Mission-26 悪魔との契約


 暗く無機質な背景に満たされた仮想空間上を、4条の矢印が複雑な軌跡を描きながら絡み合っている。赤色に塗り分けられた3本の矢印は上下左右にせわしなく動き、旋回や加減速を交え、唯一白く塗られた矢印の背後へ回り込もうとするようにうごめいていた。

 天龍が空中で取っ組み合うかのような――と勇壮な表現をしたくなるが、実際の所、画面の中で身をくねらせるのは面白みの欠片もない扁平な矢印で、”天龍”と言うよりも”無駄に元気なプラナリア”と表現する方が適当な気がする。

 ただ眺めているだけならば、1本の白い矢印が3本の赤い矢印に追い掛け回されているようにも見えてしまうが、少しは戦場の空と言う者を知る者が見ればその評価は逆転した。


 レンズ越しの群青の瞳が自身を見つめている事に気が付いた。と言うわけでは無いだろうが、白い矢印が不意に動きを変えた。


 緩やかな右垂直旋回に入った瞬間、横倒しになった穂先が鎌首かまくびもたげる様に鋭く旋回中心へと切込み、サッチウィーブの形で背中に食らいつこうとしていた別の赤い矢印と正対。直後、白い矢印の真正面へと飛び込んだ赤い矢印は、穂先が存在していた場所に同色の×印を残して掻き消える。画面右下に小さく【GUN】の表示。

 間髪入れずに体を捻り、滑らかなループを描いて上昇した白い矢印は、後方上空から第2撃を狙っていた3本目の赤い矢印へと突入。3本目の矢印は、自身よりも更に細い針のような2条の軌跡を吐き出し迎撃。だが、加速しつつ目前に染まった軌跡を白い矢印はバレルロールで絡めとるように後方へとてしまう。【GUN】の表示が踊り×が更に増える。

 そうして最初に白い矢印を追いかけ、今では最後の1本になった赤い矢印――Yak-141が反転離脱を計るが、戦域から逃れる前に赤い矢印が放った細い軌跡――短距離空対空ミサイルに食らいつかれ赤い×印へとその姿を変えた。

 直後、つい先ほどまでの戦闘をゴーレムコア内で再演していた画面が固まり、続いて幾つかのウィンドウが開いたかと思えば黒い画面の上を猛烈な速度で数式が流れ始めた。こうなってしまえば、幾らかの心得は有るが本業はオペレーターであるノルンが読み取れることは無い。フムン。感嘆とも、呆れともとれる溜息を吐き出した彼女は、画面の前に陣取った馴染みの顔へと視線を送った。


「で、何か解ったか?」

「実に興味深いネ――いや、これでは単なる感想かな?」


 顔の前で組んだ手に顎を乗せていた初老の男――トロイアは、冗談めかして笑って見せた。しかし、幅の広い黒縁眼鏡の奥に収まった蒼氷は、その色が示す温度のまま画面を流れる文字を追い続けている。

「感想でも良い、今はコイツの情報が知りたい」にじみ出る不機嫌さを隠そうともせず、ノルンは傍らで翼を休める鋼鉄の燕に顎をしゃくった。

【B.B.】と白書きされた40フィートコンテナと、今まさに整備が行われているMig-29M2の狭間で、彼女はトロイアと共にゴーレムダストが経験した戦場のデータを吸い上げ、解析を行っていたのだった。

 とはいえ、移動式の簡易机の上に有るのは5.56㎜の小口径高速弾なら余裕をもって受け止められそうなゴツいラップトップのみ。背後から伸びる太いコードが隣のコンテナに引き込まれていなければ、とてもではないが空飛ぶ半生体電算機の頭の中をのぞいているようには見えなかった。

 「初の実戦に投入されたゴーレムの反応は凡そ2つに分けられる」トロイアは、研究室に教えを乞いに来た熱心な学生の相手をする教授のような口調とともに、指を2本立てて見せた。


「無駄に出しゃばってウィザードの邪魔をするか、それともひたすらけんに回って置物になるかの2つだ」

「ダストは違うと?」


 片眉を上げたノルンに「ほらここと……ここ。それにここも」とトロイアの指が一時停止された画面へと伸びる。グラスの縁をなぞるように示された複数の箇所には、戦闘時のログと魔力消費を示すグラフが表示されていた。


「ダストが提示した武装をレーヴァンが無視し、独自の行動を実行した瞬間、ゴーレムコアの魔力消費が跳ね上がっている。特にメインプロセッサの根幹部、推論を司るエリアだ」

「それは当然じゃないのか? ゴーレムにとって自己学習とアルゴリズムの再構築は必須条件だろう」

「それが戦闘機動中であっても?」


「出来ないのか?」意外そうな表情を浮かべるノルンに、「やれやれ」とトロイアは首を振って見せた。「パンピーゴーレムは鴉クンほどムッチャクチャではないよ」大げさに肩をすくめ、初めて画面から視線を外す。


「正直な所、コンピュータの構築とゴーレムの学習にプログラミングだとかインストールだとか同じ言葉を当てはめているのが、混乱の元だと思うんだがね――ゴーレムは、コードさえ書き換えれば、性格も性能もがらりと変わる無機系コンピュータとは全くの別物なのさ。高度な処理能力を持つが、あくまでもだということに変わりはない。有体に言ってしまえば、ゴーレムのプログラミングは魔術的な洗脳と表現できるね」

「洗脳ねぇ……」

「そして有機的な存在だからこそ、自己進化が可能なのさ。我々の脳が刺激を受けて神経系をつなぎ変える様に、ゴーレムもまた自身の回路を最適な状態に向けて活発に組み替えていく。不要な回路は退化させ、使用頻度の多い回路は発達させる。これは工業製品である結晶回路にはできない芸当だ。だが、この進化には大きな問題がある」

「全力疾走しながらではミレニアム懸賞は解けない、か」


「まさにその通り」出来の良い生徒が自ら正当を引き当てた事に、さも驚きと感激を同時に感じていると言う風に指を鳴らす。


「戦闘中はウィザードと同じくゴーレムも自身の死を身近に感じながら、演算を行っていると考えられている。つまり、自身の全能力を生存の二文字に賭けているのさ。先ほど言ったように、初陣を迎えたゴーレムが邪魔者になるか置物になるかの二択は、ある意味当然の帰結と言える。黙っている方が得か、強硬策に出るべきか、其処を判断し処理し実行に移すのはゴーレムとしての生存本能と言えるだろう――だからこそ、ダストの挙動は実に興味深い」


 トロイアはキーボードを操作し、再びグラム1が取った戦闘行動のログを流し始めた。暗い背景上を進むフィンガーフォーを組んだ4つの青い矢印の群れを、白い矢印が追い抜き、赤いブロックが敷き詰められた敵陣地へと降下し始める。先程とは異なり、画面の端には戦闘のタイムラインではなく魔力消費を現すグラフが波を描いている。


「作戦開始直後、ダストはクラーケン隊と同じくミサイルの発射を推奨したが、グラム1は敵がチャフを用いて迎撃機の離陸を援護する事を見抜き、接近してのガンアタックを選択した」


 白い矢印をクラーケン隊が放ったミサイル群を示す細い矢印が追い抜いた瞬間、グラフの波が鼓動を打ったように大きく跳ねる。それと同時に、トロイアはリプレイを一時停止させた。


「本来ならば、ここで魔力消費が大きくなるのは記憶領域の筈だ。ウィザードとの間に産まれた認識の齟齬を修正するために、その時点における可能な限りの情報を収集し格納する。そして現時点での次なる最善手を思考する――だが、見ての通りダストが魔力を回したのは推論領域。特に、他のゴーレムであれば自己を組み替える際にどのような回路を強化すべきかを検討する領域だ。ダストは戦いながら、己を組み替えようとしている――否、組み替えた……かな」


 薄い笑みを浮かべながら顎を撫でるトロイアの言葉を聞きながら、ノルンはレーヴァンバカガラスがYak-141をに落しに行った時の事を思い出した。

 そういえばあの時、レーヴァンは”ダストも賛成している”と付け足していた。奴がディスプレイ上に何を見たのか定かではないが、少なくともダストは退却する事を望んでいなかったのは間違いない。

 自分はあくまでもオペレーターにすぎないが、これ迄見聞きしてきた中に、”ゴーレムが邪魔をしたおかげで獲物を取り逃がした”や、”狂ったゴーレムのお陰で死にかけた”と言う話は有っても、”正気のゴーレムが無茶を言って死に掛けた”と言う話は聞いたことがなかった。

 それはそうだろう。自我の有無に関わらず、ゴーレムはあくまでもウィザードの補助装置にすぎないのだから。期待されているのはブレーキとしての能力であり、アクセルの役目ではない。製造元も、それを考慮してゴーレムを生産している。

 もし新造品のゴーレムにレーヴァンと同じ状況を与えてやれば、全会一致で撤退を推奨するのは想像に難くない。人のフライトオフィサであれば、調子に乗ることもあるだろうが、冷たい演算で世界を見ているゴーレムにそのような揺らぎは存在しないのだ。

 例外として挙げるのならば、それこそ複数回の自己進化により搭乗者の癖を学習したゴーレム。だが、慣らし運転を兼ねた試験飛行こそ行ったものの、レーヴァンとダストがコンビを組んで実戦に参加したのはこれが初めてだ。少なくとも、戦闘時のレーヴァンの思考をダストが試験飛行で全て学習したとは考えづらい。他に考えられる事としては――


「ミネルヴァの話では、このMig-29M2ファルクラムは倉庫で埃をかぶっていたのを持ち出してきたモノらしい。前任者がレーヴァンと同じような思考回路だったと言う可能性は?」

「勿論あるとも――彼クラスのウィザードがこの空にどれだけいて、その中で似たような思考回路を持ち、Mig-29M2を駆り、ゴーレムに自身の癖を覚え込ませ、初期化処理も行わずに手放し、戦闘時のログに態々ダミーデータを残す習性を会得させているという確率を考えなければならないがね」

「E.T.でも探す方が建設的な確率だと言う事は良く解った」

「誰が宇宙人だ」

「うひゃいっ⁉」


 呆れたような声が背中に投げつけられるのと同時、首筋に走った冷たい感触に小娘じみた悲鳴が零れた。目を白黒させて首筋に手をやりながら振り返るノルンの目の前には、最近になって知り合った男を後ろに従え、結露した炭酸飲料の瓶を突き出すレーヴァンの姿。反射的に殴り掛らなかったのは我ながら奇跡的な事だと、この場を如何取り繕おうか思考を回し始めた頭が益体もない感想を出力する。

 数瞬の後、我に返ったノルンが何処か面食らった様子のレーヴァンから瓶をひったくるが、手の中に納まったボトルのラベルを一瞥し舌を打った。


「気の効かん奴だ――次は炭酸以外を持ってこい」

「嫌いなのか?」


「苦手なだけだ」一つ鼻を鳴らしたノルンは、この短時間の内に碌でもない情報を二つもさらしてしまった羞恥を流し込むようにジンジャーエールを一息にあおる。炭酸の刺激が喉を焼き、やはりろくでもない飲み物だと自身の嗜好しこうを再確認してしまう。


「それで、取り付けは済んだのか?エディ」


 胸の奥からせりあがりそうになる空気を押し留めたノルンは、レーヴァンの後ろで苦笑いを浮かべている男へと胡乱な視線を向けた。

 自分は勿論レーヴァンよりも視線の位置が高く、全体的にすらりとした印象で、そういった面ではトロイアに良く似ている。見ようによってはハンサムと呼べなくもない顔立ちではあるが、銀縁眼鏡や辛うじて撫でつけてあると表現できる伸ばし気味の髪、ラフな格好にオイル汚れが目立つ白衣がプラスの要素を蹂躙して余りあった。

 かつて合衆国の中でも一・二を争う工業系の大学において最速で魔導工学の導師ドクターにまで上り詰めたが、何の因果か現在ではよりにもよってミネルヴァの【商会】に厄介になっている男。つい先日までは【エントランス】でも秘密の部屋として名高い、【商会】が占有する魔術工廠の一角。通称【ブラック・ボックス】に所属して技術開発を行っていたらしい。

 よく言ってしまえば、実戦派の技術屋。悪し様に言ってしまえば、オタク。それが、ミネルヴァから”グラム隊専属整備士”として新しい肩書と仕事を追加された男への、一般的な総評だった。

 群青の視線を向けられたエディは「うん、まあね」とその風貌に違わず柔和な返答を口にした。


「メーカー純正と言うわけでは無いけれども、装備、機体ともに強度的な問題はないよ。少なくともなんてザマにはならない筈さ。後は、レーヴァンが使いこなせるかどうかだけだね。やりようによっては、対空目標にだって使えるし」


 何処か面白そうな表情を向けられたレーヴァンは「やってみない事には何ともな」と頭をかいて見せるが、口の端にはエンジニアの言を肯定するような微かな笑みが浮かんでいる。途端に噴き出た否な予感を隠そうともせずに、顔を引きつらせたノルンは早々に釘を刺すことに決めた。


「ガキじゃないんだからせめて最初は説明書通りに使え、いいな?――貴様もコイツにあまりバカなことを吹き込むな、ミネルヴァから聞いているだろう?」

「勿論。”退屈しないヤツ”だってね」

「その点については保証してやる」

「どういう意味だ」

「これまでの戦闘詳報を1000回ほど読み直せ、バカガラス」


 今度は自身の主張を一刀のもとに切り伏せられたレーヴァンが頬を引きつらせる番だった。反論の幾つかを即座に思いつくが、それらを口にしたところで、自分を見上げる群青から10倍ほどに増幅された反撃が飛んでくるのは目に見えている。

 古今東西、勝ち目のない言い争い程くだらないものは早々無い。魔女からの追撃を喰らう前に、奥の椅子でニヤニヤとした笑みを浮かべている性悪紳士(自称)へと矛先を変えるのが適当だろうと結論付ける。


「――そんなことより、だ。どうして酒保のマスタートロイアがゴーレムエンジニアじみた事をやってるんだ?」


 当然と言えば当然の質問ではあったが、この場にいる他の3人はレーヴァンの言葉を理解するのに数瞬の時を擁し、続いて「あぁ」とバラバラに間抜けな声を漏らした。


「確かに、知らないはずだな」

「おっと、うっかりしてたネ」

「相変わらずの秘密主義ですか、教授」


 ポン、と瓶を持つ手を打ったノルン。パチン、と指を鳴らすトロイア。そして、軽く肩を竦めるエディ。三者三様の反応ではあるが、自分と彼女らの間に大きな認識の齟齬があることを理解した鴉は、思わず天を仰いだ。


 ――大丈夫かコイツら


 どこまで本気か判断が付かない、芝居がかったトロイアの回想を聞かされ始めた鴉の直ぐ傍では、Mig-29M2の腹に取り付けられた鋭角的な装備が、格納庫の光を鈍く反射していた。



 ◇



「話になりませんな」


 深い溜息と共に口の端から吐き出された紫煙が揺らぎ、楕円状の会議机の上空で渦を巻いた。

 名状しがたい不定形をうごめかしながら虚空へと溶けていく煙の向こう、ラルフが座る上座の対面上に居並んだロージアン王国高官の青白い顔が、様々な感情によって僅かに歪む。

 遥か千数百キロ先に位置する王都の会議室と、上空3万フィートを滞空する【エントランス】の簡易会議室を結ぶ暗号化された魔術通信の糸は、青系のモノトーンでしか通信相手を描画する事は出来ないものの、立体映像としての画質自体は表情の微妙な違いを読み取れる程度には高い。

 もっとも、自身の言葉に相手がどのような反応をしようが、必要とあらば意図的に無視できるある種の鈍感さを確信犯的に振るうラルフにとっては、単なる答え合わせ以上の意味を持っていなかった。


「最初に言ったはずだ、報酬は全てミスリルに限る、と。忘れたわけではないだろう?」


 紫煙を棚引かせる細巻を灰皿に押し付けたラルフは、出来の悪い言い訳を並べ立てる生徒を諭すような口ぶりで続けた。


「貴方方の懐事情を察せないわけではないが、だからと言って戦時国債での支払いを認めるかどうかはまた別の話だ」

『正しくそうでしょう、司令官閣下』


 碌でもない敬称を付け此方の顔色をうかがうようなロージアン王国高官に、通信を切りたい衝動を呼び起こされるが、代わりに内ポケットに突っ込んだシガレットケースへと手を伸ばす。自身の体温で僅かに温められた金属製の箱を緩慢に抜き取る間、高官は更に言葉を並べていった。


『ですが、我々が優勢であることは閣下が最もご存じのはず。我が王立陸空軍は近々攻勢を開始し、我が国からの独立と連邦への帰順を標榜したエンゲイトを陥落させるでしょう。そうなれば、エンゲイトの自主独立を名目に侵攻した連邦は、作為に紛れているとはいえ名分を失います。さらに言えば連合王国と合衆国からは、事態の仲介に尽力するとの確約を得ており、今回の悲劇の代償は連邦に支払わせるとの密約すらも存在するのです』

「2大国がバックについているのであれば、何一つ問題はないではないか。別に、我々は支払われるミスリルの産地については条件を設けていない」

『今現在において最もミスリルを欲しているのは我々であることも、どうかご留意頂きたい』


 口を挟んできたのは王国側高官の中でも魔力資源を管轄――この場での魔力資源とは、国庫と同義と考えてよい――している男だった。交渉ごとの場には余り慣れていないのか、不愉快気な感情が口の端に現われている。つい先ほどまで饒舌に口を回していた外交関係の高官の目が微かに細められた。

 同僚の紛れもない蔑視べっしに気づくことなく、神経質そうな高官は甲高い声を上げ続けている。


『超高密度魔力凝集体であるミスリルは、魔術や魔導機械の効力を著しく高めます。――聖杯、龍玉、魔王のランプ、ダグザの巨釜、賢者の石、第五元素。ミスリルがそう呼ばれた理由は、貴方もご存知のはずです。たった一人の術者、一小節シングル・アクション程度の初歩の魔術に対しても天龍の如き力を与え、術者の望みを叶える奇跡の欠片。今回の戦禍から大きな損害を受けた我が国がいち早く立ち直るためには、ミスリルの準備は絶対条件であるのです』


 かつて錬金術による元素変換によって得られる最も重い物質がFeであった時代、世界の富はAuによって保障されていた時代があった。


 柔らかく、重く、美しく、簡単には変性する事のない金は価値を保存すると言う観点から見て当時最も優れた物質であり、いつしか通貨や富の象徴として社会の中に息づく様になっていった。

 しかし、数百年前に或る錬金術師が鉄以上の元素を速やかに合成する高速新星Rapid-Nova法を発見したことにより、事態は一変する。

 必要な元素を必要な時に必要なだけ生成するの登場により、この世における鉱物の価値はその全てが大きく揺らいだ。莫大な資金と労力をかけて採掘をするよりも、地面に転がっている岩石を始めとする雑多な物質を、錬金術で元素変換してしまう方がはるかに割安であることは、子供にでもわかる理屈だった。

 そうして各地の鉱山が次々に操業を停止し、鉱山労働者が職を失っていく中、一転して価値が高まったのが泥晶を始めとする物質化した魔力資源だった。

 元素変換を行う錬金術は紛れもなく魔術の類であり、元素番号的に物質を作ろうとする際には大きな魔力の消費が伴う。個人が生成できる魔力オドはたかが知れているから――そもそも、体内生成魔力オドではなく対外生成魔力マナを用いるのが高速新星法の前提条件であった――錬金術の効率は用意される魔力資源によって制約を受けることになった。

 そんな中で俄かに注目を浴びたのが、天龍の介助もあり漸く海水からの精製法が確立された超高密度魔力凝集体――ミスリルだった。

 貴金属と呼ばれていた物質が、装飾品やそれ自体が持つ物性による産業への需要以外の性質を失い、魔術を始めとする魔導文明が発展し続ける現在においては、本位貨幣とは物質化した魔力資源を意味するようになっている。

 特にミスリルは、極論してしまえば単なるエネルギー資源ではあるが、大国の大規模魔力プラントを用いたとしても大量生産が不可能な精製の困難さと、唯一無二と呼べるほどの絶大な効力から、かつての金と同等の位置づけとして社会の中に確固たる地位を築いていた。


『我が国のミスリル・プラントはソルテール湾に面したアナーテ市にしか存在しません。立地の関係上プラント群は蒼天憲章の保護を受けられず、連邦の戦略爆撃によって稼働率は戦前の1割ほどにまで落ち込んでいます』

「その点に関してはこちらも了解している。もっとも、プラントの護衛依頼が来た試しは無いがね」


 不況にあえぐ中小企業の営業部長のような口振りで肩を竦めたラルフの視界の端に、苦虫を噛みつぶしたような空軍将官の顔が映った。”それが出来れば苦労はしない”口には出さずとも、殺意すら籠った視線にはそのような意志が込められている。

 事実、金の卵を産む鶏であるプラントの防備に、ヴァルチャーを使用するのは国軍の完全敗北を国民に知らせるようなものだ。アナーテ市郊外に存在するとはいえ、国章を描かない【エントランス】の機体が我が物顔で国の最重要施設の上空を舞うのは、軍の信用問題に発展する。

 それに、彼らにしてみれば【エントランス】は厳密には味方ではない。


 ――重要目標の護衛依頼を出して招き入れたヴァルチャーが、実は敵対者から更に多額の報酬を積まれていた。


 なんて話は幾らでも転がっている。逆に言ってしまえば、現状はある意味で”真面”な付き合い方と言えるだろうか。

『【エントランス】に頼んでいれば、早晩共倒れになっていたでしょうな』戦争どころか、出来うるならば自国の軍隊すらも鉈で両断したいと考えているらしい甲高い声の高官が、酷く冷めた声で言った。


『――勘違いしないでいただきたいのは、我が国のプラントは戦後に修繕すれば十分に活用できるという点です。確かに、支払いを戦時国債で代用するのは当初の契約外ではありますが、ここで支払い能力の不足を理由に契約を切ったところで益にはならないでしょう』

「ほう?」

『我が軍の勝利は目前ですが、撃破すべき敵の数は未だに多い。また、戦争において最も敵の損害が増えるのは、撤退時です。押せば勝てる大規模な戦いは、ヴァルチャーにとっては書き入れ時に他なりません。また、本戦争は防衛戦争でありますから勝利すれば連邦より多額の賠償を得ることに成ります。早々に損切を行うか、それとも多少支払いは待ったとしても莫大な利益を得るか――ミスリルを動力源とする超重航空管制指揮母艦ジャガーノートにとって、より良き選択は火を見るより明らかだとは思いませんか?』


 身を乗り出す高官を冷めた目で見つめながら、手元で弄んでいた細巻を加え先端を焙る。湧き出た紫煙をじっくりと味わいつつ、自身の思考を回していくが実のところ回答は既に決まっていた。

 正直な所、”勝利目前”をうそぶきながら彼らが必死になっている理由は大体見当がついているし、【エントランス】として引き際を見定める段階に到達している事は確かだった。

 元来、ラルフ個人としては、ヴァルチャー達の原則である”ミスリル払い”にこだわる趣味は無く、現物が確実にもたらされるのであれば債権といった形での支払いも許容する。

 しかし同時に、目の前にぶらさげられた時限式の紙屑に喰いつく趣味もまた、持っていなかった。其れならば、ヴァルチャーらしくを食い散らかした方がまだマシと言うものだ。

 たっぷり一分ほど紫煙を味わった後、一言一句刻み付ける様に答えを口にした。


「貴方方の意見は理解した、その上で【エントランス】としての回答を伝える――話にならん」


 通信の向こうに居並ぶ御偉方の顔に好ましくないものが走り抜ける。青白い画面で空間ごと仕切られていなければ、今すぐに掴みかかってきそうな人間もチラホラ見えた。

 操縦桿を握っていた頃と比べれば、何とものような殺意だ。


「こちらも勘違いをしないでもらいたいのだが、別に貴方方への協力と契約を打ち切ると言っているわけでは無い。其処まで信用の有る戦時国債であるのならば、我等のような薄汚い死肉喰らいスカベンジャーではなく、連合王国や合衆国との取引に使うべきだろう。そこで得たミスリルの一部を此方へ支払い、後は復興に使う。それで何の問題がある?」

『ですから申し上げた通り、我が国にミスリルの余裕は――』

「その余裕を作るための戦時国債だろうが」


 振り上げられた聖剣をフィンガースナップで持ち主勇者ごと砕く魔王の様に、ラルフの低い声が甲高い声を遮った。


「必要な分だけ刷って売りさばき、その分の補填は連邦に求めれば良いだろう。もともと向こうが殴り掛って来た戦争だ、非は向こうにある。ミスリル・プラントも多いし、戦後の回収は十分可能だと見積もる。いや、合衆国と連合王国なら債権を盾に連邦からプラントを自分で分捕るだろうな。そしてなにより、貴国としては戦後の苦しい時期にヴァルチャーから取り立てを受けずに済むだろう」


 再び吐き出された紫煙が画面の前で渦を巻き、苦々しい顔が並ぶ青白い画面を霞の向こうへと連れ去ろうとしている。


「誠に申し訳ないが、諸君もご存じのとおり、地上軍のいない我々の催促は少々なるからな」


 と言う言葉に何が含まれているのかを知る高官の数人が、苦々しい顔に別の色を滲ませる。彼らの脳裏には、荒っぽい催促によって都市区画ごと吹き飛ばされた他国の銀行や政府機関の姿が過っているらしかった。

 金で買える抑止力と言えば聞こえはいいが、実際の所ヴァルチャーを雇うという行為は自律駆動する殺戮機構悪魔との契約に他ならない。性質が悪いのは、悪魔にとって重要なのは契約が破られると言う結果であって、過程ではない事だった。

 「話は以上だ」目の前の物すべてに興味を失わせたような表情のラルフが、画面から注がれる各種の視線をあしらうように軽く手を振った。


「ミスリルの回収機は予定通り王都に向かわせる。それまでに報酬分を搔き集めておくことだな――では、諸君らの武運を祈る。貴国に蒼穹の導きがあらんことを」


 個人的には娼婦の睦言むつごと程度の重みしか感じていない常套句を最後に、何事かを話そうと立ち上がった外交関係の高官の姿を映し出そうとした画面は、幻のように掻き消えた。

 そうして後に残ったのは静寂――ではなく、正面から聞こえてきた気の抜けた拍手の音だった。


「なかなか堂に入った魔王っぷりじゃないか、ラルフ。これで私のAn-124 ルスラーンも無駄足に成らずに済む」


 通信画面が消失したことで、視界の真正面に飛び込んで来る下座。通信を始める前まで誰も居なかったはずの席では、出来れば顔を合わせたくない赤金の髪をもつ少女が、ニマニマと表現するのが適当な笑みを浮かべて白磁のような手を楽し気に打ち合わせていた。

 これならば、まだ通信画面の不愉快な連中の顔を拝んでいた方がマシだったとばかりに、思いきり紫煙を吐き出す。当然のことながら、拍手を止めて椅子にふんぞり返る赤金の少女を覆い隠したり、害虫よろしく追い払う用途には全く使えなかった。

 今までの経験上、この小娘を下手に居座らせるとどんな無茶ぶりや商談が飛んでくるか解ったモノではない。結局のところ、この性悪娘を最速で追い出すには、彼女の本来の用事をとっとと済ませる他無いのだった。救いらしい救いと言えば、小悪魔――と言うほどにはいささか以上に血生臭いが――染みたこの小娘は、態度はともかくとして仕事に対して酷く真面目だと言う点だった。


「本題は?」

「明朝、グラスネスの第三艦隊が周辺諸国への通達どおりに訓練の名目で出航する」

「だろうな。――報酬は次の便から勝手に持っていけ、1割でいいな?」

「おいおい、最終的な判定をするのに彼方此方の同業者やらグループ企業の連中に、いろいろと問い合わせたのだよ?3割は欲しいね」

「1.5」

「冗談はやめろと言っているだろ?2.5」

「ならば2だ。偶には勉強してみろ」

「――ま、いいか。お買い上げどうも、又のご利用をお待ちしているよ」

「で、判定は?」

「クロ」


 呟くような言葉と共に、赤金の少女は携えていた書類の束を無造作に放り投げる。宙を舞った書類は重力を無視した軌跡を10mばかり描き、ラルフの手の中に納まった。

 要旨を一読した彼は面白くもなさそうに鼻を鳴らす。


承知したウィルコ。用事が済んだなら下がって良し」



 案の定、状態の良いクフィールC7が手に入ったと売り込みを始めたミネルヴァを何とか追い出した後、ラルフは漸く静寂さを取り戻した会議室の椅子の上で脱力する。

 仕事と仕事の合間のエアポケットのような時間を楽しみながら、ボンヤリとさせた意識の中で思考を揺蕩たゆたわせ、手に入った情報の幾らかをね合わせていく。


https://kakuyomu.jp/users/magnetite/news/16817330659360262251


 グラスネス帝国西方海上に位置するアクスブリード島最大の軍港、ユーミロー港に集結している第三艦隊は、強襲揚陸艦LHDドック型揚陸艦LSDドック型輸送揚陸艦LPDを始めとする揚陸艦と、旧式ではあるが戦艦を中核に据えており、強襲揚陸艦隊としての側面が強い。

 帝国の通達を鵜呑みにするならば、今回は昨今の国際事情を鑑み大規模な強襲揚陸演習を実施するとのことだ。

 第三艦隊が現状独力で輸送可能な連隊規模の2個海兵戦闘団だけでなく、2個重騎兵機甲師団と3個歩兵師団まで参加する。上陸先は島全体がグラスネスの兵器実験場と化している隣のブレクトン島。参加する艦艇は支援部隊を合わせれば100隻を下らないだろう。アルスター半島随一の大国と呼ばれている帝国であっても、これほどの演習はおいそれとできる物では無い。

 そして、ここまで大規模な演習となると消費される物資も膨大になる。

 帝国外務省はは疑いの目を向ける周辺諸国に”これほど大規模な演習を行う我が国に、対外侵攻の余力無し”と説明していたが、ミネルヴァからの情報が、それらが想像通りの嘘八百であることを暗に示していた。


「運がないな、連中も」


 ぼそりと呟かれた憐れみと嘲笑が綯交ぜになった言葉が、紫煙の香りが染みついた会議室に溶けて消えていく。



 無造作に置かれた書類の要旨には、ユーミロー港に集った戦闘艦艇群と無数の大小の船舶を写した写真と共に、現地での包括的な商取引の微増を示す情報が付け加えられていた。



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