Mission-23 沢鵟も鳴かずば撃たれまい


 レーヴァンが【エントランス】に設けられたブリーフィングルームに入ると、薄暗い室内では他に呼び出されたヴァルチャー達が集まり、正面の壁には天井からぶら下がったプロジェクターが光芒を伸ばしていた。

 秩序をかろうじて維持しているパイプ椅子に陣取る彼等の横顔が、映像の照り返しで青白く光り、現在の率直な心情を現している。

 両腕を組んでつまらなそうに眼を細める者、隣のメンバーと次はどれがになるか賭ける者、天を仰いで寝息を立てている者などなど。画面の横に位置する2つの影の主たちは、映し出される映像を映画が始まる前の予告編程度にしか受け取っていない彼らを、どんな心情で眺めているのだろうか。

 そんなことを考えそうになって、レーヴァンは内心で苦笑を零した。情報の取捨選択まで面倒を見る世話焼きな人物は、少なくとも【エントランス】にはいない。ある意味では、ヴァルチャーもヴァルチャーと対峙する2つの影も、自己責任の原則に愚直なまでに忠実だった。

 画面の光量が一瞬大きくなり、視線が引き付けられる。埃のチラつく太い光芒が描き出しているのは、発煙弾スモークを乱射しながら丘の間を縫うようにのた打ち回っている数輌の装甲車両の姿だった。

 対地ロケットの直撃を植えて横転した僚車の傍を、これでもかと天板に歩兵を乗せたM113A1装甲兵員輸送車の四角い車体が枯草を抉りながら走り抜けていく。横転した車体から投げ出された歩兵がよろよろと立ち上がり、背を向けて走り去ろうとする戦友たちに手を伸ばした瞬間、誘爆した車載重機関銃の破片に切り刻まれ絶叫を上げる間もなく倒れ伏した。

 90式戦車の上にも同じく歩兵が張り付いているが、至近弾の弾片が車体を複合装甲を叩くごとに、血飛沫を纏って大地へと転がり落ちていく。難を逃れた歩兵は命運の尽きた戦友を無感動に見送り、ただ只管に歯を食いしばって死神が肩を叩かぬように祈ることしかできない。

 10輌に満たない装甲車両の群れは、夕焼けに赤く染め上げられた大地を踏みにじり、時折思い出したように上空へ曳光弾の火箭を打ち上げている。

 しかし赤い大地に影を落とす鳥は、か細い抵抗を嘲笑う様に射程外へ逃れると、緩やかな旋回をかけながら次ぎの獲物を見定める。ややあって特徴的な下反角が付けられた主翼が斜陽を切り裂いて緩降下を始め、腹の下から赤い火箭を吹き延ばした。

 赤い大地に身の丈ほどもある褐色の爆発が列を無し、打ち下ろされた機銃掃射が唯一生き残っていたM113A1を一閃した。車体に散った火花と共に、それまで人の形を保っていた肉塊が四方に弾け飛ぶ。重機関銃程度ならば何とか弾き返す装甲も、緩降下の速度を上乗せされたGAU-12 イコライザー25㎜ガトリング砲の前には紙くず同然に引き裂かれ、背の高い車内は血と肉の泥濘と化した後、即席の火葬場へと移り変わる。

 獲物を屠った沢鵟ハリアーは勝ち誇る様に西日の中へその身を躍らせると、今度は隊列の中央で不規則な回避を繰り返す戦車に狙いを定めた。翼の下に抱えてきたロケットポッドから白煙が迸り、数条の軌跡が赤い世界を切り裂いていく。

 数秒の後、炸裂した対地ロケットの閃光がブリーフィングルームを僅かに照らし出し、ヴァルチャー達だけでなく画面の横に陣取った影の帳も吹き払った。

 画面の横に陣取っていたのは葉巻を弄ぶラルフと、頬杖を付く眼鏡の男。

 四角いレンズの奥の瞳は、対地ロケットの直撃を受け爆散する主力戦車の姿を、この上なくつまらなそうに見つめていた。

 ラルフはともかく、あの眼鏡の男は初めて目にする。しかしその雰囲気から、或る意味で既に深く関わっている男であることをレーヴァンは直感した。リスタ河へ殴りこみに行く時のブリーフィングにはいなかったが、そう言えばあの時は既に空の上だったなと記憶をたどり、根拠のようなモノを手繰り寄せる。

 前回はたまたま予定が合わなかったと言う事だろう。再び影の中に落とし込まれた男達から視線を外し、映像を横目に見ながら開いている席を探そうとした時だった。不意に袖を引っ張られる感覚があり、思わず足を止める。


「おい、何処へ行く。こっちだ」


 袖を摘まんだ不機嫌そうな声の主は、先にブリーフィングルームに足を運んでいたノルンだった。映像に照らされた青白い顔の横には、愛用のブローニングハイパワーでキープされたパイプ椅子が一脚。気を利かせてくれたらしい。

呆れた様に「遅いぞ」と口を尖らせる彼女に軽く詫びつつ、席取り役を務めあげた自動拳銃を手渡す。

 古びたパイプ椅子は座面が妙に前傾しているせいか、ずり落ちそうで座り心地は良くない。尻の位置を調整する無駄な努力を払いながら、相方に声をかけた。


「すまない、助かった。で、何処まで行った?」

「先に映像を見せられてるだけだ。本題はこれからだな」


「それは良かった」肩を竦めると同時に映像が止まり、ラルフの隣に座っていた眼鏡の人物――グレイブ・キーパークリプトが立ち上がる。亜麻色の髪をオールバックにした長身の男で、不景気な面をした銀行員と言った印象を受ける。否、闇金業者の方が近いか。


「さて、道草鴉も揃ったことだし話を進めるぞ」


 灰色の瞳がギロリとレーヴァンを貫き、周りに集ったヴァルチャー達から失笑が漏れた。「早速浮気かぁ?」と揶揄ったズメイ5は、真後ろに座っていたノルンの手刀を脳天に喰らい悶絶する事になる。余りにも鮮やかな報復に、ハゲワシ達の失笑が漣の様に広がっていった。

 無論、その漣は墓守の神経を苛立たせるには十分な威力を発揮する。八つ当たり気味の怒りをその身に宿した灰色の瞳は、漣のそもそもの元凶となった鴉を仇の様にめ付けた。


「レーヴァン、貴様の飼い主にも首輪をつけておけ、話が進まん」

「努力はするよ、邪魔して悪かった」


 全く懲りていない様子の鴉に盛大に舌を打ったグレイブ・キーパーは、仕切り直すように片手に握っていた指し棒を、スクリーン代わりになっていた壁面のホワイトボードに叩き付ける。

 直後、砲塔側面に直撃弾を受けた主力戦車が爆炎に包まれた瞬間で固定されていた映像は、マーティオラ平原北部の戦域図へと変わっていた。戦域図を南北に縦断する幾つかの街道上には、注目を促すような数個の円がマーキングされている。


「貴様らに見せたのは、本日夕刻にオーディエンス4が撮影した映像だ。哀れな生贄が襲撃を受けたのは此処。ロージアン主力が布陣するリスタ河北岸陣地から、とりあえずの最終目標地であるエンゲイトに至る街道の一つだ。使用された機材はAV-8BハリアーⅡ――この中で説明の必要なヤツは居るか? 居たら手を上げろ、朝一の便で叩き出してやる」


 鼻で嗤うような失笑があちこちから漏れる。その名を聞いてどのような機体かを連想できない奴はヴァルチャーの中に――とりわけ、このエントランスの中に――存在するはずもない。

「結構」手を上げる者が皆無である事に、何処か落胆した様子のグレイブ・キーパーが続ける。


「これまでの戦いでエンゲイト周辺の航空基地は全て潰し、【メチニク】の制空機もあらかた叩き落として一先ずの航空優勢は得ているが、所詮一時的なものだ。ノヴォロミネはエンゲイト周辺で再編成を行い、ロージアンを待ち構える算段らしいが、奴らにとっては如何せん時間が足りない。そこで、ハリアーを始めとする垂直離着陸VTOL機を搔き集めてゲリラ戦を仕掛けてきているのが今の状況だ」


 再び指示棒の先でホワイトボードを叩くと、戦域図の上にオーディエンス隊のF-14D/Rが撮影したらしい数種類の機体の静止画像が次々に表示され始めた。街道上に散らばっている複数の円――先の映像とはまた別の地上部隊が攻撃を受けたエリアから引き出し線が延ばされ、それぞれの画像と紐づけられている。何処で何に襲われたのかが一目で解る形だ。

 先ほど90式戦車を追い掛け回していたハリアーⅡは勿論、一世代前のハリアーGR.1、より小柄なYak-38 フォージャー、さらには中々お目に掛かれないYak-141 フリースタイルまで紛れ込んでいる。さすがに最新鋭と言ってよいF-35Bは見られなかったが、まさしく東西問わずVTOL機の見本市と化している感があった。

 歴戦のヴァルチャー達にとっても珍しい事態であるようで、感心するかのような唸り声が微かに漏れ聞こえてくる。レーヴァン自身も記憶を辿ってみるが、これほど大々的に集中させて行動させている例は聞いたことがなかった。


「連中はこれらの機体を平原に点在する森や林に隠し、此方の先遣隊を片端から叩いて潰して回っている。中には司令部にまで空爆をしに来た奴らもいるそうだ」

「制空機は出さなかったのか? Yak-141フリースタイルはともかく、相手は所詮攻撃機アタッカーだろ?」

「いい質問だコカトリス3ギネス。では逆に聞くがな、ミサイル抱えて遊覧飛行した挙句、手ぶらで帰ってきてもいいって殊勝な奴が居るか? 付け加えると、他に確実に稼ぐ依頼は山ほどあるとする」


 無論、誰も手を上げない。「これが答えだ」卑しい笑みを浮かべた墓守が大げさに肩を竦めて見せた。


「向こうが元気なうちはまだしも、ケツまくり始めた段階じゃあ、戦闘空中哨戒Combat Air Patrolはビタ一文にもならん。ロージアンも、それぐらいは理解している」

「じゃあ俺たちが集められた理由は何だ? まさかとは思うが、強制的にやらせるつもりじゃねぇだろうな?」


 コカトリス3ギネスの疑問に「マジかよ」「冗談じゃないぜ」とすぐさま不満の声が湧き上がり始める。

 彼らを纏めている【エントランス】には、確かに所属したヴァルチャーに出撃を強要させることが出来る規定はあったが、地上の軍隊の様に濫用が効くモノでは決してなかった。

 そもそもの話、彼ら個人個人は意思を持つ軍隊に等しく、逆に【エントランス】それ自体は多少の例外はあれど戦闘能力を保有しているわけでは無い。極端な話、ヴァルチャー達が反旗を翻せば、この超重航空管制指揮母艦ジャガーノートに分類される巨神機でも1時間と持たず叩き落とされるだろう。

【エントランス】が持つ正規軍顔負けの後方支援能力と物資や依頼のコネ、さらに必要十分な指揮能力を目当てに集うヴァルチャー達だったが、だからこそ使危険には敏感だった。

 もちろん、その性質を理解できない人間が荒くれ者共を束ねられるわけもない。「一旦黙れハゲワシ共」罵倒に等しい一声で場を制圧したグレイブ・キーパーの顔には酷薄な笑みが浮かんでいた。


「まず貴様らは、この獲物の画像が何処で取られたのかを今一度思いだすことだ――何のために、わざわざ主力戦車まで出させたと思う?」

「餌か」


「その通りだズメイ1ニルド」レーヴァンの後ろでぼそりと呟かれた言葉に、更に笑みを深めた墓守の言葉が重なる。


「なあ、ノルン」

「なんだ?」

「クリプトってさ。ミネルヴァの親族だったりするのか?」

「知るかバカ――ま、解らんことも無い」


 ノルンが小さく鼻を鳴らした直後、画面上に映し出されていた各種VTOL機の画像が掻き消え、代わりに幾つかの赤い円が戦域図に表示され始めた。それらは全て、比較的規模の大きな森の上に描かれている。


「忠勇凄烈なるロージアン陸軍将兵の献身によって、めでたく我々は敵VTOL部隊が拠点としているらしい個所の特定に成功した。隠蔽術式により空から見ればただの森だが、何も拠点が消えたわけじゃない。術式の下には魔術で地盤を固めた野戦飛行場が存在するとみられる」


隠蔽術式マジック・カモフラージュは魔術的、光学的に対象物を隠す有用な魔術ではあるが、言い換えてしまえば魔力を用いた高性能な偽装網にすぎない。偽装網が降り注ぐ爆弾を弾き返す能力を持たない様に、隠蔽術式はその存在を知られた時点で意味の大半を失ってしまう。


「そこが拠点だと言う根拠は有るのか? 奴さんはVTOLだろう? 地盤を固める魔術師さえ派遣しておけば、其れなり以上に融通が利くはずだ」


 クラーケン2が口にした疑問に一つ頷いた墓守は、再び指し棒を振るった。「これを視ろ」軽い音と共に、プロジェクターの光を反射する円錐形の先端が、赤い円の北側――エンゲイト側に伸びる旧道を示す細い線を乱暴になぞる。

 それらは今の街道が整備される前に使われていた、平原を縦断する無数の未舗装路の一つで、同様の旧道は他の赤い円からも北へ向けて伸びていた。


「確かに一時的に降ろすのならば貴様の言う様に、運の悪い魔術師を一ダースも揃えれば事足りる」


「だが、VTOLは貴様ら以上に大喰らいだ」さも楽しそうに、墓守は言葉を続けた。【メチニク】が打ち出した作戦は、確かにロージアンの進撃を僅かに躊躇わせることは出来たが、所詮は窮余の一策に他ならず、【エントランス】に尻尾を掴まれる隙を生み出していた。


「ゲリラ戦をするにも、まとまった燃料を陸路で運ばねばならん。オーディエンス5が収集した情報によれば、ポイントした森に続く旧道の轍は、他の物よりも明らかに新しく深い。こそこそと隠蔽術式を組み込んだ油槽車で運び込んでいるようだが、僅かながら残留魔力が確認された。急増品思いつきにはよくある穴だな」


 VTOL機を使ったゲリラ戦と言えば中々奇抜な策にも思えるが、そもそも航空機と言う兵器は十全のバックアップがあってこそ初めて真価を発揮できる。小銃と食料、医薬品さえあれば其れなりの仕事は出来る歩兵とは訳が違うのだった。


「敵の拠点には地下燃料槽やら弾薬庫やらの高級品は無いか、あっても極々簡素なものだと推測できる。1000ポンド爆弾でも放り込んでやれば、綺麗な花火が見られるだろう」


 ふと気が付くと、レーヴァン自身の周りでは不平や冷やかしが混ざっていたヴァルチャー達の視線が、何時しか真剣なものに成りつつあった。その道の職人らしく、実に魅力的なの匂いを嗅ぎつけたらしい。それは隣の魔女殿も例外ではないようで、レンズに画面の光を反射させながら顎に軽く指を当てていた。


「作戦は単純だ」


 卑しい笑みを傲慢な嘲笑に変えたグレイブ・キーパーは、伸ばした指揮棒を片手に肩に担ぎながらヴァルチャー達を睥睨へいげいする。


「貴様らは爆弾なりなんなりを抱えて、平原に広がる沢鵟チュウヒ共の巣を片端から焼き払え。中には飛びあがって殴り掛ってくる気骨のある奴もいるだろうが構わん、皆殺しにしろ。今回の空中目標の倍率は2割増しに留まるが、その分地上目標の基礎報酬も上乗せしてやる。地上攻撃が好みな連中は、気兼ねなく爆弾をぶら提げていけ――何か質問はあるか? ない? 結構」


 目をぎらつかせたハゲワシ共を前に、伸ばしていた指揮棒を縮めた墓守の名を持つ男は、魔界の軍団長のように両手を打ち合わせた。


「組み分けは1時間後に連絡する、作戦開始は明朝0700――解ったらとっとと働け、ハゲワシ共」


 傭兵達は我先にと格納庫へと走り去ることで返事の代わりとした。


 ◇


「まあなんにせよ、無事に戻ってこれたのは幸いだった」


 東の境界線が微かに白み始めるころ、中隊司令部を置いた天幕に姿を見せた予備中尉を前にしたメスナーは、慰めともねぎらいともとれる言葉を口にしながらストーブの上で微かに蒸気を漂わせていた薬缶を手に取った。古びたカップの底に落ちた熱湯は中央で山になっていた粉末を飲み込み、黒々としたコーヒーへと姿を変える。

 ギリギリ喫食に値するロージアン軍の戦闘糧食に付属している粉末コーヒーであるため味は推して知るべきだが、少なくとも体を温める役には立ち、事実彼もその程度の働きしか期待していなかった。

「ありがとうございます」黒々とした液体が注がれた金属製のマグカップを、天幕を訪れた青年――ロージアン陸軍予備中尉、デューイ・ホークスビーは微かに震える手で受け取った。

 無論、酒が切れているわけでは無い。

 つい24時間前まで存在していたはずのあどけなさの残る顔は、色濃くこびり付いた硝煙や血の跡の中に埋もれてしまっている。まだ世界の残酷さを辛うじて知らなかったはずのとび色の瞳は、半日にも満たぬ間に、メスナーが毎日鏡の前で目にする瞳と同じ色に染め上げられてしまっていた。


「もうしわけ……ありません、中隊長殿」


 マグカップに口を付けるそぶりも見せず、棒を飲んだような気ヲ付ケの姿勢を崩さぬまま、ホークスビーは自らの悔悟を絞り出すように口を開く。立ち上る蒸気に擽られる口は真一文字に引き結ばれ、カップの持ち手を握る右手には関節が白く浮き上がっていた。


「自分の拙劣な指揮で、お預かりした小隊を――」

「うん、確かに文字通りの全滅ではあるな。過程はどうあれ、指揮を引き継いだ中尉がもたらした結果だ」


 生真面目な青年に背を向けたまま自分の分を注いだメスナーは、フットボールの試合結果を口にするような気楽さで彼の言わんとしている事をさっぱりと要約して見せた。

 絶句するホークスビーを他所に、無糖派が大半を占めるせいで駄々余りになっている砂糖の小袋の口を歯で噛み切りながら、木箱とベニヤ板で作られた戦域図を乗せた机に寄りかかる。マーティオラ平原北部を切り取った図面上には、平原の真ん中で横倒しになった青い駒が点在していた。


「4号車と3号車は大破して放棄。1号車は中破し、2号車も小破。2号車はまだしも、1号車は後送して修理が必要だ。いや、いっそのこと部品取りに使った方が良いかもしれん――事実上、第2小隊は戦闘能力を失った」

「兵たちは良く戦ってくれました、彼らに落ち度はありません」


 何かを堪える様に顔を上げたホークスビーは、打ちひしがれている人間特有の、ある種の自棄を振りかざして断言して見せる。

 彼自身、これが無様な敗走をして見せた指揮官が唯一許される類の弁明だと理解していた。その一方で、少なくとも「部下の努力は認めることが出来る人物」であると大尉に認識させる小賢しい自己弁護の一種だとも思っている。

 しかしこの言葉は、軍記物の中だと此処で退場させるには惜しい無能な働き者が良く口にするセリフだと言う事に気が付いてしまい、ただでさえ悪い気分がさらに悪化したような気がした。

「良い兵、良い部下とはそう言う者だ」内心に湧き上がる不快感を必至に押し留めている最中に渡ってきた言葉に、思わず背筋を正す。包帯に覆われた左手に痛みが走り、肉片の飛び散る感覚が未だに残る頬が微かに痙攣した。


「最悪の状況でも、己の職分を可能な限りまっとうし最善を希求する――幸いなことに、私の中隊は今現在もその条件を満たし続けていると確信している」


 微かに目を見開いた青年を他所に、中隊長はゆっくりとカップを回し、役目を終えた砂糖の小袋を握りつぶした。


「確かに被害は甚大だ。だが奇襲を受けた中隊を掌握し、脚をやられた装甲車から可能な限り歩兵を拾い上げ、数度の攻撃を受けながらも逃げ延びるのは無能な指揮者に出来ることではない。戦車小隊を丸ごと失うのと、直せば使える戦車と部品取りには使える戦車が1輌ずつ戻ってきたのとでは随分と違う」


 困惑と戸惑い、そして一握りの安堵が綯交ぜになった微妙な表情を浮かべるホークスビーへと視線を投げる。

 半年前にこの地で発生した史上最悪の撤退戦を経験し、穴だらけの装甲車に噛り付きながらリスタ河南岸へと落ち延びた大尉の顔には、怒りや蔑みは勿論の事、憐憫や同情すら存在しない。

 地獄を歩んできた男の顔には、定期考査の答案を捲る生徒嫌いの数学教師に似た、目の前の現実だけから当事者の能力を値踏みするかのような、ある種の冷たさが張り付いていた。


「君が死なせた兵が生き返ることは無く、その全員が君を恨んでいる事だろう。君が生き残らせた兵達だって同じだ、彼らは聖人君子ではなく人間なのだから。戦友は死ななくても済んだのではないか? と言う幻想を抱くことは防げない」


「だが」言葉を切ったメスナーは黒々とした液体を一気に半分ほど飲み干した。甘さも苦さもさほど感じない流体が喉を焼き、腹の底へと落ちていく。


「生き残った兵は大なり小なり、君にことを理解している。あの奇襲から生き延びたのは、指揮者が最後の最後までしぶとく生き延びたからこそだとな。臨機応変が必要とされる今の時代でも、指揮官を失った部隊は軍隊とは言わない――たとえズタボロでも、軍隊としての格好をつけて帰ってきたのは、間違いなく君の功績だ。デューイ・ホークスビー中尉」


 国家元首に拝謁するかのような姿勢を崩さないホークスビーが手元のカップに口を付けるまでには、もう幾ばくかの時間が必要だった。


 ◇


「さて、待ちに待った実戦だ。用意は良いかね? 鴉殿」

「用意を始める前に、そろそろ降りてもらえないか?」


 面倒臭げにレーヴァンが振り返ると、イジェクションシートの向こう側でニマニマとこちらを見やる赤金の少女の姿が視界に写り込んだ。キャノピーと共に後席の外殻コフィンを跳ね上げ、コクピットの縁に頬杖を付いている様は、オープンカーにでも乗っているかのような酷く気楽な雰囲気を醸し出している。

 否、実際の所この看板娘にとっては、オープンカーの後部座席も第4.5世代ジェット戦闘機の後席も大差ないのかもしれないが。

 出撃直前にアフターサービスと称して後席に潜り込んだミネルヴァは、対爆ドアを潜った先の駐機場エプロンに引き出される今に至るまで、前席で出撃準備に追われるレーヴァンや機体の周りを駆けずり回る整備員たちを特等席で見物し続けていたのだった。出撃準備に忙しい機長に代わり、異変を察知したオペレーターが少々過激な実力行使もちらつかせて無線越しに退去を迫っていたが、当然の様にのらくらと躱しながら今に至る。

 ただ、本当に物見遊山目的だけで乗り込んだ訳では無いらしく、前席のディスプレイの一角には、ゴーレムの手動診断モードが正常に完了したことを示す表示が明滅していた。「やれやれ、機長命令なら仕方がないか」肩を竦めるミネルヴァは小型のキーボードに繋がるコードを機体から抜き取り、手慣れた様子でまとめ始めている。


「今になって看板娘直々の調整が必要なのか?」

「必要かどうかと問われれば好みの問題だがね。やれば済んで利益が出ることを放っておくのは、どうにも性に合わないのさ」


 「残業は好きじゃないんだけどね」大げさに肩を竦めたミネルヴァがシートから立ち上がり、下に待機していた付き人のシェーラにキーボードを投げ渡す。そして要は済んだとばかりに、狭苦しく動きづらい筈のコクピットから、猫の様にするりと抜け出してラダーへと足をかけた。


「ゴーレムはこれまでの経験と目の前の状況を比較し、次の一手を自発的に選び取る能力を持っている。自立兵器としての、最低条件だね。だが、必ずしも過去の経験が今の思いつきより優れているとは限らないし、その逆もしかりだ。時には、どっちもどっちと言う場合すら起こりうる。空の中で戦うと言う命題に対し、何を基準に判断し、選択し、行動に移すのか――君はどうしている?」

「さてな。その時になって見なければわからない」


「そこだよ」ラダーの中程でぶら下がったまま、赤黒い瞳が望んだ答えに僅かに細められる。


「残念ながら、有能なウィザードが持つ”生き残るための戦闘勘”だけは、いくらプログラムコードをこねくり回してシミュレーションを繰り返したところで、人為的に再現する事は出来ない。仮に出来た様に見えても、それは戦闘勘ではなく、単に優秀な統計経験に基づいた機動パターンの集合体にすぎない」


「人は経験の動物だと聞いたことが有るが?」まぜっかえしたレーヴァンに「経験を都合良く捨てられるのも、それが結果的に最適解になったりするのも、また人間さ」と笑い声が帰ってくる。


「ヴァルチャーの戦場に必要なのは自律Autonomyであって、自立Independenceじゃない。経験だけではなく、それらから得られた発想やタブーを血肉とし、自らの交戦規定ROEを定め、実行することで初めて、ゴーレムの戦闘意識は戦術的優位性タクティカルアドバンテージを得る。単なる高性能な兵器マシンではなく、戦局すら左右する戦士ソルジャーへと変わる。君に期待するのは、コイツの嚮導役だ」


「要するに、このゴーレムに戦い方を教えろと言う事か」何と無しに無人となった後席を振り返る。キャノピーと共に大きく跳ね上げられた外殻コフィンは、今まさに獲物を丸のみにしよう大口を開ける怪物の様にも見えてしまった。


Exactlyそのとおりでございます――先ほど施した一手間の中には、戦闘中に前席が何を考えているのかを分析し続けろと言う指示も含まれている。要はプロファイリングみたいなものさ。ノルンの頭痛の種になる様な選択だって、君が生き残っている以上、意味と価値の有る選択だ。調べない道理は無いだろう?」


 長話をしている内に乗機と同じく駐機場に引き出されたF/A-18Cの群れが、エンジンに火を入れ始めていた。特徴的な甲高いタービン音が周囲に響き始め、防風魔術のドームの中で大気が渦を巻き始めている。

 正面方向に視線をやれば、【エントランス】の最下部に位置する3L滑走路上を、三つ首竜を尾翼に描いたF-4Eの群れがJ79の轟音を引きずりながら駆け抜けていくところだった。そろそろ会話を続けるのも限界かもしれないなと、何処か他人事のような感想がジェット・ノイズに連れ去られていく。


「後ろから頭の中を覗きこまれているみたいでゾッとしないな」

「良い生徒は、手本はともかく教師も良く見ているものだよ」


 ニタニタとした笑みを深めながらラダーを降りていったミネルヴァに「そういえば」と言うセリフが口を突いて出ていった。出撃前に絶対に聞かなければ成らない類の物では無く、言ってしまえば蛇足に近い思いつきだったが、興味をひかれたらしい赤金の少女は、細く艶やかな髪を風に遊ばせながらコクピットを振り仰ぐ。

 こうなってしまえば、もう聞いてしまった方が手っ取り早い。


「このゴーレムに名前は有るのか?」


 補給や修理に伴う識別のために、機体やゴーレムに個有名パーソナルネームを付ける文化は【エントランス】にも存在する。しかし、「機体なんざ消耗品」と豪語するヴァルチャーが多数派となっているせいか、無機質な番号や、その番号の語呂合わせが主流になっていた。

 とはいえ、この好事家の側面が大いにある少女が、見るからに特別扱いをする機体に対しても、ヴァルチャーの流儀に合わせているようにはどうにも思えない。要は、単なる好奇心だった。

 はたして、レーヴァンの想像は正鵠を射ていた。

 彼の問いを耳にした少女は年相応に破顔して見せ、いよいよヘッドセットを通さねば会話すらも危うくなりそうな轟音の中で、舞台役者の様にハッキリとその名前を口に出した。


だ!ダスト、と呼んでやってくれ!」


「了解」と言葉を返す代わりにラフに敬礼。コフィン、キャノピー・クローズ。空気が抜けるような微かな音と共に、風防が覆いかぶさりロックされる。

 キャノピーの向こうでは、トーイングカーの助手席に乗り込んだミネルヴァが大きく手を振った。勿論声は聞こえないが、彼女の口が「幸運をグッドラック!」と動く。

 エンジンスタート。マナフュエル・スターターMFU作動。スターターに送り込まれた燃料が回転運動へと変換され、タービンへ伝達。同時にエンジンの燃焼室に設置された魔力炉にも火が入り、炉心温度が上がり始める。

 タービン回転計が上昇するに従い、背部から聞こえてくる高音が甲高く、大きくなっていく。動力を受け取ったコンプレッサーがエアインテークから大気を吸入、圧縮し、燃焼室へとなだれ込む噴流を形成し始めている証拠だ。

 回転計が40%に差し掛かると、MFUとタービンの接続が切られる。炉心熱量、圧力正常、右エンジン点火。燃焼室で高温を発する炉心が連続した噴流ジェットを作り出し、無数のタービンを掻き分けてノズルから吐き出される。燃料流量増加、油圧増加。自動点火システム作動、MFU切り替え、左エンジン始動、点火。役目を終えたMFUが自動停止。

 エンジンに繋がった発電機が回ったおかげで、電力に余裕が出来たからなのだろうが、心なしか目の前の電装品が息吹を吹き込まれたように輝きを増したように見える。シートに伝わる振動はこれまで感じていたMig-21のモノとは全く異なるが、違和感よりも頼もしさの方が勝っていた。


「グラム1よりエントランス・グラウンド。タキシング準備完了」

『エントランス・グラウンドよりグラム1。タキシング許可、クラーケン8に続いて誘導路――』


 地上管制の指示は、今まさに右隣りでタキシングを始めたクラーケン8のF/A-18Cに続けと言うもの。了解を返し、スロットルを僅かに開いてトゥ・ブレーキを緩める。途端に、18t近い機体がコンクリートの段差を微かに拾いながら、ゆったりと進み始めた。右へ機首を巡らせると、HUDの向こうにレガシーホーネットの特徴的な尾部が写り込んでくる。


『クラーケン8よりグラム1、新車だからってカマ掘らねぇでくれよ』

「こちらグラム1、友軍機のケツに突っ込む趣味は無い。これでも安全運転が信条でね」

『よく言うぜ、その信条は地上限定だろうが――お前さんの噂はズメイの連中から大体聞いている、楽させてくれよな』


 今回はクラーケン隊と共に行動する事となる。8機のレガシーホーネットの内半数は爆装で、もう半数は空対空装備に身を固めていた。対してグラム1のMig-29M2の翼下には、機体購入のとしてミネルヴァが用意した各種の空対空ミサイルがぶら下がっている。不可知領域に格納した分と合わせれば、この戦闘で不自由することは無いだろう。

 2機ずつ並んで滑走路に出たクラーケン隊は、管制塔の指示が出ると同時にエレメントを維持して順次編隊離陸を開始する。小型高出力の代償として、スズメバチの羽音の様に騒々しいF404-GE-402の金切り声が滑走路上を蹂躙し始めた。

 キャノピーとヘルメット越しでも十二分に騒々しい音に耳を傾けつつ、レーヴァンは最後尾で順番を待ちながら首を後方へ捻じ曲げ、操縦桿とラダーペダルを動かして動翼の最終確認を行う。視界の片隅でエルロンやエレベーターが、陸に上がった魚のヒレの様にパタパタと機敏に反応する。ディスプレイ上の表示も問題なし、ゴーレム――もといダストからも【全系統異常無しオール・グリーン】の表示。


『エントランス・タワーよりグラム1、現在高度28210ft、合成風力110kt、離陸を許可する』

「グラム1、了解。高度28210ft、合成風力110kt、離陸許可」


 機体を僅かに進めて防風魔術の圏外へ乗り入れると、対気速度計が跳ね上がり、高度計もそれに続く。事前に設定されていた数値より200ftほど高かったが、此方が手を動かすまでもなくダストが自動修正、補正完了。

 準備良し、スロットルをマックスへ。

 炉心温度が上昇、背中から轟く金切り声に突き動かされるようにタービン回転計が跳ね上がり、巨大な推力を押し留めた機首が僅かに下がる。間髪入れずにトゥ・ブレーキ解放。背中を蹴飛ばされるような軽い衝撃が、流れる様に体全体をシートへ押し付ける重力加速度へと変化する。

 35 XDドラケンが引き出され始めた左手の駐機場が後ろへ流れ、右手ではエントランスを支える支柱とその向こうの3R滑走路が、緑色の翼端灯の彼方を滑っていく。正面にはコンソールの下に飲み込まれていく白色の滑走路中心線灯、後方へと吹き飛んでいくのは天井に列を成す橙色の衝突警戒灯。HUDの向こう側には、赤い滑走路末端灯が闇に覆われた雲海の入り口を毒々しく飾っている。

 離陸決心速度V1安全離陸速度V2ローテートVrot、機首上げ2度。明灰色の戦闘機が、ささやかな無数の光に送り出されるように未明の空へと吐き出された。


『エントランス・タワーよりグラム1、速度、高度制限を解除。管制を魔女殿に引き継ぐ。グッドラック、せいぜい稼いで来い』

「グラム1よりタワー、支援に感謝する」

『こちらグラム2。グラム1、周波数を確認し受信感度を報告――性悪が居座っていたようだが、変なモノ仕込まれていないだろうな?』

「グラム1よりグラム2、チェック、感度良好――おそらく大丈夫だと思いたい。ポジションは?」

『方位0-1-1、ライトターン。クラーケン3の左翼側に付け』

了解ウィルコ


 Mig-29M2の銀翼が雲海に沈みつつある月を鈍く反射し、ノズルから伸びる青白い火焔が夜空を焼いていった。

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