Mission-13 狩る者、狩られる者


 後方の重砲陣地と【エントランス】機が降らせる物騒な鉄の雨を先鋒に、ロージアン機甲部隊はリスタ河の戦場を北へとひた走っている。レーヴァンが戦場を横断していく間にも、無線機からは敵味方の通信が濁流のように流れ続けていた。


『こちらズメイ12。すみません隊長、先に帰投します!』

『おう、1機だからって迷子になるなよ!』


 最初の襲撃で主力戦車1両を屠ったズメイ隊の新人が、機体トラブルで戦線を離脱する。正規軍であるのなら撤退援護の護衛機がつくが、ヴァルチャーの世界ではそこまで余裕は甘くない。自分の身は自分で守るのが鉄則であり、撤退の判断も比較的早かった。


『クラーケン2、ケツに付かれてるぞ!上昇しろ!』

『クソッタレ!これだからフランカーは嫌いなんだよ!あと頼んだ!』

《ホーネット如きが調子に――ッ!?》


 彼方の北方では、制空任務のF/A-18Cが航跡を絡みつかせるようなシザーズから機首を跳ね上げて急上昇に移り、背後に迫った敵機を振り切ろうとする。クラーケン2に翻弄され気味ではあったが、機体性能にモノを言わせて追い詰めていたSu-27Sが好機とばかりに鋭い機動を見せた直後、背後へ忍び寄ったクラーケン4のミサイルに串刺しにされ火球へと変わった。

 しかし、クラーケン隊の面々が戦果を喜ぶ暇もなく、たった今僚機を撃墜されたSu-27Sの群れが、一瞬の隙を突いてホーネットへと襲い掛かり乱戦へと持ち込んでいく。F/A-18Cも高性能な第4世代ジェット戦闘機に属するが、流石にフランカー相手の近接格闘戦では勝ち目がない。

 だからと言ってなすすべもなく食いちぎられてしまうのかと言えば、その程度のヴァルチャーが此処まで生き残れるはずも無かった。

 ガレオン船に絡みつく蛸のエンブレムを描いたF/A-18Cは、単機でのドッグファイトを仕掛けてくる敵に対して巧みな相互支援を繰り返し、スズメバチらしい集団戦へと転じる。編隊自体は解かれているが、乱戦の中に有っても常に互いの位置を把握し、危険な状態に陥る前にすかさず横やりを入れ、あわよくばそのままミサイルを叩き付ける。

 敵のSu-27Sは、単独でのドッグファイトを繰り返していると錯覚したまま、その実は高度に連携した大蛸クラーケンの触手に1機、また1機と絡みつかれ叩き落とされていった。


『グーロ隊より地上部隊、いい子だから後3秒は突っ込むな!』

《敵戦車隊、速度落としました!》

《馬鹿が! ありったけ叩き込》


 迫りくるロージアン機甲部隊を手ぐすね引いて待ち受けていた対戦車陣地に、残り少なくなった航空爆弾が惜しげもなく叩き付けられる。上空を通過するA-7コルセアⅡからバラバラと空に巻かれたゴマ粒が、放物線を描いて地面へと消えた瞬間、地響きを引き連れて爆炎の長城が吹き上がった。


『うぉっ!? 敵陣地が丸ごと吹っ飛んだぞ!?』

『空爆万歳だ!』


 地雷、鉄条網、対戦車砲、対戦車ミサイル、主力戦車そして下士官兵。およそ突撃の障壁となりうるあらゆる物が瞬時に残骸へと変換され、空高く放り投げられる光景に歓声が爆発する。土砂と鉄と肉片で構成された雨が降り注ぐ中、間髪入れずに突入を促す指揮官の濁声が続いた。


『進め進め進め! もたもたすんなグズ共! ミンチになりたくなけりゃ走れ!』

『敵戦車が見えたらぶっ放せ! 敵兵が見えたらそのまま轢いちまえ!』

『こちら 6号車! 足をやられた、先に行け! 援護する!』

『そういえば、の連中は来てないのか?』

『知らねぇよ! 無駄口叩く暇があるなら弾込めてろ! ――って2時方向の塹壕に何か居るぞ!弾種榴弾!装填終わり次第ぶっ放せ!』


 苛烈な戦いによって被弾し離脱する【エントランス】機や、擱座し行動不能となる車両の数は1分毎に増えてはいくが、戦況自体は優勢とみてよいだろう。

 ロージアンの機甲部隊は敵味方の屍とスクラップを履帯で踏み越え、ノヴォロミネの強力な防御砲火を破砕しリスタ河の浮き戦場を進撃、北岸へと迫っている。全体的には左翼側――西方に展開した機甲部隊の進撃速度が速いらしく、その分敵の抵抗も苛烈になっているようだ。幾らかの友軍機も左翼の援護に回る動きを見せているが、恐らく最も早く到着するのは自分だろう。

 程なくして、川の中程にまで進出したロージアン軍の左翼を担う主力戦車の一群が視界へと入って来た。

 起伏によって生じた稜線には、それらを盾として利用し火焔の息吹を吐き出しながら地上を疾走する戦車の姿。その無骨な形状は先ほど支援したレオパルトとよく似ているが、何処か違和感を感じる。派生型、というわけでもなさそうだ。単に似ているだけの別物かもしれない。

 戦場の空を飛ぶ者としてはいささか呑気に過ぎる考えは、自分自身の手で思考の端に追いやる前に、通信機のレシーバーに響いた聞き成れない男の声によって押し流されていった。


『上空の味方機、聞こえるか? こちら901大隊3中隊、メスナー大尉だ。我々の正面に迫撃砲か何かがいるようだが、こちらからは死角になっていて確認できない。後続している装甲車に被害が出ている。支援を頼む』


 901大隊と言えば、ノルンが指示した左翼側の部隊に所属する戦車大隊の事で間違いない。そして、ある意味で珍しい部隊であることも彼女から聞かされていた。明確な判断材料が有るのであれば、確認しておくに越したことは無い。


「こちらグラム1。メスナー大尉、そちらはレオパルトでは無いな?確か――」


 ロージアン陸軍が本来装備していない、彼方の大陸から遥々運ばれてきた製品の名を思い出す前に、メスナー大尉は時間が惜しいとばかりに『そうだ』と肯定し話を続ける。


九〇式戦車Type-90を装備している部隊だ。貴官は今どこにいる?』

「大尉の真上に、迷子のミグが居るはずだ」


 驚くべきことに、レシーバーの向こうからはハッチ開ける音が微かに聞こえてくた。とっさに機体を傾ければ、起伏に身を隠した九〇式戦車の砲塔から空を見上げる人影が見える。

 敵と味方の弾丸が飛び交う中で、一応は安全な車内から身を乗り出すとは。このメスナーという戦車指揮官は、随分と肝が据わった人間らしい。

 ついでに第3中隊の後方へ一瞬目を向けてみれば、主力戦車の後方を進む歩兵を満載した歩兵戦闘車や装甲兵員輸送車の姿が有った。遮二無二進む機械化歩兵の周りでは、網を掛ける様に弾着の閃光が連続して瞬いている。

 命中率自体は其処まで高くないようだが、如何せん数が多いせいか損害が出ていた。被弾し、火炎を噴き上げて横転している車両は片手では収まらないだろう。支援を呼ぶのも無理はない。


『OK、確認した。はぐれ物同士、仲良くしようじゃないかグラム1。探ってほしい方位は』

『メスナー大尉、こちらグラム2、オペレーターだ。貴様らの頭を押さえている連中を確認した、自走迫撃砲だ。直ぐに片付けさせる』


 此方が現場指揮官と会話を交わして現状を把握している間に、ノルンはAWACSや他の機体が寄越した観測情報から、敵の姿を焙り出していた。いつも通り、否、いつも以上に仕事が早い。焦りさえ感じるほどに。

 対してメスナーの方は、機甲部隊指揮官らしい切り替えの早さで現状を把握しきっていた。『ほう、話が早くて助かるよ。武運を祈る』何処か期待を含ませた激励をグラム隊に投げた後、時間が惜しいとばかりに通信が切り上げられる。

 直後、眼下の戦車隊に後続していた装甲車両の群れが突入を一時中断し、起伏の陰で不規則な回避運動を始めた。今更陣地に戻るわけにはいかないが、棒立ちしていればいい的だ。しばらくはこれで時間を稼ぐつもりらしい。


『グラム1、方位3-5-5の丘へ迎え。その裏に獲物がいる。ズメイの連中にも応援は頼んだが、先に引っ掻き回しておけ』

了解ウィルコ、要するに突っ込んで蹴散らしてこいってわけだな」

『”突っ込む”のは余計だ、バカ。ロケットは鈍器じゃないんだ、無誘導兵器で一発必中なんぞ狙うな』


 呆れ混じりの罵声ツッコミを聞き流しながら、指示された方位に機首を向ける。

 スロットルを開いて増速し、壊滅しつつある北岸の水際陣地を飛び越え、更に内陸に並ぶ丘陵の群れへ。やや高度を取りながら草と低木に覆われた手前の丘を飛び越えれば、第3中隊を散々叩き伏せているらしいが姿を現した。

 丘に囲まれた窪地の様な場所に布陣しているのは、大柄な砲塔を背負ったBTR-80装甲車の様な姿を持つ戦闘車両――特徴からして、2S23 ノーナSVK自走迫撃砲だろう。陣地の周囲と丘の頂上付近の稜線には幾つかの牽引式の対空砲が展開しているが、レーダー照射警報は無い。厄介な地対空ミサイルSAMは配備されていないようだ。

 丘の上で瞬く対空砲から曳光弾の歓迎を受けながら、陣地上空をフライパスして大凡の陣容を把握する。恐らくは大隊規模。迫撃砲や燃料輸送車、弾薬集積所等のメインターゲットは数多く、窪地に身を潜める為か若干密集気味。獲物には当分困らない。

 針路を僅かに変え、対空砲が据えられた東端の丘の一つへ突入しつつ、タイミングを計ってロケットを発射。虚空を走り抜けた槍は標的から僅かに其れて至近弾となったものの、まき散らされた弾片が対空砲を傷つけ、吹き上がった爆炎が敵の視界を遮った。

 盛大に吹き上がった土煙を通り過ぎ右135度バンク、機首上げ。斜め下方半宙返りスライスバックによって加速すると共に一気に高度を落とす。

 朝焼けの空と太陽がコンソールの下へ潜り込んでいき、続いてなだらかな丘と辛うじて直撃を免れた対空砲がHUDへと飛び込んで来る。コンマ数秒トリガーを引き絞り23㎜機関砲を発射、鞭のようにしなる火箭の先で小爆発が大地を走り、対空砲へと直撃して止めを刺した。

 急降下を続ける機体の眼前に破壊された対空砲の残骸と大地が迫り、ショックコーンに接触する寸前で下方へと吹き飛んでいく。斜面上を滑走するかのような低空へと駈け下りたMig-21の後方には、機体下面で圧縮された大気が舞い上げる土煙が続いた。


《落ちてないだと!?》

《た、対空戦闘用意!》


 高度を急速に失う機動を低高度で行うのは自殺行為に等しい。

 そういった軍事的な常識を技量と度胸でねじ伏せれば、一種の奇襲となりうる。地上の木々を主翼の先端で切り裂きかねないほどの低空に舞い降りたレーヴァンのMig-21は、異常な機動によって混乱へと叩き落とされつつある敵陣地への襲撃に移行していった。


《ミサイルまだか!?》

《待ってください!シーカーの冷却が――》

《全砲打ち方止め、退避!》


 錯綜する敵の無線を聞きながら、ラダーペダルを踏んで僅かに機体を滑らせつつ、攻撃針路上に立ち塞がる最後の障壁へ向けて2発のロケットを発射。遷音速にまで加速した機体を導くかのように、薄い白煙を曳いた122㎜ロケット弾が襲撃針路上に陣取った2基の対空砲を真面に捉えた。

 横殴りに目標へ飛び込んだ弾頭が、その運動エネルギーだけで細長い連装の砲身を彼方へ弾き飛ばした直後、信管を作動させる。弾頭が破裂し無数の弾片を形成、さらに対空砲の残骸を巻き込んで扇状に撒き散らされた。

 大小の破片が榴弾砲の零距離射撃の如く叩き付けられ、対空砲弾を満載した牽引車両が瞬時にハチの巣になって横転し、対空砲を盾にするようにしていた兵員が、構えようとしていた携帯式防空ミサイルシステムMANPADSごと血煙と化して消え失せる。

 ささやかな防空網に穴をあけたMig-21は敵陣地に踊りこむと、メインターゲットへ向けて機体に吊り下げてきた火力のほぼ全てを解き放った。

 胴体下から伸びた23㎜機関砲の火箭が、履帯とタイヤによって踏み荒らされた草原を細かな爆発と共に走り、自走迫撃砲の車体で火花と共に地団太を踏む。ノーナSVK自走迫撃砲の原型であるBTR-80装甲車は、先代のBTR-70から進歩しているとはいえ、戦闘機の速度を上乗せされた23㎜砲弾を防ぐ能力など持ってはいない。無骨な車体は微かな抵抗すらも許されずミシン掛けを施され、黒煙と共に機能を失った。

 ロケットの至近弾を受けた自走迫撃砲が、左側面に吹き上がった爆炎に蹴飛ばされるように横転し、燃料と弾薬に誘爆。車軸からもぎ取られたタイヤが、一抱えもあるほどの装甲板の破片と共に回転しながら吹き飛んでいく。

 陣地を真一文字に切り裂いていく鉄火から、距離を取ろうとした燃料運搬車のタンクには、狙いすましたかのようにHEAT弾頭のロケットが突き刺さった。可燃性ガスで満たされたタンクに、高温のメタルジェットが吹き込んだ瞬間、円筒形のタンクが閃光に包まれる。瞬時に引火した燃料が物理的な破壊を伴う大音響とともに大輪の花を咲かせ、周囲の兵員と装甲車へ引火した燃料を振り撒き周囲数十mを火焔の坩堝へ飲み込んだ。

 機関砲とロケットの刃を振りぬいて敵陣地を一直線に薙いだレーヴァンは、出口で待ち構えていた対空砲の無力化を確認し、鋭く機首を跳ね上げる。スロットルを全開へ、アフターバーナー・オン。降下によって得た速度が一気に高度へと変換され、軽い機体は蒼く染まりつつある空へ向けて垂直上昇。辛うじて生き残った対空機関砲が曳光弾を射かけてくるが、赤い火焔を引いて蒼天に上るMig-21を捉えきれない。

 そしてレーヴァンに対する威嚇以上の意味を持たない対空戦闘は、丘の影を利用して忍び寄った増援部隊ズメイ隊の発見を致命的にまで遅らせてしまった。失策の代償として、高所に設置されたいくつかの対空砲が同時に爆撃を受けて吹き飛び、立ち上った黒煙を切り裂いてシャークマウスを描いたF-4Eの群れが殴りこんでくる。


『ズメイ5よりミグ野郎、獲物は未だ残ってるよな?』

『アシストはくれてやっから俺たちも混ぜろよ!』

『あいかわらず景気よくボッカスカやるねぇ』

『グラム2! アンタの旦那が独り占めしないように、今後もしっかり見張っといてくれよ!』

『グラム2よりグレイヴ・キーパー。ズメイ8のIFFを書き換えていいか?』

『ネガティブ。始末したけりゃ、貴様の旦那にでも頼むんだな』

『グラム1』

「やらないからな?」


 雑に茶化された相方の盛大な舌打ちを聞きながら、日光を主翼に反射させつつ旋回、再攻撃態勢。撃ち尽くしたロケット弾ポッドに、不可知領域に収められていた予備弾を再装填。在庫が掃けて軽くなっていた機体が再び重くなるが、許容範囲内。襲撃再開。


《また来るぞ!》

《増援は来ないのか? 防空隊は何をやってるんだ!?》

《皆殺しにされるぞ! 逃げろ! 逃げるんだ!》


 たった一航過で被るには甚大に過ぎる被害と、最高最悪のタイミングで投入された増援の姿を見て、陣地を放棄するノヴォロミネ兵の姿が出始めた。

 亡霊と鴉に追い立てられて恐慌状態に陥った生存者が、まだ使用可能なトラックや装甲車に群がり、我先にと取り付いていく。車内に入る者よりも車外の突起物に捕まるしかない者の方が圧倒的に多く、上空から見れば慌てて子供を集めるコモリグモのようにも見えた。

 とはいえ、その実体は苛烈な生存競争に他ならない。

 急加速により車体から振り落とされた兵士が、起き上がる間もなく後続した自走迫撃砲に踏みにじられて大地と混ざり合う。丘の上にいた観測班が坂を駆け下りながら大きく手を振ってその存在を誇示するが、救いの手の代わりに降り注いだ20㎜砲弾のシャワーを浴びて存在ごと洗い流される。負傷し、地を這う兵士達は当然のように捨て置かれ、目の前で炸裂する爆弾や炎上する物資の黒煙に飲み込まれていった。

 十分に動ける運の有る者のみが、生存する権利を得られる――最悪の戦場によって近代軍とタグ付けされた仮面をはぎ取られた後に残るのは、この星に生命が発生してから連綿と受け継がれてきた不変の摂理。


 そして――敗者となった者が捕食者を前に、成すすべなく狩りつくされてしまうのも、また同様に自然の理の一つだった。


 ズメイ6が遮二無二敗走する車列の鼻先へナパーム弾を一息に投下。ナパーム剤によって粘性を付加された燃料が拡散し、着火すると紅蓮の大輪が咲き乱れる。直撃を受けた数両のトラックを生贄に、地獄から湧き上がるかのような分厚い火焔の壁が彼らの行く手を遮った。

 直撃を受けなかった者達も、無事では済まない。

 文字通りのファイアウォールを前に急ハンドルを切ったトラックが地面に足を取られて派手に横転した直後、後続車が突っ込んで2台とも火焔の中へと叩き込まれる。腹を括り、あえて加速して突っ切った装甲車は車体の表面に炎上する油が付着して火達磨となり、壁自体は突破したものの、幾ばくも進まぬ内に崩れ落ちて爆発を引き起こした。辛うじて足を止めることが出来た車両や下士官兵も、急速に消費される酸素によって行動の自由を奪われ、寄ってたかって空爆の雨を降らす亡霊から逃げる術を完全に失う。

 そうしてズメイ隊がまとまった数の獲物を料理する一方、4台程度の少数でひっそりと退却するグループを率いていた先頭の自走迫撃砲が、何処からともなく飛来したロケットの直撃を受けて横転し爆発する。

 後続する3台のトラックに分乗していた下士官兵は、血走った眼で空を見上げ――南の空から追いすがるように接近する小柄な一つの機影に気が付き、恐慌状態に陥った。彼らにとっては今まさに味方の主力を食い散らかしているF-4Eよりも、こちらに向かってくるちっぽけな前線戦闘機こそ、絶望の象徴に違いない。


 たった1機で味方陣地に殴り込み、災厄の引き金を引いた存在――否。


 今まさに味方を焼き払う災厄を呼び寄せた存在――否。


 ソレ自体が、特大の災厄の形代に他ならない。


 トラックの荷台に乗り込んだ誰もが、接近する災厄レーヴァンに小銃を向け、恐怖心をマヒさせるために言語化不可能な蛮声を無意識下で上げながら引き金を引く。小銃による対空射撃は威嚇にもならないなどと言う常識は、恐怖に支配された彼等の中にもはや残っていない。

 子気味の良い発射音が3台のトラックに響き渡り、吐き出された空薬莢が金属質の音を立て、マズルフラッシュが引きつったノヴォロミネ兵の顔を照らす。

 しかし目前に迫った災厄は小動こゆるぎもすることなく、大きく開けられた口エアインテークの下で閃光を瞬かせた。



 数秒後、一足先にロケットを受けて炎上した装甲車の先に、血の泥濘を積載したトラックの残骸が残されることとなった。



 そこから10分も経たないうちに、彼らの周囲に動くモノは居なくなっていた。一応、今回の空爆要請リクエストの担当となったグラム2が、メスナーに任務完了の通信を入れる。


『グラム2よりメスナー大尉、迫撃砲は片付けたぞ』

『助かった、支援に感謝する!』

 

 敵陣地の残骸に残党が紛れていないかを確認したレーヴァンが上昇に移ると、ちょうどメスナー率いる九〇式戦車の部隊が北岸へと乗り上げたところだった。角ばった車体が対戦車陣地の残骸を踏みつぶし、主砲を乱射しながら内陸へと浸透して橋頭保を築こうとしている。

 彼が飛行する渡河点の西端から東の方を見てみれば、メスナーよりはやや遅れているが、ロージアン王立陸軍の機甲部隊が、北岸の水際陣地を順調に破砕し取り付こうとしている姿が見えた。時折、断末魔の悲鳴を上げている陣地から、対戦車砲の閃光や対戦車ミサイルの白煙が伸びることもあるが、即座に数倍の火力報復を叩きこまれて二の矢を放つ前に沈黙を余儀なくされている。

 このままいけば、橋頭保を確保するのも時間の問題だろう。後はヴァルチャーにとっての書き入れ時――追撃戦が幕を上げる。出来れば参加したい所ではあるが、そうもいかないのが現実だった。


『グラム1、残弾はどうだ?』

「ロケットはあと一斉射分、ミサイルは未だ使っていない。機銃は予備も含めて3分の1ってところか。――どうする?もう一当ては行けるだろうが」


 正直言って、微妙なラインだ。と、レーヴァンは内心で自答した。

 現状の戦力差を鑑みれば、仮に引き返して弾薬を補給したところで、戻ってくるころにどれだけ狙える獲物が残っているのか疑わしい。残弾で可能な限り暴れようにも、こんどはMig-21の足の短さがネックとなってしまう。

 翼を振って追撃に取り掛かるズメイ隊を見送りながら、給油機タンカーの所在を問いかけようとした時、やや躊躇いがちなノルンの言葉が耳朶を打った。


『被弾もしているし、無理にやることは無いと思うがな……』

「被弾?――当たっているようには思えなかったが」

『小銃弾を2,3発喰らっているぞ。気づかなかったのか?』


 むしろ、なぜこの場にいないノルンが気づいているのかと問い返したくなったが、呆れと一握りの怒りが含まれた声に口をつぐむ。

 小銃弾の被弾が考えられるのは、トラックに乗って逃走に移る敵を機銃掃射で追撃したあの時だろう。

 当たっても大したことは無いと、砲弾を節約するために突っ込んで距離を詰めたのが裏目に出たか。とはいえ、真面な測距儀も無いアサルトライフルの乱射に当たるとは――”虚仮の一念岩をも通す”と言っても出来すぎではないだろうか。


『貴様が気づかなくてどうする、機体に異常は?』

「出ているのなら気づいている。全系統以上なしオールグリーン

『ならばよし、とも言えんがな――グラム2よりグレイヴ・キーパー、弾薬の補給と機体整備の為にグラム1を一旦戻す、良いな?』

『こちらグレイヴ・キーパー、好きにしろ。だが、護衛は期待するな。帰投ルートはD43を使え。――ああ、それと天龍の目撃情報がある。解っているとは思うがよ』


 何とも珍しい名前が出てくるものだと、ヘルメットの下で片眉を上げる。

 天龍と言えば人類が航空機を発明するまで、空の王として君臨していた高等知性種族だ。限定的な気象操作すら可能な強大な魔力を、人類が未だに使用できない高度な魔術によって使役する、単純な戦闘能力では文句なしに最強と言える生命体。

 幸いにも、彼等は古くから人との間に相互不可侵及び互助を義務付ける条約を結び、人類社会からは一定の距離を取っていた。そのため、このような人類同士のエゴのぶつかり合いに等しい戦場に顔を見せることはまず無いはず。

 だと言うのに、こんな修羅場へ顔を出す輩は――さぞや、トンデモない楽天家オプチミストなのだろう。


『D43、フォライト経由か――了解ウィルコ。レーヴァン、方位2-4-0で離脱だ。隠れ蓑にはなるが面倒な空域だ、寄り道せずにとっとと帰ってこい』


 何処か不満げなノルンの指示に「了解」と返し、翼を立てて旋回。ノヴォロミネの屠殺場となりつつあるリスタ河を後にした。


 ◆


 レーヴァンのMig-21を示す光点が、リスタ河の主戦場から離れていく姿を見つつ、軽くため息を吐いて背もたれに体を預ける。

 作戦開始前までリスタ河の北岸に犇いていた敵勢力を示す光点は、今となってはそのほとんどが駆逐されており、残った光点は平原北部へ向けて退却を始めていた。代わりに、泥と氷で固めた大河を横断したロージアン陸軍は、正しく波のように北岸陣地へと乗り上げ、全域にわたって橋頭保を築き始めている。

 地上部隊も航空部隊も損害は決して軽くは無いが、敵の陣地を正面から突破すると言う作戦の困難さを考えれば、完勝と言えるだろう。

 そんな時、アームレストに置かれた自分の右手が小刻みに震えているのを見つける。

 もちろん、酒が切れているわけではない。一瞬周囲に視線を走らせるが、誰も彼もが自分の仕事に精一杯で、魔女と蔑まれる小娘の様子に気づくモノは居ないようだ。

 そっと左手を伸ばして右手を押さえつけようとするが、今気が付けば、その左手も震えている。僅かに顔をしかめて両手を組み、目の前のコンソールに押し付ける様にして震えを抑えた。


 大丈夫だ、上手くいっている。

 後は、奴が帰ってくるだけ。ロケットポッドのパイロン部へ小銃弾を受けてはいるが、突然ロケットが暴発するような損傷ではない。帰り道も、D43経由ならば天然のカムフラージュを利用できる。ノヴォロミネ側に付いたヴァルチャー集団――【メチニク】に腕利きは多いが、味方の救援が望めない敵地の危険地帯に侵入してまで、戦闘機狩りを行うヤツは流石に居ない。

 それに、レーヴァンが使う帰還ルートは先に撤退したズメイ12も使っている。異変を示す通信が入ってこない以上、問題なく使えていると見てよいだろう。

 大丈夫だ、大丈夫。死神とやらは、今回ばかりは鴉を捕まえ損ねる。


「…か……丈…だ」

『グラム2、何か言ったか?』


 しまったと、内心で舌を打つ。胸の内に巣くった不安を一つ一つ潰している内に、声が漏れてしまったようだ。

 グラム1の怪訝な声色に、軟弱な胸中を悟られないよう即座に平静を繕う。反射的に喉を通り抜けていったのは、「問題ない」という普段通りの堅い声。愛想の無い事には自覚が有るが、まさかこんな処で禄でもない特徴が生きるとは思わなかった。


『そうか。とにかく後は帰るだけだし、君がどう思おうと、なるようにしかならない。よろしく頼む』


 しかし通信機の向こうのレーヴァンからは、此方に気を使ったような返答が帰ってくる。自分の精神状態を見抜かれたのか、それとも何となく付け加えただけなのか。どちらであっても、なぜか妙なこそばゆさを覚えてしまうのには違いない。

 確かに、彼の言う通りではある。どれほど不安を抱えようとも、なるようにしかならない。出たとこ勝負で対応する他無いのだ。あれこれ考えたところで、自己正当化以外の何物でもない。


「了解。この先、レーダーは当てにならん。しっかり見張っておけ」


 コンソール上で組んでいた手をほどく。手先は酷く冷たくなってはいたが、少なくとも震えは収まっていた。


 ◆


 帰途についていたはずのズメイ12が、予定時刻を過ぎても【エントランス】の管制空域に入ってこないと言う連絡をもたらされたのは、レーヴァンが件のD43空域に足を踏み入れた直後の事だった。


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