公平な保険

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 まだ働き盛りの沢木は入院保険の見積もりを見てため息をついた。タバコはやらないが、酒は結構呑む方だ。健康診断では特に異常は無い。しかし、残業の多いIT企業勤務のため、それが影響して若干保険料が高めなようだ。沢木は思った。

「はて、仮に若者で保険料が安いケースでは、どのくらいなんだろう」

 沢木は、設定データを変更して保険料を試算してみた。二十歳で、タバコも酒もやらない、としてみた。すると、沢木の3分の2くらいの保険料になった。

「まあ、こんなもんか」

 見積もりを取った保険商品は大手保険会社、フレックス保険の、「スーパー入院保険シリーズ」だ。入院、治療や関連経費を期間制限無く100%負担してくれる優れた保険商品だ。他社の保険商品のように、病名や部位・症状によって、保険金が出たり出なかったりする面倒くささが無いというのが、売り文句だ。とにかく正当な理由があれば、掛かったお金は全て出してくれるので人気を集めている。

 沢木は、今度は逆に高齢で基礎疾患をいくつか持っている場合で試算してみた。すると、保険料は沢木の2倍近くになった。

「うーん、これなら俺の保険料もまんざら高い訳でも無いか」

 と納得していた。


 保険会社は次々と新商品を売り出していた。少しでも割安感を出して、顧客を獲得するためだ。例えば、無事故の優良ドライバーの自動車保険は割安になり、若年層の生命保険も引き下げられた。またタバコや酒をやらない場合も保険料に反映された。これらの変動要因のため、同じ保障内容の保険商品でも人によって保険料が大きく上下するようになってきた。もう保険商品のパンフレットに保険料の「一覧表」が掲載される事は無かった。人によって、ほとんど保険料が異なってしまっているからだ。


 テレビやネット広告では、保険商品の宣伝が盛んに流されていた。

  今、保険料いくらお支払いですか。もっと安くなります!

  健康志向のあなた、保険料を見直してみませんか。

  直ぐ試算します。保険料見積もりは〇〇保険へ。

 保険外交員達も活発に活動していた。ただ、高齢者の保険料はかなり高額になるため、なかなか売り込みに苦労していた。

  

 沢木は思っていた。

「かつては、加入者全員が同じ保険料だった。これは不公平だ。俺のようにタバコをやらず、適度に運動もしている加入者の保険料は安くて然るべきだ。その点、最近の保険商品は加入者の健康状態や生活状況が考慮されていて良い。これなら、俺が『不摂生者』の為の治療費を負担、なんてアホらいい事しなくて済む」

 沢木は公平性に定評のあるフレックス保険の保険商品が気に入っていた。火災保険料も、単に広さや鉄筋造かだけではなく、タバコを吸うか、ガスなど火気を使っているか、どんな可燃物を家に置いているかを精査し、火災に強い家ほど保険料が安くなる。実に合理的だ。


 保険会社は、保険料の「精度」を上げようと努力していた。健康に気を配っている加入者から、保険料を引き下げるよう要望が多いからだ。しかし、単純に下げては、保険会社は赤字になる。加入者それぞれに、適切な保険料を設定する必要がある。そのため加入者は、健康状態から、仕事、日常生活の細々とした事まで保険会社に申告する必要があった。通勤時間や出張頻度も届ける必要がある。これにより、不慮の事故に遭遇する確率が異なって来るからだ。また、運動をどの位しているか、趣味は何かなども必要だ。しかも、この申告内容は3ヶ月に一度更新しなくてはならない。加入者から見れば、この手間をかけることで保険料を下げる事ができる。皆、申告作業には協力的だった。

 これまではSNSなどのネットワーク業者が個人情報を独占的に握っていて社会問題となっていたが、いまや保険会社の右に出るものはいない。保険会社は、加入者の経済状態から、余命があと何年かまで把握していた。もちろん余命は本人には知らされない。


 見積もりを吟味していた沢木は「スーパー入院保険 30」を購入する事にした。この「30」というのは「±30%」という意味だ。これは、この保険商品が如何に高い精度で保険料を算出しているかを表している。例えば、この±30%の場合、将来、入院などした際に支払われるであろう保険金が、これまでに支払った保険料合計の概ね±30%以内に収まるという意味だ。この%が小さいほど、加入者の個人特性に合致した保険料設定ができている事になる。業界では一般に「保険料精度」と呼ばれて、保険商品の優良性の指標と見做されていた。


 沢木は「スーパー入院保険 30」を購入したので、専用アカウントにログインして、情報入力を始めた。自宅から、オンラインでできるので便利だ。

「えーと、優良ドライバーで、一日の運転は2時間で、車種はワゴンで、運転暦は20年で、高速道路利用は多くて、衝突防止装置付きで、エアーバッグありで、パンク耐性タイヤを装着、っと」

 車の項目だけでも随分とある。

 次に健康項目だ。多くは健康診断の結果を利用できるが、いくつかはリアルタイムデータが必要だ。というのは、健康診断は普通は一年に一回しか受けないので、データが陳腐化し、高精度の保険料算出ができなくなるからだ。沢木はリアルタイムで測定が必要な項目を眺めていた。

「血圧、体温、血糖値、心拍数、酸素濃度か」

 これから自分で測定しなくてはならない。測定器を持っていない者には、保険会社が貸与してくれる。面倒だが、これも保険料を下げるためだ。また、自分の健康状態を確認するためにもなるので無駄ではない。

 測定しながら、沢木は思っていた。

「こんな事を毎回やるのは面倒だ。自動的にできないものだろうか」


 フレックス保険は、こんな期待に応えて、ある装置を開発した。「生活モニター装置」だ。これをブレスレットなどの形で常時体に装着する。すると、運動量や喫煙、アルコール摂取、血圧、心拍数、睡眠時間など基本的なデータが収集され、自動的に保険会社に送信される。これにより、その加入者がどのくらい健康的な生活を送っているかが把握できるというのだ。

 「生活モニター装置」の登場依頼、加入者はいちいちデータを測定して入力する必要が無くなり、随分と楽になった。また、健康状態に異常が生じた場合には保険会社が教えてくれるので、健康管理の役に立った。まさに「ギブ・アンド・テイク」だ。

 これらのリアルタイムデータによってフレックス保険は、「保険料精度」を一段階引き上げる事に成功した。これにより、「スーパー入院保険 10」を発売した。とうとう、±10%にまで精度が上がったのだ。加入者達は、この保険商品を購入すれば、これまで以上に保険料に見合った保険金が受け取れる。不用意に他の加入者に貢献事も無い。

 一方、不摂生、或いは不健康な人の保険料はじわじわと上がって行った。これはやむを得ない。申し訳ないが自業自得だ。そんな人達は実際に不当と思われるくらい高額な保険料を払わされていた、しかし、残念ながらその高額な保険料の正当性が実証される事もあった。ある加入者は、高額な保険料を納めていたが、突然入院し、難しい手術をする事になり、結果として何百万円もの治療費が掛かってしまった。それはもちろん全て保険金でまかなわれたが、その金額は概ね、これまでにその加入者が支払ってきた保険料の合計に一致していた。恐るべき精度である。


 この精度競争は激烈を極めた。フレックス保険のライバル会社であるプレシジョン生命は、なんと±5%の保険料精度を有する保険商品「ウルトラ入院保険 5」を発売した。これにフレックス保険は慌てた。フレックス保険は、「生活モニター装置」の機能と精度を向上させ、また収集したデータのリアルタイム処理のために、スーパーコンピューターとAIシステムを導入した。これにより、とうとう理論上の限界と言われた「±1%」を達成した。「スーパー入院保険 1」である。もう、他の追従を許さない。考えてみれば、これほど公平な保険は歴史上あっただろうか。顧客はこれを歓迎こそすれ、文句を言う者など、もちろんいなかった。


 沢木は、この保険商品に飛びついた。今加入している「スーパー入院保険 30」から乗り換えることにした。手数料はかなり高いが、スーパーコンピューターなど莫大な設備投資が必要だった事を考えるとそれも理解できる。

 「スーパー入院保険 1」を購入した顧客は皆、満足だった。なにせ、自分の払ったお金が他人の入院等に使事など、ほとんど無くなったのだ。全く無駄の無い、理想的な保険だ。


 沢木の同僚の松岡もフレックス保険の保険商品には興味を持っていた。会社で、沢木の一番の友人だ。同期で入社し、今も同じ部署で働いていた。沢木が「スーパー入院保険 1」を購入したのを契機に、松岡も同じものを購入した。プレジション生命からの乗換えだ。もう、これに勝る保険商品はなかった。


 その後の何年か、沢木は健康に過ごしていた。交通事故に遭う事も無かった。しかしある時、遺伝性の大きな病気をして入院することになってしまった。手術を受け、入院は2週間に及んだ。


 退院後しばらくして、沢木の元にフレックス保険から計算書が届いた。保険会社からの計算書を見て彼は満足げだった。計算書の概要は以下の通りだ。

  ・お客様の支払い治療費 合計 = 98万2150円

  ・お客様の支払い保険料 合計 = 98万6000円

 沢木は、本当に誤差が1%以内に収まっているのに驚いていた。

「本当に正確だ。これまで払った保険料の合計額が、治療で支払った額にほとんど一致している。文句なしだ」

 後から聞いた話だが、AIシステムはこの遺伝性の病気を予測していたという。加入時に提供したDNAデータとスーパーコンピュータによる高度な解析がそれを可能にしていた。

 一方、実際の支払額について、計算書には以下のように書かれていた。

  ・支払い保険金 98万2150円

  ・弊社手数料 15%

  ・お客様への支払額 98万2150円 - 15% = 83万5000円

 沢木は、保険会社の手数料の高さに少しだけ顔をしかめた。しかし思った。

「まあ、最先端技術を惜しげもなく投入して、この高い精度を実現しているんだ。保険会社への報酬も、このくらいは妥当といった所だろう」

 沢木はそう納得した。そしてふと思った事があった。

「そういえば、この病気で入院する前、毎月の保険料が少しずつ上がっていたっけ。今思えばそれは、近い将来この病気で、お金が掛かる予兆だったのかもしれない。これも、フレックス保険の『AIシステム』のお陰だな。健康診断でも分からないような、病気の兆しを見つけるんだからな。これじゃあ、医者顔負けだ、ハハハ」

 沢木は笑いながら、今後も毎月の保険料の推移を良く見ていようと思った。少し上がってきたら要注意だ。何か重大な病気か迫っているのかもしれない。そんな時は健康に気をつけ、検査なんかをしてみるのもいいだろう。

「『スーパー 入院保険 1』が、こんな風に健康管理に使えるなんて知らなかった。本当にこいつを購入してよかった」


 一方、松岡は不安な日々を過ごしていた。沢木と一緒に「スーパー 入院保険 1」を購入したのは良いが、最近保険料が上がってきている。沢木が入院した時の話しを聞いていたので、これが大きな病気など、良からぬ事の兆しであることは想像できた。

 松岡は大体、沢木と同じような生活をしていたので、保険料は同じくらいだった。だから、ざっくり健康状態も同じくらいと言える。つまり、良好だ。それがこの半年くらい、保険料が増えてきて、今は沢木の1.5倍くらいになっている。不安を感じた沢木はフレックス保険に問い合わせてみた。しかし、回答は松岡の不安を解消してはくれなかった。

「弊社の『スーパー 入院保険 1』の保険料は、全てスーパーコンピュータを用いたAIシステムで算出されます。当社のスタッフは直接その計算にかかわっておりません。恐れ入りますが、保険料が上がってきている理由についてはお答えしかねます」


 松岡は不安を抱えながら過ごしていたが、数ヶ月が過ぎた頃、保険料がストンと下がった。松岡は仕事に集中できず、食欲も減退していたが、やっと解消した。笑顔を取り戻した松岡は、社員食堂で沢木と昼飯を食っていた。牛丼を食っていた沢木は、松岡の話しを聞いて、一緒に喜んでした。

「良かったなあ、松岡。随分心配したんだよ」

「ああ、俺もどうなるかと思った。まあ、結果オーライだな」

 やっと笑顔を取り戻した松岡は、美味しそうにかつ丼をかきこみながら沢木と話している。

「ところで松岡、どのくらい下がったんだ。加入した頃と同じくらいに戻ったのか」

 松岡はかつ丼を置くと、顔を上げ、少し声を落として言った。

「聞いてくれよ。それがだな、ゼロなんだ。保険料が0円になったんだよ。何かの間違いじゃないかと思ったけど、あのAIシステムが間違えるはずは無い。そう思ってそのままにしてある。お前は相変わらずか」

「ああ、俺のはそんなに変わっていない。加入時よりは下がっているが、低値安定という感じだ。それにしても保険料0円とは、お得だな、羨ましい限りだ」

 沢木は、再び牛丼を食べ始めた。しかし、ふと箸を止めだ。そして考え直した。

『待てよ、0円というのは、AIシステムが《もうこの加入者にはお金は掛からない、必要ない》って判断したって事だよな』

 そして、その刹那、背筋に冷たいものが走った。

『そういえば、この入院保険は病気や怪我には治療費が支払われるが、死亡時の支払額はゼロだ。つまり、病気の兆候も無く急に死亡した際には、保険金は支払われないって事だ』

 沢木は、今一度松岡の顔を見た。松岡は、相変わらず美味しそうにかつ丼を食べていた。







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