Mission-15 死線空域

 ノルンにとっては意外なことに、条件付きではあるものの、ラルフはあっさりと”子飼い”の使用を許可した。

 この男に限って――そもそも、ハゲワシ共の世界において――善意が10割などあり得ない。にもかかわらず、たかだか1人のヴェルチャーへを出すことに同意すると言う事は、それなりの打算があるのだろう。

 彼の真意を暴くのは難しい事ではないが、労力に見合うほどの答えではあるまい。だいいち、そのような暇は今の自分にはないのだ。一つ頷き了承の意を返す。


「結構、その条件で問題ない」

『だが、どうする気だ?貴様にレーヴァン以外の駒は居ないだろう?』


 レシーバーから響いてきたのは、何処か自分を試すような声。

 ラルフの提示した条件の一つ目は、子飼いの作戦空域までの護衛だった。しかし彼の言葉通り、彼女の所属するグラム隊における実働戦力はレーヴァンのMig-21のみ。現状において、ノルンの手元には出せる機体は無い。

 とはいえ、その程度の勘定が出来ない彼女でもなかった。「アテならあるとも」静観を決め込んだ他のオペレーターたちの、疫病神を見るかのような視線に晒されながら、ノルンは微かに口角を上げて見せる。


「駒が無ければ他から引きずってくる――丁度暇を持て余しているフクロウ共が居るから連中を叩き起こす。飼い主も、今レーヴァンに落ちてもらっては困る筈だからな。大群と言うわけではないが、十分な戦力だ。問題あるまい?」


 ノルンが手元のコンソールを操作すれば、ラルフの眼前に彼女が用意しようとしているの立体映像が浮かび上がる。『結構』ザっと目を通すまでも無く、部隊章を見て大凡を把握したラルフが頷いた。彼にとってもそれらは馴染みの顔ぶれであり、戦闘能力に疑いを持っていない。


『合流空域はそちらで指定しろ。だが、二つ目の条件も忘れるな』

「――わかっている」


 先ほどとは異なり言葉を微かに詰まらせたノルンの瞳が揺れ、表示されているレーダー画面へ緩慢に向けられた。

 相変わらず魔術妨害によるノイズに覆われてはいるが、この画面が表示され続けている事自体が、通信回線と同様の技術を用いたデータリンクは無事であることを示している。

 逆に言えば、ノイズがぶちまけられた画面が表示されている限り、レーヴァン発信側は健在だと言う事だ。

 この四角く切り取られた砂嵐の向こうで、彼の戦いは続いている。

 自分に出来ることをこなす中で得られるのは一先ずの安心では無く、着実に肥大化していく焦燥の僅かな鈍化。焼け石にスポイトで水を垂らすようなことしかできない自分に、嫌気を通り越して殺意すら覚えるが、喚き散らしたところで彼の安全が担保されるわけではない。

コンソールに向き直り、駒の飼い主へと通信を繋ぐと直ぐに応答があった。途端にレシーバーから響く鈴を転がしたかのような可憐な声に、思わず眉を顰める。


さて、レーヴァンの値段はいかほどだろうか。


 駒の飼い主が金の卵を産むガチョウを切り裂く様な馬鹿では無いと信じたいが、だからと言って安く売りつけられるのは、それはそれで業腹の様な気もした。


 ◆



 ノルンは、上手くやってくれるだろうか。レーヴァンの脳裏に浮かんだ疑問は、互いが再びヘッドオンの形となったことで雲散霧消していく。

 通算4度目の対面攻撃。巨大な馬上槍ランスを抱えた騎兵のように、旋回を終えて向かい合った2人のヴァルチャーがそれぞれの愛機に鞭を入れる。土埃の代わりに飛行機雲を引きずった鋼鉄の猛禽が、今度こそ敵の翼を捥ぎ取るために突撃を開始した。

 背中を蹴飛ばされるような加速度に揺さぶられる中、真正面に滑り込んだF-15Jの巨躯が白い雲を背景に急速に拡大していく。レーダーは相変わらず役に立たず、相対速度が軽く音速を超えた世界で頼れるのは、最古の索敵装置である目と耳と勘だけ。僅かでも気を緩めれば、20㎜機関砲の穂先がMig-21を不格好な目刺しにするだろう。

 落ち着いて精密に狙いを付ける猶予など存在しない。

 タイミングを計ってトリガーを握りこみ、間髪入れずに操縦桿を倒す。ハーネスが肩に食い込み、シートに体が押し付けられ、HUDの向こうに広がる景色が捻じ曲がり、回転する。

 直後、ロールを打った機体の直ぐ傍をヘッドオンした敵機から吐き出された火箭が駆け抜けていった。数発に1発含まれた曳光弾の放つ赤い光の奔流が、Mig-21の灰色の機体を照らし淡く染める。

 一瞬の間をおいて、2機の戦闘機が背中合わせになる格好で交錯。キャノピーの向こうには自分と同じく、此方を見ているらしい黒雀の姿。バイザーを降ろしているため、人相は全く判断できない。10mと離れていない空間をMig-21-93とF-15Jが切り裂くと、互いが引き連れてきた乱気流が強かに機体を打ち据えた。

 レーヴァンは間髪入れずに機首を跳ね上げ、Mig-21を急上昇させる。正面に浮かんでいた陸と空と雲のトリコロールが、空と雲のツートンへと移り変わった。

 首をひねって敵機の姿を探せば、自分の背後でズーム上昇をかけている。距離を取って背中合わせになりながら、垂直上昇で併進する格好。頭上を覆うキャノピーの彼方で、2発のF100-IHI-220Eターボファンエンジンが絞り出す莫大な推力が、此方より二回りは大きな荒鷲を天空へと引っ張り上げている。

 ほぼ同時にアフターバーナーの火炎を吹き延ばしながら天へと駆け上がり始めた2機ではあるが、既にMig-21がF-15Jの後塵を拝そうとしていた。機体の性能差が露骨に表れている。

 レーヴァンにとっては想定内の事態ではあるが、こうして目の前に付き付けられると何とも言えない無力感が湧き上がってくるのは避けられない。もし、Mig-29M2が間に合っていれば、もっと真面な戦い方ができただろうが――

 「無い物ねだりだな」マスクの中でぼやき、口の端を意図的に歪ませた。

 ともかく、このまま馬鹿正直に上昇勝負を続けていれば、先に息切れするのはこちらだ。危険な賭けではあるが、どのみち地獄を飛ばねばならないのなら、突き進むよりほかにない。

 腹を括り、ぐいと操縦桿を引いてインメルマンターンへ。キャノピーの向こうに広がる世界を回して機体を水平に。自分が勝負を降りた事を確認した敵機は、Mig-21より更に上空で垂直上昇から背面飛行に移り、後方上空を目指す。

 高度の優位は完全にあちら側、好きなタイミングで一撃離脱をかけられる絶好の位置。しかしレーヴァンのMig-21は針路を修正すると、見え透いた虎口へと無遠慮に突き進んでいく。

 その背中を黒雀が見逃すはずもない。

 自分から攻撃に身を晒すような針路を取ったMig-21に対し、頃合い良しと見たF-15Jは背面飛行から機首を上げて急降下体勢。パワーダイブ開始。針路を微調整し、いっそ不気味さすら滲ませるほどの悪手を打ったフィッシュベッドの後方上空へ滑り込んでいった。

 残り少なくなった短距離対空ミサイルを選択。シーカー・オープン、HUD上をターゲットボックスが滑っていき、程なくしてロックオンを知らせる電子音。


《スパロウ1、FOX2》


 スパロウ1――黒雀のF-15Jの翼下で白煙が迸った直後、レーヴァンの耳元ではミサイル接近警報が危機をがなり立てはじめる。

 普通に考えれば、後方上空からミサイルを撃たれた時点で絶体絶命以外の何物でもない。

 恐らくヴァルチャーの半数は即座に脱出ベイルアウトを選ぶ状況で、鴉の名を持つハゲワシは「まあ、そうくるよな」とマスクの下に笑みさえ浮かばせながら操縦桿を押し下げてマイナスG旋回。スロットルを開き、大地へ自ら飛び込むようにパワーダイブ。

 獲物を見定めた隼のように、明灰色のMig-21が白煙を棚引かせる2発のミサイルを引き連れながら急降下を始めた。

 大地の上を這う雲の群れが、自分を圧し潰そうとするかのように視界の中で拡大していく。狂ったように回る高度計の横で、速度計が一瞬跳ねる様に動き、音速を突破。なおも加速していくが、単純な速度性能でミサイルを振り切れるような機体ではない。命中まで、ほんの数秒。ミサイル・シーカーには高温を吐き出すR-25-300ターボジェットエンジンの大口がハッキリと捉えられていることだろう。

 初冬の冷涼な大気を断ち割り、翼端が薄い雲を裂いて殺風景な地表が見えた瞬間。レーヴァンは魔術による保護を作動させ、瞬間的に9G以上の加速度をかけて引き起こしをかける。

 ミシリと機体と体が嫌な音を立て、色彩が零れ落ちていく世界の中、操縦桿のスイッチを押し込んでフレアを射出。間髪入れずに、小柄な機体の腹部から眩い閃光を放つ無数の光弾が、ミサイルの眼前に吐き出された。

 レーヴァンを追尾していた2発のミサイルは、アーカリア合衆国が黒雀に供与した最新鋭の魔力・赤外線画像複合誘導式を採用していた。

 これは従来の赤外線誘導に、標的のエンジンから放射される固有の魔力波を感知するセンサーを組み合わせ、単純なフレアによる欺瞞を無効化させることを意図している。

 しかし標的レーヴァンを追尾する短距離ミサイルは、獲物が急降下をしたことによってフォライト湖沼群が放つ魔術妨害マジック・ジャミングを真正面から受ける形となっていた。

 AWACSのレーダーすら沈黙させる魔力波に、ミサイルの簡易的な索敵装置が対抗できるはずもない。膨大な魔力放射を放つ大地は標的の魔力反応を完全に覆いつくし、魔力波を捉えるシーカーを沈黙させる。

 魔力を捉える目が使えなくなったと判断したミサイルは、誘導方式を自動的に赤外線一本に切り替えるが、こうなってしまうと従来の赤外線誘導と変わらない。つまり、火炎系魔術により最適な赤外線を放射するように調整されたフレアを、敵機そのものであると簡単に誤認してしまう。

 魔力と赤外線、二つの情報を比較して欺瞞を見破る高性能空対空ミサイルであっても、今回は相手と状況が悪すぎた。

 レーヴァンのペテンによって単なる赤外線誘導ミサイルへとなり下がった2発のミサイルが、無数の流星となって落ちていくフレアの方へと針路を変える。数秒の後に地面へと突き刺さり、泥の大地を跳ね上げ派手な爆炎を上げた。

 回避成功を喜ぶ間もなく、レーヴァンは急上昇中の機体を鋭くロールさせて急旋回に移る。

 直後、一瞬前まで右の主翼が存在していた空間を20㎜機関砲の曳光弾が貫いていった。肝が冷える間もなく、背後へと忍び寄っていたF-15Jが、その巨体を誇示するかのように衝撃波を叩きつけ至近距離を過ぎ去っていく。

 迷いの一切ないガンアタックを寸前で躱したレーヴァンは、背筋を走った寒気の残滓を振り払いつつ確信する。奴は、ハナからこちらがミサイルを避けて自分を探し始める瞬間を狙っていたに違いない。黒雀の名前は伊達じゃないってことか、畜生め。

 回避行動から索敵に移る一瞬の隙。思考が防御から攻撃に切り替わる間隙への攻撃は、完全な奇襲になる。第二撃が本命であると想定していなければ、容易くミンチになっていただろう。

 単純な技量は言うまでもないが、このヴァルチャーの危険性は其処に集約される。獅子搏兎とはよく言ったものではあるが、兎扱いされている獲物にとっては迷惑極まりない。

 何とも――


「――老獪な飛び方をするじゃないか、黒雀」

《皮肉にしか聞こえぬな》


 返ってくるはずの無い返事が聞こえ思わず面食らってしまう。雑音交じりのレシーバーから聞こえてきたのは、想像よりもずっと老いた男の声。老人とすら言えるかもしれない。

 その間にも、離脱しようとするF-15Jの後方へ無理やり機体をねじ込み、上空へ傘をかけるように機銃掃射を仕掛ける。Mig-21がバラまいた曳光弾のシャワーに飛び込む寸前で、F-15Jが小さなロールを打って左水平旋回、命中弾無し。

 黒雀は上昇離脱を取りやめ、格闘戦を仕掛ける気らしい。大柄な機体が続いて右へと跳ね上がり、天地を向いた翼端から純白の円弧を吹き伸ばす。主翼に雲を纏いつつ、HUD上を滑るターゲットボックスからするりと抜け出すが、だからと言って逃がしてやる道理は無い。追跡開始。

 右へ、左へと不規則な旋回を連続させるF-15Jに食らいついていくが、僅かでも隙を見せれば容易く背後へと潜り込まれてしまう恐れがある。隙を突くどころか、隙を見せ無い事の方に余程集中しなければならない。

 針路、速度、高度を時々刻々と変化させつつ、互いが敵を前に押し出そうと急旋回を繰り返す。2機の航跡は相手の頭を潰そうと絡み合う大蛇のような、螺子くれた複雑な軌道を空に描き始めていた。

 一見、第二世代ジェット戦闘機が第四世代ジェット戦闘機と互角に渡り合っているように見えるが、その実状は綱渡りと断言してよかった。

 確かに小型軽量と言うのは、それだけで無視できない利点ではある。機体に働く慣性が小さく済み、切り返しや加減速に伴うロスをその分抑えることができる。

 ただ、F-15Jは、その体格に見合った慣性を強大なエンジンパワーと計算された巨大な主翼で無理やりねじ伏せてしまえる。かつて西側最強と謳われた鋼鉄の鷲に、その程度の条件で有利を取れるわけもなかった。

 自身の不利を噛締めながら、しつこく纏わりつくF-15Jを姿を捉えつつ、思考を回し続ける。そもそもの話、F-15Jならばエンジン出力にモノを言わせて引き離すのは容易だろうに、敵は何故か格闘戦を続けている。舐められているのか、試されているのか、それとも新たな罠か。どれにせよ、受けて立つ以外の選択肢がベイルアウトぐらいしかないのが辛い所だった。マスクの下に、知らずと苦笑の様なものが浮かんでくる。

 辛い所と言えば、もう一つ。この連続した高G機動によって、先ほどから主翼を軋ませている重りバラストも頭の痛くなる厄介事だった。


《そのようなをぶら提げたままで良く動く》

「下手に落すと、ウチのオペレーターから雷を喰らうんでね。それに、わざわざ此処まで来てくれたんだ、次いでにロケット土産も喰って行かないか?」


 そうやって敵には虚勢を張って見せるが、戦闘開始直後に発生したアクシデントの状況は全く好転していなかった。

 コンソール上で輝くのは、主翼の懸架装置の異常を知らせるランプ。本来ならば、対空戦闘が始まると同時に投棄しているべき両翼のロケット弾ポッドが、分離機構の故障によって機体にぶら下がったままであることを示していた。

 原因らしい原因と言えば、リスタ河から離脱する直前にノルンが危惧していた小銃弾の被弾ぐらいしか思いつかなかった。パイロンに命中した弾丸か破片が、投棄信号を流すケーブルを破壊したと言う所だろうか。

 あのトラックの一団を銃撃した後でもロケットの発射自体は可能だったことから、発射機構事態に問題は無いはずだが、この状況ではだからどうしたとしか言えない。

 異常を訴えているのは片側のポッドだけではあるものの、だからと言って反対側のポッドを投下すれば重量や空力のバランスが盛大に狂ってしまう。空力だけならば、今のように魔術で何とかならない範囲でもないが、重量バランスだけはどうしようもない。

 短距離空対空ミサイルは健在だが、先ほど自分がやったことを黒雀が出来ない、なんて都合の良いことは無いだろう。黒雀のやり方を真似たところで、強烈なカウンターが飛んでくるに違いない。

 実質使えそうな火器は、残弾が心もとない23㎜機関砲だけ。

 つまり五体満足で生還するには、両翼に重りバラストをぶら提げた機体でF-15Jを駆る黒雀をガンキルしなければならない。

 何とも素晴らしい状況だ。笑うしかないと言うのはこの事か。


《もてなしを受けるばかりでは格好がつかないでな。庭先に上がりこんだの方から、手土産を渡すのが筋というモノであろう》

「こちとら丁稚だ、お気遣いなく。可及的速やかにぶぶ漬け食って失せてくれ」

《はは、そういえば久しく口にしておらんな》


 此方の軽口に付き合いながらも、黒雀に隙が生まれることは無い。思いきり機体を捻って左旋回へ鋭く入ったかと思えば、そのまま左方向へロールを続けて一回転。次の瞬間には小さな螺旋を描くように逆側へと機首を向けている。

 初手の左ロールへ慌てて飛びつき、先回りしようと旋回していれば、一瞬のうちに目標を見失っていただろう。

 F-15Jを此処まで振り回す技量を持っておきながら、使える手は全て叩きつけてくる。敵が格闘戦に付き合い続けているのは、単にそちらの方が慣れているからというオチなのかもしれない。

 対してこちらは、相手の動きをほぼトレースする形で追従。余計なモノをぶら提げているが、Mig-21の小柄な機体は子気味良く反応し、雲の浮かぶ空へと駆け上がるイーグルの背中を追い続ける。

 機体の身軽さによって瞬発力自体は微かに分があるようだが、僅かでも加速時間が長くなると途端において行かれそうになった。やはり、イーグルとやり合うにはフィッシュベッドでは役者不足も甚だしい。

 結局のところ、空戦と言うのは双方が持つ位置エネルギーと運動エネルギーの削り合いに他ならない。

 派手で鋭い空戦機動は自分に有利な状況を作り出す可能性を持つが、そういった機動は機体の速度、つまり自分が持っているエネルギーを大きく奪う。失ったエネルギーを素早く回復させるためには、大出力エンジンは最もシンプルで手っ取り早い解決策の一つとなった。

 では、そのような大出力エンジンを持つ敵に対し、馬鹿正直に真正面から挑むとどうなるか――金持ちに貧乏人が競売を仕掛けるようなものだ、破滅は目に見えている。


 だが、貧乏人には貧乏人なりの出し抜き方があるのも事実だ。


 翼端で雲を切り裂いたF-15Jが、前方に立ち塞がった巨大な雲の中へ旋回しながら飛び込んだ瞬間。レーヴァンは思いきり機首を押し下げた。

 真正面に広がっていた雲の壁が、マイナスG旋回によって赤く染まる視界の中で頭上へと吹き飛び、代わりに地面がコンソールの下からせりあがってくる。アフターバーナー・オン、パワーダイブ。高度を速度に変換しつつロールで次の針路を調整、タイミングを計って思いきり機首を引き起こした。

 一旦低空へと飛び込んだMig-21が、見えない壁で反射したかのように降下加速の勢いを乗せたまま跳ね上がる。直上から見れば、F-15が描きつつある円弧をショートカットするように、未来位置へ向けて突進し始めた。

 魔術による保護をかけていたとしても、Gの緩和には限度がある。色が抜け落ちていく世界の中で、HUDの向こうに黒雀が飛び込んだ雲の切れ目――奴が雲から飛び出してくるだろうポイントが飛び込んで来た。

 雲の中での急激な機動の変化は、簡単に空間識失調バーティゴを引き起こす。常にあらゆる種類の負荷がかかる実戦で、レーダーが全く役に立たないこの空域であればなおさらだ。歴戦のヴァルチャーであればこそ、その基本には逆らわない。例え読みを外したとしても、速度が乗っていれば近場の雲へ迅速に飛び込むなどして対応は出来る。

 ロー・ヨーヨーによって一時的に増速したMig-21が、引き絞られた弓から放たれる矢のように、巨大な雲の縁へアフターバーナーの火炎を引きずって駆け上がる。攻撃には遠すぎた距離を一息に縮め、敵が雲によって一時的にこちらを見失っている隙に、一気にガンの射程圏内へと踏み込んでいった。

 じきに雲の中を突っ切ったF-15Jの無防備な背が、真正面へと飛び込んで来る――筈だった。

 背筋を走り抜けたのは、僅か数分前にも知覚した悪寒殺気

 殆ど直感としか表現しようの無い感覚に従ってスロットルを閉じ、エアブレーキを展開。大気と正面衝突するかのような衝撃を全身に受けながら、上昇中の機首を無理やり引き起こす。急旋回により、また別の強烈なGが伸し掛かり、機体自身も不気味な悲鳴を上げた。

 無茶な機動によって機速が急激に落ちる中、色どころか光さえも失いかけたHUDの向こうに一面の雲の腹が広がり。



 暗い雲底を逆落としに切り裂いたF-15Jが、その無骨な機首を自分へと向けていた。



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