Mission-16 敗者

 狙うよりも先に、指先は灰色の世界へ向けてトリガーを引いている。同時に操縦桿を倒しロール。曳光弾を吐き出しながら螺旋を描くMig-21の小柄な機体が、打ち下ろされる20㎜曳光弾の雨を縫い、食らいつかんばかりにまで迫ったF-15Jをやり過ごす。双方ともに命中弾無し。


「正気か、黒雀――」

《死合に正気も狂気もあるモノか》


 圧縮された大気が炸裂する音を聞きながら、思わず内心で毒づく。雲の中で失速反転ストールターンをくりだすなど、聞いたことが無い。確かに、速度を失って無防備になる瞬間は雲によって覆い隠されるが、机上の空論を現実に引っ張り出せるかどうかは全く別の問題だ。命知らずにも限度があるだろう。

 しかし、その空論を目の前に叩き付けられれば閉口する他無かった。もしあのまま直進していれば、攻撃に移る瞬間と言う最悪のタイミングで後ろへと潜り込まれていたに違いない。

 無茶な機動によって速度を失う前に、機首上げを継続して上方ループへ。その間に下方へ抜けた敵機は低空を蹴りつける様に再び上昇、攻撃態勢。天地逆転した世界の頭上で、再び機関砲の砲口を自分に向ける黒雀の姿に一つ舌を打ち、水平飛行に移ろうとしていた手を止めて操縦桿を引く。頭上の大地が真正面へと滑り、HUDの向こうにF-15Jの無骨な正面が飛び込んで来る。間髪入れずにトリガーを押し込む、23㎜機関砲GSh-23の苛立たし気な咆哮が機体を身震いさせた。

 今度は逆落としの体勢になったMig-21の下部から火箭が吹き伸びるが、垂直上昇する黒雀は最小限のロールを打って23㎜機関砲弾を掻き分ける様に接近し、再び後方へと駆け抜ける。だが之までとは異なり、F-15Jから火箭が突き出されることは無かった。

 攻撃のタイミングを計り損ねたのかと、とっさに背後を振り返る。そうして視界の端に飛び込んで来た光景に、そもそも先のタイミングで攻撃を強行する必要性を黒雀が感じていなかったことを悟った。

 尾翼の向こうには、エアブレーキを開いたF-15Jの後ろ姿。スロットルを絞った急上昇により速度を失った機体が、棒が倒れる様にストンと下を向く、ハンマーヘッドターン。

 再びの失速反転によって、急降下で離脱しようとするMig-21の後ろを取ったF-15Jは、2発のターボファンエンジンを高らかに咆哮させた。後背を晒した獲物に、荒鷲が情け容赦なく襲い掛かっていく。


「ッ! ――僕でもそこまで無茶はしないぞ」

《兵に常形じょうけいなし、詭詐ききを以て道となす――古い言葉だが、聞いたことは無いかね?》

「二度と忘れん」

《覚える必要も無くなる》


 底冷えのする声で紡がれた死刑宣告を空の彼方へと放り投げ、荒鷲のカギ爪に捕まえられる前に機首を引き起こし急旋回。横倒しになった視界の中で空と陸が切り立ち、主翼の端が大気を切りつけ震わせる。

 幾度となく繰り返されてきた高G旋回に、魔術で誤魔化しを続けてきた機体もいい加減悲鳴を上げ始めた。不気味な振動で不満を訴える操縦桿を無理やり押さえつけ、空を駆け降りる黒雀の真下へ潜り込むように針路を取る。

 角度を付けて降下する敵にとって、自分の下を後方へ向けて通過していく目標を追尾するのは楽な仕事ではない。降下を続けながら背面飛行に移りスプリットSに近い機動で大G旋回に移るか、それとも速度を殺さず大きく旋回して追尾するか。どちらにせよ、高度の優位を生かしきれない。

 突き出された二択を前に、黒雀は迷わなかった。レーヴァンの意図を悟ったらしいF-15Jの大柄な翼が翻り、陽光を受けて煌めく。

 黒雀はあくまでもスプリットSからの追撃を選択。イーグルの主翼が真っ白な羽衣を纏い、翼端から伸びたヴェイパートレイルが鮮烈な軌跡を描く。相当なGが掛かっている筈だが、目の覚めるような機動には躊躇いも無駄も見られない。

 大上段に振りかぶられた太刀の下に、レーヴァンは乗機を誘導する。僅かでも躊躇えば、円弧を描いて振り下ろされた刃渡り13.1mの豪翼がMig-21を両断するだろう。

 ただ、一旦仕切り直さず少々強引に追撃を選んだ事実は収穫だ、とF-15Jの姿を視界の端に捉えつつ可能性の一つを手繰り寄せた。

 向こうもあまり時間はかけたくないらしい。相手も勝負を急ぐのならば、隙を晒せば食らいつく。

 もっとも今手元にあるのは、贔屓目に表現したところで「骨を絶たせて肉を切る」ような案ではあるが、既に気分の黒雀に喰らわせる豆鉄砲としては妥当なところだろう。

 そろそろ帰還もおぼつかなくなる燃料残量を意識の端に追いやり、之まで見向きもしなかったボタンに指をかける。自爆処理用に搭載されている時限信管の設定時間を適当な数値に変更。安全装置解除、攻撃用意良し。これだけ振り回した後でも仕事をするかどうかは、神のみぞ知る。


 失敗は考えなくていい、事ここに至って二度目など有りはしないのだから。


 最後の仕上げとして僅かに回避行動を遅らせながら、背後を振り返り彼我の距離を確認。視界の先に小さく、こちらの後方上空から急速接近するF-15Jのガッシリとした姿。NATOらしい――ノルン好みの無骨なシルエットが、タービンブレードのときの声を上げて突っ込んできている。

 既にミサイルの射程に入っている筈だが、幅の広い翼の下は静かなものだ。優速を生かして後方上空から追い抜きざまに機関砲を叩きこみ、前方の低空へ駆け抜けるつもりだろう。攻撃のタイミングは、これまで同様に体当たり上等の至近距離にまで接近した瞬間。

 勝負は一瞬、後に残るのは勝者と敗者が一人づつ、もしくは――


《貰ったぞ》


 ――敗者が



 ◆


 これ迄にも絶妙なタイミングで旋回を繰り返し、容易に攻撃を当てさせなかった敵機だが、ここにきてその動きが僅かに鈍った。操縦者の集中力が切れたか、機体自体のトラブルか、はたまたその両方か。なんにせよ、千載一遇の好機であることに違いない。

 強引なスプリットSによるブラックアウト寸前の灰色の視界の中、藻掻くように旋回に移ろうとするMig-21の背中がHUDの中で急速に拡大していく。ミサイルに用は無い、後は機関砲のトリガーを僅かに絞れば目の前の敵機は火焔に包まれる。

 辛苦と歓喜の狭間に在った戦いが終わることに一抹の寂しさを覚えないと言えば嘘になるが、彼――スパロウ1黒雀に手心を加える気は毛頭なかった。もはや自分に出来ることと言えば、この老骨が久しく味わっていなかった”死合”を今再び叩き付けた敵を、最大限の敬意と賞賛と共に始末する事のみ。


「貰ったぞ――」


 無意識の内に、数十年前の自分の様な台詞が口を突いて出た瞬間。胸を貫かれるような悪寒に襲われ息を呑む。

 その切っ掛けとなったのは、Mig-21の機体に描かれたエンブレム。

 これまでの戦いで、何度となく視界の端に映りこんでいた紋様の断片的な画像が繋ぎ合わされ、今になって鮮明な像を頭の中に結ぶ。

 コンマ数秒未満の世界の中で明確に浮かび上がったのは、剣を咥えた。アカい翼を広げた紋章が、勝利を確信した己を嘲笑っているように見えた。

 特大の警鐘を鳴らす勘とは別に、戦闘に直面している意識は好機を逃さずトリガーを引いている。体を芯から揺らすような重低音と共に、キャノピーの右側面を駆け抜けた20㎜機関砲弾が小柄な明灰色の機体へと殺到していった。



 ◆



 【エントランス】の数ある格納庫の一つに併設されたラウンジに、2つの人影があった。片方は椅子に腰かけ、もう片方は椅子に座った影の近くに控えている。

 ラウンジには簡素な4人掛けのテーブルと椅子が並び、壁の一面が完全なガラス張りとなっているせいか、小奇麗な学生食堂と言った雰囲気を見る者に与えた。もっとも、硝子の向こうに見えるのは閑散としたグラウンドでも、雑多に立ち並んだ市街地でもなく、長旅を終えて人心地つく輸送機たちの群れ。

 ガラスを僅かに貫通する格納庫の喧騒以外には何も聞こえない。無論、ヘッドセットを持ち込めば格納庫内の人員とコンタクトを取ることもできるが、2つの人影にその必要は無く、また彼女たち以外の人間はこの場には存在しなかった。

 騒々しいヴァルチャー達はその多くが出払っており、ラウンジを使うにしても彼等・彼女達自身の愛機が羽を休める格納庫に併設された方を使う。そして、本来想定された利用者である輸送機のウィザード部外者達も、死臭漂う最前線エントランスに長居したいと思う変人は少ない。

 空の傭兵ヴァルチャーたちの根城にしては随分と華やかな設備ではあるが、この【エントランス】と呼ばれている超重航空管制指揮母艦ジャガーノートが、かつては或る王国のハブ空港として建造された過去を持つことに由来していた。これらのラウンジは、そういった背景がもたらす残照の一部と言える。

 幾つかの偶然が重なり、故郷の滅亡を生き延びたジャガーノートの一角で椅子に腰を降ろす人影――ミネルヴァが、この殆ど使われないラウンジに目を付け占拠する迄には、それほど多くの時間を必要とはしなかった。


「よろしかったのですか?」

「うん? 何がだい?」

 

 頭に降りかかってきた馴染みの声に、ミネルヴァは手元の資料に注いでいた視線を上げる。「アウル隊の件です。あれらはお嬢様の手駒の中でも随一の方々でしょう」クラシカルなヴィクトリアンメイド型の衣服に身を包んだ付き人――シェーラは、長い付き合いとなっている主に探る様な視線を向けていた。少女が興味深そうな笑みを浮かべる形で先を促したことを理解し、更に言葉を続ける。


「このような形で、不必要な危険に晒すべきでは無いかと」

「黒雀の居なくなるだろう空へ送り出す事であってもかい?」

「フォライトに潜んでいるのが黒雀だけとは限りません。だいいち」

「もはやのヴァルチャー1人に、そこまでしてやる義理は無いってところかな」


 手元で弄んでいた資料をテーブルの上に放り投げたミネルヴァは、凝り固まった首をほぐしながらテーブルに置かれていたカップに口を付ける。中に残った紅茶はすっかり冷めてしまっていたが、特に気にした風でもなく流し込んだ。


「はい。グラム1の戦果は確かに目を見張るものがありますが、今回は相手が相手です。歴戦の傭兵ヴァルチャーであればこそ、始末する機会を逃しはしないかと」


に触れるとしても?」ニタリとあまり少女らしくない笑みを浮かべながら、カップを回すように弄ぶミネルヴァ。いつも通りの無表情を張り付け「命と紙切れの値段には我々より敏感でしょう」と返すシェーラに、笑みがより深くなる。「確かに君の言う通りだろうね」愉快気に首肯し、引っ繰り返したカップを受け皿ソーサーに戻した。僅かに残った紅茶がカップの内壁を伝い、伏せられた茶器の隙間からジワリと血のように滲む。


「噂に名高いとかの空の騎士達が、後生大事に抱える矜持やモラルなんて、ヴァルチャーならず者にとっては手札の一つに過ぎない。否、そもそも戦場において、故意であろうがなかろうが憲章の全てが完全完璧に履行されるなど、恋に恋する生娘の妄想に等しいだろう。ましてや、戦場はあのフォライトだ。そこで何が起こったのかなど、当事者で無ければ知る由もない。――私が黒雀でも、鴉殿が不時着した際は念入りにコクピットをミシン掛けするね」


 「君もそうだろう?」真面な感性を持つ人間が聴けば眉を顰めるようなセリフをのたまう少女は、背もたれに身を預けると直ぐ傍のガラスの向こうに広がる格納庫へ視線を向けた。

 目の前に広がる格納庫は大型機用の巨大なモノであり、【エントランス】を出入りする大小の輸送機の群れが慌ただしく貨物を吐き出し、飲み込んでいる。つい数時間前に揺られていた濃紺の巨人機も、隅の方で翼を休めていた。巨大な翼のすぐ横には、シートに覆われた貨物が肩身狭そうに鎮座している。


「納得がいかないなら、ノルンへの義理立てとでも思っていてくれたまえ。これでも、彼女の事は友人だと思っているのでね――まあ、向こうは顔をしかめるだろうけど」


 ガラスに移りこんだ半透明のシェーラが了承したように小さく頷く。付き人としてはかなり砕けた関係ではあるが、必要以上に踏み込む愚を犯すほどお調子者ではない。


「時にシェーラ。の動きはどうなっているんだい?」


 がらりと話の内容が変わるが、シェーラが面食らうことは無かった。

 付き合いの長い彼女は、この主が同業者でも顔を引きつらせるほどの冷酷さと、同年代でも顔を顰めるほどの子供じみた言動を効率よく使い分ける事を熟知している。この程度の話題の振り幅に辟易するような人間に、従者は務まらない。

 即座に思考を切り替え、バインダーに挟んだ書類をいくつか捲りつつ報告を述べていく。その間、赤金の少女は置いたカップを再び手に取り、めつすがめつながめまわしていた。


「――及び第2重騎兵師団の北方への移動が確認されました。また、ユーミロー港にグラスネス帝国第3艦隊が集結中とのことです。周辺各国に対し、帝国中央は演習と通達しています。ただ」

「帝国北部の療院と、全土の医術系工房への魔力マナの割り当てが特に増加している。ついでに各種物資の移動も」


「仰る通りです」シェーラは手元の資料に目を落とすまでも無く、主人の予想を肯定した。予想が当たった少女は「どうせそんなことだろうと思ったよ」と大げさに溜息を吐いて見せる。


「王国側は?」

「魔力の割り当てと物流の活発化については”物資支援準備”との通達を受け取ったようです。ただ王国側も、”輸送支援”の名目で特設後備第104旅団と同105旅団をグラスネス帝国との国境に増派する動きを見せています」

「大慌てで搔き集めた100番台旅団リザーブか、まあ無いよりはマシってところかね」


「脅し、でしょうか」何処か懇願するようなシェーラに「2割ぐらいはそうじゃないかな」と酷く軽い調子の声が返された。


「【フェアヌンフト】が動いているんだろう?だとするなら、前回通りの平和的解決を望むのは時間の無駄だ。既に尻尾をくすぐられた連合王国リーレム合衆国アーカリアが、互いに唸り声を上げ始めているからね。別荘にかまけて、裏庭を焼かれるほど合衆国も馬鹿じゃない」

「しかし、王国が連邦と講和を選べば」

「選べると、いや、連中がと思うかい?」


 無邪気な笑顔に、ぞわり、と背筋を魔王に舐められたかのような感覚に陥る。こちらを見上げる暗赤色の瞳には、酷薄なくらい光が揺蕩たゆたっていた。


「グラスネスが半島北部を併呑すれば、この大陸はめでたく天下三分と相成る。――そう言えば天下三分の計自体は、私が以前読んだ娯楽小説では天下泰平の最善策かのように書かれていたね。としては、実に皮肉が効いていて大好きだったよ」

「【商会我々】は、今後どの様に動くべきでしょうか」


「なぁに、いつも通りさ」表情を硬くする従者に、主人は笑って見せた。ある意味、その天使の様な微笑みが逆効果であることも重々承知の上で。


「この情報が私たちの手元にあると言う事は、【フェアヌンフト】が馴染みの大商人達の恨みまで買い叩く気は無いってことだ。持つべきものは好き好んで暗躍してくれるだねぇ」

「――では、王国系資産の整理を始めます」

「うん、是非そうしてくれたまえ。事情を知らない雑多な連中は、リスタ川の突破成功を受けて、王国が有利な条件で講和すると考えているからね。こちらの意図がバレないように売りつけてやると良い。それと輸送機の用意も忘れずに。そういえば、東方大陸にTu-144がいただろう?ケツに火が付いた御偉方へのチャーター便に使えそうだから、今のうちに整備しておいてくれ」

「承知しました」


 一礼して踵を返すシェーラを見送ったミネルヴァは、ふと手元のカップへと視線を落とす。カップの底には、沈殿した紅茶の茶葉が張り付き、複雑な紋様を描き出していた。底に描き出された紋様を直観的に処理し、知識と照らし合わせ、答えを組み立てていく。

 一種のロールシャッハテストの様にも感じられるが、これもれっきとした魔術――占いの一つだ。


「”翼折れども友を得る、災い去れども嵐は近し”――いやはや、やはりこんな処でくたばる様な奴じゃないね。鴉殿」


 カップを覗き込む少女の横顔には、邪悪な魔女の様な微笑が浮かんでいた。


 ◆


 赤い軌跡を残した最初の1発がコクピット後方の背部へ着弾。それに続く数発の砲弾が巨大化したドーサルスパインに大穴を穿ち、機体の中央を占拠するエアダクトを貫いた1発はGSh-23機関砲の特徴的な並列バレルを圧し折る。さらに機体の後方で被弾による閃光が爆ぜるごとに無数の外板が砕け散り、R-25-300ターボジェットエンジンが黒煙と共に沈黙し、雑多な機器類が瞬時にスクラップへと変わっていった。

 1秒にも満たない鉄の暴風が過ぎ去った後、明灰色のMig-21-93は機体の彼方此方から黒煙とオイルの血を噴き出している。屠ってきた獲物共の亡霊が黒い手となって虚空から湧き出し、自らを叩き落とした仇敵を引きずり降ろそうとしているかのようだった。

 その光景を作り上げた黒雀の手の中には確かな手ごたえがある。Mig-21が着弾の直前に機首を跳ね上げたせいで、コクピットへの直撃弾こそ見込めなかったが、既にアレは戦闘機としての体をなしていない。

 だが、敵機の表面で爆ぜた機縦弾の閃光を見ても、頭の中で組みあがったエンブレムを発端とする悪寒は、消えるどころか一足飛びに巨大化し続けていた。

 機体後半部をズタズタにされた敵機が、跳ね上がった姿勢からぐらりと揺らいで横転し空へ腹を向ける。膨らみ続ける警鐘に従い感覚をより研ぎ澄ませながら、事切れた金魚のようにひっくり返った敵機の下を潜り抜けて離脱する刹那、キャノピーの後方上空が明るく染まった。

 爆散か――と振り返りかけた刹那、十条近い白煙の束が乗機に覆いかぶさるように追い抜いていく光景を目の当たりにする。白煙の後端を束ねるのは、黒い流星と化しつつあるMig-21の主翼。それらを認識した瞬間、彼の意識はこれまで培った勘が鳴らし続けていた警報の意味を正しく理解した。


 ――ぬかったか


 小さく舌を打ち機首を跳ね上げようとするが、それよりも早くレーヴァンが黒雀の針路上にバラまいた空対地ロケットがほぼ同時に信管を作動させる。使い残していた破片弾頭8発、タンデムHEAT弾頭2発のS-13 122㎜空対地ロケットが炸裂の閃光と共に無数の破片を拡散させた。


「クッ――!」


 咄嗟にエアブレーキを展開。急減速によってハーネスが肩に食い込む痛みを無視し、機体を捻りながらラダーペダルを蹴飛ばし機首を上方へ跳ね上げる。左へ90度バンクしたF-15Jの左翼が破片の雲を切り裂いた瞬間、砂利の雨の中に突っ込んだかのような異様な轟音が機体左舷側から響いた。

 キャノピーの数条の傷が生じ、途端に数種類の警報音が鳴り響く。機体を立て直しつつ計器を確認すれば、左エンジンの推力を示すゲージが急落していくことに気が付いた。燃料流路カット、スロットルをアイドルへ、魔力炉心緊急停止スクラム、左エンジン停止、緊急消火システム起動。

 燃料流路を絶たれ、活動を停止したエンジン中枢の炉心が氷結系魔術により強制冷却される。この処理を行えばエンジンの核である炉心に大きな負担がかかり、最悪の場合は交換が必要になるが、傷ついた炉心が暴走して爆発する危険を取り除くことが出来た。

 喫緊の事態が収束に向かったことを確認した後、主警報装置マスター・コーションを切り機体左舷側をザっと見渡す。

 左主翼前縁には幾らかの衝突跡が見受けられ、幾つか空いた穴からは燃料――反応性を優先した結果、それなりの可燃性がある――も漏れているが出火の兆候は見られない。エルロンは主翼前縁が盾になったせいかほとんど無傷だが、水平尾翼には幾らかの損傷がある。破片を真面に吸い込んだ左エンジンは完全に沈黙。ノズルから薄く黒煙を引いているが、緊急停止には成功しており即座に爆発する気配はない。

 対して、機体の右側は完全な無傷だ。破片の雲に突っ込む直前に、90度バンクの状態からラダーを踏むことで機首を上向け、左側面を盾としたのが功を奏した。

 エンジンを一つ失ったのは痛手ではあるが、F-15Jはこの程度で即座に墜落するような軟な機体ではない。戦闘続行に支障あれど、飛行に問題なし。

 片肺での巡航速度に向けて減速していく乗機の横を、ズタズタになったMig-21が高度を落としていった。背面飛行から復帰はしているが、先ほどの強烈なカウンターが嘘のように正しく漂流していると言った状況。キャノピーはまだ吹き飛んでおらず、ウィザードは脱出していないようだ。

 明灰色の機体から噴き出すオイルと黒煙を棚引かせて滑空を続けているが、もはや自力での飛行能力を失っている事は明らか。エンジンを破壊された戦闘機の末路は、不時着か墜落の二つだけ。

 操縦桿を傾け、Mig-21の後方上空へと機体を導いていく。片肺飛行でも、難なく追いつくことが出来そうだ。

 これほどの惨状で脱出ベイルアウトを選んでいないのであれば、ウィザードが生きている可能性は雀の涙ほども無いと考えてよい。

 だが、世の中には万が一が存在する。

 黒雀として内外から恐れられるウィザードは、久しく表れた自らと互角に戦えるヴァルチャーの出現に内心喜んではいた。だが空の武人としての歓喜は同時に、彼の中に在るまた別の意識に大きな危惧を呼び起こしている。

 仮に目の前のヴァルチャーが生き伸び、Mig-21よりも更に強力な機体を手に入れてに刃を向けた時――自分は責を果たせるのか。

 考えるまでも無い。黒雀は内心の問いに即答する。

 誉や誇りなど、祖国の安寧の前には些事に過ぎぬ。個人的な矜持の為に、潜在的な強敵を見逃すことこそ恥に他ならない。憲章は守られるべきものではあるが、どのみち、次に目の前の敵を始末する際には命を捨てる覚悟がいる。背景がどうあれ、今の自分の公的な立場は私人にすぎないのだ。末路が同じならば、後は確実な方を取るのみ。

 機体を滑らせ、HUDに表示される機関砲の照準を、未だに空へとしがみ付くMig-21のコクピット付近へと合わせる。翼を折り地面に叩き付けるのではなく、せめて空で散らせてやるのが、今の黒雀に出来る最大限の譲歩だった。

 トリガーに指をかけた時、自分を嘲った垂直尾翼のエンブレムが脳裏をかすめていく。


「さらばだ、緋色の鳥」


 しかし、名も知らぬ敵機への慈悲の一撃クー・ド・グラースが放たれることは無かった。

 F-15Jに搭載されたM61A1が火箭を吐き出そうとした瞬間、十五トンを軽く超える機体が不可視の拳にカチ上げられるかのように上空へと吹き飛ばされた。


「何ッ!?」


 黒雀を襲ったのは、自然現象ではまず存在しえない、威力と指向性を持った暴風の槌とでも表現すべき現象だった。機体をスッポリと包み込む――逆に言えば、それほど局所的な――強烈な上昇流がF-15Jを打ち上げ、放たれかけていた攻撃を強引且つ永久に凍結させる。

 全く想定していない荷重に右翼のエルロンが瞬時に吹き飛び、再び警報音がコクピットに響き始めた。木の葉のように揺さぶられる機体を何とか立て直そうとする中、黒雀はレシーバーでは無く、を知覚する。




〈停戦せよ、停戦せよ、停戦せよ。貴機は蒼天憲章第41条”戦闘及ビ飛行能力ヲ失イシ敵二対スル攻撃ヲ禁ズル”に抵触しようとしている。停戦せよ、停戦せよ、停戦せよ。――警告に従わぬ場合、同憲章第5条に基づき貴機への迎撃を開始する〉



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