4-2 ハンネは本名由来じゃない方がいい

「詳しくもなにも、そのまんまだけど」

 予鈴が鳴る教室で木戸は説明をする。

「昨日、朝一で入部登録を取り消そうと思って生徒会室に行ったんだよ」

「なるほど、つまり生徒会は君がサッカー部を抜けようとしていた事を知っているんだな」

 合点がいったように乃愛が頷く。

 昨日見た名簿には、確かに木戸の名前が書かれていた。

 考えにくいが、木戸がサッカー部を抜けない為に生徒会が一芝居打ったということだろうか。

 しかし、木戸は首を振った。

「どうだろうな、生徒会室には誰もいなかったし、もしかした俺が抜けようとしてた事は知らないかもしれないぞ」

「それじゃ消したってのは」

「ちょうど名簿が置いてあったから俺の名前だけ消したんだよ」

 何気なく木戸は言ったが、その言葉にはいくつも聞き流せない情報が含まれていた。

「ちょっと待て、新入部員名簿が昨日の朝、生徒会室にあったんだな」

 すかさず乃愛が確認する。

「ああ」

 なぜそんな事を聞き返されるのかわからない木戸は少し怪訝な顔をするが、構わず俺も訊く。

「んで、その名簿にあった名前を消したんだよな」

「そうだけど、どうした?」

「ファインプレイだ」

 乃愛が親指を立てる。

「だろ」

 持ち前のノリの良さでわけもわからないまま木戸が親指を立て返したところで担任が教室へと入ってきた。


「つまり、東雲先輩が名簿を偽装したってことか」

 一限目は化学、本日は化学室で授業が行われるのでその移動中、事のあらましを説明された木戸は超速理解して頷く。

 昨日、東雲先輩が持ってきた名簿には確かに木戸の名前が書かれていた。

 木戸の話が正しいとするなら、俺たちが回収した本物の名簿は生徒会室のどこかにまだ存在し、その名簿では木戸の名前が消されているはずだ。

「でも、なんでそんな事したんだ」

「ゴロをサッカー部に入れる為だろう」

 わかりきった事を、と乃愛が言う。

「まぁ確かに俺は先輩達が直々にスカウトするくらい期待の星だったからなぁ」

 いつもの調子で返す木戸。

「昼休みに東雲生徒会書記の下へ聴取に行くとしよう、案外簡単にトゥルーエンドにたどり着けそうだな」

 確かに、思っていた以上にスムーズに謎は解けた。

 いや、そこじゃなくて。

「ゴロってなんだ」

「木戸のハンネだが」

 むしろ俺が知らない事が意外な感じで乃愛が言う。

「いつの間に決まったんだ」

「ホームルームの直前にな、ってか前からソシャゲとかだと使ってるんだけどな」

「そうなのか」

 それなら確かに、俺が知らない方が意外だろう。

 ソシャゲに関してはドラテを辞めて以降一度もしていない。木戸に誘われる事も何度かあったが全て断っていたから、知らなくても当然だ。

「にしたってなんでゴロ」

「知らないのか、木戸孝允の名前の一つに桂小五郎ってのがあってな、でも小五郎じゃ長いだろ、だから下だけ取ってゴロだ、ちなみに漢字で書くと五六ってなる」

「由来がわかりにくい」

「ハンネってそういうもんだろ、めっちゃ適当かめっちゃわかりにくいか」

 そう言われてしまうと、めっちゃ適当側の人間が言うことはない。

「夏秋もゴロって呼んでもいいんだぜ」

「やめとく。木戸は木戸だろ」

 三年間、頑なに呼び続けたものを今更変える気はない。

「だよな」

 俺の言いたいことは木戸もわかっているらしく、軽く笑う。

「いや、パーティメンバーを名字で呼ぶのは」

 しかし、俺らの間にあった名前を巡る話を知らない乃愛が噛みつく。

「違うんだよ、アノアちゃん」

 ようやく辿り着いた化学室の扉を開けながら木戸が笑う。

 一歩、化学室に足を踏み入れると、途端に微かな薬品の匂いが鼻をついた。

 キンコンカンンコーン。

 二の句を継ごうとする木戸を遮って、間の抜けたチャイムが響く。

 どうやら、ゆっくり歩きすぎたらしい。


五十分後再びチャイムが響いて、化学室はざわめきに包まれた。

 化学室で行われた授業はそれほど難しくもなく、実験も教室でできてしまうような簡単なものだった。

 どちらかと言うと、化学室の場所を把握させる事が狙いだったのだろう。

「それで、なにが違うんだ?」

 意外にも、授業中は真面目な乃愛が、待ちかねたように俺の所へと駆け寄って来た。

「変な話だけど、木戸ってのはあだ名だったんだよ」

 そこまで大層な話でもないが、木戸のプライベートも関係する話なので、どこからどう話すかを少し悩む。

「俺、中学に入る少し前に名字が変わったんだよね」

 後ろから追いついた木戸が、俺の悩みなど気にしないようにサラッと言った。

「親が再婚してさ」

「そうだったのか」

 木戸を間に挟む形で、俺たちは教室に向かって歩き出す。

「だから、中学になったばっかりの頃はみんなに下の名前で呼ぶようにって頼んでたんだよ」

 木戸は軽く言うが、実際の所はもう少し切実な思いがあったのだろうと、事情を後になってから知った俺は思った。

 家庭の変化への戸惑いや継父へのささやかな抵抗とか、かつての名字への思い入れとか。

 いや、もしかしたら、それすら俺の一人相撲なのかもしれないが。

「それなのに、夏秋ときたら名字で呼ぶんだもんな」

 ふざけるように木戸は俺の肩に手を回す。

「いや、正直に言うと、木戸とこんなに仲良くなるとか思ってなかったんだよ。それを馴れ馴れしく名前で呼ぶとか、抵抗あるだろ」

「な、ひどい奴なんだこいつは」

 結局、木戸の社交性もあり、俺の学年で木戸を名前で呼ばない人間は俺だけになった。

「事情知らなかったんだから、仕方ないだろ」

 こんな会話を中二の秋頃にした記憶がある。

「まぁ、夏秋が呼んでくれたおかげで、木戸って名字に早く慣れたってのはあるけどな」

 あの時も木戸はそう言って笑った。

 その頃には、継父との関係も落ち着いて、木戸の名前縛りはなくなっていたわけだが、それでも同学年で木戸を木戸と呼ぶのは卒業まで俺だけだった。

「そんなわけで、木戸ってのはあだ名なんだよ」

「なるほど、そういった背景があるならいいぞ、むしろ何気ない呼び方にドラマがあるのは非常に好みだ」

「ドラマって程でもないだろ」

 そして、乃愛の好みはどうでもいい。

「あ、でも俺の方は変えないとな」

 思い付いたように木戸は笑う。

 こういう時のこいつは碌な事を言わないんだ。

「アノアちゃんがねみいって呼んでるし、俺は冬春って呼ぶことにするか」

 案の定、変な事を言い出す。

「いや、お前は変えなくていいだろ」

「いいじゃないか、ねみい、これで揃ったな」

「よかねぇんだよ」

 俺の苦情は軽く流された。

 

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