約束の朝
手を伸ばしてもそこに彼女は居なかった。
夜に飲み込まれる。振り返った彼女の顔はぼやけていて、どんな顔だったかも思い出せない。慌てて彼女に手を伸ばしたが、そこにあったのは暗闇だけだった。
誰かに起こされたような気がして目を覚ました。いつの間にか自分の部屋のベットで寝ていたらしい。頭に針を刺されたような痛みを感じ、私は頭を抑えた。気怠い体が飲み過ぎたことを訴えている。項垂れながら昨日の夜を遡るが、記憶がすっぽりと抜けているようだった。
「なんかあったんやっけ?」
さっきの夢すら思い出せない。何か大切なことを忘れているような気がした。不思議なもどかしさが、胸の奥に留まっていた。頭が冴えれば思い出すだろうと、呆然としながら片手でベットの中を漁った。毛布に埋もれていたスマホを見ると、丁度18時半になろうとしていた。スマホを充電器にさしながらもう一度時間を確認した。
「流石に寝過ぎやない?」
どれだけの時間が経ったんだ。休日をドブに捨ててしまった衝撃で深い溜息が出てしまう。私はテレビをつけ、頭を切り替えようと水面台へと向かった。足に痛みを感じ視線を落とすと、膝も足の裏もボロボロだった。本当にかなり飲み過ぎたんだと反省しながらも、よろける体を支え1歩ずつ足を進めた。
ふと、テレビのキャスターの言葉が耳に入った。
《 今日の正午12時頃、京都府京都市下京区周辺で起こったテロについて引き続きお伝えしていきます。 》
京都?すぐそこで何かあったらしい。私が寝ている間に一体何があったのか。私は結局テレビの前へと戻り、画面を凝視する。そこに写っているのは見慣れたはずの、あの街だったところ。その光景は本当に悲惨だった。高々と燃え盛る炎と所々上がっている黒煙が街を染め上げ、様々な建物が破壊されている。その中でたった一つ、私はあることに気づいてしまった。そう、無いのだ。あるべき場所にあるべきものが。
《 えー、1番初めに爆破され、被害の大きかった京都タワーは未だに燃え続けています。なお、負傷者の数や被害にあった建物の数はまだ分かっておりません。 》
私はすぐさま立ち上がった。さっきまで感じていた足の痛みや頭痛なんてどうでも良かった。埃が被った重いカーテンをいきおいよく開ける。所々から上がる灰色の煙が遠くに見えた。私は、目を擦った。やっぱりそうだ。あんなに疎ましかった京都タワーが何処にも無い。代わりにここからでも見える炎と煙が、永遠に空へと舞い上がっている。誰がどう見たって地獄だった。ぐちゃぐちゃに染まった私の街。高まる心臓の音は収まることを知らない。
「京都タワーが無い。どこにも無い。」
どうしても信じられなくて、何度も口に出す。
「無い、無い。京都タワーが何処にも無い。」
《 只今テロリストの主犯格だと思われる人物が分かりました。》
私はすぐさま音量を上げ、テレビの方に目を向けた。
《 その人物はヨルと名乗っているそうです。》
その瞬間、何かが頬を伝った。無意識に握り締めていた手のひらを広げた。深緑色のピアスが小さく揺れる。開けられたカーテンの隙間から漏れる光が反射して、キラキラと輝く。まるで私の名前を呼んでるみたいに。
「ヨル。」
私はその名前を知っていたかのように、そう一言口にした。
「ヨル、ヨル、ヨル!!」
私はたったその2文字を何度も呼んだ。返事なんて無い。ある訳ない。だって。
溢れるのは愛おしい夜の記憶だった。ひとつずつ落としたものを拾い集めるように、彼女の笑顔を頭に描いた。そうだ、夢の中ですら、私はずっと彼女を探していたんだ。
私は充電器に繋いでいたスマホをとり、電話履歴の1番上にあった番号に電話をかけた。
すぐに退職の連絡をした。
今まで怖くて言えなかった言葉を上司にスラスラと伝えられていた。笑ってしまうくらいに。私が思っていたより意外と世界は簡単だったらしい。
「髪何色にしようかな。ピアッサー買ってこんと。」
私は窓を開け、京都タワーの無い京都を見下ろしながら呟く。そよ風が心地よくて目を瞑る。
「どこ行こかな。思い切って海外でも行こか?移住もほんまにありやな。」
「私はもう、どこにでもいけるんやな。」
「アハ、アハハハ」
目から溢れるほどの涙が彼女との夜を濡らすようで。何かに縋るようにその場にしゃがみこんだ。
夜が、ヨルが私の胸を締め付ける。
絶対に離すまいと私の手を強く握り締めるから、私の不安は全て消えてしまって。胸を張って、自信満々に話す横顔。優しいけど、強引で。カラン、と乾いた下駄の音。馬鹿みたいに派手で、燃えるような赤髪。
それと、
1度だけ見せてくれた不格好で下手くそな笑顔。
実は笑うの苦手なんかな、とか彼女の事を思い出す。
たった一夜のことなのに。彼女の事なんてほんの少ししか知らないのに。
どうしても、どんなに考えても。
脳裏に浮かぶのは全部彼女の事だけだった。
飲み込もうとした言葉は、私の中から涙と一緒に溢れ出して留まることは無かった。
「ここでいい。ヨルのいるとこだったらどこだって良い。あなたがいる場所がいい。」
どうしたって、あの夜はもう終わってしまったんだ。
それから数年が経った。
「ヨル」
今じゃその名前を知らない人はいないだろう。あの後日本を散々ぶっ壊した挙句、世界にまでその名を轟かせているらしい。彼女のニュースを見る度にクスリと笑う。ヨルらしいといえばヨルらしいな。
私は今日も京都のこの街を歩いている。あなたの壊してくれたこの街で、私は生き続ける。復興中の京都タワーの工事の音にも、最近慣れてしまった。あれから知った事は案外皆幸せじゃなかったってこと。本当は皆、誰かがこの世界をぶっ壊してくれることを待ち望んでいたってこと。大多数の人にとって最悪だったあの事件が、今の私の全てを織り成している。きっと私みたいな人達は少なからずいるのだろう。あなたは今でも何処かで生きていて、きっと誰かの夜を、人生を変えるのだろう。その事実がどうしようもなく嬉しかった。それに、少しだけその誰が羨ましかった。
髪は色んな色に染めたけど、結局赤くしてしまった。あの日の赤色程綺麗な色は無かったから。変わり過ぎて今の私を見ても、ヨルは気づいてくれないかもしれない。だから次は、私があなたを見つけられるように、京都のこの街であなたを待っていようと思う。あなたが隣にいなくても、手を握ってくれなくても大丈夫。揺れるピアスが、あの日の夜をいつだって思い出させてくれる。
私は今日もこの街を、夜を駆け出す。
人々が憂いに負けて越えられなくなる夜。
京都タワーが復興したその時。
あなたが馳せ参ずその日まで。
京都リバースデイ ゴミ箱 @kanipaso
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