Mission-18 斯くて死合は幕を引く

 朱に染まりつつある世界を、隊伍を組んで進む大小5つの影があった。一際巨大な影を先頭に、小柄な影が左右に2つずつ分かれてやじりを描く様は、歴戦の親鳥が無力な若鳥を引率しているようにも見える。

 しかし、その実体は逆だ。

 先頭を征く巨大な親鳥は自らの身を積極的に守る術を持っておらず、対して周囲を舞う若鳥は自らに倍する敵にも果敢に挑みかかる爪を備えている。もし仮に彼らの敵が現れたのならば、親鳥は即座に反転し、若鳥たちは我先に敵へと躍りかかるだろう。

 目的地に近づくと、両端の若鳥――梟のエンブレムを描いたSu-30M2が、優美な機体に西日を反射させ周辺警戒の為に高度を上げていく。残る2機は引き続き親鳥の左右を固め、最終防衛線としての務めを果たし続けていた。

 4機のアウルを従える親鳥は巨大な図体を誇示するかのように、つい数時間前まで黒雀が掌握していた敵性空域を我が物顔で押し渡っていく。

 高翼配置の分厚い直線翼は差し渡し40mを超える長大なモノで、そこに配置された4基のAE2100-D3ターボプロップエンジンが、6翅のプロペラで攪拌した大気を後方へと押し流している。翼を支える太く長い胴体は30mを優に超え、側面に張り出した降着装置を収める張り出しバルジも相まって重厚な印象を見る者に与えた。

 一見、その姿はNATO西側のベストセラー戦術輸送機であるC-130J-30スーパー・ハーキュリーズの様に見えてしまう。だが、機体左舷に並んで突き出した2の物騒な”爪”が、この機体が単なる輸送機トランスポーターの類ではない事を暗に示していた。

 MC-130J/AGコンバット・グリフィン――特殊部隊支援機であるMC-130JコマンドーⅡの改造機、安く買い叩いたC-130J-30にエントランス魔術工廠が魔改造を施した戦闘捜索救難支援母機だ。

 主な追加装備は凡そMC-130Jに準ずるが、機体左舷の前方よりにM61バルカン20㎜ガトリング砲と40㎜単装機関砲を1門ずつ備え、限定的なガンシップとしての能力が付与されている。

 後方には貨物室が設けられており、それなりの空輸能力を持っているが、この機体が輸送機として使われることは殆どない。というのも、貨物室そこは彼らの仕事を分担するの住処だった。

 2機の直掩を伴ったコンバット・グリフィンの針路上に、目標物が見えてくる。夕日を浴びて黄金色に輝きだしたフォライトの大地に蜷局を巻く天龍と、その傍に佇む小さな人影。二種類の種族は、赤い光の中で自分達に向かってくる巨鳥達を見上げていた。

 グラスコクピット化により多くのモニターが並ぶようになったMC-130J/AGのコクピットに、護衛を務めるSu-30M2の隊長機から通信が入る。


『アウル・リーダーよりジャッジメント1、周囲の状況はクリア。捨て鴉の回収を始めてくれ』

「ジャッジメント1、了解。墓守の話では、若いわりに穏やかそうな天龍ヤツって話だが、仕事の間は下手なちょっかいをかけてくれるなよ」


 ジャッジメント1の機長を務める男は、目標地点となる大地を見下ろしながら軽口を叩く。【商会】専属のヴァルチャー――というよりも半分以上ミネルヴァの私兵――であるアウル隊とは何度か任務をこなしたことがあり、その隊長や隊員たちとは見知った仲だった。


『了解、了解。オタクこそ、大事な看板娘を口説かれるなよ?』

「だそうだ、しっかりは握っておけよニコ」


 貨物室に待機している部下であり戦友を呼び出す。今回ジャッジメント2として参加するニコは、隊の中では最も年少の青年だった。御調子者でまだまだ危なっかしい所はあるものの、看板娘の扱いに関しては一目置かれている。


『こちらジャッジメント2、了解ウィルコっス。――降下準備OK、いつでもどうぞ』

「よし、ジャッジメント1よりアウル隊。これより本機は回収作業を開始する、周囲の警戒を引き続き頼む」


『了解』仕事へ意識を切り替えた事を示す返答を残し、両翼を固めていたSu-30M2が翼を振ってジャッジメント1から距離を取り始めた。2機のフランカーHは、護衛対象を遠巻きに眺めるような位置へと遷移していくが、その間も周囲への警戒は怠っていない。

 むしろこれからの数分間が、最も神経を尖らせなければならない時間だった。


「フラップダウン、150ktまで減速」


 垂直尾翼に笛を吹く天使の図柄を描いたコンバット・グリフィンジャッジメント1の主翼からフラップが引き出されると、350ktで巡航していた機体が速度を失い始める。

 地上から見上げれば、ゆっくりと空を舞う四発の大型輸送機に何とものんびりとした印象を受けるが、操縦士ウィザードにそのような感覚は全くない。設計段階で想定はされているが、低速飛行と言うのはどのような航空機でも失速との戦いだった。

 巨大な機体は緩やかに旋回し、速度と高度を落としながら天龍の直ぐ横を通るコースへと入り直線飛行に移る。6翅のプロペラが連続して大気を叩く轟音が、地上へとさらに大きく降り注ぎ始めた。


「降下用意――ロック解除、後部カーゴドア解放」


 頃合い良しと見た機長の指示が下ると、後部の巨大なカーゴドアが口を開ける。既に与圧は切られているため乗員が機外へ吸い出されることは無いが、吹き込んで来た寒風に何人かが顔をしかめ、出番を待つは背に乗せた相棒と同じように差し込む西日に目をしばたかせた。

 ニコが不機嫌そうな声を上げる相棒を宥め終わるのを待っていたかのように、機長からの指示が通信機越しに響く。


『後部カーゴドア固定よし、針路よし。ジャッジメント2、あまり長居は出来ん。鴉を拾ったらすぐに戻ってこい』

「了解。では――鳥になってきます」


 機長であり【エントランス】司令直轄の戦闘捜索救難隊『ジャッジメント』の隊長でもある男に返事を返しつつ、ジャッジメント2ことニコはカーゴマスターの合図を視ながらを2度強く引き、脚で乗騎――鷲獅子グリフォンのわき腹を蹴った。

 重種馬よりもさらに巨大な体躯を持つツマグログリフォンが「行くよ」とでも言う様に甲高く鳴き、即席の滑走台となったカーゴドアを軽やかに蹴って宙に身を躍らせる。

 MC-130J/AGが引きずる後方乱気流の狭間で巨大な翼を開いた鷲獅子は、かき回された空気の渦を巧みにやり過ごし滑空を始めた。カーゴドアを閉じて小さくなっていく母機を後目に、緩やかに旋回しながら目標地点へと降下していく。

 全体的に茶褐色の体躯に、その名の由来となった黒い初列風切羽を持つグリフォンが赤い空を背景に大地へと駆け下る一方、母機であるコンバット・グリフィンは、地上からの襲撃に備え用心深く左旋回を始める。

 降下したグリフォンが要救助者を回収するまで、地上の敵に対する防衛を担当するのも彼の機の役割の一つだった。万一の場合は機体の左舷側に並ぶ2門の機関砲が咆え猛り、大型魔獣どころか主力戦車でも瞬時にスクラップにしてしまうだろう。

 捜索救難機としては異常なほどの重武装は、どちらかと言えば空対空戦闘に長けたモノが多い【エントランス】において、要救助者を守るためには必要不可欠な爪だった。


 ◆


〈面白いことを考えますね〉


 此方に向かって緩やかに空を駆け降りていくグリフォンを見上げるケミナが、感心したように髭を震わせた。「発想は竜挺補給ドラボーン・サプライと同じですよ」同じように空を見上げるレーヴァンは、西日に顔をしかめつつ手をかざす。

 生還がほとんど確定した為か、その声色は何処かのんびりとしたものがあった。「サングラスの一つでも用意しておけばよかった」と呑気な後悔が頭を掠めるほどに。


鷲獅子グリフォンは飛竜よりも小柄で小回りが利き、着陸場所を選びませんからね。寄生救難騎パラサイト・レスキューとしては適当なのです」

〈ふぅむ、鷲馬ヒッポグリフの方がより扱いやすいと聞いたことが有るのですが〉

「確かにヒッポグリフの方が幾分従順で、式典で行進させたり展示飛行をさせるのならばむしろ適任でしょうが、少々華奢で神経質なのが欠点でして。こういった戦地に突っ込んで血と泥に塗れながら救助活動をすると言うのは、膂力の有るグリフォンの方が適しています。そして何より――人によって育てられたグリフォンは、人を喰いません」

〈ああ、なるほど。それならば納得です――っと、失礼〉


 不意にケミナが首を巡らせると、空のある一点を見つめだした。これはグレイヴ・キーパーと通信を行った時にも見られた仕草で、天龍族が遠方との通信を行っている証拠だ。

 彼らの力をもってすれば、微動だにせずとも連絡を取り合う事は可能ではある。しかし、人と人が話すときに向かい合った方がよく聞こえる様に、彼等も連絡を取り合う時は――たとえそれが数千㎞離れていたとしても――向かい合った方が何かと楽なのだった。

 ややあって、頭をレーヴァンの方へと向き直らせたケミナは、何処か名残惜しそうな感情を思念に乗せて伝えてきた。


〈申し訳ない、レーヴァン殿。実はこの後、友とハイラテラの方で落ち合う約束をしているのです。可能であるならば、貴殿が友軍機に収容されるまでを見届けたかったが――〉

「ご心配なく。コンバット・グリフォンあの捜索救難機はちょっとしたガンシップでもあるので、ここまでくればもう安全です。――何かお礼が出来ればよかったのですが、あいにく傭兵ヴァルチャーの財産は金か己の腕のみでして」


 無論、天龍族にも通貨の概念は有るが、金で解決できる問題の多くは魔法で代替が効いてしまう。

 そもそも、彼らがその気になれば人類の造幣局が発行する貨幣と寸分たがわぬを幾らでも作り出せてしまうのだ。天龍達にとって金とは、他の種族との交渉を円滑に進める道具以上の意味を持っていなかった。

〈それならば、一つお願いがあります〉恐縮するレーヴァンに、ケミナはそう言って笑って見せる。


〈ここで貴殿の命を救えたのも何かの縁でしょう、可能であれば貴殿と友誼を結びたいのですが〉

「願っても無いお言葉です。卑賎の身ではありますが、ケミナ殿のお許しを頂けるのでしたら、是非に」

〈では、よろしくお願いいたします、レーヴァン殿。となると、連絡手段の一つでもあった方が良いですな――もしよろしければ、こちらをお持ちください〉


 首を後ろに回したケミナは、自分の背中から蒼銀の鱗を1枚引き抜いた。鱗が剥がれた跡は、瞬時に成長した新しい鱗によって塞がれてしまい血の一滴も滲むことは無い。

 重力と慣性を制御され、ゆっくりと回転しながら宙を舞った鱗は、レーヴァンの掌へと収まった。それは彼の手の甲と同じ程度の大きさで、表は金属光沢を持つ蒼銀色、裏は夜空の様な群青を呈している。羽のように軽いのに、30㎜砲弾の直撃にすら耐えそうなほど頑丈な印象を受けた。


〈天龍族はそれぞれ固有の波長を持っています。その鱗を使えば、私と連絡が取れるでしょう〉

「ありがとうございます。ですが僕の住む世界は、まあ、少々治安に難がありまして。こちらに何か面倒が起きれば、最悪の場合はケミナ殿にご迷惑をおかけする事になる恐れもありますが」


〈それについてはご心配なく〉何でもない事のように笑い飛ばすケミナに、幾つかの予防線を張っておこうとしたレーヴァンは何処か酷く恐ろし気なモノを感じとった。


〈鱗を通して友と自分の敵を程度、寝ていても出来ますので〉

「それは、心強いお言葉ですね」


 辛うじて顔が引きつるのを抑えることが出来られたのは、一種の奇跡に近かった。

 本来、触媒を用いて他者を害するのは、人の魔術師であればそれなりの準備や、大掛かりな儀式が必要な魔術だ。対してケミナは、この自動迎撃魔法とでも呼称できそうなものを、”熱いものを触れば咄嗟に手を引っ込める”程度の、刺激に対する当然の反射としてしか認識していない。

 やはり、こうして言葉を交わし友誼を結ぶことが出来ても、種族としての根本的な基本性能が違いすぎる。レーヴァンの中に在った天龍族に対する無条件の畏怖に、しっかりとした裏付けが付け加えられた。


〈さて、そろそろ行かねば本当に間に合わなくなってしまいますな〉


 彼の意識の変化を他所に――あるいは、好ましい変化であるため意図的に無視したのか――軽くぼやいたケミナの体が、ふわりと浮き上がる。

 その際に、ジェットエンジン様な甲高いタービンの轟音や、飛竜の様な大気を叩き付ける破裂音は全くしない。それどころか、彼等を取り巻く空気がピクリと動くことも無かった。

 重力が役割を放棄したかのように20mを超える長大な体が大地を離れ、レーヴァンの目線程の高さで音も無く漂い始める。


〈貴殿にとっては余計なお世話でありましょうが、別れる前に一つだけお伝えしたい事があります〉

「勿論。僕は友と呼んでいただける方の忠告を、無碍にする習慣は持っておりません故」


 意図的に恭しく礼をして見せるレーヴァンに〈大したことではありませんよ〉とケミナは笑ったが、次に続く言葉には真剣な響きと思念が込められていた。無論、その時にはレーヴァンも背筋を伸ばし、深い青色の目を真正面から見つめている。

 今の彼らにあるのは互いへの敬意のみであり、人と龍の間にはそれ以外の感情や意図はない。しかし、西日の中で向かい合う一人と一頭は、神話の中に形を変えて幾度も描かれた光景を完全に再現していた。


〈兵を形すの極みは無形に至ると申します。要は、常に臨機応変である事ですな。しかし、ただ形を崩せばそれは単なる形無しでしょう。己の目的を理解し他者に悟られず決して手放さない事、常に柳のように柔靭であることが肝要です〉

「心得ました」

〈貴殿に蒼穹の導きがあらんことを!〉


 ケミナは何処か祈るように茜空に一つ咆えると微かな微風を残して上昇し、レーヴァンの上空を旋回して北の空へと針路を向ける。長い体をくねらせる天龍の後ろには薄い航跡雲が続き、赤い空を真一文字に切り裂いていった。

 奇妙な天龍との別れを、これほど惜しいと思う自分自身にレーヴァンは驚くが、決して悪い気はしなかった。あまり友人は多くない方だが、そうであるからこそ、彼の様な友が出来た事に純粋な喜びも覚えている。

 結局、ケミナの残した航跡雲が空の彼方に溶けてゆき、傍らにグリフォンの鳴き声と年若い操獣士ビースト・ドライバーの残念そうな声が聞こえてくるまで彼は空を見上げていた。


「あーあ、出来れば間近で見て見たかったんすけどねぇ」

「それは残念だった。――ともかくご苦労さん、世話になるよ。ええと」


「ジャッジメント2、ニコっす。グリフォンは初めてっすか? 鴉殿?」何処か試すような、揶揄う様な調子で鞍上から手を差し伸べる赤ら顔の青年。「何度かはあるが、うまく乗れた試しがないね」苦笑を零したレーヴァンは、彼の手を取り鐙に足をかけて、鷲獅子の広い背中に跨った。


「まあ、遠慮なく飛んでくれ」

 

 レーヴァンの頭の中には、つい数時間ほど前に叩き落としてくれた老兵の姿があった。正直二度と会いたくないのが本音の一側面ではあるが、碌でもない予感は殆ど予定の様なものだ。

 幸か不幸か、ご老体の飛び方はたっぷりと見させてもらった。黒雀の調理法を考えるのは、良い暇つぶしになるだろう。

 縦横に空を裂くイーグルの映像を思い浮かべながら、幾つかのベルトで体を固定した彼はニコの肩を叩いて準備が終わったことを伝える。


「とりあえず、今日の地獄は此処までだ――さあ、帰ろう」


 2人の青年を背に乗せたグリフォンが大地を蹴飛ばすころには、既に空には紫紺が広がり始めていた。


 ◆


 ハイラテラ山脈のノヴォロミネ連邦にほど近い空域を、緻密なトライアングルを組む鷲の姿があった。彼らの眼下では西日を受けて赤橙に彩られた山々が列をなしており、上空では紫紺の幕が東から押し寄せている。15tを超える巨体に施されていたはずの迷彩は、山脈に齧られつつある夕日によって鮮烈な赤と黒に塗りつぶされてしまっていた。

 3機の鷲――護衛のように両翼を固めるF-15Cと、彼等を従え先頭を進むF-15Jは、何かを待つように旋回を続けている。

 2機のF-15Cはミサイルがぶら下がっていない事を除くと健全そのものではあるが、比較対象となるがゆえに、隊長機であるF-15Jの異常事態を浮き彫りにしていた。

 左翼のクリップドデルタ翼を始めとして、機体の左側面には無数の穴が開き、鋭利な破片が突き刺さったままとなっている。エンジンの片方は完全に機能を停止して久しく、エルロンが欠落した右の主翼後端からは、引き千切られたコードの残骸が暴風に弄ばれていた。

 本来ならば、近場の飛行場への緊急着陸を選択する他無い程の損害ではあったが、それは鷲を操る者が普通の操縦士であった場合だ。

 少なくとも、この3機のイーグルを駆るヴァルチャー達にとっては、飛行に少々面倒が生じる以上の問題ではない。慢心では無く、己の技量と機体の損傷を知り尽くしているが故に下される、彼等にとってはの判断。

 赤い光を受けて輝く左側の垂直尾翼にはノヴォロミネ軍の識別章と共に、黒い雀のエンブレムが描かれていた。


『時間です、隊長』

「――是非もなし」


 F-15Jが合図をするように僅かに翼を振ると、損傷を感じさせないほど滑らかに旋回し、機首を北へと向ける。後続する2機も、隊長機にピタリと寄り添いながら隊形を崩さない。一頭の鳳が優雅に翼を巡らせるように、3機のイーグル――スパロウ隊は今夜の宿へと針路を取った。


『腕は、悪くなかったんですがね』


 ぼそり、とスパロウ2の呟く様な声がレシーバーから響き、F-15Jの操縦士ウィザード――スパロウ1はチラリと左舷側に視線を向けた。

 直ぐ傍には、2番機を務めるスパロウ2のF-15C。ミサイルの排煙や機関砲の発射煙に燻されてはいるが、寒色系のスプリンター迷彩が施された機体に損傷は無かった。

 若者ではあるものの、結果的にスパロウ隊の中では自分に次ぐ古株であり、なおかつ最も長く自分が鍛えてきた青年。そのため、戦友と言うより愛弟子と言う方が近いかもしれない。

 キャノピーの中に納まったウィザードは、自分と同じように進行方向左側の空。さらに言うのならば、スパロウ2の主翼の延長線上の空へ視線を向けていた。

 昨日まで、そこを飛んでいたはずのスパロウ4の姿はどこにもない。


『やはり、眼を放してはいけなかった』

『アンタのせいじゃないさ、スパロウ2。アイツは自分の不始末に、自分でケリをつけさせられただけだ』


 黒雀を挟んで反対側を飛ぶ砂漠迷彩のF-15Cから、何処か意図的な陽気さを含んだ声が掛けられた。その声の中に幾らかの慰めの意図を汲み上げたスパロウ2が、何処かむっとした調子で言葉を返す。


『しかしですね、スパロウ3。スパロウ隊我々がこの戦いに派遣されてから初めての損失ですよ? それも【エントランス】じゃなくて、ロージアン王国の連中に』

『現実だよ、スパロウ2。アイツはお前の目を盗んで王国軍の増援に殴り掛かり、帰ってこなかった。それが現実だ。功名心に逸ったのか、頭に血が上ったのか、それとも敵を舐めたのか。どれもこれも、くたばる理由としては妥当なところさ』


 実直なスパロウ2に対し、元々傭兵ヴァルチャーとして長く空を飛んできたスパロウ3が、諭すように語り掛ける。その生来の気質故か、どうにも正規軍らしい四角四面な考え方をしがちなスパロウ2にとっては、傭兵たちの空を飛ぶという心構えの点で良き師となっている。無論、腕も十二分に良い。

 今回、スパロウ隊に与えられた任務は2つ。

 一つはリスタ河から離脱して帰途に就く【エントランス】機をゲリラ的に攻撃し、数を減らす任務。これには単機であっても十分な戦闘能力と、引き際を見極められる目を持つスパロウ1とスパロウ3が当てられた。

 もう一つは、友軍である【メチニク】機と共にロージアン王国南西部に位置するレトナーク空軍基地を奇襲し再編成途上にある王国空軍機を撃滅する任務。スパロウ2とスパロウ4はこちらの作戦に参加し、迎撃に上がってくる機体を叩き落とす役割を与えられていた。


『だとしても、集合空域に奴が来なかった時点で引き返すべきでした。――隊長、スパロウ4のMIAについては自分に責任があります。ネストには、そう報告してください』

「心意気は買うが、承服は出来んな。私の記憶が正しければ、レトナークに派遣する者を決め、具体的な指示を出したのは私だ」


 坦々とした口調で処分を願い出るスパロウ2に対し、責任の意味を誤解している愛弟子を諭すように、スパロウ1の言葉が続く。


「部隊の行動によって発生した面倒の全責任は、命じた者のみが負う。その点では、軍も傭兵も変わらぬよ。これ以降、スパロウ4のMIAに対して、自身に責任があると発言する事を禁ずる。良いな?」


了解イエス・サー』スパロウ2の返答には、何処か承服しかねるものが混じっている。とはいえ融通が利かないなりにも、理があると判断すれば自身の主張を収められるのは、彼の美徳でもあった。

 だが、スパロウ1も単純にお咎めなしとする気は更々ない。


「だが、空戦中に僚機を見失うのはスパロウ隊の2番機としては随分な手落ちだ。帰投後、可及的速やかに補給と整備を行え。準備が出来次第、模擬空戦による補修を実施する」


『ったく甘いんだから』と揶揄う様なスパロウ3の声に、喜色を滲ませたスパロウ2の返答が重なる。続いて『ところで、自分は参加せずともよろしいですよね?』と横着を発揮して見せた3番機には「当然、連帯責任だ」と釘を刺しておく。蛙の潰れるような声がレシーバーから響いた。


「まあ、私も久々に手酷くやられたからな。今少し気を引き締めねばならん」

『私は正直、まだ信じられませんがね。隊長のイーグルと互角にやり合うフィッシュベッドだなんて。まだミグに化けた天龍だったって説を押しますよ、私は。だよな?スパロウ2』

『自分は、隊長の言葉を信じますよ。ミグに化ける天龍と、隊長と同レベルのウィザードなら、後者の方がより現実的でより危険ですからね』

『相変わらず悲観主義者ペシミストだねぇ――禿げるぞ?』

『筋金入りの楽観主義者オプティミストにだけは言われたくないですね』


 猫のじゃれ合いじみた僚機の言い争いを聞きながら、あの時落とした敵機の姿を思い起こす。

 明灰色の制空迷彩。円筒形の胴体から飛び出したショックコーンを兼ねるレドーム。鋭い刃の様な主翼と、コクピット後方からうねるように続くドーサルスパイン。後方に口を開けたR-25-300エンジンのノズル。ピンと立てられた垂直尾翼には、剣を咥えて翼を広げるのエンブレム。

 およそ、人が空で戦う為に必要な最低限度の装備を搔き集め、飛行機と言う形に流し込んだかのような機体。今の自分が駆る鋼鉄の鷲とは、また別の設計思想で形作られた、身軽な凶鳥。

 残念ながら、天龍の妨害によって仕留めることは能わなかったが、不思議と後悔の念は湧き上がってこなかった。むしろ、同じ土俵で――今度は、より拮抗した条件で――もう一度戦えるかもしれないと考えると、冷たく硬質化した刃が再び炉に投げ入れられるような感触を覚える。

 今回の戦いは、機体の状態と性能が最終的な明暗を分けた。であるのならば、次の戦いまでに己を鍛え直す必要がある。スパロウ1は、丹田に再び灯った熱を楽しみつつ、そう確信した。

 隊長機が己の立つべき位置を見定めている間に、僚機達の興味は再び彼のウィザードへと向けられていた。


『しかし、緋色の鳥か。あんまり縁起の良い名前じゃねぇな』

『またお得意の童話ですか?』


『まあな』スパロウ2の呆れた様な声を、陽気な声が肯定した。

 スパロウ3は、このような言動に反して結構な読書家であり、特に各国の童話や寓話を収集するのが趣味の一つだった。本人自身が純粋に好んでいる事もあるし、酒場や娼館での話のネタになる為重宝している側面もある。幼子が言葉を覚える時に、そのような話を教科書代わりにすることは良くあることで、断片的ながら話の内容も残っている事は多かった。


『童話ってか、怪談の類だがな。ま、要するに掃いて捨てるほど有る”見たら死ぬ”系の話さ。ただ比喩や暗喩が多すぎて、バリエーションが馬鹿みたいにあるから逆に原典が見つからねぇ。共通しているのはが元凶ってことだけだな』

『ゾッとしない話ですね。戦場伝説フーファイターでもあるまいし』

「いかさま。緋色の鳥は伝説などではない、我々の前に現われた実態を持つ、明らかな障害だ。――障害ならば、切り捨てる他無かろう」


 静かに紡がれた言葉に、スパロウ2と3の間に湧き出し始めていた弛緩したような雰囲気は真っ二つに両断される。後に残ったのは強者だけに許される、まだ見ぬ敵への必要十分な畏れ。

 幾ら鉄を熱し、幾ら叩いても、最終的に研がねば刃にはならない。それだけでは戦いにならないが、それ無くしても戦いにならない存在感情を、彼等は良く認識していた。


「此度の戦はこれまでだ――さあ、帰るぞ」


 3機のイーグルは、光を失っていく空へ溶け込むように姿を消していく。山肌を跳ねまわっていたジェットノイズも、間もなく冷たい風に吹き攫われていった。

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