふむ、思わぬ意見の相違だな」

 それはそれとして、と乃愛はやっと俺の席から立ち上がる。

「雪子が来るまで十分あるし、ステータスの話をしようか」

 乃愛の体温が残る生暖かい椅子に座りながら、俺は首を振った。

「十分間寝かせてくれ」

 三十分の早起きは、深夜までゲームをやる人間にはなかなか堪えるものだ。

 乃愛はなにか言いたそうだったが、俺が顔を腕の間に沈めた事で諦めたらしい。

「まったく、冬春ねみいとはその名の通りだったか」

 不名誉な言葉が聞こえた気がするが、反論する前に俺の意識はスムーズに停止した。


「起きろねみい、行くぞ」

 身体を揺さぶられる感覚がする。

 もう十分経ったらしい。

 殆ど一瞬に感じた睡眠から意識が覚醒する。

 ゆっくりと身体を起こそうとした瞬間。

「起きて」

 吐息が掛かるほどの耳元でそう囁かれて、俺は飛び起きた。

 視線の先には声の主だろう、雪子が驚きながらも、はにかむように笑っている。

「やるじゃないか雪子」

 乃愛は愉快そうに笑っているが。この起こし方は身体に悪い。

「雪子、それあんまりやらない方がいいぞ」

 俺の忠告の意図が掴めないように雪子は首を傾げる。

「おにいちゃんも、これすると、起きるよ」

 そりゃそうだろう。

 すっかり眠気も吹っ飛んだ。

「んじゃ行くか」

「君を待ってたんだ、なに仕切ってるんだ」

 まさか、乃愛に突っ込まれる日が来るとは思わなかった。


 生徒会室は意外にもと言うか、案の定、既に明りが点いていた。

「失礼する」

 いつもの調子で乃愛がドアを開ける。

 生徒会室、生徒会長の机には驚いた表情の生徒会長が居た。

 机の上にはPCと入力途中なのだろう名簿が置いてある。

「朝早くに突然失礼します」

 一応のフォローを入れる。

 始業時間までまだ三十分以上ある学校で、突然生徒会室に来るのが失礼以外のなんなのか俺は知らない。

「おはようございます」

 しかし、生徒会長は気分を害するわけでもなく、人として正しい挨拶を俺たちに返した。

「なにが用、でしょうか?」

「今となってはそれも白々しいと思わないか、舞草生徒会長」

 対する乃愛はどこまでも不遜だ。

 そんな乃愛に生徒会長は小さくため息を吐いた。

「新入部員名簿の件ですね」

「無論だ」

「生徒会長。俺たちは東雲先輩に確認を取ったんですよ。東雲先輩が持ってきた名簿は先輩が生徒会長を庇うために新しく作ったものでした」

「はい。そう聞いています。その件では皆さんにも迷惑をおかけしました」

 欠片も動揺を見せずに、生徒会長は頷いた。

 ブラフが相当上手いか、本当に後ろめたい事などないのか、まだこの時点では読み取れない。

「そして、椎名副会長はあなたが名簿をなくす可能性よりも、名簿をなくしたと嘘を吐いた可能性の方が高いと証言した」

 乃愛が畳みかける。

「私も人間です。過失でものをなくす事もあります」

 しかし、生徒会長はどこまでも冷静に対応する。

 生徒会長は平静を保つのが上手いらしい。

 まぁ比較的って話だ。

「生徒会長、俺たちがその新入部員名簿を探してもいいですか?」

 冷静すぎる対応に、俺は生徒会長が嘘を吐いている事を確信した。

 生徒会長だって生身の人間だ。

 あの厄介な椎名副会長がそんな事を言ったとなれば、平素の彼女なら呆れた顔の一つもするだろう。

 つまり、ここまでは計画通りだった。

「以前受けた依頼が未達成だからな」

「ええ、構いませんよ」

 意外にもあっさりと、生徒会長は俺たちの提案を受け入れる。

「では、手始めにこの部屋を探させてもらってもいいか?」

「以前、一度探したと思いますが」

「あの時は充分ではなかっただろう」

 乃愛が俺に目配せをする。

 視線からセリフを引き継ぐ。

「そう、例えば、生徒会日誌。あの日は先輩に止められたのでしっかり調べられませんでした」

「あれは個人情報などがあったからですが、まぁ気になるのでしたらどうぞ」

 生徒会日誌に触れても生徒会長は表情一つ崩さない。

 ブラフだとしたら相当場慣れしているとしか言えない。

 もしくは、俺の考察が完全に的外れだったかだ。


 なんとなく、あの日、生徒会長の机の上には生徒会日誌が置かれていたと思った。

 一つにはこの部屋で一番冊数が多い種類のファイルだから。

 まぁ、これはカードゲーム的な読みでは使えるが、現実で使うには勘レベルの代物だ。

 二つに、調査した時、生徒会日誌が簡単に取り出せた事。

 一つ目に比べればいくらかマシな理由だ。

 一見すると整然と隙間なく棚に並べられているように見える生徒会日誌だが、実際はそれぞれのファイルの間には思いっきり詰めれば、あと一冊入れられる程の余裕がある。

 最新のファイルの横にはブックエンドが置かれているので、この余裕は意図的なものだ。

 生徒会長の性格から、よく使う棚なので敢えて余裕を持たせていると考える事ができる。

 つまり、生徒会日誌は利用頻度が高いファイルだ。

 三つに、現在、新入部員名簿を収めているのはクリアファイルで、流石にそれを木戸がファイルとは言わないと言う事。

 机の上には確かに黒色のファイルが置かれていたとの確認も木戸に取ってある。

 そして、さっきも言ったように探索した日、生徒会長は生徒会日誌を見られるのを嫌がるような反応をした事。

 これらの理由から俺はあの日机の上には生徒会日誌があると踏んだ。

 より正確に言うと、新入部員名簿は生徒会日誌の中に挟まれたのだと考えた。

 いや、単に挟まれただけなら、生徒会長が既に見付けているだろう。

 わざわざ嘘を吐く必要すらない。

 なんらかの理由で、その名簿をなくしたことにした方が都合がいい状況になった。

 まぁ、その理由に関しては全く想像もできないんだが。


「私とねみいが日誌を当たる。雪子はその他の場所を探してくれ」

 乃愛の指示で俺たちは動き出した。

 俺はナンバー一、つまり一冊目から、乃愛は最新のナンバー十三から順に探して行く。

 内容を注視する時間は流石にないので、一頁ずつ捲っていくだけだが、それでも結構な時間が必要だった。

 

「あの」

 しばらく手を進めた所で、静かな生徒会室に、控えめな雪子の声がした。

 どうやら、生徒会長に話しかけているようだ。

「先輩も、ウェザーズ、好きなんですか?」

「ええ、もしかして、あなたも?」

 生徒会長は突然の話題に少し驚いたように反応する。

 昨日俺に言われた事を実行しているのだろう。

 二人の会話はそれなりに盛り上がっている様だ。

 仮にも、相手を疑って捜査している間にする会話かどうかは置いておくが。

 

 校内が活気付く音が遠くに聞こえた頃、俺が六冊、乃愛が七冊の時点で伸びる手が重なった。

 二人で仲良く確認する趣味もないので、俺が六冊目の中を確認する。

 結果、日誌のどこにも名簿はなかった。

「ふむ」

 乃愛が唸る。

 この事態も一応想定はしていた。

 あの愉快犯的自称GMの椎名副会長は一応生徒会側の人間だ。

 俺たちが掴んだ情報を生徒会長に流す程度のことはするだろう。

 そうなれば、彼女は確固たる証拠を隠すかもしれない。

 イタチごっこ、もしくは振り出し。

 要は手詰まりだ。

 俺が日誌という可能性に気付くのが遅すぎた。

 昨日の放課後ならあるいは、椎名副会長が生徒会長に情報を伝える前なら、日誌ごと名簿を抑えられたのかもしれない。

 カードゲームでもよくある話だ。

 その札が来るのが、あと一ターン早ければ。

 どうしようもなくなった盤面を前に、自分の引きの悪さを恨む。

 なんとか、あと一ターン延命する方法を探す時間のむなしさ。

 脳は煮えて、プレイした直後に大きな見落としに気付いたりする。

 そんな場面。

 もしくは、プレイした瞬間にこの状況を打開する手順に気付く。

 そんな場面。

 せめて、名簿の手掛かりでも日誌の中から得られれば、そうなったのかもしれない。

「一つ聞きたいのだが」

 乃愛が口を開いた。

「いや、答え合わせと言った方が妥当か」

 その迷いない口調には、勝ちを確信したプレイングの気配があった。

「この部屋にある、余って、足りないものはこの日誌だな」

 余って、足りないもの。

 聞き覚えのあるフレーズが記憶の中をサーチする。

「一見完璧に見えるこの部屋には、余って、足りないものがある」

 たどり着いたのは椎名副会長の言葉だった。

 最初のクエストの達成報酬として俺たちに与えられたキーワード。

「なんのことでしょうか?」

「なんで、この日誌のナンバリングは十三まであるのに、ここにファイルは十二冊しかないんだ?」

 乃愛に言われて、俺は改めて棚を確認する。

 俺が六冊、乃愛が七冊、合せると十三冊、いや、違う、俺が六冊目、乃愛が七冊目で伸びる手が重なるなら、俺の六冊目と乃愛の七冊目は同じ一冊になる。

 一、二、三、四、五、六、七、九、十、十一、十二、十三。

 よく見ると、ナンバー八が抜け落ちていた。

「なぜ、ナンバー七とナンバー九の間が一冊抜けているにも関わらず、日付は抜けることなく続いているんだ?」

 乃愛に突きつけられた生徒会長は生唾を飲んだ後、

「本当ですか、気付きませんでした」

 いつもより些か棒読みでそう言う。

 流石に白々しい。

「他の生徒ならいざ知らず、あなたがそんなミスをする筈がない」

 俺も、そしてきっと乃愛も同じ答えにたどり着いていた。

 新入部員名簿はナンバー八の生徒会日誌の中にある。

 確信に近い感覚。

 問題は、そのナンバー八の名簿の行方がわからない事だった。

「先ほども言ったように私も人間ですので、この程度のミスはします。数字にはあまり強くありませんから」

 あくまで白を切り通そうとする生徒会長からその場所を聞き出す事は難しいだろう。

 場面は再び硬直したかに思えた。

 生徒会室のドアがノックもなく開けられるまでは。

 

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