一三~一六
一三 相道純
己が身を介して対象に、その処理限界を越えて濃縮した霊素の塊を叩き込む極限局所霊触現象。擬似的な霊触症を強制的に発現させる――『総身相気』とは、そうか、そういった類のもの、か……。
「……は、ははっ」
身体がまともに動かない。いや、動いているのかいないのか、感覚がない。自分がここにいるという感じがしない。俺という肉体そのものが消滅し、意識だけが残っているような状態。忌々しい意識だけを感じられる、そんな状態。
「ははは、はは、ははははっ」
負けたか、負けた、また負けた。
こいつ、また、負けやがった。
本当に、救いようのない、人間未満のクズ野郎。
お前はいったい、なにしてたんだ?
お前のこれまで、なんだったんだ――?
「純……」
ようウロ、どんな気持ちだ、念願果たしてよ。まさかな、まさかお前に『総身相気』を打てるなんて思っちゃいなかったさ。そんなもんはただの理念の象徴で、実現できるものなんかじゃねぇと思ってたからな。だから、驚かされたよ。本当によ、お前は、すごいやつになったよ。なっちまったよ。でもな――。
「純、純――」
俺は、畜生なんだ。人間様じゃ、ねぇんだ。
「約束――」
人のモラルなんざ知らねぇんだ。潔さなんて言葉は知らない。生きる〈死ぬ〉ためなら、なんだってするんだよ。
「約束を――」
だからなウロ、不用意に近づくもんじゃねえ。手負いの獣はな――。
「――純?」
噛み付くんだ、見苦しく――“死ぬ”まで。
「きっ――!」
一閃の、青。口と、生きた腕。残った己が武器を用い、巻きつける、それを。それを、ウロの、頚に。『あんどろぎゅのす』のカマ野郎から奪ったマフラー。殺されし者の赤と対をなす、青。
絞める、絞める、強く、絞める。あの時のように。ゆめを殺した時のように。身体に感覚はない――が、“経験”は、ある。感じられなくとも、“動かし方は知っている”。“殺し方”は――“頚の折り方”は、知っている。誰より俺が、知っている。
「き…………」
更に力を込める。残ったもののすべてを振り絞る。ウロ、俺はお前を殺す。その頚を折り、確実に息の根を止める。何千何万何億と繰り返されてきた俺の総てを込めて、お前を殺す。だから、それが嫌なら、死ぬことが恐ろしいなら――。
ウロ。お前は、俺を、殺せ。
俺を殺して、生き延びてみせろ。
殺して生きた己を自覚し――そして、絶望しろ。
絶望して、今度こそ、終わらせろ。お前〈俺〉を……終わらせろ。
「…………ぃ」
月明かりから外れた影の裡で、ウロの手が動く。躊躇うように宙を彷徨い、しかしその抵抗も、力なく垂れ下がる腕に潰され。そしてその手は、触れる。手が、指先が、俺の頚に、触れる。指が這う。つかむ。圧迫する。気道を潰す。骨を歪める。そうだ、それでいい。折れ、頚を。俺の頚を。
折れ……折れ、折れ、折れ!
「………………ぉ」
……おい、なんの真似だ。何をしてる。なんで……なんで、手を放す。なんで殺さない。なんで生きようとしない。死ぬんだぞ。お前、そのままだと、死ぬんだぞ。怖いはずだ、何より恐ろしいはずだ。俺には判る。俺には判るんだ。なのに、何故――。
右手。生きた、俺の手。青の端をつかむ俺の手。俺の込められたその手。その手が、何かに、つかまれた。俺の頚から離れた、ウロの両手が、俺の右手をつかんでいた。影を越え、月光を浴びたウロの両手。その姿が、顕となる。
なんだ、そりゃ。ウロ、お前。お前の手。
黒く、腐って――――。
「……ぁぁぁぁぁあああああああ!!!!」
月光に、影が生じた。宙に舞った、十本の黒い影。腕の先、手の先、人が人らしく生きるための機能の多くを司るそれ。武術家としての鍛錬の歴史が詰まった細長きそれ。それらの十。それらの十が月の光を遮り、程なくして、還っていった。音もなく、暗闇の、影へと。目で追うことはもはや、できなかった。俺は――マフラーの青を、手放していた。
「色月が……言ってたんだ……」
ウロが、言う。
「色月を見つけたのは、あんただって。土に埋れた色月の“色”を、見つけ出してくれたのはあんただって。だから――」
きつく結んだ後ろ髪を揺らして、ウロが言う。
「……だから、約束、なんだよ。約束、果たしてもらうから」
約束果たせと、ウロが言う。
「純」
頼みをひとつ、なんでも聞く。
「あんたには俺達の――」
いつか交わした、約束を――。
「俺達の“父さん”に、なってほしい――」
銃声。
ゆっくりと傾く、ウロの身体。それは、力を失い、そのまま――月明かりの外へと、倒れた。
「……おい、ウロ、おい!」
「麻酔銃だ。心配するには及ばない」
声。『感息座』の、入り口から。
「貴様を狙ったつもりだったが……手元が狂ったか」
「てめぇ……」
男が、構えた銃を投げ捨てた。投げ捨て、暗闇へと歩を進めた。歩を進め、近づいてくる。俺の下に、ウロの下に。それと共に、明確となっていく。反射された仄かな光に、顔が映る。
よく見知った――いやというほどよく知った、こいつの顔が。
「…………友為!」
佐々川友為が、そこにいた。
一四 相道純
見間違えようはずもない。そいつは佐々川友為。黒澤組若衆筆頭にして、かつては相道流の門下に在った者。俺の兄弟子。ムカつく野郎。そして――俺を付け回していた『霊授兵』もどきどもの長。神隠しの首魁。
「……狙いはウロか?」
「その通りだ」
あっさりと認める。自信か。身体を傾け、影を作る。ウロを隠す。その僅かな動作ですら、十全にはいかない。快復にはまだ、時間が掛かる。こいつが何を企んでいるにせよ、動けなければどうしようもない。
時間を、稼がなければならない。
「頭自らご苦労なことだ。悲しいよな、こういうとき人望のないトップは」
「そうだな。何処かの誰かが『白影』の一部隊を全滅させてしまったせいで、貴様の所在を突き止めるのにも要らぬ手間を掛けることになってしまった」
「へぇ……そいつは悪いことをする奴もいたもんだ」
「ああ、その通りだな」
「……はっは」
「……」
「……どうしてここが判った」
「
「あ?」
「田中中という男を覚えているか」
「…………俺を尾けてた?」
「あれは『霊授兵』研究の副産物だ」
あの青瓢箪が……? ぼんやりとした記憶の彼方から、田中中という男の人相を思い浮かべる。殆ど思い出すことはできなかったものの、“架国で俺たちが受けた地獄”を潜り抜けた猛者とは、到底思えない。あれの何処が、『霊授兵』だ? そうした俺の疑問を読み取ったのか、友為の奴が答えを提示する。
「あれは“お前たち”とは異なるアプローチで生じたものだ。双見の民から無差別に選定し、医療的方法によって『霊授兵』の再現を目指した実験の一例。残念ながら期待した通りの成果を導くことはなかったが、それでも結果的に、行った意味はあったと言える」
こいつ、よくもぬけぬけと。こいつの言っていることが事実なら、それはつまりこの双見を人体実験の場にしていたってことじゃねぇか。しかもこいついま、当たり前に“お前たち”と言いやがったな。別段驚きはしないが……俺の出自も、筒抜けってことか。
隠したウロを、ちらと見る。目覚める気配はない。
「あれは生命の危険を敏感に察知し、特に敵対的な負の感情と強く作用するよう調整されている。いざという時に貴様を見失わぬため、保険的に“相道純”への強い恐怖心と敵愾心を抱くよう誘導してみた訳だが……まさか、これが命綱になるとはな。ぎりぎりだった。奴の貴様への知覚、その向かう先の判明がもう僅かにでも遅れていれば、俺も間に合わなかったかもしれん」
「保険、ね……。いま双見で起こっていることも、てめぇらの仕業だろう? あれも保険か?」
「そうだ。いま双見で起こっている混乱も、また保険。『白影』の働きによる産物だ」
「また『白影』か。お人形遊びの好きな野郎だな」
『白影』。尾行する奴らを小突いて、すぐに判った。あいつらの頭にあるのは、命令を遂行することのみ。それ以外の不要な欲求、自我は、“削り取られている”。そしてその仮面の下には、知った顔もあった。黒澤組の、どうってことない下っ端だった男。“神隠し”に遭い――そのまま、改造されたのだろう。絶対に逆らうことのないお人形〈『霊授兵』もどき〉に。
「『白影』には東西双方の憎悪を煽らせてきた。西にも東にも紛れ込ませてな。そしてその結実が、今だ。西も東も、“外敵”を殲滅せんが為に動いている。理不尽に仲間を奪われた憎悪と、生存を脅かされし恐怖を原動力として」
「はっ、とんだ機械仕掛けの神がいたもんだ」
「この状況は年月を掛け、我々が興したもの。相道ウロとの交渉材料を増やす、その保険として。だが、それはただの一面に過ぎない」
「今度は言い訳か?」
「我々は確かに憎悪を煽り、開戦の火蓋を切らせた。だがそれは、衝突の時期を速めたに過ぎない。我々が手を加えずとも、いずれ衝突は起こっていた。――そしていまこの双見で起こっていることは、そのまま世界の縮図でもある」
「縮図だ?」
「八重畑丑義は、八百人の滅亡を予見していた」
……八重畑丑義だと?
「八重畑丑義という存在にとって、八百人は存続させなければならないものだった。理屈ではない、感情でもない。ただそうしなければならないものであり、そうすることが自らの役割であると自覚していたのだ。故に丑義は倫理に縛られぬ行いを敢行し続け……相道ウロの『大規模霊触』に着目する」
待て、なんでお前が八重畑丑義を語る。八重畑丑義が『大規模霊触』に着目? そんなこと、俺は聞いてねぇぞ。
「丑義は相道ウロに可能性を覚えた。相道ウロの『大規模霊触』ならば、八百人の生き残る道も拓けるのではないかと考えて。だが、丑義は慎重だった。丑義がこれまで消費し続けてきた代替可能な歯車と違い、相道ウロの役割を果たせるのは相道ウロのみ。失敗して、不要と切り捨てる訳にはいかない。成功確率を高める要素を、丑義は欲していた。……そこに、ある人物からの接触を受ける」
ウロに可能性? 消費した歯車? なんの話だよ。野郎は『霊触症』に罹って隠居したんじゃねぇのかよ。俺は、そんな話、知らねぇぞ。いや、友為。友為、なんでてめぇはそれを知ってる。それじゃまるでてめぇら――。
「そうだ純、『无』の殺害リストを認めたお前からの手紙だ」
――てめぇら、グルだったのかよ。
「お前からの手紙を受け、丑義はすぐに計画の概要を固めた。我々の代わりに相道ウロに熟知した人物――相道純に相道ウロを追い込ませるという計画を」
相道ウロに三老人の殺害を任せる。そう打診した俺に一月も悩む素振りを見せたのは……あれは、演技かよ。
「お前は八重畑丑義を利用していたつもりかもしれないが、実態は真逆だったというわけだ。そもそも純、お前はあの狸を腹芸で出し抜けると、本気でそう考えていたのか? あの八重畑丑義が孫娘可愛さに己や黒澤太平太といった人材を切り捨てるはずと、本気でそう思ったのか?」
「……ずいぶんな口ぶりじゃねぇか、黒澤組の若頭さんよ。べらべらべらべら偉そうに。そもそもてめぇら、なんでそんなに詳しいんだよ。俺は『大規模霊触』のこと、八重畑には一言も話してねぇぞ。何をさも当たり前みたいに、俺が『大規模霊触』を目指してる前提で話を進めてんだ?」
「
…………は?
「もう一度いう。旧国軍基地を根城とした『屋無』たち。その王である松尾護國は、我々の協力者だ」
「…………冗談だろ?」
だってあの野郎は、東に融和的な黒澤組も移民に国を売った八重畑のことも嫌っていて……。
……あ?
「奴は初めから貴様を疑っていたそうだ。驚嘆すべき嗅覚と言ったところだろう。護國は貴様が大陸の人間であると嗅ぎ分けていたのだ。確信にまでは至っていなかったようだがな」
「……」
「護國の目的は“八百人による世界の支配”。そしてその悲願を実現するため、“全人類が純血の八百人人を畏敬し隷従する”という認識改変を願った。純、貴様が護國を利用してウロの動向を探らせていたように、護國も貴様を利用し『大規模霊触』の準備を整えていたのだ。裏では我々と手を組みながらな。とはいえあの国粋主義者は、我々をも出し抜くつもりであったようだが」
「……それで、処分かよ」
田中中が勘違いした虐殺劇。こいつらの仕業とは思っていたが。
そうか、まっさん。あんた……気づいてたのか。
「気づかぬままなら放っておいてもよかった。が、奴は得てはならない情報を得た。野放しとするにはいかなくなったということだ」
…………あー。
「純、聞いているのか」
「少し黙れよ。俺はいま、自分のアホさ加減にほとほと嫌気が差してるところなんだ」
「お前が直情的な阿呆なのは昔からだ。この期に及んで恥じるものでもあるまい」
「…………で、なんだ。何もかもがお前らの筋書き通りだったって、わざわざ自慢しに来たのか? ずいぶんと暇なことじゃねぇか」
「ああその通りだ。……と、言いたいところだが」
友為のやつが、親指で少し離れた地面を指した。警戒しつつ、友為を視界に留めたまま視線をズラす。そこには――。
「そいつだ」
笑う甥の、生首があった。
「そいつには掻き回された。よもやみつるに告白などと……そのような行動は予想になかった」
「おい待てその言い方……まさか、こいつも?」
「無論、我らが手の内の者だ」
……。
この期に及んでと、友為の野郎は言った。それでも、こいつは……自分の見る目の無さに、本気で愛想が尽きる。
「その洞四四の偽物は、生前から我々の監視下にあった。なにせ『无』の息子だ。実験対象としての価値は低くなかった。とはいえその実験は、代理母の報告と監視カメラによる観察に留めていたらしいが」
「代理母、ね」
“母親”という存在に異様な執着を見せていた甥の姿を思い出す。それから……俺たちにとって、母代わりであった人のことを。
「代理母の役割――役割を越えた狂信を受けたそいつは、父への憧憬を強めていく。その憧憬が『无』の遺伝子を引き継ぐ者にどのような影響をもたらすか、それが実験目的のひとつであったらしいが、その実験は驚くべき成果を生むことになる。父に見捨てられたというストレスと愛情への渇望とを極限まで高めたそいつは、本来影すら踏むことの敵わないあの『无』を捉えるという偉業を達成したのだ」
「……それで、会えたのか?」
「残念ながらそいつが『无』に追いつくその直前で、『无』は死亡した。我らが師、戒厳と、まだ十を越えたばかりのウロの手によって。そして『无』の息子は父を失った現実を認められず――ウロを父と認識することで自我を保つことに成功した。そしてその父〈ウロ〉への執着は、ウロによる『大規模霊触』を求める我々にとって有意に働くものと思われた」
そうか。親父のやつ、俺よりも先に『无』に追いついていたのか。追いついて、始末を付けたのか。……そうか。『无』はやはり、死んでいたのか。予想はしていたが、そうか。
そうか。
「我々は偶然を装い、貴様と『无』の息子とを接触させた。貴様ら二人が協力しあい、ウロを追い詰めるのがベストだと判断したからだ。実際、企みは順調に運んでいた。だが――」
「みつる、か……」
あの、制御不可能な家族きちがい。そうさせてしまったのは、俺の責任だが。
人殺し。あいつの言葉が、聞こえてくる。
「みつるという爆弾への接触は、微睡みに堕ちた黒澤太平太の耳元で爆発を起こすに等しい行為となってしまった。黒澤太平太は『无』の息子を疑い、行動を起こしかけた。それは、最も望んでいない展開だった。黒澤太平太が目覚めれば、我々の計画が成功する可能性も極めて低く、殆どゼロに等しくなる。黒澤太平太には、眠り続けてもらわなければならなかったのだ。なにがあろうと。でなければ――」
「もはや、殺すしかなかった……」
「おかげで必要な工程を踏む間もなく、計画の大幅な修正を強いられてしまった。それもこれも、そこで転がっている『无』の息子のせいだ。そいつには、ずいぶんとしてやられてしまった」
死してなお笑う甥子。こいつには俺も、ずいぶんと困らされた。いきなり『无』の息子だ甥だ叔父さんだと詰め寄ってきた時は殺してやろうかとも思ったし、実際最後には俺がトドメを差してしまったが、俺はこいつのことが決して嫌いではなかった。面倒臭いと思うことは山ほどあったが、憎みはしなかった。
もし俺たちを取り囲む環境がもう少し、後少しだけマシなものであれば、もしかしたらこいつとの関係も……みつるとも、もしかしたら――いや。それは、もう、終わったことだ。
視線を、友為にもどす。
「それにしても……ずいぶんとべらべら舌を回すじゃないか佐々川先輩よ。あんたがこんなにぺちゃくちゃおしゃべりしてるところなんざ、俺は初めて目にしたぜ。で、お次はどうすんだ? まっさんを殺ったみたいに、俺のことも口封じに殺すかい?」
気づかれぬよう、奴の死角に沿って腕を動かす。ウロに触れる。感触がある。意識が、肉体の支配権を取り戻しつつある。まだ完全ではないが、ウロを連れ、逃げ出すくらいの目は出てきた。友為も強者だ、楽ではない。が、虚をつければ、それくらいの可能性は、ある。
しかし、問題があった。
仮に友為から逃げ切れたとして……それでその後、俺はどうすればいいんだ――?
友為の言葉が、俺の思考を遮る。
「いいや、そのようなつもりはない。松尾護國とでは不可能だったが、純、貴様とであれば問題はない」
「……なんの話だよ」
「純、貴様の目的はこの繰り返し世界の終焉だろう」
「……ああ」
こいつらは俺について充分な調査を行っている。いまさら隠すこともない。いま思えば、『あんどろぎゅのす』のカマ野郎も知っていたんだな。だからあんな、フザけた提案ができたわけだ。そうだ、確か――。
「俺の目的も同じだ。故に俺たちは、協力関係を結ぶことができる」
……みたいな、ことだったな。
「ただし――」
「ただし?」
「目的は同じだが、その為の手段と動機は異なる。つまりはそういうことだ」
「……何が言いたいのかさっぱりだ。もったいぶってねぇで、簡潔に言えよ」
「世界は滅ぶ」
「…………は?」
……いま、なんて?
「受け入れ難いのも無理はない。だが、これは紛れもない事実だ。世界は滅ぶ。滅亡する。その時は間近に迫っている」
「お前……終末論者だったのか?」
知人の意外な側面を見せられ、俺は、少し、心が冷えるのを感じる。
「純、よく考えてみろ。そも、世界は何故繰り返されている」
「……当たり前に知ってんだな、世界が繰り返されていることも」
「当然だ。この繰り返しこそが俺の動機なのだから。それで、どうだ、純」
「それは……」
んなこと、考えたこともないが。
「考えてみれば至極単純なことだ。何事であろうと、“終わるから、始まる”。“無数に始まってきた”ということはつまり、“無数に終わってきた”ということを意味するのだ。そしてその終わりこそが――滅び。人の世の、滅び。これは事実だ。事実として起こることだ。なによりも俺は――それを“目にしてきた”」
……すこぶるうさんくさいな。
「俺はこの滅びを止めなければならない。それこそ我が天命。その故に、松尾護國とは手を切らざるを得なかった。八百人の血を頂きに据えるは、滅びという観点からすれば無意味であるから」
「どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だ」
「答えになってねーぞ」
「慌てるな、順を追って説明する」
言って友為は、自らの胸を抑えた。そうして何かを確かめるように目を閉じしばらく固まっていたが、やがて目を開き、一気に言葉を吐き出し始めた。
「物事とは凡そ突き詰めてしまえば、そのすべてが“生存欲求”へと還元される。人はその生存欲求に従い食料を求め、土地を求め、群れを求め、共同体を求め、国家を求める。生存という本能のために信仰を宿し、自らを鍛え、他者と競い、戦い、奪い合い――そして、滅びる」
また滅び、ね。
「人は、その生存への強き欲求によって、絶滅する。それも、巨大な“枠”と“枠”のぶつかり合いによって」
「枠?」
「人には認識という能力がある。認識とは区分する力といってもいい。あれとこれ、男と女、大人と子供、人と獣、身内と他人、同国人と異国人、我々と我々以外。この分ける力である認識は、“枠”を生む。己という“枠”、家という“枠”、共同体という“枠”、国家という“枠”、人種という“枠”――。そして人は、個人のものであったはずの“生存欲求”を容易くこの“枠”へと拡大してしまう。“自分”の生より“子”の生存を優先する。“自分”の生より“村”の生存を優先する。“自分”の生より“国家”の生存を優先する――」
「……そういうことは、あるかもな」
「松尾護國や八重畑丑義は八百人という“国家枠”に自らを組み込み、その生存に尽くした者達だ。事実としてそれは、八百人という国家の寿命を伸ばすことに貢献したのだろう。だがそれは、ただの延命処置に過ぎない。特に松尾護國のように、支配を前提とした目的であれば尚の事に」
まっさんの行き過ぎた愛国心。それは俺も、肌に感じていた。その愛国心を利用し近づいた俺に何を言えた義理でもないが。
「四辺に分断されて久しい八百人のそれぞれは、既に異なる国家といって過言ではない。思想も文化も、統合不可能なまでに齟齬が生じている。例え八百人の血を頂きに据えようと、それは分断された八百人のそれぞれを筆頭とした世界の分裂を促すに過ぎず、それでは滅びを食い止めるには至らないのだ」
「ああ――滅びってのは、つまり」
友為の言葉を遮り、声を上げた。胸を抑えたままの友為が、俺を見る。
「人と人の衝突で起こると、そう言いたいのか?」
「そうだ。そしてこの双見で起こっていることが、その縮図だと言っている」
「……それなら、判らなくもないな。だが――」
「だが、なんだ?」
「そんなもん、止められるもんでもないだろう。だってよ、人間は……その大半が、畜生なんだぜ」
「といって、傍観はできん」
友為が一歩、こちらへ近づいた。身構える。いつでも動けるよう、指の先まで神経を巡らせる。関節、動く。いける。
「純、貴様の言うとおりだ。この星上で、人類という種が異なる“枠”に属している限り、滅びは止まらない。滅びを止めるにはすべての人類が、“一つの枠”に属さなければならない。無貌を飲み込む集成枠。統一国家ではない。そんなものは、あろうがなかろうが関係ない。八重畑丑義が望んだように、八百人という国は存続するかもしれない。しないかもしれない。どちらも可能性に過ぎず、どちらであろうと大差はない。思想や文化、言語の統制も要らない。汎ゆる形での“支配”を必要としない。そのような些事に惑わされずとも、人はひとつにまとまれる」
ゆっくりとした歩みで、着実に歩を進める。二歩、三歩、四歩――月の光に照らされた、俺の領域にまでその足が踏み込む。そして――。
「必要なのは唯一つ、人種を越えて全人類が等しく持ち得る原理基盤――感情。感情の共産。全人類が全人類と感情を、痛みを共有すること。即ち――」
目の前で、止まった。
「“全人類を相道ゆめの次元まで昇華せしめること”。それが、俺の見い出せし理想郷だ」
「…………ゆめ?」
「そう、ゆめだ。他者の喜びに喜び、他者の痛みを自らの痛みと引き受け涙した、あのゆめ。現生する、そして今後生まれゆく全ての人類に、ゆめと同じ力を得てもらう。全ての者が全ての者への責を負う、そうした世界を現実に構築する。そしてそれこそが、滅びを回避する唯一にして絶対の解法なのだ」
「ゆめと、同じ……」
「滅びがなければ世界が繰り返されることもない。貴様に殺されるゆめが新たに誕生することも、ゆめを殺す貴様が生まれ出ることもない。お前の死は、過たずお前の死となる」
そこで友為は、言葉を区切った。言葉を区切り、その身を傾けた。つかむような形に曲げられていたその手を胸から離し、俺の前へと差し出してきた。
「純、手を貸せ。手を貸し、相道ウロに再び働きかけるのだ。俺のためである必要はない。お前のために、この手を取れ」
「……」
正直なところ、こいつのいう滅びがどうだという話に納得できた訳ではなかった。間東やくからも、そのような話は聞いていない。更に言えば、人類の滅びだの何だの、そんなことには興味もない。だが、滅びとやらが“次”をもたらすのであれば、無視することもまたできない。それに――ゆめ。全人類が、ゆめのような者になる。
『ゆめみたいな奴が生きられる世界を』
いつか、稜進と交わした約束。本気じゃなかった。俺も、稜進だってそうだろう。あれは、先へ進むための口弁に過ぎないものだった。実現できると思ったこともなかった。だが……そうなればいいと思ったことも、事実だった。佐々川友為の提案を悪くないと思う俺が、確かにいた。
しかし。
「……霊爆による被害者は、世界人口の凡そ三割だったそうだな」
「唐突だな」
「答えろよ」
「……知らされている限りでは、そうだったはずだ」
「ウロの『大規模霊触』は、どの程度の影響を及ぼしたんだろうな。あの、些細な改変でよ」
「下山の父の昏倒、八重畑丑義の引退、『无』の記憶の復活……正確な観測はできないが被霊者は、双見に限っても三○○人は下らないだろう。無自覚者を含めれば、その二倍や三倍の数ということも充分に有り得る」
「俺も……そうだしな」
「さっきから何が言いたい」
「あんたの試算じゃ、どの程度残るのかと思ってよ」
友為の手は、差し出されたまま動かない。俺はその手を、凝視する。
「名前を取り替えるなんて些細な改変じゃない。頭の仕組みを根底から組み替えちまうような大規模で広範な改変接続……いったいどれだけの人間が適応できると考えてるんだ?」
「千は残らんだろう」
「……千、ね」
「百以下か、あるいは十に満たぬ可能性もなくはない。だがそれでも――」
友為の手を、凝視する。
「絶滅に比べれば、僅かな“枝葉”だ」
――僅かな迷いも、そこにはなかった。
「そも、純。なぜそのようなことを聞く。貴様の“枠”は己がすべて。その他大勢の生死に興味などない……違うか?」
「……おっしゃる通りだよ。どんだけ死のうが生き残ろうが、俺にゃ関係ない。俺にゃーね」
こいつは俺を、騙すつもりなどない。俺はそう、確信した。
「いやな、あんたの提案、実際悪くないと思ったさ。言うとおりだよ、何もかも。俺は死ねれば、後は人類が生き残ろうが息絶えようがどちらでも構わない。それに、ゆめみたいな奴が生きられる世界ができるってんなら、俺も……俺も、それが一番いいと思う。……でもな、問題があるんだよ。困ってんだ、俺は」
「困っている?」
友為のやつが、無機質に繰り返す。そうだ、俺は困っている。困らせているのは――こいつ。俺の背後で眠りこけているガキ――ウロの、野郎だ。
「俺はさ、天才なんだよ。相道の技だって、見様見真似ですぐに実践できるようになったしな」
俺は、どうしようもない凡才だ。親父や黒澤太平太、それに……友為に憧れ、休めと言われても隠れて技の修行をした。コツなんか判らなかったから、時間を費やすしかなかった。怪我だってした。怪我を隠して、更に隠れて修行した。それでも追いつける気はしなかった。でも、負けん気だけは一丁前だった。負けたくないから、努力した。
「だから
雑魚は狩った。無数の雑魚は狩った。しかし本ボシは――『无』には結局追いつけなかった。『无』一人に蹂躙され、移民法なんてバカげた法律を制定させちまった。俺がやってきたことは、ただの腹いせの弱いものイジメに過ぎなかった。
「有言実行とでも言えばいいのかね。でもな――」
肝心な約束を守れたことは、一度もないんだ。どうでもいい契約や取引ばかり守っていつもいつも、決まって一番大事なものだけは裏切っちまう。習性なんだろう、もう、生まれる前からの。それが俺だ。そういう最低で、どうしようもない存在が俺という生き物だ。
だってのに。
「俺は、負けちまったんだ」
「純、何の話だ」
「判んねぇか? 判んねぇよな。俺にも判んねぇのさ。ただ、ひとつだけ言えるのはよ――」
ああ、本当に腹が立つ。ウロの野郎、好き勝手に“見せて”きやがって。あれは、俺じゃねぇよ。あれはお前の頭の中で勝手に育った『相道純』だ。畜生の、“死にたがり”のグノじゃない。だってのに、この野郎。見せつけてやったはずだ。俺という生き物を見せつけて、本当の俺がどれだけお前の理想と食い違っていたか教えてやったはずなのに、それなのに、野郎、言うに、事欠いて――。ムカつくガキだ。本当に、心から気に食わないガキだ。
そんなガキは、そんなガキはな――。
「ちったあ“親父”らしいことしねぇと、こいつらに合わす顔がないんだよ!!」
穴蔵越えて、滝越えて、そのまま飛んでっちまえ――――月にまで!!
一五 那雲崎道民
霊素とは、言語〈コード〉である。
世界とは、霊素というプログラムコードの再現場である。
霊素とは、世界である。
世界とは、言語である。
その事実をボクは、否定したかったのです。世界とは無限の可能性に満ちた可変空間であるという信仰を、ボクは守りたかったのです。しかし調べれば調べるほど、見つかるのは世界が定形の繰り返しであるという証拠ばかり。そしてとうとうボクは、決定的な証拠にぶつかってしまいました。
もはや疑う余地はありません。人は、言葉に支配されています。自ら運命を手繰るのではなく、属する言葉に運命を手繰らされているに過ぎない存在。それが人、人間なのです。
人に、自由意志などないのです。
ですからもう、構いません。ボクは興味をなくしてしまいました。人に、世界に、霊素というただの言語の羅列に、ボクは興味をなくしてしまいました。この空虚で無味な時空に留まることの、何れの観点においてもボクはもう、何らの意味を見出すこともできなくなってしまいました。
予めプログラムされた通りにしか動くことのない自動人形。
その絡繰りを知ってなお、どうして愛でることができようものか。
だから死は、構わない。それは予め定められていた事象が、定められていた通りに再現されるだけなのだから。しかしそれでも、それでも君が変化を望むというのであれば。それはそれで、いいのだろう。例えその願いが、君から生じたものでなかろうと。ボクの生命、君が天命のために用い給え。
もしそれで、もしも世界に、霊素なる言語に一矢報いることができるのならば。ボクの死にも、あるいは意味らしきものが生まれるであろうからね。
それではお先に失礼するよ、佐々川友為くん。
君はそちらで、白痴の希望に浸ってい給え。
一六 佐々川友為
滅びを止めろ。
原初の声。母のものよりも早く、俺はその声を耳にした。母の顔を拝むよりも先に、声と共に映し出されしその光景を俺は目にした。数千億の生涯。異なる人格、異なる生。生、死、歴史。十月の裡に垣間見た、終始同体の無限円環。廻り、なぞり、重なり弾け、また廻る。滅びの為に、歴史が廻る。複製総意が、歴史を廻す。無窮に重なる記憶の記録。滅びの拒絶。生の希求。――後悔。胎より出でしその瞬間、眩き曙光に俺は悟った。俺に課されし役割を。
滅びの阻止。
それこそが我が天命。この世に生を受けた、その意義。
汎ゆる事象に優先される、何を差し置こうと果たさねばならぬ、義務――――。
「……あーあ、なにやってんだろうな、俺は」
純に放り投げられた相道ウロの身体は、『感息座』の岩壁に生じた小さな亀裂をすり抜け、背併せの滝へと呑まれていった。間に合うか? いや、間に合わせなければならない。幸い滝の先、川の流れは頭に入っている。すぐに追いかければ、捕まえることは充分に可能だ。いまならば――。
駆け出そうとした俺はしかし直後、全速で横へ跳ねた。先程まで俺のいた場所に、純の足が伸びていた。
「俺はよ友為、あんたの誘い、本気で悪くないと思ったんだぜ。いや、悪くないどころじゃない。そいつは理想だ。俺たちがいつか思い描いて、けれど自分って現実の前に投げ捨てちまった理想。本当言うと、未練はたらたらだ。“次”を思えば、不安だって、な……でもよ――」
ウロ〈天命〉への道に、純のやつが、立ち塞がる。
「生きるつもりのあいつに、そんな真似はさせられねぇだろ?」
言いながら純は、傷だらけでぼろぼろとなった衣服を破く。純の上半身が顕となる。すぐに、異変に気づく。淡い緑の蛍光が、純の胸部のその内側に灯っていた。
「何から何までウロ任せじゃ、あんまり情けないと思ってな。大したモンじゃないがそれでも……ここ〈『感息座』〉を吹き飛ばすくらいの威力は、ある。」
「身埋式超小型霊爆……」
「御名答だ」
北の共産連邦が秘密裏に開発した、狂気の産物。実用化には至らず、国際社会の目を掻い潜りながら方々で廃棄解体されていたと聞いたが……そうかこれも、松尾護國と組んだ理由のひとつか。やはりやつも、我々の裏を掻く手立てを用意していたということなのだろう。
「さあて、ここから先はシンプルだ。あんたはウロを追いかけたい。俺はそれをさせたくない。だったらもう、やるべきことは一つだろ?」
「決闘」
「さすが、破門されたとは言え相道に身を置いていた男だ、話が早い。ま、そういうことだ。ウロを捕まえたきゃ、俺を排除してみせな。こいつのスイッチはもう押した。制限時間は三分。なぁに、こっちは負けたばっかの萎えた隻腕、そっちは気力充分な五体満足。黒澤組若衆筆頭様にしてみりゃ、赤子の手をひねるより簡単なことだろうさ」
指を立て、仕草で俺を挑発する。ふざけた、いい加減な態度。どこまでも適当で、本気になることを恐れてすらいるかのような、他者ごと汚泥へ引きずるようなそれ。自己愛に塗れた、保身ばかりの。
一見では。
だが、違う。
――純がそうしたように、俺は、自らの衣服を剥ぐ。
「おい、人の真似――」
「双見が守護者の、その生涯を懸けた一撃だ」
純の前に、それを晒す。黒澤太平太。相道に生き、双見に死んだ偉大なる王の拳、それが突き刺さりし痕。陥没した胸部。血と酸素の不足に腐りつつある肉体。破れた心臓は、半刻程前にその機能を停止した。この状態ではもはや――。
「朝日は拝めん」
「……上等だ」
構える、互いに。相道にて培った技を、互いにぶつけ合わんがために。
己に殉ぜよ。己に殉ぜよ。己に殉ぜよ。
同じ言葉が、俺の裡で繰り返される。己に殉ぜよ。なぜ俺は、このような言葉を吐いたのか。欠片も信じていないはずの言葉を、あいつらに向かって吐いたのか。なぜ俺は、馬鹿正直に付き合おうとしているのか。課されし役割、生まれ出し意義そのものたる天命を脅かすような真似をしてまで。純は万全ではない。躱し、避け、そのままウロを追いかけることも不可能ではないはずなのに。なぜか。答えは、明白だった。
心のどこかで俺は、こうなることを望んでいた気がする。
俺は己を知った。確かに知ったのだ。あの時、あの日、まだ相道に通っていたあの幼き頃に。己自身を顧みさせた男の存在によって。やつによって。凡愚の童でありながらその力への意志のみで俺を打ち負かし倒したあいつによって、俺は知ったのだ。“己”を、知ってしまったのだ。
純。
「白痴の希望、か――」
「何にやついてんだよ」
「にやついている? ……バカな、だらしなく頬を緩めているのは貴様の方だろう」
「……はっ。いいのかよ、そんな余裕で。時間はいまも経過してるんだぜ」
「構わん。どうせ、一撃だ」
「言うじゃねぇか。だが、ま、……その通りだ。どうせ、一撃だ」
壊れた心臓が、拍動する。ゆめの死にて止まった時間が、再び動き出す。動き出したまま止まった時間で、俺達は向かい合う。皮膚の呼吸。汗腺の閉口。細胞の代謝。臓腑の脈動。そのすべてを、感じ取る。俺のすべてが、目の前の男に集中する。世界が狭く、狭く、狭く狭く狭く狭まる。不純なき、絶対の純粋世界。原始的闘争の、一分の一。
そして俺は、やがて見る。相対者の、瞳孔の、収縮――。
さあ――己に殉ぜよ、佐々川友為。
この瞬間、今この瞬間こそが、俺が俺である時――――!
地を蹴る同時、二つの
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