Mission-22 這い拠る宙飛
刷毛で漉いた様な細きれの雲が昼間の残滓に焼かれ、橙色の背景から浮き上がる様な鮮紅に染まっている。つい数時間前まで、みすぼらしい枯草に覆われていたはずの丘陵地は、今では何処までも続く黄金色のウネリとなって西日に焼かれる砲塔の前面に広がっていた。
冬場の短い昼が、使い切れなかった光を特価大廉売するかのような光景の一方、各地に点在する樹木線が
リスタ河以北に広がるマーティオラ平原の北部地域に、日没前の僅かな期間のみ現出する黄金の海の中で、この風景とは全く別の理由で溜息を吐き出す青年の姿があった。
――気に入らない。
第901独立戦車大隊第3中隊第2小隊を預かる予備士官――デューイ・ホークスビー中尉は、90式戦車の車長用キューポラから望む幻想的な絶景の中に姿を見せた、この半年の間に見慣れつつある”不愉快な現実”を何とか咀嚼しようとしていた。
彼の視線の先――隊列の先頭付近を進む90式戦車の120㎜砲の先には、丘に囲まれた窪地の中で
「これは、随分とこっぴどくやられたモノですな」
隣の砲手用のハッチから彼と同じように頭だけを出し、目標と周囲を手際よく確認したマーティン・コンラッド軍曹が、ホークスビーの溜息の意味を誤解したのか慰めるような言葉を口にする。
まだまだ子供の様な風体の小隊長とは異なり、斜陽の中に浮かび上がった角ばった顔には大隊長車の砲手を務めるリプセット曹長と同様の凄みが有った。敵地のど真ん中においても必要最低限の緊張感と共に、経験に裏打ちされた職業軍人らしい自信を
予備士官である自分がこのように成長する事は出来ないだろうなと、劣等感に似た感情が彼の中に湧き上がってくるほどに。
ホークスビーは微かに残っていた予備士官らしい責任感と、若造らしい意味の無いプライドに小突かれ、せめて小隊長としての見栄を張ろうとするが、それよりも早く上官からの通信が飛び込んで来た。
『こちら中隊司令部、1小隊の1-1、1-2分隊はこれより生存者を確認する。2小隊および1-3分隊、1-4分隊は周辺の警戒に当たれ』
「2小隊より中隊司令部、周辺警戒に当たります」
レシーバーから響いてきたのは聞き慣れたメスナー大尉の声ではなく、本来は第8機械化歩兵大隊第1中隊を率いているハーヴァー大尉の声。千鳥縦隊で進むホークスビーの小隊に挟まれながら進んでいる機械化歩兵の小隊を直率し、彼の憂鬱の8割ほどを生産している臨時捜索中隊の指揮官の言葉だった。
「小隊長車より全車、これより小隊は周辺警戒を実施する。まず2号車は――」
コンラッド軍曹がそれとなく示した要地へ、ホークスビーは自身が率いる3両の90式戦車を振り分けていく。小隊長車についてはコンラッドから操縦手へ既に指示が飛んでいたのか、ホークスビーが口に出すまでもなく、要地に振り向けられた各車を視界に入れられる北東の丘へと針路を取っていた。
増速して隊列を離れた小隊長車に続く様に、副小隊長のローラント・レープ少尉が指揮する2号車が南南西、3号車が南東、4号車が北西の丘へと車体を向ける。
ほどなくして、1500馬力のディーゼル・エンジンを咆えたたせながら、目的地である窪地の四方を囲む丘を登った4輌の主力戦車は、その頂上から一歩離れた場所に停車しささやかな防御陣地を作り出した。
相互に離れすぎることも無く、全方向に対して常に2輌以上の砲門を即座に向けられる隊形を取っている。本音を言えば穴を掘ってダグインさせたいところだが、そこまで長居をする予定は無い。砲塔や車体に巻き付けた偽装網や枯草が頼みの綱だった。また、ホークスビーの小隊に後続した2両のM113A1装甲兵員輸送車は、小隊長車と副小隊長車の近くに警戒用の兵を降ろすと、そそくさと丘の影に身を隠してしまう。
複数の丘の上で手早く円陣を組んだ鉄牛の背後――丘に囲われた窪地の中へ、機械化歩兵小隊の先頭を進んでいたマルダー歩兵戦闘車が、第2分隊を乗せたM113A1を引き連れて進出し停車する。途端に後部のハッチから自動小銃を抱えた歩兵が降り立ち、付近に散らばった残骸へと駆け出していった。
「無駄足だと思うか?軍曹」
焼け焦げた味方の装甲車――派手に横転し下腹を晒しているフェネック偵察車の中を覗き込んでいる第1分隊の歩兵を横目に見ながら、ホークスビーは小隊先任下士官に小声で問いかけた。コンラッドは双眼鏡で周囲の警戒を続けつつ「まあ、竜かハゲワシを飛ばせば事足りたって話になりそうですがね」と、中隊長の言葉に幾らかの同意を示す。
「――中尉殿はやはり納得がいかないので?」
「厳密に言えば
現在、彼の指揮する4輌の90式戦車は901大隊の指揮下を離れ、臨時に編成された機甲捜索中隊の第2小隊として配属されている。目的は、師団主力から先行した後に消息が途絶えた偵察小隊の発見と救助であり、指揮は大尉であるハーヴァーが取っていた。
寄せ集めではある事には間違いないが、その実体は1輌のマルダーと3両のM113A1を装備する機械化歩兵小隊に、90式戦車4輌を要する1個戦車小隊、アベンジャー防空システム2輌を主力とする1個防空分隊からなっている。
逆に言えば、砲兵よりも主力戦車を優先して配置しなければならない事情があるのだった。双眼鏡を樹木線に向けるコンラッドは、危なっかしいが其れなりに見どころがある士官を
「この辺りは夜になるとカテゴリ3の魔獣が出ます。特に
「そのためのAMX-10RCだろうに」
注意深く周囲を観察しているコンラッドの横顔から、ホークスビーは恥じる様に視線を逸らし、に再び盆地の中央へ目を向ける。黒焦げとなり擱座した車両群の中には、長大な砲身を項垂れさせている6輪の装輪装甲車の残骸を見ることが出来た。
AMX-10RC――防御能力こそ限定的ではあるが、全周砲塔に対戦車・対魔獣戦闘にも対応可能な48口径105㎜ライフル砲を備えた装輪式の偵察戦闘車だ。師団が保有する偵察大隊の中では最も強大な火力を持ち、第2世代から第3世代主力戦車と同等とされるカテゴリ3の魔獣を正面から粉砕できる唯一の装備だった。
とはいえ、ハーヴァー大尉からの連絡を受け取った偵察大隊の大隊長は、今頃あの砲身と同じように項垂れていることだろう。第2師団の偵察大隊が保有する最後のAMX-10RCがあの有様では、今後の作戦行動に大きな影が落ちるに違いない。
補充を要請しようにも、この手の車両は基本的に他の部隊と取り合いになる。師団の目となる偵察大隊への優先度は高い筈だが、ギリギリで何とか踏ん張っている祖国の状況を考えると、楽観できる要素は見当たらなかった。
ましてやマーティオラ平原北部の夜は、重機関砲ですら歯が立たない厄介な魔獣が出没する事で有名だ。
ノヴォロミネに奪われた国境の町、エンゲイトを奪還するまでの間。すなわち、師団主力が平原北部を横断する間は、大火力の装甲車を失った偵察大隊の活動は、特に夜間において酷く制限されてしまうだろう。
対戦車ミサイルやロケットを自衛に使う手もあるが、カテゴリ3の魔獣の中には
それらは異なる性質を持つ層状の装甲を形成し、下手な対戦車火器では全く歯が立たないのだ。この天然の複合装甲を確実に貫いて反撃の猶予を与えず絶命させるには、HEAT弾のメタルジェットではなく、呪詛を刻んだ
携帯式の対戦車ミサイルが実用化され普及している今となっても、都市防衛などの観点から牽引式の大口径対戦車砲や、歩兵向けの装輪式対戦車車両の量産が大規模に続けられている理由の一つだった。
「それにしても、連中は一体何にやられたんだろうな」
「ザっと見る限り、全車両がこの窪地の中でやられています。逃げる間もなかったのでしょう。爆発跡もありますし、恐らく航空機だと思います。向こうさんのハゲワシがAWACSの隙を突いて突っ込んで来た、ってところでは?」
「こちらのAWACSがうたた寝を始める前に、とっとと帰った方がよさそうだな」4輌の90式戦車が上った丘とはまた別の丘の上に、タイヤを時折空転させながら難儀そうに登っていくアベンジャー防空システムの姿を横目に見つつ、何処か他人事の様にホークスビーがぼやく。
復讐者の名前を与えられた8連装の対空ミサイルランチャーは、システムを搭載するハンヴィーの無骨な外見も相まって実に頼もしそうに見えるが、内実を知る中尉の視線には微かな冷たさが混じっていた。
「師団は
「制空機と言えば、例のミグがいてくれれば心強いのですがね」
「同感だ――もっとも」
荒っぽい雰囲気とは裏腹に、結構な情報通の側面があるパレンバーグ中尉から聞いた緋色の鳥の顛末を続けようとした時、ホークスビーの鼓膜に耳障りな高音が微かに届いた。
一瞬耳鳴りかとも思ったが、隣のコンラッドが即座に表情を硬くしたのを見て。楽観的な考えを即座に捨て去る。この軍曹は
息を呑む時間すらも惜しみ、レシーバーでつながった小隊の各車両と司令部へ警戒を促す間に、微かな高音は西から迫る轟音へと変わっていた。各車の車長たちも、既にこの音を耳にしているだろう。小隊長として今の彼が出せる命令は一つだけだった。
「小隊長車より小隊各車! 回避行動始め!」
沈黙を保っていた鉄牛が奇怪な咆哮と共に黒煙を噴き出すと、50tを超える車重と1500馬力の出力を受け取った履帯が軋み、枯草と泥を跳ね上げて急発進する。コンラッドは素早く車内に身を沈め砲手席に着くが、ホークスビーは額をキューポラの縁にぶつけそうになりながらも、同じように黒煙と泥を跳ね上げ始めた各車の位置を確認しながら空を見上げる。急速旋回によって横に流れる視界の中、アベンジャーが頂上付近にまでたどり着こうとしている西側の丘――敵の迫ってくる方角を視界に捉えた。
こちらとほぼ同時に異変に気が付いた周囲の歩兵たちが、M113めがけて丘の斜面を滑り降りていくのを横目に見つつ、ホークスビーは奇襲を受けて浮足立とうとする思考を無理やり回し始める。たとえ内容が取っ散らかっていても、思考停止するよりはずっといい。
まさか――
背筋を怖気が走り抜けた瞬間、漸く西の丘の頂上に辿り着いたアベンジャーシステムが閃光に包まれた。
ボンネットの真下で生じた爆炎に蹴り上げられ、一般車両より二回りは大きいハンヴィーの車体がもんどりうつように後転し、荷台に背負った対空ミサイルランチャーを中の操作員ごと押し潰して爆散する。吹き飛んだタイヤやドアの破片が西日を反射し、あるいは黒いシルエットとなって茜空を彩り、後を追う様に黒煙が膨れ上がった刹那、破片と煙を貫いた無数の槍が盆地へと降り注いだ。
甲高い音を引きずって地面へ相次いで突き刺さった無誘導ロケットは、閃光を残して次々に炸裂していく。四方に飛び散った破片が装甲車の残骸を叩き、陰に隠れようと走り出した歩兵が絶叫を上げる間もなくなぎ倒され、運の悪い者から肉片へと変換された。
空対地ロケットの弾着に伴う小爆発が夕立の様に即席の陣地を蹂躙する中、運悪く直撃を被ったマルダー歩兵戦闘車が蹴飛ばされた菓子箱の様に
僅か数秒の内に、半日前に偵察小隊が辿った惨劇が倍の規模で再現されていく。頬を撫でる熱風と閃光に打ち据えられながら、ホークスビーは一瞬遅れて指揮権が自身の手の中へ転がり落ちた事を理解した。勿論、本来は憧憬の対象である中隊指揮官と言う肩書が、今となっては特級の貧乏クジに代わっているという正しい認識と共に。
予備士官に成れば、学費も免除され幾らか親に楽をさせてやれるかもしれない。
などという擬態の裏で、捨てられなかった軍人への憧れを隠していた過去の自分を、可及的速やかに抹殺したい衝動に揺さぶられる。
まったく、ゲームの中で仮初の英雄に浸っていた方が兆倍マシだったろうに、この救いようの無い大馬鹿野郎。喜べよ、英雄に成れるかは知らないが、名誉の戦死なら手の届くところに転がっているぞ。
頭の片隅で自身の選択を呪い始めたホークスビーの前に、この地獄を作り出した存在が無数のフレアを凱歌の様にまき散らしながら姿を現した。
細く伸びた機首に、何処か愛嬌すら感じさせるトンボの目の様な大型のキャノピー。側面に空いた機体に不釣り合いなほど大きな半円形のエアインテークと、魚類を思わせるすらりとした尾翼。吹き上がる黒煙を切り裂くのは、一目見て解るほど下反角が取られた後退翼。パイロンの先では白煙を棚引かせる物騒なロケットポッドが、馬上槍の様に抱えられていた。
そして何より、その機体にはジェット機に存在するべきノズルが、尾部ではなく胴体部に分散して配置されている。このような特徴的な姿を持つ航空機は極々限られていた。
味方を襲った惨劇の正体を理解した予備士官の口から、自棄混じりの悪態が掃き捨てられる。
「畜生――」
AV-8B――迂闊に平原を侵攻しようとした鉄牛達を襲ったのは、世界初の実用VTOL攻撃機の末裔である
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