Mission-14 黒雀



 純白の雲の島を繋ぐように刻まれる4条のヴェイパートレイルが、蒼穹を裂き複雑に絡み合っている。大気を揺るがすジェットノイズは殺風景な大地へと降り注ぎ、大柄な採掘機械の呻き声が絶えて久しいこの場所に、不躾な文明の狂騒曲を付け加えていた。

 そんな人のエゴによって開発され、また人のエゴによって放棄された草原の一角に、ある意味では最も場違いな存在が鎌首をもたげていた。


 彼らは何故戦うのだろう?


 影の主はこれまで幾度となく頭蓋を巡った問いと共に、地上から空を見上げている。

 大地と天球の狭間を切り取ったかのような濃紺ダークブルーの瞳には、人類にとってはまず目視不可能な高度を戦場とする鉄騎の姿が鮮明に映りこんでいる。

 空での孤独な死闘を繰り広げているのは、2機のジェット戦闘機。どちらも大型双発の制空戦闘機で、ヒト族の区分で言うなればNATO西側に分類されるはずだ。

 ただ、なんとなく”死闘”とは表現してみたものの、実際の所、それが当てはまるのは片方だけだと断言していいだろう。彼は何処か憐憫の感情を、飛行機雲を追いかける瞳に浮かばせた。

 はまだまだ彼らや、彼らの戦いについて学び始めたばかりの若輩者ではある――だが、頭上で繰り広げられるのが戦では無く、に近いこと位は解るつもりだ。


『隊長、応答してください! こちらズメイ12! 現在敵機の攻撃を受けています! 機種は――』


 弱弱しい魔力の波に乗って、ヒト族の若者の声が空間に拡散していく。しかし、切羽詰まったヒト族の若者に対する救いの手が、他の空間から延ばされる気配はなかった。少なくとも、の上で戦う限りは。

 彼らの眼下に広がる――そして私が体を休めている――背の低い枯草と水たまりの様なみすぼらしい沼に覆われた、草原のように見える大地、フォライト湖沼群。一般的には、マーティオラ平原西部から南西部に広がる良質な泥晶でいしょうの産地の一つとして知られており、かつてはロージアンにとって無くてはならない資源地帯だった。

 というのもフォライト湖沼群を始め各地から採掘される泥晶は、魔術機械文明の初期においての、極めて重要な戦略資源に位置付けられる代物だった。特殊な環境によって、自然に存在する魔力が微細な高純度魔力結晶となって析出・堆積した泥晶は、人類が初めて手にした魔力マナ資源と言える。

 自然環境由来の魔力マナは、人間個人の代謝によって生産される自己生産魔力オドよりも高出力で安定しており、何より実体を持たせやすい為、取り扱いが遥かに容易だ。魔力を用いた道具の大量生産、大量消費を行うには無くてはならない資源であり、泥晶の大規模採掘・大規模利用が産業革命の始まりとされている。

 しかし、未精製の泥晶はその総量に応じて、魔術式を誤作動させるという厄介な性質があった。

 一時は対ノイズ用のシーリング術式の発明や、精製施設を人里離れた郊外に建設するなどして大規模な泥晶の利用を可能としていたが、需要の急増と海水を利用した液体魔力精製プラントの登場によって採算が合わなくなり、今となってはほとんどの大規模泥晶田が放棄されてしまっている。

 半島最大級の泥晶田であったフォライト湖沼群もその一つだ。膨大な埋蔵泥晶が発する広範囲の魔術妨害マジック・ジャミングは、最盛期には「100年後には消え失せる」と呼ばれていたことが嘘のように、未だに十分な効力を持って湖沼群の上に横たわっていた。

 

『クソッ振り切れない! なんで!? どうして誰も応答してくれないんだ!?』


 切羽詰まった声に耳を澄ませながら、彼は若者が窮地に陥った状況を今一度整理する。彼自身も最初から全てを視ていたわけではないが、その推察交じりの現状認識は概ね正鵠を射抜いていた。

 あの若者が命中確実に見えたミサイルの奇襲を、整備不良によるものらしい早爆に助けられて一先ず生き延びたのは、確かに幸運だった。

 しかし、破片の一つをこの状況では致命的と呼べる部分に浴びてしまったのは、この上ない不運と言えるだろう――未だに通信装置の破損に気づけないのは、彼自身の能力の限界だろうが。

 自分たちの技を応用して作られた通信装置は、弱弱しい波を周辺に撒き散らすだけで、肝心の跳躍が出来ていない。そもそも、本来は受け手側に直接伝えることを前提とする技術だけに、通常空間を遠距離まで届かせるほどの出力は無い。糸の切れた糸電話に喚き散らしたところで声が届く訳もなく、くぐもった音が漏れるだけだ。

 叶うならば助けてやりたいが、彼らの戦いへ無暗に手を出すことはによって禁じられている。明らかな条約違反でもあれば話は別だが、今の私は傍観者に徹する他無い。もっとも、傍観者になることを望んでこの場にいるのだから、この憐憫に近い感情は偽善に他ならないのだが。

 内心で自嘲の笑みを浮かべるの視線の先では、追いかけられている若者の機体――F-4Eが、大柄な機体に似合わない機敏さでパワーダイブから機首を跳ね上げた。翼の前縁が急減圧による白い雲に包まれたかと思うと、翼を立てて横倒しになり右急旋回。主翼の端に棚引いた雲が、鋭く空に2条の弧を描いていく。そのまま旋回を続けることなく、機首を跳ね上げて斜め上方にループ上昇、シャンデルへ。続けて、やや強引にバレルロールへ派生させる。

 何方かと言えば一撃離脱に重きを置くファントムⅡを駆って、あれほどの機動を連続して繰り出せると言うのは、間違いなく操縦桿を握るウィザードの実力であるに違いない。亡霊を追う敵機が、次の瞬間には前に押し出されていたとしても何ら不思議ではないだろう。


 若者の相手が、機体性能でも、技量でも完全に上回っていなければ。


 ファントムⅡの背後を追尾する影は、鋼鉄の亡霊よりも更に一回り大きな荒鷲だった。

 威圧的ですらある巨大なクリップドデルタ翼が空を豪快に切り裂き、背の高い双垂直尾翼の間では大型のターボファンエンジンが火炎の吐息を吐き出している。

 大柄な図体に反して、その動きは機敏としか言いようが無い。

 そもそもがミサイル万能論から脱却し、本格的な格闘戦においても敵を圧倒するという、ある意味では意図的な先祖返りをコンセプトの一つとした設計だ。その選択が間違っていなかったことは、後発の第五世代戦闘機が登場した後でも、最強クラスの制空戦闘機として認識する多くのウィザード、ウィッチ達が保証していた。

 そんな古兵になりつつあるの猛禽を操る者も、凡百の搭乗員ウィザードでは無いらしい。

 大きな主翼がくるり、くるりと回るさまには、無駄な動きが全く含まれておらず、空中に敷かれた不可視のレール上を滑っているかのようだ。機動によって生まれる筈の慣性が感じられないせいか、何処か不自然さすら芽生えてくる。それでいて、一つ一つ機動は業物のように鋭く、相手に先手を取らせておきながら全く優位に立たせていない。

 その飛び方は豪快な猛禽と言うよりも、どういう訳か、猛禽を手玉に取る小鳥の様な印象を見る者に与えた。

 この職人芸としか言いようのない戦闘機動を実戦の中で行うのは、一体どれほどの技量と度胸が要求されるのか。想像もつかない。

 彼が舌を巻いている間にも、若者のF-4Eは後方の敵機を振り切ろうと、フェイントを織り交ぜた上下左右への急旋回をランダムに繰り出す。ファントムⅡの機体が空に無数のエッジを連続して刻んでいくが、その後ろには同じような純白の円弧が、常に一拍おいて続いていく。これでは、どちらが亡霊ファントムなのか解ったものではない。


『なぜ撃ってこない!? 遊んでるとでも言うのか!?』


 遊んでいる。確かに、追いかけられている側からすれば、そう見えるだろう。だが、この戦いの唯一の傍観者である濃紺の瞳の持ち主は、F-4Eを追い詰めているウィザードの思考呟きつぶさに聞き取っていた。


 ――通信機の故障、か。是非もなし


 ぞわり、と聞き耳を立てていた彼の背筋を、怖気の様なナニカが走り抜けた瞬間。追尾している敵機の後端にアフターバーナーの閃光がほとばしった。

 NATO系機体の特徴でもある大出力のターボファンエンジンに物を言わせ、一息に距離を詰め始めた敵機に対し、F-4Eは再びバレルロール体勢。大きく螺旋を描くことで轟然と加速し突入してくる敵をやり過ごし、今度こそ前に押し出してしまうつもりだろう。

 上反角が付けられた主翼が弾かれたように翻り、両端から引いたヴェイパーで空を切りつけながら旋回を始めた。シャークマウスの描かれた機体が弧を描きながら、徐々に天地を逆転させていく。

 背面飛行となってバレルロールの頂上へと至る瞬間――下方から突き上げてきた、大柄な影と重なった。


 一閃。


 オーバーシュート一歩手前で機首を跳ね上げ、獲物の未来位置へと瞬きの合間に踏み込んだ敵機は、そう評する他無い20㎜航空機関砲の斬撃火箭をF-4Eへと浴びせかける。降りぬかれた剣閃に、F-4Eは祈る事すらできなかった。

 唐竹割にするかのように、機体中心軸に沿って次々と20㎜砲弾が着弾。シャークマウスの描かれたノーズがひしゃげ、キャノピーが赤い飛沫と共に四散し、エンジンブロックに大穴が穿うがたれ、機体後部で小爆発が踊り瞬く間に火炎に包まれる。

 操縦手と心臓を失ったF-4Eの残骸は、それでも惰性で空にしがみついていたが、十秒と経たぬうちに重力の存在を思いだしたかのように下降へと転じる。巨大な流星は風圧に揉みほぐされ、最後は無数の火の雨へと砕けながら形を失っていった。

 そうして亡霊を文字通り鷲が高みへと駆け上がる軌跡が、蒼空へと刻まれていく。再び天へと舞い上がる生者鉄騎と地に落ちる死者流星を見届けるの元へ、音の壁が切り裂かれたことを示す衝撃波断末魔が、嵐を呼ぶ遠雷のように響き渡った。


 ◆


『ズメイ12が戻っていないだと!?どういうことだ!』


 ノルンの困惑交じりの怒声が響いた時、レーヴァンのMig-21-93はD43と名付けられた空域――フォライト湖沼群上空へと差し掛かるところだった。

 頭上には既に青空が広がっており、枯草色に染まった大地の上には無数の積雲が群島のように屯している。雲の量は多いが空気自体は澄んでおり、有視界飛行に問題は無い。

 それよりも、大量に埋蔵された泥晶が発する天然の魔力妨害により、レーダーがノイズに埋もれて役立たずになっている事の方が気がかりだった。

 フォライト湖沼群の魔術妨害は、周囲数百キロを睥睨するAWACSや、エントランスの大型レーダーすらノイズの海に沈めるほどの出力を持つ。航空魔術工学アビオニクスにおいてはNATOに一歩遅れるWTOの、しかも第二世代ジェット戦闘機であるMig-21に搭載されたレーダーが立ち向かえるはずもない。

 この分では、オペレーター席のコンソールに機体の周囲を切り取って表示する遠見魔術も、ノイズだらけで使えたモノではないだろう。

 遠見魔術が正常ならば、ミニチュアサイズの機体がコンソール上に立体映像として表示され、操縦者ウィザード側からは死角となる部分の機体の損傷が、オペレーター側からは一目瞭然となる筈だった。単機で行動しなければならないレーヴァンにとっては命綱の一つとも言える。

 結局のところ、現状頼れるのは自分の五感だけ。何時もの事と言えばいつもの事ではあるが、面倒な事には変わりはない。レーダーと遠見魔術を封じられた結果、オペレーターとしての強みを根こそぎ失い、通信士並の仕事しか残っていないノルンよりは幾らかマシだと思う他無かった。

 電波や魔術を用いる索敵装置が軒並み目つぶしを喰らっている中、唯一通信だけは正常なのが救いだ。

 というのも機体に備えられている通信機は、音声を魔力波に変換して放出するのではなく、音声データそのものを受信側へ亜空間を介して跳躍させることで双方向通信を実現している。元々が天龍達が意思疎通に用いる精神感応テレパスを模倣した技術であり、人類が発展させた魔術とは根本的に系統が異なるのだ。

 もっとも、通信距離はともかく、精度については天龍達から酷評を喰らっている。亜空間内での魔力波の制御技術が追いついておらず、至近距離においては度々混線してしまうのだった。魔術妨害装置MCMの影響を極めて受けづらく、装置が無事ならよほどのことがない限り繋がる長所は魅力的ではあるものの、ちょっとした準備で傍受され放題という課題は未だに大きな壁となっている。

 魔力を用いた技術については、人類はまだまだ天龍達の後塵を拝していると言いきって良い。

 さて、現実逃避もこのぐらいにしてしまおうか。

 レーヴァンは脳に絡みつく甘い誘惑幻想を振り切り、千切れ雲の隙間に見つけてしまった禄でもない現実へ向き合う覚悟を不承不承に決めた。じわじわと大きくなり予感に内心で大きくため息を吐きながら、通信を開く。


「グラム2、残念ながらズメイ12は迷子になったわけじゃなさそうだ――地上に機体の破片が散乱している」


 レシーバーの向こうで息をのむ音が聞こえる。僅かに機体を傾け、視力を強化すると、眼下に散らばった無数の破片の姿をより鮮明に捉えることができた。

 点々と口を開けた浅い沼の一つに、クリップドデルタと後退翼の中間に当たる特徴的な翼の破片が、墓標のように突き刺さっている。周辺に散らばる外板やフラップ、尾翼の一部らしきものは見覚えのある制空迷彩が施され、何かに噛み千切られたかのようなシャークマウスの断片の姿もある。

 また、破片が集中している沼の中心に浮かぶ小さな島には、エンジンらしき円筒形の残骸が薄い黒煙を立ち上らせながら転がっている。その周囲では燃え尽きた草が歪な黒円を描きつつ、直径30mも無い島の縁に向かってじりじりと燃え広がっていた。

 決定打となったのは、焼け野原になりつつある島の傍らにプカリと浮かんだ垂直尾翼の残骸。面積的には半分ほどしか残っていないが、弾痕の穿たれた翼の表面には、見覚えのある竜のエンブレムが描かれていた。


「ズメイ隊の部隊章を確認。破片の状況から、空中分解によるものだろう。ズメイ12は撃墜されたとみるべきだ。座標は――」


 詳細な位置を知らせつつ更に周囲に視線を走らせるが、しぼんだパラシュートなどの形跡は見られない。

 脱出に失敗したか、それとも機体がバラバラになる前にミンチになっていたか。ともあれ、ヴァルチャーらしく碌な結末は迎えなかった、と言う事だろう。

 ズメイ12、シェマハ――自分よりも一つ年下で、まだまだ駆け出しではあるが非凡な才能を感じさせた青年は、この殺風景な沼地を墓標に決めたらしい。

 悲劇ではあるが、偶然ではない。死を金で売りさばくヴァルチャーにとって、自らの死は自身の能力不足による必然だ。【強者であるからどのような状況でも生き残る】、では無く【どのような状況でも生き残る者が強者】。そうして強くあり続けられる者のみが、このような阿漕な商売を続けていられるのだ。

 そして、直接戦場に身を晒しているわけではないノルンが、このヴァルチャーの論理を過不足なく了解していたことは、彼にとっては幸運に他ならなかった。


『レーヴァン、方位1-8-0、全速で離脱だ。南の空域に空中給油機タンカーを回させる。何が潜んでいるか分からん、今すぐ逃げろ』


 矢継ぎ早に出される撤退指示。南へ向かえば【エントランス】へ直行する航路から外れてしまうが、その針路上にはロージアン王国の町が存在しており、小規模ながら空港もある。本来、作戦行動中のヴァルチャーが地上の飛行場に降りることは無いが、状況は常に流動している。空中給油機の都合がつかなくても、何とかする気だろう。

 自分は彼女の指示に従い、一刻も早くこの空域を離脱する事だけを考えればよい。操縦桿に力を籠め、返答を口に出す。


了かウィル――」


 刹那、絶対零度にまで冷却された剣に脊髄を上から下へ貫かれる感覚に襲われる。喉が張り付き、視線がキャノピーのフレームに取り付けられたバックミラーへ流れていく。

 白と蒼で塗りたくられたミラーに、小さく映りこむ黒い点。ズメイ12の亡霊ではなさそうだ。

 その黒い点が極小の閃光に覆われると同時に、脳が恐怖を感じるよりも早く、彼の身体は生存への最短経路へ走り始めていた。

 ゴン、と機体が異音を立てるほど急激に操縦桿を倒し、ペダルを蹴飛ばす。同時にスロットルを全開へ。眼下に広がっていた枯草色の大地が一瞬で切り立つ崖に転じたかと思えば、至近距離を火箭の奔流が地上へ向かって降り注ぎ、一拍遅れて灰色の巨大な影が続いた。

 横倒しになったMig-21の背面側を貫いていったのは、1機の大型戦闘機。

 鋭く太い機首の後ろに据えられた単座型のキャノピー。何処か無骨な印象を持つF-4Eから、更に洗練され力強く巨大になったクリップドデルタ翼。空虚重量で12トンを超える機体を、純粋な推力のみで上昇させることすら可能な双発のターボファンエンジン。背の高い垂直双尾翼が左右共にほぼ同じ形状であることから、同シリーズ内ではメジャーなC型では無く、ある企業が製造した派生型のJ型のようだ。その僅かな特徴を残す垂直尾翼には、植物を咥える小鳥――吾亦紅ワレモコウに雀のエンブレムが描かれていた。

 これ等の条件に当てはまる機体を乗り回すウィザードは、レーヴァンの知る範囲では最悪なことに一人しか浮かんでこない。なるほど、ズメイ12が救援要請を出す間もなく爆散するわけだと、妙な部分で納得がいく。


「攻撃を受けた!敵は雀のエンブレムのF-15J、!」


 マスターアーム・スイッチをオン。ロールを続け背面飛行に入れた瞬間に、機首上げして降下開始。下方で機首を跳ね上げ、上昇へと転じてリアタックを試みるF-15Jとヘッドオン。

 速度性能でも索敵性能でも完全に負けている相手に、いきなり遁走に走るのは自殺行為に他ならない。分が悪いにもほどがあるが、立ち向かう以外に道は無かった。

 相手はかつて最強の名を欲しいままにした鋼鉄の荒鷲と、アーカリア最強と謳われる古兵。魚の寝床フィッシュベッドと青二才の雛鳥には荷が勝ちすぎる敵ではあるが、ベイルアウトにはまだ早いだろう。


「グラム1、エンゲージ」


 F-15Jの右翼の付け根とMig-21-93の下腹から伸びる火箭の束が、ほぼ同時に突き出された。


 ◆


「バ、カな……」


 レーヴァンからの信じがたい通信に、ノルンは思わず言葉を失い、目を見開く。視界に映るのは、ノイズによって役割の9割を失ったコンソールの画面。現状、自分と彼を繋ぐのは、通信機のか細い糸だけだ。

 反射的に「見間違いではないのか」と問いかけそうになった自分を内心で手短に罵倒する。

 最前線で目を見開いて敵を確認したのはレーヴァンであり、自分には彼が今いる空域を通信以外で確認する術はない。

 レーヴァンの通信を聞いていた周りのオペレーターや、ウィザード、グレイヴ・キーパーの間に衝撃が広がる中、グラム1の通信回線からは荒い息遣いと、相対する敵への呆れが含まれた独白が漏れていた。


『…っと! あれを避けるか?』


 そのボヤキからは、ハイラテラ山脈の峡谷で敵エースを引きずり回していた時の余裕が完全に失われている。とはいえ相手が黒雀ならば、無理もない。

 大国であるアーカリア合衆国空軍が契約するヴァルチャーの中でも、最強と目されるウィザード――黒雀。

 F-15の派生型の一つであるF-15Jを乗機とし、正規軍の第五世代ジェット戦闘機すら真正面から粉砕するほどの怪物。既にウィザードとしてはかなりの高齢の筈だが、その腕に衰えは見られない所か、年々鋭さが増していると言う。

 彼の者の参戦は、アーカリア合衆国がノヴォロミネ連邦に手を貸している証拠の一つとされている。率いてきた僚機は3機程度とのことだが、その僚機も余程腕に自信があるのか、単独行動が多いと聞く。今回もその例に漏れていなければ良いのだが。

 自分の両肩に冷たい手が乗ったような感覚を覚えながら、半ば祈るように空戦機動中のレーヴァンに問いかける。


「敵は黒雀だけか? 他の敵機は?」

『っぶな!?――いや、居ない。ヤツは単機で勝負をかけてきた。もし居たら、今頃死んでたな――救援は?』


 反射的に発されようとしていた台詞が、喉の奥で詰まる。それは黒雀が確認されてから――レーヴァンが【エントランス】へ来る前には既に設定されていた冷酷な交戦規定の一つ。ある意味で【エントランス】にとっては屈辱に等しい、黒雀に対する無条件降伏と表せる取り決めの変更は、未だ為されていない。

 仮にそのような規定が無くとも、周囲には即座に援軍に駆けつけられる機体などは居らず、態々強敵に挑みかかる酔狂な連中も存在しないのだが。そのような現実は慰めにもならなかった。


「……相手が黒雀なら、。許されているのは、退却のみだ」


 この台詞を自分が担当する飛行隊に向けて口に出すのは、これで二度目だ。もっとも、一度目は功名心に逸って暴走した連中だったこともあり、三行半を叩き付ける時の様な心境だったが、今は随分と違う。

 アクリルガラスの向こうで、人が溺死していくのを見せつけられているかのような最悪の感覚だ。しかも溺れているのは、最早赤の他人ではなくなったウィザード。不安に駆られる自分の背中を、柄でもない微笑と共に押した人物。

 胸の内から膨れ上がった無力感が「やはり貴様は魔女なのだ」と嗤いながら、大して頑丈でもない精神へカギ爪を突き立て引き裂こうとする。


『だろうな。まあいい、丁度面白くなってきたところだ。――君の支援もあまり当てにはできないか?コンソールはどうだ?』

「レーダーも、遠見もホワイトアウト。使い物にならない」

『了解、向こうも似たようなものだろう、こっちはこっちで何とかしておく。正真正銘の真っ向勝負だ、こんな機会はなかなか無い』


 絞り出すような声になる自分とは対照的に、レシーバーから響くレーヴァンの声に、つい先ほどまでは存在していなかった奇妙な朗らかさ意図的な余裕が混じり始めている事に気が付いた。

 連続した高G旋回の最中であるせいか、通信機の向こうから響く呼吸音は荒く、急激な機動によって声が途切れることもある。しかしその苦し気な声の中には、何処か強がりじみてはいるが、いつも通りの意図的な軽口が滲んでいた。

 追い詰められ、一杯一杯の状態で自身の能力全てを引き出せるはずもない。例え意図的なモノであろうとも、精神に適度な余裕を作り出すことは、そのまま生存確率に直結する。

 最悪の状況の中でも状況が許す最善手を引き寄せようと、彼が自分の能力を最大限に引き出し、性能の劣る機体を操り続けていることの証左だった。

 対して自分はどうだ。降って沸いた最悪の危機に、みすみす彼を置き去りにしようとしている。これでは、ただ伝えられた指示を唯々諾々と受け取り、レーヴァンを自分の目と手の届かない死地へ押し出したも同然ではないか。せめて、D43空域フォライト湖沼群を回避するルートを要求しておけばこんなことには――


『ノルン』


 自身の不甲斐なさと後悔で奥歯が軋む音が微かに響いた時、先ほどとは打って変わって、意図的な朗らかさを消した真剣な声音が耳朶を打った。


 

 黒雀の存在が伝えられた瞬間とは、全く違う意味で絶句する。同時に、出撃前に彼から告げられた言葉が脳裏を駆け抜け、奈落へ落ち込みつつあった精神を、自分自身オペレーターの戦場へと蹴り上げた。


「なにをやっている」


 小さく、言葉に出して自分を叱咤する。

 既に通信はレーヴァンの方から切られており、繋がっていない。それこそが、彼からの明確なメッセージだった。

 私の仕事は、彼の耳元で益体も無いことを喚きたて、碌でもない無力感に浸り続けることでは決してない。

 夥しいノイズを表示し続けるコンソールの画面から視線を外し、中二階に構えられた【エントランス】司令部を振り仰ぐ。レンズの向こうには、手摺に上体を預けた司令官ラルフの姿。

 長身痩躯のハゲワシの親玉も、自分たちのやり取りを聞いていたのか、色の薄いサングラスの向こうから自分を見下ろしているようだった。彼はヘッドセットから伸びるマイクを口元に近づけ――この距離では、会話をするには大声を張り上げねばならない――通信をノルンへ繋げる。


『増援は出せんぞ、グラム2』


 ヘッドセットのレシーバーから流れてきたのは、ラルフの堅く突き放すような声。取り付く島も無いとはこのことだったが、彼女はハナからそんな期待は持っていなかった。


「ラルフ――貴様のを寄越せ」


 階下から見上げる群青の瞳に射抜かれたラルフは、作戦の第二段階が始まる前に席を辞した”元祖魔女”の言葉を思い出しつつ、微かに口角を歪ませる。


――さて、レーヴァンは地獄から出禁を喰らうのか、見せてもらおうか

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