もしもし、と肩を揺すられ私は目を開けた。いつの間に自分が目を閉じていて、それどころか地面に倒れ伏していたのか全く思い出せなかった。

 頭上には木漏れ日が射していて、木々の隙間から青空が見えた。見知らぬ男が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

「大丈夫ですか」

「大丈夫に見えますか」

「え。さぁ、どうなんでしょう」

「すみません。何もないならいいんです」

 私の奇妙な問いかけに、男は困ったように眉を下げる。ここは夢なのか現実なのか。私自身は無事なのか。自分が今どうなっているのがわからなくて、つい男に問い返してしまった。知らない間に自分が化け物に変えられていたとか、体の一部が奪われていたとか、そんな都市伝説のようなことが起きていないか心配になってしまったが、男の困惑する表情を見るに、どうやら目に見える異常は私の身に起こってはいないらしい。

 いつの間にか夜は明け、辺りは何の変哲もない林が広がっていた。夜の暗がりの中ではわからなかったが、私の倒れていた場所のすぐ近くに道路があった。だから男は、林の中で倒れていた私を見つけることができたらしい。

 血の気の引いた白い腕も白い木もどこにも見当たらない。あの無数の腕はすべて夢だったのだろうか。あの木に生えていた腕は、今まであの木を訪れた人間から奪ったものなのではという妄想が脳裏をよぎったが、私の両腕は健在だ。私はぺたぺたと自分の顔に触れ、背中から足まで見まわした。怪我はない。五体は揃っているし呼吸も鼓動もしている。

 狐につままれたような気分だった。私は首を傾げつつ男に礼を言い、「宿に戻らないと」と元来た道を戻った。

 しかし宿屋は見つからなかった。

 大きな宿屋ではないとはいえ、木々の中に建物があれば目立つはずだ。それなのに一向に宿らしきものは見えてこない。やがて宿屋が合った場所に辿り着いたが、そこには草が生い茂っているだけで、マイ自転車が所在なさげにぽつんと残されていた。

 まさか、と思い私は宿屋の間取りを思い出す。玄関からまっすぐに歩いて角を曲がり、すぐ右の部屋。私が泊まった部屋の位置に、私の鞄が残されていた。

「……口笛禁止、ねぇ」

 あの書置きは一体誰が残したのだろうか。部屋に泊まった客か、はたまた宿屋の主人が私を好奇心で外に誘うために書いたのか。後者だとしたら残念だったろうに。食べ物目当てで私の鞄を漁った誰かさんは、私が非常食を食べる前に鞄を漁るべきだったのだ。

 前者だとしたら、私は書置きを残した主に感謝しなければ。

 茂みの中に残された私の鞄はまるで苛立ちをぶつけられたかのように、見るも無残なほどズタズタに引き裂かれていた。




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