Mission-19 Endsieg

 ターボプロップエンジンの四重奏と、6翅のプロペラが大気を叩く連続した轟音に包まれるコンバット・グリフィン戦闘捜索救難支援母機のカーゴベイに、唯一の乗客となっている青年の声が紛れ込んだ。


「赤い鳥?」


 聞き慣れない名前に対し、怪訝さをにじませるオウム返しとともに眉を上げるレーヴァン。「あれ?聞いたことないっすか?」テーブル代わりにされた小型コンテナの向こうから、赤ら顔の青年――ニコが意外そうな視線を彼に向けた。


「再編成されたロージアン王立空軍の中で、気を吐いてるって噂のエース部隊らしいっすよ。今回もレトナークの方で派手に暴れたとか」


 あごに手を当て太い配管が幾つかのたうつ天井に視線を彷徨さまよわせる。そう言えばハイラテラへ爆撃機を落としに行く際に、ノルンがそれに近いことを口走っていたような……気がする。もっとも、噂話以下の雑談に近かったため今の今まで忘れていたが。


「ついでに言えば、今日はレトナークに出張ってきた黒雀クロスズメの1機を遂に落としたって話が出回ってる。連中はそれが黒雀のだって言ってるが――どうなのか怪しいもんだ」


 レーヴァンの右隣りに陣取るのは、ティアドロップ型サングラスがトレードマークの火器管制官――ルストロ。モニターに向かう射手の後ろで腕組みをしているより、軽機関銃を片手に荒野を駆けずり回っている方が似合いそうな男は、手元のカードに視線を落としながら付け加えた。言葉の中には、何処か揶揄からかう様な冷笑が含まれている。


「黒雀の2番機と3番機は迷彩が違っていて分かりやすいが、4番機は機種も迷彩も1番機と同じだ。戦場と誤認は切っても切り離せない、本気であれ、意図的であれ、な?」


 山札から引いたカードを手札に加え、太い指がベットを吊り上げる。

 ルストロが同意を求める様に視線を向けたのは、レーヴァンの左隣の男――ジャッジメント1の機長を務める人物。そろそろ中年に差し掛かろうと言う骨太な体格の男は、無言で葉巻をくゆらせていた。

 仕事を終えた操獣士や、高度8000mの上空にある火器管制官とは異なり、本来は現時点でも機長席に居るべき男ではある。

 しかし彼は、安全空域に到達し【エントランス】までは遊覧飛行も同然となったためか、副操縦士に操縦を任せカーゴベイの方に降りてきていた。

 一仕事を終えた鷲獅子が寝息を立てる直ぐ傍で、エントランス司令直轄の戦闘捜索救難隊『ジャッジメント』の首脳部が集まり、拾い上げた要救助者自分とカードに興じているのは中々奇妙な光景だと、頭の片隅で益体も無い感想が過ぎ去っていく。

 だが、ニコの話ではよくある事らしい。

 彼曰く「仕事を終えたら暇だから」とのことだが、言葉の意味のまま受け取って良いものか判断に困るところだった。


「だが、王立空軍連中は鬼の首でも取ったようにえらく自信満々だ。十中八九、プロパガンダに使うつもりなんだろうさ」


 まるで当事者かのように、ルストロは言い切る。「なんでまた」何処か不満げなニコが投げかけた疑問に、根拠らしきものを並べ始めた。


「あんまり【エントランス俺たち】ばかりが活躍しすぎると、向こうも肩身が狭い。高尚な大地の皆さまにとって、血の匂いに集るハゲワシに守られるってのは、中々我慢がならん事なのさ。特に空軍同業者はボンヤリしていたらハゲワシより無能だとか言われかねん」


 事実、ロージアン王国内では王立空軍に対する風当たりが強くなり始めていた。

 リスタ河陣地を死守し、遂には逆襲を成功させた陸軍。現存艦隊主義フリート・イン・ビーイングに基づき、積極的な出撃を控えてはいるが、搭載した防空火器でソルテール湾に面した港湾都市に傘を差し続け、沿岸砲台や海軍航空隊と協働する事で連邦艦隊を牽制し続けている海軍。

 対して空軍は、開戦初日の大規模空爆とリスタ河以北での遅滞戦闘により事実上壊滅した後、長らく戦局に寄与するほどの行動が取れていない。

【エントランス】の参入によって本土上空の制空権喪失を免れ、そればかりか航空撃滅戦に勝利しつつある現在、ロージアン王国国民や政府高官の空軍に対する信用は、空軍広報部の奮戦もむなしく下降の一途をたどり続けていたのだった。

 ルストロの分析は、ある程度的を射ていると言ってよい。


「怪しくてもここらで一発、派手な戦果を挙げたって法螺ホラ吹かないと沽券こけんにかかわる。それに、黒雀の愉快な舎弟しゃていたちも一流には違いない。デカい戦果であることは間違いないだろう?」

「そんじゃ、やっぱり鴉殿とやり合った方が本物の黒雀なんですかね?」


 なぜか喜色をあらわにして興奮気味に声を弾ませるニコ。自分と歳のそう変わらない若者から何処か憧憬じみた視線を向けられたレーヴァンは、若干の居心地の悪さを感じてしまう。

 あまりそう言った感情を向けられる事には慣れていない事もあるが、純朴な賞賛を素直に受け取るには、今回の戦いは少々ケチが付きすぎているように思えたのだった。「真相はどうあれ、トンデモない奴だった」ごまかすように言葉を吐き出し、2枚交換。引いたのはハートの7とQ。有難いことに、ツキまでは落ちていないらしい。


「謙遜するなよ、レーヴァン。アンタがやり合ったのは正真正銘、本物の黒雀だ。俺は勿論、ニーモも保証する」


「だよな?」どうやらニコとは同類らしいルストロがニーモ――機長に視線を向ける。

 陸軍特殊部隊グリーンベレー在籍者でも通りそうな鋼の体躯に、鋭い眼光を持つ髭面の大男の名としては、どうにも柔らかさが勝る名前ではあるが、勇者が勇ましい名前を持たねばならない決まりはない。歴史を振り返れば、ポルコ坊やブービーと言った名前を持つエースがいくらでも出てくる。

「単機でフォライトに潜み、狩りをするのは並大抵の事じゃない」ニーモは紫煙を吐き出しつつ、軽くではあるがしっかりと頷いて口を開く。その容貌にたがわず、低く落ち着いた深みのある声だった。


「有体に言ってしまえば汚れ仕事ウェットワークに近いが、孤立無援で敵陣深く忍び込み、対処可能な敵を対処可能な範囲で撃墜し、生還できるのは凄腕の中でも一握り以下だ――可能性は高い」


 殆ど直観的に、レーヴァンは彼の言葉が伝聞ではなく経験則の類であることを確信した。

 もちろん、MC-130J/AGはガンシップじみた戦闘捜索救難機であるが、基本的には護衛機と共に運用されるのが前提の機材だ。現に、ラルフは『ジャッジメント』の派遣には護衛機を用意することを条件の一つとしている。【エントランス】での運用において、単独行動は想定されていない。

 だが、彼がこの商売を始めてこの方、コンバット・グリフィンの操縦桿しか握ったことが無いと決めつけるのは早計に過ぎる。何の裏付けも無い男に、見るからに高価な機体を与えられるほどヴァルチャーの世界は情実主義的ではない。

 一方で、昔から第一線を何らかの理由で退いたヴァルチャーが、後方支援要員として操縦桿を握る事例は少なくなかった。だとするならば、過去に彼が戦闘機搭乗員ファイター・ウィザードとして戦っていた――そして多大な戦果を挙げていた――としても、何ら不思議は無い。

 帰ってから彼らの事について少し調べることを決めながら、「そこまで楽な相手でもないだろう」とレーヴァンは同意を求める様に肩を竦める。


「僕の機体はミグだぞ? 悪い機体じゃないが、トラブルでランチャーもぶら下がったままだった。あの黒雀が本物なら、フィッシュベッド相手に後れを取るか?」


 正直彼自身は、黒雀が他の空域にも表れたと言う事を聞いてから、あの老兵が本物の黒雀なのかを疑い出していた。

 確かにこれまで自分が見てきた中で間違いなく最強クラスの技量であり、その声色は高齢の男性の物だ。現状知られている黒雀の人物像と合致はする。

 だが、逆に言えばそれ以外の証拠は無い。

 先ほどもルストロが口にしていたように、往々にして戦場に誤認は付き物だ。自分が戦い、辛くも生還した相手をあたかも本物の黒雀強者と思い込みたくなるのは、そういった事例の根幹なのではないだろうか。

 ここまで考えて、レーヴァンはふと嗤い出しそうになった。

 なるほど、これが敗北感と言うやつか。生き延びた後の贅沢にしては、随分と碌でもない代物だ――馬鹿な、勝つつもりだったのか? 僕は。


「だが、お前は負けてない」


 内心を見透かしたかのようなニーモの言葉に、ドキリと心臓が跳ねる。

 しかし、会話の流れを意図的に断ち切った件のヴァルチャーは、こちらの動揺など素知らぬ風に手元の葉巻に目を落としていた。鋭い眼光の先で淡い橙色の光がリングを描き、紫煙が渦を巻いて漂いあてどなく流れていく。


「ヤツは仕留め損ね、お前は生き残った――あのF-15Jが本物の黒雀かどうかよりも、ずっと確かで重要な事実だ」


 自分が生まれる以前から、様々な形の生死を見届けてきただろう男の言葉には、確かな実感が籠っていた。紫煙の向こうから、厳格ではあるが決して酷薄ではない父親の様な視線が、レーヴァンへと向けられる。


傭兵俺たちにとっては、戦場での勝利や敗北はその場の方便まやかしにすぎない。揺るがないのは、生と死だけだ。強ければ生き、弱ければ死ぬ。強くあり続けられる者だけが、生きる為の権利を有する。つまり」

「――負けない者が、飛び続けられる」


「そうだ」自分の言葉を補う様に答えを口にした鴉に対し、微かに相好そうごうくずす。いわおの様な顔には、一体どこから引っ張り出したのか、茶目っ気の様な雰囲気が浮かんでいた。


「少なくともお前はまだ、飛べる。ならば。俺たちに明確な勝利は無いが、負けなかったという事実だけは残る。後はその事実に、自分自身がどのような意味や意義を乗せるかだ。ここだけは、他者に邪魔されることは無い。そしてそれが――」


 一旦言葉を切ったニーモは、吸いつくした葉巻を灰皿へと押し付けた。魔力によって維持されていた灯が、物理的な力によって圧殺される。


「いつか訪れる最期の瞬間、自身の敗北と等価で交換できるものであれば、それに勝る事は無い。ある意味、俺たちが唯一得ることが出来る終局的勝利Endsiegと言えるだろう」


 彼が手を放した後には、先端を押しつぶされた葉巻が煙を棚引かせながら、墓標のようにつき立っていた。

 Endsieg――最終的な勝利を意味する言葉。

 今の自分にとってはピンと来ないような気もするが、実際のところは既にそれらしい存在に心当たりはあるし、その点に関して奇妙な納得もある。

 自身の敗北と等価であると信じられるモノとしては、我ながら軽薄と言うか、単純と言うか。評価と言うより呆れが勝るが、少なくとも地獄に落ちる理由としては妥当なところじゃないだろうか。

 敗北と天秤にかける意義や意味と言えば仰々しいが、要は最期の瞬間に自分自身が納得できるかどうかと言うだけの事だ。

 であるのならば、その”意義”に対する”独りよがり”や”自己満足”と言った類の一見客観的な評価は的外れと言えるだろう。

 結局のところ、自分が見ている世界と他者が見ている世界は違う。

 人は意識を持つ時点で、自身の主観から逃れる術はない。自分や他人を客観視してみようなどと思っても、もしくはあらゆる無機的なマシンを利用したとしても、結局のところそれらの結果を認識するのは、観測者である自分自身主観だ。

 そうして得た結論を、あたかも純粋な第三者的視点による評価だと思い込んでしまえば、自身の奥底にある真意すら歪んで認識する。歪んだ認識は明確であったはずの主体を崩し、焦点ピントを狂わせ全てをうやむやにしてしまう。

 後に残るのは、「で、一体全体何がしたかったのか?」という虚無だけだ。

 傭兵の命は紙切れ一枚程度の重さとはよく言われるが、流石にこれではつり合いが取れない。

 真意、理由、意味、意義、想い、執念、欲求、望み――言い方は様々ではあるが、実態に一番近いのはだろう。

 空での殺し合いを生業とするのであれば、自身の敗北に見合う個人的な願いだけは、他者のみならず自分の小賢こざかしい理性からも切り離された、ある種の聖域にしておかねばならない。

 少なくとも、レーヴァンはそう認識していた。


「終局的勝利、か――出来れば、永久に掴み損ね続けたいところだ」

「だが、少なくとも此処ではちょっとした勝ちは掴むつもりなんじゃないのか?」


 ニヤニヤと嗤いながら混ぜ返すルストロに「さて、どうだか」と勝負に応じる。全てのプレイヤーが掛け金を確定させ、コンテナを囲んでいたヴァルチャーが次々に手札を明かし始めた。Kのワンペアのニコ、5とJのツーペアを出すローリム。


「あいにく、ギャンブルはショボい負けばかりでね」


 さりげなく放り出したレーヴァンの手札にはスペードとハートのQ、スペードのA、そしてジョーカーワイルドカードが並んでいた。先に手札を見せたルストロの頬がヒクつくが、レーヴァンはある種の核心と共に最後の男の手札を注視している。当のニーモは、不敵な微笑を口の端に浮かべてみせた。


「確かに、此処での勝負運はあまり良い方ではなさそうだな」


 ニーモが明かした5枚のカードの中央には、レーヴァンが握っていたスペードのA以外の3枚が並んでいたのだった。


 ◇


 僅かな白煙を残して【エントランス】の滑走路へと降り立つ大型機の姿が、作戦管制司令室の一角に設けられている簡易会議室に映し出された。

 長楕円形の机の中央部から空中に投影される映像の中を、暗緑色をベースにした戦闘捜索救難機が4発のターボプロップエンジンを震わせながら横切り誘導路へと乗り入れて、先に着艦したIl-76の後ろを粛々と進み始める。その横の画面では、見慣れたSu-30M2の4機編隊が最終進入に入ろうとしていた。

「斯くて、鴉は巣に戻る――と」その様子を頬杖を付きながら眺めていた赤金の少女は、何処か感慨深げに頷きつつ、最後の一つとなったラスクをかみ砕く。たっぷりと塗られたシュガーバターの甘みとコク、そして芳ばしさが軽い触感と共に広がり、続けて口を付けた紅茶に押し流されていく。

 我ながら良い出来ではあるけど、振る舞う相手があまり居ないのが玉にきずかな。ああそうだ、鴉殿がいるじゃないか。ノルンの反応も面白そうだし、悪くない。

 馴染みの酒保セピアの厨房を一時的に占領して作った新作に最終的な判断を下したミネルヴァは、堆くうずたか積まれた白亜の城塞の方へゆるりと視線を向ける。

 書類の束が作り上げる半円形の長城の上には、壁の後ろに隠れてしまっている簡易会議室に入り浸る主の存在を示すかのように、薄雲の様な紫煙が纏わりついていた。


「助かったよ、ラルフ。ジャッジメントの諸君には礼を言っておいてくれ」

ヒマが有ればな」


 相も変わらず、何処か突き放すような男の声が白い山脈の向こうから聞こえてくる。

 簡易会議室に積まれた書類の束は、この超重航空管制指揮母艦ジャガーノートの住人にとって見慣れたものではあるが、大きな作戦があったせいか今日は特に酷い。これほどまでに乱雑に積み上げられておきながら、どうして今朝のノヴォロミネの山蜘蛛MLACよろしく雪崩に襲われないのだろうか。

 予想外な問いが降りかかったのは、その日の気分とその場のノリで変動する【エントランス】七不思議のひとつに想いを馳せた瞬間だった。


「――正直、貴様が子飼いアウルを寄越したのは意外だった。それもタダ同然で、だ」


 どこか探りを入れるような言葉。基本的に、他人に対しては不干渉と観察を重視する男にしては珍しい発言だ。

「そりゃあ、お得意様のピンチだからね。幾らかは融通するとも」表向きはいつもの営業スマイルを崩さないが、ミネルヴァは内心で僅かに片眉を上げる。ラルフにしては随分と露骨な探りに、個人的な興味をかきたてられたと言ってよい。

 はてさて、もしや御婆様辺りが何かを吹き込んだかな?


「ノル、げふん――グラム隊に借りを作れるのは悪くない。それによく言うだろう?無料タダより高い物はないってさ。彼等にはこの先もしっかり稼いで貰うつもりだからね。それに、今日運び込んだMig-29M2だって、鴉殿の為に持ち込んできたんだ。見殺しにする方が赤字なのだよ」

「赤字、まあ確かに赤字だろうさ――を搔き集めて運び込むのも安くは無いのだろう?」


 ガサリと音を立てて山脈の一角が崩れ、ラルフの姿がミネルヴァからも目視できるようになる。

 いつも通りの色の薄いサングラスに、ピシりとしたダークスーツ。眉間にしわを寄せ細巻を長い指で弄ぶ姿は、航空基地の司令と言うよりもマフィアの若頭と言う方が適当だろう。

 自分に向けられる視線には、指呼の距離で魔獣の出方を伺う狩人の様な光があった。とはいえ、彼の言う怪しげな機材については心当たりしかないが、だからと言って全てを教えてやる気は更々ない。


「おやおや、書類に何か不備でもあったかい? それとも置き場所かな? 私の記憶では、その場所を借り上げることに君も同意していたはずだけど?」

「スペースについては何も言わん。どうせグラム隊に僚機は居ないし、ノルンが許可したのならば何も言うことは無い、問題はだ。貴様、一体何を考えている?」


「ああ、アレね」ラルフが不審な目を向けている存在に思い至ったミネルヴァは、納得したようにパンと手を打ち鳴らす。先ほどまで浮かんでいたやや凶悪な営業スマイルは、趣味に没頭する好事家の様な微笑に代わっていた。

 もっともラルフからしてみれば、ミネルヴァ特有の趣味の悪い笑み1が、2に切り替わっただけであったが。なお、より本心に近いその2の方が大体ろくでもない事になるので、彼にとっては主警報装置マスター・コーション以外の何物でもない。


「何をも何も、人類の航空魔導技術の未来の為。有体に言ってみれば【エントランス】の未来の為だよ。君にとっても悪い話じゃないはずなんだけどなぁ」

「ならばいい加減、【商会貴様ら】の腹の内を明かしたらどうだ。一体、ブラック・ボックスで何をやろうと、否、何を作ろうとしている?」


「【エントランス】の魔術工廠の一部は、私たちが好きに使ってもいいことになっているはずだよ、ラルフ」珍しく確信に触れてきたことに小さな驚きを感じるが、だからと言って動揺するほどの事でもない。

 自分の庭に鎮座する得体の知れないモノを無視し続けるのは、ラルフと言う有能な支配者にとっては苦痛に等しいのだ。今回の様な直接の詰問が珍しいだけで、グレーな探りはそれこそ掃いて捨てるほど試みている。

 話題に上がったブラック・ボックスとは、【商会】が利用しているエントランス魔術工廠の一区画を指す俗称だ。

 かつて【エントランス】が【商会】の補助によって産声を上げた時に、数多く取り決められた盟約の一つに、航空機の整備はもちろん、その気になれば製造まで行える魔術工廠の一部を【商会】側に提供するというものがあった。

 これは主として商売に用いる各種航空機の整備を行う為、と言うのが名目ではあるものの、最近では専ら【商会】の独自研究開発機関と化していると断言出来た。

 現に、オーディエンス隊が運用するF-14D/Rヴォイドキャットや、ジャッジメント隊のMC-130J/AGコンバット・グリフォンも、元を辿ればこのブラック・ボックスが作り上げた機体に他ならない。

 しかし、その魔術工廠の一角で何が行われているのかは家主である【エントランス】に対しても全くの非公開であった。

 該当する魔術工廠の区画は隔壁によって厳重に閉鎖され、制御室も完全に独立したモノを備えており。理論の構築や設計を組み立てる施設こそ、複数のコンテナをつなぎあわせた代物だが、それらに掛けられた呪詛や祝福と言った対諜報魔術は、大国の研究機関に勝るとも劣らないモノだった。

 【エントランス】が可能なのは「このような機体は用意できないか?」と言った程度の物で、目的や要求性能のすり合わせ以上の事は感知できない。要望を出した後は、試作機が完成するまで待つ外なかった。

 そしてブラック・ボックスはあくまでも、持ち主である【商会】の意向に従う。そうなった場合、【エントランス外野】は彼らが何をしようとしているのかを知ることは出来なかった。

 ブラックボックスの存在をラルフが歯痒く思い続け、隙を見ては内部を暴こうとするのも無理はない。

 そして、その辺りを理解しつつ徹底的に煙に巻くからこそ、ミネルヴァという少女はこのような商売を続けていられるのだった。「心配は無用さ」他者を安心させるには少々不適切な笑みを浮かべ言葉を続ける。


「私の記憶では、ブラック・ボックスが君らに不利益をもたらしたことは無い筈だ。猫も、鷲獅子も、実際に良く働いているじゃないか――我々は金の卵を産むガチョウの腹を裂くほど愚かではないよ?」

「そのガチョウの腹に、怪しげなを入れようとすれば警戒されるのは当たり前じゃないのか?」


とは酷いなぁ!?」心外だと言わんばかりに少女は声を上げるが、楽し気な雰囲気をますます色濃くさせる。実際、ラルフの露悪的な蟲と言う表現を気に入っていた――それがある意味で正鵠を射ているがゆえに。


「勿論、君の不安は理解しているよ。私たちも例の事件の二の舞は御免だからね、万一の備えはしておくとも。最悪の場合でも、高性能な前線戦闘機が一機吹っ飛ぶだけさ――これでも、鴉殿の事は気にっているんだよ?」


「どうだか」胡散臭げな視線を投げたラルフは、会話を続けるのがバカらしくなったとばかりに上等な椅子へ沈み込む。「じゃあ、私は鴉殿の顔でも見てくるかな」不毛な応酬にケリがついたと判断したミネルヴァは何処か上機嫌に立ち上がると、赤金の髪を靡かせながら出口へ向けて歩きはじめた。

 ラルフの何気ない呟きが彼女の耳朶を打ったのは、脱力した司令の背後を通り抜けようとした瞬間だった。


「一体全体、貴様は何を目指しているのだ?」


 その問いに対する、組織としてではない全くの個人的な最終到達点解答を胸の中で転がしながら、看板娘はヒラヒラと手を振りながら跳ねる様に部屋を後にしたのだった。


 ――もちろん、の二文字だとも




 ◇


 近くで見上げれば、愛機のF-4Eを丸ごと飲み込めそうなほどの体躯を持つ戦闘捜索救難機ではあるが、流石にC-5を始めとする大型長距離輸送機が居並ぶ格納庫の中では何処かこじんまりとしたものを感じてしまう。機体から突き出した2種類の砲身は邪魔にならないよう最大仰角で固定され、フレームに覆われたコクピットの中では馴染みの操縦士ウィザードが最終点検を行っているようだった。

 ややあって側面のハッチが開くと目当ての人物の姿が現れ、此方を見つけた瞬間に何とも言えない微妙な表情を浮かべて見せた。


「んだよ、その顔は」

うの体で帰ってきていざ降りようとした時に、人相の悪い髭面ひげづらが居たら気分もえるだろ」


「心配して損したぜ」盛大に溜息を吐き出すズメイ1――ニルドは、呆れたような視線をMC-130J/AGの側面ハッチへ足をかけた青年へ向ける。

 機内に振り向いて何事か言ったレーヴァンは、側面ハッチの裏に付けられたタラップを身軽に駆け下り、出迎えたニルドの前に歩を進める。彼の顔には幾らかの疲れが浮かんでいるが、逆に言ってしまばそれだけだ。死闘の末に脱出し、救難機に拾われてきた要救助者、などという雰囲気は全くない。


「ったく、黒雀を何とか追い払ったって聞いたからどんな顔してるかと思えばピンピンしてやがるじゃねぇか。レスキューをタクシーかなんかと勘違いしてんじゃないだろうな?」

「機甲師団でも蹴散らせそうなヤツはタクシーとは言わんだろ。まあ、その分高くはつくから勘弁してくれ」

「お前の魔女殿が何というか見ものだな」


 反撃のつもりか、揶揄いを多分に含んだ人の悪い笑みを浮かべて見せるニルドに「勘弁してくれ」と肩を落とす。

 意図的に忘れてはいたが、乗機を失い戦闘捜索救難機とその護衛機まで引っ張ってきた今回の戦いは大赤字に他ならないのだ。

 命あっての物種と言うのは良く良く理解はしているが、ラルフはともかくミネルヴァにデカい借りを作った――作らせたと言う最悪の事実は確定してしまっている。

 格納庫で自分を待ち構えていたニルドの姿に拍子抜けしてしまったのは、回収されてからというもの不自然な程に全く連絡が付かなかった相方ノルンが、鬼の形相で仁王立ちしているだろうと半ば確信してしまっていたからだった。

 とはいえ、現状は銃殺場までの距離が僅かに伸びただけにすぎない。

 ニルドの背後に口を開けた艦内へ続く通路。薄暗い闇の向こうから、今にも中折れ式擲弾銃を担いだノルンがニコニコしながら姿を見せても、何らおかしくは無いのだった。

 いざという時はガタイの良いニルドを盾にできないだろうか。などと疲れからか思考が別の方向に発艦してしまう前に、用事を済ませておこうと思い直す。馬鹿な考えを楽しむのは、ケジメを付けてからにするべきだろう。


「まあ、アンタを探す手間は省けたのはラッキーだったかもな」


 一頻ひとしきり苦笑いを浮かべた後、レーヴァンはポケットから取り出したモノをニルドに差し出した。掌の上では、細かい文字が掘られた楕円形の金属片が天井の光を鈍く反射しており、その正体を理解したニルドの視線が僅かに細められる。


「おう、すまんな。ズメイ12シェマハの奴が世話になった。ったく、まさか此処まで方向音痴だとは思わなかったぜ」


 乱雑な口調とは裏腹に、レーヴァンの掌におかれた金属片――ドッグタグを受け取るニルドの手つきは工芸品でも扱うかのように丁重だった。手の中に納まった冷たい金属片へ僅かに惜別の視線を向けたズメイ1は、背筋を伸ばすと同時に踵を打ち鳴らし、叩き上げの准士官の様な完璧な敬礼をレーヴァンへと送る。


「心遣い感謝する、グラム1」

「そのタグは現地の友人が拾ってくれたものだ、後で謝意を伝えておくよ。――シェマハの仇を取れなくて済まなかった、ズメイ1」


 同様に背筋を伸ばした彼が答礼した時には、歴戦の傭兵はレーヴァンの言葉を鼻で嗤い飛ばす普段の野武士へと姿を変えていた。


「ハッ! お前に仇とって貰うほどズメイ隊俺らはお行儀良かねぇさ。手前の借りは手前で返す。お前はお前で勝手にやっとけ」

「うん、ならお言葉に甘えるよ。こっちが先に叩き落としても、苦情は受け付けないからな」

「獲物は常に早い者勝ちだ、当たり前だろう?」


 示し合わせた様に不敵な笑みが両者から同時に零れる。

 片方は将来有望な新人を、もう片方は長く乗り続けていた愛機を失うと言う結末を迎えてはいたが、戦意は全くと言って良い程衰えていない。黒雀は対処不可能な災厄などではなく、何時か自らの手で叩き潰すべき敵だという点について、彼らの認識は完全に一致していた。


「あー、とは言うがな。レーヴァン」


 直後、ニルドの背後で動いた影に意識を取られようとしていたレーヴァンは、彼にしては歯切れの悪い言葉に焦点を手前に引き戻した。


矜持プライドはともかく、欠員が出た時はとっとと頭数を揃えなきゃならんのが、隊長と言うモノだ。言ってみれば、将来有望そうなヴァルチャーを野放しにするってのは、スジが通らねぇのさ――どうだ、12番はやれねぇが13番になってみる気は無いか?」


 ニルドの誘い――引き抜きに対してレーヴァンに大きな驚きは無い。ハイラテラでの共闘以降、背中を預けた事もあり彼ら――ウィザードは勿論、少々気弱なオペレーターとも――と話す機会が増えたが、その際に何度か冗談交じりの勧誘を受けていたのだった。勿論、その場において冗談と混じっていたのは、紛れもなく彼らの本心であると正しく理解もしていた。

 基本的に、空戦と言うのは集団戦に他ならない。大所帯になればなるほど面倒事も増えるが、それ以上に戦場において数は力だった。

 ズメイ隊が失った戦力を補充しようとするのは当然の理屈であったし、その補充戦力が十分な実力を持っていると言うのは非常に魅力的に違いない。

 そして、自分自身も――レーヴァンは改めて己の立ち位置を俯瞰してみる。

 元来、自分のように僚機を持たず単独で行動するのは、このような激戦区では異端と言ってよい。彼方此方を転々とし、ちょっとした報酬で魔獣や飛竜を追い払い、自警団の模擬戦の相手をする移動傭兵渡り鳥とは訳が違うのだ。

 グラム隊を解散し、ズメイ隊に入るのは悪い選択ではない。それが、常識的な結論だった。


 もっとも、だからと言ってそれが自分にとっての正解。つまり最終的な勝利Endsiegにつながるかどうかは、また別の話であるのだが――


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