Mission-25 早朝の乱闘

 東の空から湧き出す黄金色の中を、2種の機体が互いの背後を取ろうと取っ組み合いを続けていた。旋回を繰り返すごとに、鋼鉄の翼が白刃の様に瞬き、2条のヴェイパーが降りぬかれた軌跡をなぞる。

 冷涼な大気に響き渡るのはタービンの金切り声と高温噴流の複雑な二重奏。そして時折、20㎜と25㎜の火箭と、ロケットモーターの閃光が、これらの狂騒に加わっていった。


《ディカブラース6、7ロスト。これだから補充兵は》

《ディカブラース1より全機、俺たちの役割は足止めだが、何も倒すなと言う指示は受けていない。遠慮はいらん、好きに刈り取れ》

『舐めやがって! ――ッ!?』

『クラーケン5、回避だ! カバーする!』


 グラム1のミサイルに合わせる形で首尾よく2機を屠れたは良いものの、クラーケン隊の4機は意外な苦戦を強いられていた。

 クラーケン5のF/A-18Cが敵の背後へと舞い降りレーダー照射をかけようとするが、横面へと25㎜機関砲弾の火箭が突き出され中断と離脱を余儀なくされる。踵を返したクラーケン5に横槍を入れた敵機は、そのまま加速して追撃態勢。上空へと舞い上がったF/A-18Cに狙いを定めるが、今度は援護に舞い戻ったクラーケン7のレーダー照射を受けて苛立たし気に翼を翻した。

 空に2条のエッジを刻んで急旋回をかける敵機の姿を確認しながら、クラーケン7も機体を捻り一旦離脱する。敵の姿を確認できたのは数秒程度だったが、朝日の中に浮かび上がった特徴的な機影は、彼らがハリアーの系列に属する機体であることを示していた。

 確かに、コイツならばいきなり現れたのも頷ける。クラーケン7は重力加速度に押し潰されそうな思考を無理やり回す。

 そんなことより問題なのは、制約の多いVTOLでこちらと互角に渡り合う連中の練度だ。少なくとも先ほど食い散らかした奴等とは別格だろう。

 背筋に走りぬける怖気を無視したクラーケン7は、操縦桿を握りなおしながら叩き付ける様に味方への通信を開いた。


『クラーケン7より各機、敵はシー・ハリアー! さっきの連中より生きが良いぞ!』

『見りゃわかる! テメェら! 無理押しはするなよ』

《ディカブラース1! チェックシックス!》

『クラーケン5、FOX2!』


 鋭い旋回でシー・ハリアーF/A.2の後背に潜り込んだF/A-18Cが短距離対空ミサイル2発を発射。翼下から吐き出されたミサイルが、閃光と共に二条の排気煙を引きずって獲物へと加速していく。狙われた敵機はぐるりと翼を翻すと右45度バンク、機首を上げてシャンデルへ。その名が示す通りの機敏な動きを見せつけ、濃紺の機体に朝日が鈍く反射した。


『ッ! ミサイルアラート⁉ どこか――』


 一瞬の警戒を怠ったウィザードクラーケン5が振り返った直後、背後に忍び寄ったミサイルが近接信管を作動させる。起爆信号が弾頭へと走り抜け、封入された炸薬が弾殻を砕き、閃光と破片をF/A-18Cの機体後部へと浴びせかけた。

 至近距離で拡散した無数の破片は尾翼をねじ切り、外板を吹き飛ばし、エンジンを抉る。下後方で炸裂した火球に蹴り上げられるようにF/A-18Cが前方へとつんのめった後には、明灰色の機体に空へしがみ付く能力はもはや残っていなかった。推力を失った残骸は緩やかに横転しながら黒煙の尾を引いて高度を下げていく。


『クラーケン5がやられたぞ!』

『脱出しろ、クラーケン5! 聞こえないのか!? おい!』


 黒と赤に彩られたスズメバチが大地に引き寄せられていく姿を後目に、速度を高度に変換し、針路を逆転させつつ背面飛行に入ったシー・ハリアーは、自身を追うミサイルが鋭い円弧を描いた瞬間、盛大にフレアを吐き出した。

 直後、裏返しになった機体は天地逆転した姿勢を保ったまま、赤く染まりつつある空からガクンと落下した。後に残るのは高温排気によって陽炎を纏った大気と、盛大にバラまかれたフレアの群れ。朝焼けの空に腹を見せたシー・ハリアーは、石のように落ちていく。

 敵を追っていたはずの2発の対空ミサイルは放り投げられたフレアの方へと殺到し、その役割を終える。一方、背面のまま落下していたハリアーは、ミサイルが空振りに終わったことを確認すると即座に機体を起こし、何事も無かったかのように戦闘機動を再開した。


『野郎!』


 キャノピーを背負ったままのクラーケン5の機体が大地に突き刺さった直後、アフターバーナーを焚いたクラーケン7のF/A-18Cが異様な機動を見せたハリアーへと殴り掛る。艦隊防空も任務の一つであるホーネットにとって、無茶な機動によって速度を落としたハリアーに取り付くのは難しい仕事ではない。

 しかし、自身も敵と渡り合いながら戦場を俯瞰していた隊長機にとっては、クラーケン7の仇討とも呼べる行動は暴走と判断する他無かった。

 

『クラーケン7、一旦離脱しろ!』

『ネガティヴ! 奴のケツには付いた、せめてコイツはブチ殺す!』

『クラーケン7、止せ!そいつは――』


 クラーケン1の制止を無視し、ゆらゆらと誘う様に左右への旋回を繰り返す攻撃機の背後へ、明灰色の戦闘攻撃機が鋭く旋回して切り込んでいく。

 乗り手の影響か、先程のハリアーⅡより動きの良いシー・ハリアーであっても、純粋な戦闘攻撃機として生を受けたF/A-18Cが相手ではいくらか分が悪い。特徴的な機体が急旋回を繰り返すごとに速度は落ち、そのたびにF/A-18Cの甲高い羽音が背後へと迫っていく。

 そうして左旋回から右へと切り返す何度目かの瞬間、ハリアーの動きが明らかに鈍る。急旋回によって下がり続ける速度に機体が悲鳴を上げた――少なくとも、クラーケン7はそう確信し、マスクの下の口が嗜虐に歪む。

 一瞬の隙を既に見定めていた彼は、これ幸いとばかりにスロットルを全開に入れ、機体を思いきり右に倒し急旋回。艦上機としての安定性と、戦闘機としての機動性を両立させた機体は子気味良く反応し、翼端からヴェイパーを引きながら横転する。キャノピーの向こうの地平線が垂直に切り立ち、顔を出した朝日がHUDと視界を焼いた。

 ミサイルの最短射程ミニマムレンジは既に割っている、ガンモードを選択。レティクルへと飛び込んでいく敵機と、丁度真正面に移ろうとする朝日に目を細めると同時に機関砲のトリガーを握りこむ。F/A-18Cの鼻先に据えられたM61A1バルカン20㎜ガトリング砲が復讐の咆哮を轟かせ、発砲煙がキャノピーを撫でていく。

 射撃時間0.7秒、左から右へ薙ぎ払う様に振られた20㎜機関砲弾の火箭は――朝焼けの空を切り裂くだけに終わった。


『何!?』

『後ろだ! そのまま旋回しろクラーケン7!』

《遅い!》


 混線した無線に響く、聞き覚えの無い声に思わず背後を振り返る。左舷側後方に広がる、横倒しになった朝焼けの赤と夜の紫紺が混ざり合った空。やや外側に傾いた垂直尾翼の向こうには、つい数瞬前まで止めを刺そうとしていた敵機がこちらを見下ろしていた。


『な――』


 クラーケン7がマスクの下で何か言葉を発しようとした瞬間、F/A-18Cをオーバーシュートさせたシー・ハリアーが25㎜機関砲を咆哮させ、迸った火箭が機体を包み込んだ。


 ◇


『クラーケン7、ロスト。奴ら、曲芸チームでも呼び寄せたのか?』

「形振り構わない連中は何処にでもいるってことだな――チッ、駄目か。ノルン、奮発するから次はもっと真面なミサイルを持ってきてくれ」


 クラーケン7を誘い込み撃墜したシー・ハリアーへと伸びつつあったミサイルの白条は、チャフの雲を掠めただけで獲物を見失い漂流を始める。アクティブレーダー誘導の高級品でも、安物にはそれなりの理由があると言う好例だった――当事者としてはたまったものではないが。

 クラーケン隊の援護に向かう前に、殴りかかってきた1機を黙らせたまでは良いものの、残る敵は4機。対してこちらはクラーケン1と3のF/A-18CにMig-29M2で合計3機。相手が攻撃機とであると言うプラス要素は、先の曲芸を実戦で見せるほどの技量と言うマイナス要素で凡そトントンと言ったところ。否――

 クラーケン1の背後へ周り込もうとする1機に牽制のレーダー照射を浴びせながら、グラム1は襲撃隊が乱舞する敵陣地の方へ視線を向ける。

 直後、敵陣地上空を舞うクラーケン2率いるスズメバチの群れが、弾かれたように回避機動に移り、一瞬遅れて無数の白条が明けの空を駆け抜けていった。夜の残党がこびり付く西の空の彼方から、厄介な敵が現れた証拠だった。


『こちらクラーケン2! Yak-141が来やがった! 数で負けて押されている、救援を頼む!』


 Yak-141――東側が開発した超音速VTOL戦闘機であり、専用のリフトエンジンを使用する設計ではある物の、F-35Bよりも身軽な機体にMig-29M相当の電子機器を詰め込んだ本格的な多目的マルチロール機としての能力を持っている。純粋な空戦性能ではハリアーなど足元にも及ばないだろう。F/A-18Cにとっても、数的不利の状況ではあまり相手にしたい類の機体ではない。少なくとも同数で無ければ、勝利すらおぼつかなくなるだろう。

『このクソ忙しい時に!』苛立たし気に吐き捨てたクラーケン1は、僅かな逡巡の後、敗北宣言に等しい要請を余儀なくされる。


『ええい畜生! グラム1、少し頼めるか!?』

『はぁ⁉ 何を――』

「了解、だが高く付くぞ」

『助かるぜ』

『なァッ⁉』


 当事者間で手早くまとまった商談に、ノルンが絶句した瞬間を突く様に、2機のF/A-18Cが翼下のミサイルをバラまいて一目散に転進を図る。

 8発の短距離対空ミサイルAIM-9Lに狙われた針路上の2機が、慌てて翼を翻して針路を譲るが、それは単に前門の虎を追い払っただけにすぎない。彼らの背後に回り込もうとしていた1機はこの動きを待っていたかのように、退却に移ったクラーケン3の後背へと滑り込んでいく。

 

《ディカブラース3、FOX――》

「誰が通っていいと言った?」


 しかし、シー・ハリアーの主翼にロケットモーターの閃光が走り抜けるよりも先に、真上から打ち下ろされた30㎜機関砲弾が広い右翼を叩き割る。砕けた翼が陽光を反射して煌めき、翼を捥がれたハリアーは錐揉み回転しながら大地へと突き刺さって爆炎を上げた。


《ディカブラース3がやられた!》

《ディカブラース1より全機、向こうはラースカの連中に任せろ!》

《3対1だ、すぐにケリがつく》


 残る3機のシー・ハリアーが機首を巡らせてこちらを向く。遅ればせながら、味方機を一撃で屠った明灰色のMig-29M2こそ、最優先目標であると認識したらしい。

 とはいえ、この袋叩き一歩手前と言った状況下でも、グラム1はいつも通りに敵の動きを観察していた。

 クラーケン隊のミサイル攻撃で左右に散らされた2機と右後方から接近する1機。包囲された格好ではあるが、全機がこちらを狙うのであれば、クラーケン隊の依頼は達成したも同然だ――さて、隊長機はどいつだ?。


「ノルン、隊長機は解るか?」

『10時方向500上空のシー・ハリアーだ――それと帰ってきたら話があるから死ぬ気で生き残れ、解ったなユー・コピー?』

「――了解ウィルコ


 どうやら、此処を乗り切った先にも特大の危機が建立されたようだ。

 ハイラテラでの戦闘の後は、1時間ほど説教を喰らったな。などと、割とどうでもいい情報を頭の隅へ蹴飛ばしながらスロットルをマックスへ、アフターバーナー点火。僅かに機体を滑らせ、左前方から突入を始めたシー・ハリアーに正対する。

 3方向から照射される火器管制レーダーの3重奏を聞きつつヘッドオン。ガンモードを選択。


『3時方向と7時方向より敵機、 レーダー照射を受けているが前だけに集中しろ』


 多分に怒気を含んだ声であるが、流石と言うべきか彼女のオペレーターとしての部分は現状を正しく認識しているようだ。

 3時と7時方向に居る敵機から見ると、自分の機体は今まさに敵隊長機と思われるハリアーに突入している格好になる。つまりは、ミサイルの発射はそのまま誤射につながる恐れがある。3対1と言う圧倒的有利な条件の中で、わざわざ誤射の危険を冒してまでミサイルを撃つ必要はない。

 ノルンの言葉通り、このレーダー照射はこちらの対応を誤らせるブラフだ。

 HUDに映った敵機の腹に閃光が走る直前、操縦桿を手前に引いてペダルを蹴飛ばす。体がシートに押し付けられ、眼下に広がっていたマーティオラの平原が瞬きの間に頭上へと移動し、曳光弾の火箭がキャノピーの向こうを貫いた。コンソールやキャノピーのフレームが曳光弾の照り返しで淡く染まる。

 裏返しになったMig-29の真下をシー・ハリアーが全速で駆け抜け、暗転する視界の端を流線型の機影が轟音と乱気流を残して掠めていった。スロットルミニマム、エアブレーキON、ハーネスが体を握りつぶそうとするかのような痛みを無視して機首上げ、スプリットS。肺から押し出された空気が食いしばった歯の隙間から漏れる音を感じながら、後転する視界とHUDの向こうに敵機を押し込む。

 翼に雲を纏うほどに強引な下方半宙返りで針路を捻じ曲げたMig-29M2は、機体を水平に戻した傍から、自身に牙を剥いた獲物めがけ追撃に移る。アフターバーナーの青白い火焔が大口径ノズルから吹き伸び、朝日を焦がしていく。


《隊長! チェックシックス! ――なんて奴だ、隊長と互角にやり合ってる》

《ディカブラース4! 奴のケツに回れ!下手に撃たなくていい、プレッシャーをかけろ!》

『カモが2機、左舷側から周り込みつつある。連中は既に勝った気でいるが好機を逃すほど馬鹿ではあるまい、曲芸師は手早く片付けろ』


 ノルンの警告を裏付ける様に、ダストもこちらの後背へと回り込もうとしている2機のハリアーに、振り分け可能な全てのセンサーを集中させ警戒に当たっている。

 少なくとも、後席から見れる範囲に限れば死角は無い。視野角内の全てを同時に捕捉し、並列処理が出来るゴーレムの面目躍如と言ったところだろう。おかげでこちらは、再びを披露するために、速度を代償に急旋回を繰り返す敵に集中することが出来る。

 シザーズへと持ち込んだ2機は、航跡を絡ませながら好位置へ付こうと左右への垂直旋回を繰り返す。しかし機体性能と技量の差は、早朝の大気をMig-29M2の主翼が切り裂くごとに、ハリアー系列の特徴的な尾部をレーヴァンの手元へ手繰り寄せる結果を産んでいる。

 他の2機からのレーダー照射警報に包まれながらも、グラム1は好機が近いことを察し再びトリガーに指をかけた。


 ◇


 5度目の切り返しに移った時、遂にハリアーが仕掛けた。

 右へ横倒しになっていた体勢から逆方向へロールを始め水平になった瞬間、ハリアーの腹に備えられている4つの推力偏向ノズルが1秒に満たない時間で、噴流の方向を90度変える。

 天馬ペガサスの名を頂いた心臓はタービンのいななきを響かせ、燕を誘う様に絞られていたエンジンが全力運転を始めた。その結果、幾度もの旋回で失速寸前にまで減速した上にエアブレーキまで展開したハリアーは、見えざる手で摘まみ上げられたように機首を水平にしたままに跳ねる。

 巴戦で追い詰められているかのように擬態しながら速度を落とし、頃合いを見て一気に敵のオーバーシュートを狙う曲芸じみた機動は、つい数分前にクラーケン7を手玉に取って見せている。ディカブラース1にとって、これまでシー・ハリアーをVTOLであると楽観してきた無数のヴァルチャーを屠ってきた十八番であった。

 ディカブラース1が飛びのいた空間へ突っ込んでいくMig-29M2とそのウィザードも、罠にかかったマヌケ共の仲間入りを果たす。手痛い損害を与えてくれたファルクラムは、先ほどのホーネットと同じように、後ろ上方から25㎜機関砲の掃射を受けて火達磨になる。

 ディカブラース2がそんな確信を抱いた刹那――後は爆散するだけとなった筈の真っ黒なシルエットが、朝焼けの空にと浮かび上がった。



 ◇



『今!』


 彼女の鋭い声とほぼ同時に、目の前で文字通り跳ね上がったハリアーを仕留めにかかる。

 スロットルを手早く慎重に操作しつつ、思いきり操縦桿を手前に引き付けピッチアップ。漸く水平に広がったはずの天と地の境目が真下に吹き飛び、機体の進行方向は変わらないまま機首が垂直に起き上がると、機体下面に叩き付けられた大気が速度を急激に奪い始める。先程のスプリットSよりはマシではあるが視界から色が抜け落ちる中、グラム1は朝焼けの空を真正面に見ながら2割の経験と8割の勘を頼りにトリガーを引いた。

 直後、水平を保ったまま上空へと逃れたハリアーの真下に、コブラによって減速と射線の確保を両立したMig-29M2が滑り込む。細くとがったレドームと前後に長いキャノピーに沿う様に、30㎜機関砲弾の火箭が走りぬけシー・ハリアーへと突き刺さった。

 秒速860mの初速をほとんど失うことなく飛来した砲弾は左の水平尾翼を砕き、エンジンを食いちぎり、右の主翼を散々に打ち据えて根元から切り飛ばす。金に染まる丘陵から蒼に染まりつつある空へ吹き延ばされた曳光弾の奔流は、ハリアーの小柄な機体を天空に縫い付ける様に次々と命中の閃光を閃かせた。

 垂直着陸に耐えうる強固な機体構造も、至近距離から掃射される30㎜機関砲弾に耐えられる道理は無い。ハリアーの命運を全て断ち切ったMig-29M2が、もはや航空機としての原型を留めていない獲物の下を潜り抜けた瞬間。残骸は自らの技量を過信したウィザードごと爆散し火球を作り出した。


《隊長⁉ そんな、嘘でしょう⁉》

《クソッ駄目だ、アレでは助からん》

《でも、あれだけの機動なら――援護頼みます!》


 剣呑なレーダー照射警報を聞きながら機体を水平に戻しつつスロットルを全開へ、アフターバーナー・オン。思考の切り替えも早く、目端も良い敵の片割れが、此方の速度が乗ってないうちに勝負を賭けに来たようだ。7時方向、ミサイル射程内。


《ディカブラース4、FOX2!》


 左90度ロール、翼を立てて再び左垂直旋回、強烈なGが体を圧し潰そうとするが機体自体は涼しい顔で空に爪を立てる様に針路を変える。

 体に優しくないのは高性能機である証拠だが、代償として得られる戦闘能力は絶大な物がある。先代の機体であれば、敵の編隊のど真ん中に飛び込んで一方的に食い散らかそうなどと考えもしなかっただろう。横倒しになった視界の先でロケットモーターの閃光が瞬けば、「余計なことを考えるな」と言いたげなミサイル接近警報が耳元で騒ぎ出した。

 だが向こうは焦ったのか、ワンテンポ早くミサイルを撃ってしまった。

 放たれたミサイルは比例航法に従い、撃った瞬間に標的が向いていた未来位置へ向けて加速を開始する。そのため高速で旋回中の標的に向けて撃った場合、タイミングによっては全く見当違いの方向へスタートダッシュを決めてしまう。

 もちろん、目標の旋回を捕捉したミサイルは即座に針路を修正するが、今回ばかりは相手も距離も悪かった。致命的なコンマ数秒以下の隙を縫ったMig-29M2が、タービンの喊声を上げながら機銃射程ガンレンジへと踏み込んでいく。


《回避しろ! 右だ! スターボード!》

《く、来るな!来る――》


 一息に距離を詰めたMig-29M2がすれ違いざまに火箭を吹き延ばすと、右への旋回に移ろうとしたシー・ハリアーの機首部分が拉げ、キャノピーの破片が陽光の中へと弾き飛ばされた。砕けた破片が陽光を反射し、紙吹雪の様に武運尽きたハリアーを撫でていく。

 主を挽肉にされたシー・ハリアーは最期の命令に従ってバンク角を取ったまま漂流を始めるが、1秒と経たないうちにMig-29M2が引き連れてきた自身のミサイルに敵と誤認され、食らいつかれた。翼の下で火球が膨れ上がり、機首部以外は原型を留めていた機体が無数のジュラルミン片へと変換され、黒煙の筋を引きながら朝露の残る丘陵へと降り注いでいった。


『7機目の撃墜を確認。最後の1機、方位0-0-2、逃走中。残しても金にならん、潰せ』

「グラム1、FOX2」

《皆殺しにする気か⁉》


 踵を返したグラム1は、此方に背を向けて逃げの手を打ったシー・ハリアーの背後に追いすがり、ミサイルを投げつける。

 だが、流石に此処まで生き残った敵機はしぶとい。

 フレアを巻いて急旋回し、背後にまで迫ったミサイルを間一髪でやり過ごして見せる――もっとも、旋回した先には上空から駆け下りてきた緋燕が待ち構えていたのだが。


《化けも――》


 ディカブラース2の最後の悪態は、降り注いだ30㎜機関砲によって永久に中断させられた。

 全身から満遍なく黒煙を噴き出したシー・ハリアーが丘陵に突き刺さり土砂交じりの爆炎を噴き上げる中、割り当てられた獲物全てを平らげたMig-29M2は勝ち誇るようにループ上昇、完全に顔を出した朝日の中に翼を躍らせ高度を取り、南を目指して緩やかに旋回を始める。今のところ新たな増援の連絡はない、後はクラーケンと協働して敵の第2波を蹴散らすだけ。

 不機嫌極まりない声色のグラム2の声が飛び込んできたのは、Yak-141との空戦を前に機体の状況に目を走らせた時だった。


『グラム1、良い知らせが1つと悪い知らせが2つある』

「好きな方からどうぞ」


 悪い知らせに幾らかのあたりを付けながら、機首を南へと向ける。HUDの向こうには黒煙の中に沈む敵陣地の姿、黒煙の量からしてクラーケンの襲撃隊は首尾よく敵陣地を破壊したようだが、どうにも様子がおかしい。

 黒煙に焙られる空の中を待っているのは、見慣れたホーネットよりも幾分角ばった、どことなくMig-25を彷彿とさせる機体が3機。そして、今まさに黒煙を吹いて燃え盛る敵陣地の中へ突っ込んでいったのは、見覚えのある双発艦上戦闘機の姿だった。


『敵陣地の破壊はあらかた成功したが、クラーケン隊が壊滅した』

「そいつは一大事――で、もう一つの悪いニュースは?」

『”クラーケン隊が喰い残した連中も叩き落とせ”、だとさ。あの不良墓守め、貴様が単機で使えると解ったらすぐコレだ。今なら無視して帰っても黙らせられるが、どうする?』


 契約の中には敵の増援に対応する際の特記事項も含まれているが、あくまでもそれは通常の傭兵達の範囲を想定して構築された文言だ。

 例えどれ程の戦闘能力を持っていたとしても、書類上グラム1は単なる多目的戦闘機1機に過ぎず、雇い主側が3倍の数を相手に殴り掛ることを承知で戦闘を強要できる根拠は契約書上の何処にも記されていない。さらに言えば、最初に提示された作戦目標は殆ど達成されており、【エントランス】の存続の危機と言うわけでもない。

 つまりレーヴァンが「戦力の不足」を理由に撤退しても、依頼を出した【エントランス】側は認めるしかない条件が揃っていたのだった。

 ノルンが何処か気遣うような言葉をかけたのも「無用な危険は避けるべき」と言う傭兵としての当然の判断からであった――もっともその言葉自体、彼女ですらコンソールの向こう側にいる1人と1機の能力を、未だに過小評価している証左ではあったが。

 視界の端に踊った単語の羅列にマスクの下の口を苦笑の形に歪めたレーヴァンは、何処か楽し気な言葉をオペレーターへと返した。


「なら、ラルフに報酬の割り増しについて話を付けておいてくれ」


 ノルンの呆れたような溜息と共に、レーダーロックを示す連続音がヘルメットに響く。ディスプレイ上では、急かすような単語の表示が自己主張を繰り返していた。


〔SHOOT〕


 良い生徒は教師を良く見ている――ミネルヴァの言葉は、正鵠を射抜いていたらしい。



 ◇



「【エントランス】は上手くやってくれたようですね」


 細巻を燻らせたサイラス・クィルター中尉は、大隊司令部の方へと駆け戻っていく伝令の背中を見送りながら、細く紫煙を吐き出した。戦塵の薄化粧が施された丸眼鏡の表面を紫煙がなぞり、日が高く昇りつつある空へと消えていく。

 周囲に待機する中隊の主力戦車がディーゼルエンジンの低い唸り声を零す中、第3中隊の中核を担う予備士官たちは、中隊長車の傍で移動前の最後の会議を続けていた。とはいえ、もうすぐ移動時刻であるため簡易机などは出されておらず、会議とは名ばかりな、立ち話同然の打ち合わせだった。


「それが連中の仕事さ。そもそも制空権はこっちに有るんだ、ここにきてヘマをするような奴らじゃないさ」


 訳知り顔で肩を竦めて見せるのは、頭に包帯を巻いたクインシー・パレンバーグ中尉だった。

 先日のリスタ河突破戦で小隊長車に3発ほど被弾、負傷し乗車を失うと言う不運に見舞われたが、その好戦的な表情に変わりはない。彼の背後には、野戦病院からの復帰直後に中隊司令部小隊から分捕った1輌が、新たな小隊長車として鎮座している。


「だが、何事にも例外は有らぁな。無理やり低空を突破して殴り掛ってくる連中がいないとは限らねぇ。【メチニク】の機体が丸ごと食い殺されたってわけでは無いだろ」

「とすると、【エントランス】のヴァルチャーを刺激しづらい2機編隊エレメント単位の散発的な空爆が想定されますね。師団にもアベンジャーシステムはありますが、正直あまりアテには出来ませんよ」

「その点に関しては、司令部が何とかするらしい」


 この場にいる最後の人物から飛んできた言葉に、自然と2人の中尉の視線が音源の方へと向けられる。

 彼らに背を向ける格好で、中隊長車の重厚なサイドスカートから垂らされた戦域図に向き合う陸軍将校――エレン・メスナー大尉は、顎を摩りながら自分たちが滅ぼすべき目標を、雑多な書き込みに埋もれた地図の向こうに見透かそうとしているようだった。


「作戦行動中の制空権確保、という体で依頼を出すそうだ。歩合を幾らか少なくして、時間当たりの報酬を多く設定するらしい。彼らにしてみれば、遊覧飛行だけでも得になるだろう」

「それはまたお大尽なことで。そんな金が有るなら、砲兵の中隊バッテリーなり砲弾の1発なり増やして貰えるとありがたいんですがね。何せ、今度の作戦は正々堂々、脳味噌筋肉な力押しでしょう?」


 皮肉交じりに口を尖らせたパレンバーグがメスナーの隣に歩み寄り、戦域図を貫く攻勢線に半目を向ける。

 マーティオラ平原の北部に書き込まれた味方の攻撃発起予定位置から延びる太い矢印は、エンゲイトの南方に構築されたノヴォロミネ陸軍の防御陣地を真正面から貫く様に描かれていた。

 誰がどう見ようと、「真正面からの機甲突破作戦」意外に解釈のしようがない表現だろう。ご丁寧に、攻勢を示す矢印の根元には戦車兵と機械化歩兵を示す兵科記号アイコンが記されている。


「いったい何が悲しくて、奴さんが手ぐすね引いてる防御陣地に正面突撃かまさなきゃならないんですかね。流石に戦車でファランクス組む訓練まではやってませんが」

「友人の多い君なら知っている筈だろう? 中尉。南の方が随分と騒がしくなっていると風の噂が流れてこなかったか?」


 メスナーの言葉に「正真正銘、風の噂であってほしいですがね」と今度こそパレンバーグは苦虫を嚙みつぶしたような表情を浮かべて見せた。

 今現在、彼らが侵略者を追い立てている王国北部のほぼ反対側。グラスネス帝国との国境線付近で不穏な動きが生じていると言う話は、ここ数日で急速に軍内部に広がり始めている。


 ”帝国側で2個重騎兵戦車師団が展開を完了した”


 ”我が方の特設旅団2個が展開し、後1個旅団が増派されている”


 などと言う信憑性のある噂は勿論の事、中には――


 ”グラスネスはこの機に乗じてロージアンと同盟を組みノヴォロミネを併呑するつもりだ”


 ”グラスネスに政府高官の何某が秘密裏に亡命した”


 などと言う眉唾なものまで流れている始末だった。

 だが、基本的に軍人と言う生物は大なり小なり悲観主義者としての側面を持っている。常に最悪の状況を想定して行動すると言う事は、自身にとって最も気に喰わない未来を優先して想像する力でもあった。

 今まさに勝利を手にしようとしている祖国の後背で蠢動する大国――これを、大規模な軍事的支援と解釈できるほどの楽観主義者は、幸か不幸か少なくともこの中隊の中にはいなかった。


「グラスネスがバカな気を起こす前に、ノヴォロミネの野戦軍を文字通り粉砕してケリをつける――博打ですな」

「時間さえ有れば、歩兵と砲兵で防御陣地を拘束している間に、機動戦力で迂回突破して連邦からエンゲイトに繋がる補給線を寸断、孤立させることが出来るんですがね」


 パレンバーグも正面突撃には流石に乗り気ではないのか、微妙な顔を浮かべていた。というよりもむしろ、この国に土足で上がりこんだ連中を、殲滅皆殺しにせず追い散らすだけにとどめる点について、了承し難いらしい。

 彼の兄は初戦での奇襲を受けて壊滅したエンゲイトの守備隊に籍を置いており、既に焼け焦げたドッグタグとして彼の手元に帰ってきていた。


「下手に追い詰めると死兵になる。叩き出すだけなら、此方が優勢な今の内だ」


 大隊長として彼と相対した時の最初の仕事は、反撃する間もなく磨り潰された兄の最期を伝えることだったことを思い出したメスナーは、彼等と自身に言い聞かせるように言葉を繋ぐ。


「結局のところ、エンゲイトは疎開が間に合わず、蒼天憲章が定める戦闘禁止都市の条件を満たしている。かといって、ロージアン側の最後の大規模拠点から退くことは、この戦争の敗北を意味している。故にノヴォロミネはエンゲイトを放棄する事も、盾にすることも出来ず、【エントランス】と空軍による戦場航空阻止Battlefield Air Interdictionの下で防御陣地の設営を行う他無い。時間的にも、リスタ河程の陣地構築は不可能だろう。航空機と砲兵の支援の下であれば、正面突破は十分可能なはずだ」

「それで叩き潰したとして、奴さんが大人しく手打ちにしてくれればいいんですがね」


「そこは外交の範疇だな」とメスナーは嘯いて見せるが、本心ではほぼ確実に停戦交渉は成功すると考えている。

 既に連合王国と合衆国が仲裁に向けて動き出していると言う話は聞いているし、グラスネスと領土を接しているのはノヴォロミネも同じだ。ここで戦争を長引かせてしまえば、仲良く共倒れになることは目に見えている。

 それに、この戦い方では例え勝ったとしても、ロージアン陸軍にグラスネスへ睨みを効かせながら、ノヴォロミネへの逆侵攻に移る余力は残らない。先に殴り掛られたのだから、それ以上に殴り返すべきと鼻息を荒くする主戦派に冷や水を浴びせかけられる。

 だが、これらはあくまでも正面突破などと言う大博打が成功したらの話だ。もし仮に手酷い損害を受け、敗北してしまえば――


「おや?」


 其処まで考えた時、何かに気が付いたクィルターが声を零し、空を見上げる。つられて彼の視線を追ってみれば、北の空から轟音を伴って接近する一つの影が見えた。

 一瞬敵かと身構えるが、あの方向には他の部隊が待機している。招かれざる客ならば、とっくの昔に警報が鳴り響き、曳光弾が打ち上げられていることだろう。パレンバーグも接近する影に気が付いたのか、北の空に向けた眼を細めている。


「単機で飛んでやがるな、偵察の帰りか?」

「さてどうでしょう。先のVTOL潰しの帰りかもしれませんよ」


 2人の中尉が思い思いの予想を述べる内に、接近する影は優美な機影へと変化し、ややあって第3中隊首脳部の上空をフライパスしていった。明灰色に塗られた機体は、保有する数少ない機体の大半を西側機が占めるロージアンではあまり馴染みのない姿をしている。ピンと立った垂直尾翼には、特徴的な部隊章が描かれていた。


「赤い鳥のエンブレム――噂のスカーレット隊ですか?」

「いや、んなこたない。スカーレット隊はJAS-39グリペンの筈だ。アレはどう見たってMig-29ファルクラムだぜ?」


 見覚えのない機体に首をひねるクィルターとパレンバーグを他所に、全くの偶然の内に、メスナーは唯一の正解を引き当てていた。

 垂直尾翼に描かれた【エントランス】の識別章と、その隣に寄り添う剣を咥えた赤い鳥。


「――緋色の鳥、か」


 彼の零した呟きは辺りに響き渡ったジェットノイズに拭い去られ、彼自身にすら届くことは無かった。

 しかし明灰色の戦闘機が飛び去った後には、胸の内で鎌首をもたげていた”自身にとって最も気に喰わない未来”が、欠片も残さず拭い去られてしまっていたことに、メスナーは苦笑をこらえることが出来なかった。









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