Mission-11 剣のいたずら 魔王の押し出し

 ロック隊に遅れること数分、一群の戦闘爆撃機が山岳砲兵の屠殺場と化しつつある谷へと姿を現した。朝日によって広がりつつある青白い東の空を目指す彼らの先では、トーネードとヴァーディクターの猛爆撃に晒された敵陣地が、テヒーリヤ連山を焙るように黒煙の中で断末魔を上げている。


「おお、こいつはまた……派手にやったじゃないの」


 この作戦のとして投入された第31戦術爆撃飛行隊『ヘクトール』の1番機を操るヴァルチャーは、目前に広がる凄惨極まりない光景を前に言葉を零す。その口調には、意図的であろう何処か他人事の様な呑気さが滲んでいた。


『ヘクトール2よりヘクトール1、俺たちの獲物残ってますかね』

「そりゃあ残ってるとも。なんだかんだ言って、彼方あちらさんは2個旅団規模、2000人は下らんよ。ロック隊で何とかなるなら、今頃俺たちはリスタ河の方へ回されてるだろうさ」


「それならもう少し楽が出来たんだけどねぇ」とヘクトール1は何時ものように物臭な雰囲気を纏ったまま肩を竦める。だが、気だるげな態度は口調だけであり、バイザーの奥の瞳は、立ち上る黒煙の隙間とその周辺へと注がれていた。

 白銀の斜面に点々と塗りたくられた黒い爆発跡や、飛び散った金属片、うずくまって松明と化している残骸の数は決して少なくは無い。ロック隊の規模を考えれば、十分大戦果と呼べるほどの損害を相手に与えている。

 しかし黒いすだれの向こうには、逃げ惑う山岳騎兵砲を始めとする装甲車両の姿がまだまだ見え隠れしており、斜面の下側に陣取った敵に至っては目立った損害を与えられているようには見えない。

 如何にロック隊が超低空飛行を鼻歌気分でこなす対地攻撃の名手であるとはいえ、山岳騎兵砲だけでも50門を優に超える敵を、一息に殲滅する事は物理的に不可能だった。

 そもそも、ロック隊彼等の主目的は敵に対する直接攻撃ではない。

 露骨に言ってしまえば、ヘクトール隊自分達のお膳立て。とはいえ、どちらかがヘマをしたら、作戦全体の効果が弱まってしまう類の任務。よって今回の作戦に限っては、報酬も追加報酬も仲良く折半と言う事になっていた。


『グレイブ・キーパーよりヘクトール隊。ロック隊の攻撃により、敵大規模魔術基盤サーキットの効力は作戦可能レベルにまで低下している』

「オールバンドのEF-111Aおしゃべりガラス諸君が、目薬を差し忘れた可能性は有るかい?」

『こちらオールバンド・リーダー。少々過労気味だが、目薬なんざここ数年さしたことないね。ただ、魔術基盤捜索レーダーCSRは正常だ。後はオタクらが山をだけさ』


 先発隊であるワイルドウィーズルとほぼ同時期に戦場に突入し、無線の傍受や電子・魔術妨害を受け持っているオールバンド隊は、機体の下部に吊り下げた大型レーダーにより敵陣地が展開している魔術をリアルタイムで解析し続けていた。

 機体の仕様上自衛火器すら持たないが、作戦上での重要度はAWACSであるグレイブ・キーパーに匹敵する。そのため、コカトリス隊のミラージュ2000Dが彼ら専用の護衛として投入されていた。

 また、グレイブ・キーパーよりもより最前線に近い位置で活動している為、いつも通り超高空を航行するオーディエンス隊のF-14D/Rヴォイドキャットと共に、修羅場と化したシルヴァン・エリアの現況を最もよく理解している存在とも言えた。


『斜面下方の敵は山岳砲で対空射撃を行ってくるが、火器管制レーダーを潰したことにより脅威では無くなっている。せいぜいクラッカー程度に過ぎん』

「えらく物騒なクラッカーって事には変わりはないけどねぇ。了解だ、オールバンド。グレイブ・キーパー、配達地点は?」

『特に変更はない。予定通りロック隊が潰した陣地に沿うように順に配達しろ。何分、北方から敵の増援が接近中だ。制空隊が幾らか横槍を入れて足を止めるが、貴様らが離脱するまで持てばいい方だろう』

「つまり一撃で一切合切ケリをつけて来いってことね。りょーかいりょーかい」

『よく解っているようで何よりだ。薙ぎ払ってこい――聖剣抜刀、作戦開始』

了解ウィルコ――ヘクトール・リーダーより全機、聖剣抜刀。繰り返す、聖剣抜刀」


 予め決められていた作戦符丁を僚機に伝え、マスターアーム・スイッチをオン。両翼のパイロンにこれでもかと吊り下げられたの安全装置が外され、外見に変化は無いが抜身の剣となった。


「ロック隊の飛行ルートをトレースする。此処まで来たんだ、迷子になるなよ諸君」


 ヘクトール1の機体が大きくバンクし、滑るように旋回。先行したヴァーディクターと同じく、斜面の上部に張り付き東進する針路をとった。その高度は、文字通り地に張り付くほどの高度を取ったロック隊よりも高い。僚機も糸に繋がれたかのように、隊長機に追従する。

 一糸乱れぬ編隊飛行でテヒーリヤ連山を駆け抜けていくのは、暗いグレーで塗装された大型双発の戦闘爆撃機。

 非公式な愛称となっている動物よりも数段シャープな機首の後方には、今時珍しいモジュラー式脱出装置を備えた並列複座サイド・バイ・サイドのコクピット。実用機として初めて採用した可変翼には、長い筒を束ねた様な武装がパイロンを介してぶら下がっている。双発のTF-30-P-100が鋭角的なシルエットを持つ機体を推し進め、大気を震わせていた。

 F-111F――戦闘爆撃機と銘打って開発されたものの、対空戦闘能力に関しては失敗の烙印を押された経歴を持つ可変翼機。しかし、大柄な機体に裏打ちされた搭載量と、地形追随レーダーなどによってもたらされた低空侵攻性能は非常に高く、中には「攻撃機アタッカーとしてならば、F-15Eよりも優秀」と豪語するウィザードも存在するほどだった。

 ヘクトール隊もその例に漏れず、F-111Fを用いて数々の奇襲じみた爆撃を成功させている。


《次が来たぞ! 何両動ける!?》

《携帯SAMだ! ありったけ引っ張り出してこい!》

《こちら第……いや、集成防空隊! 戦闘に復帰する!》

《チーグル隊より地上部隊、作戦空域に到達した》

『スキュラ3がやられたぞ! ――ってファルクラムじゃねぇか!?』

『真打登場ッてか? 上等!』

《ビゾーン・リーダーより全機、制空隊は適当にあしらえ。目標は敵爆撃機だ、突撃давай突撃давай突撃давайィッ!》

『野郎――Mig-31フォックスハウンドが混じってるぞ注意しろ!』

『誰か闘牛が得意な奴いるか?』

『敵のケツに火をつけりゃ赤い布の代わりにゃなるぜ! FOX2!』


 敵の増援が到来し、敵砲兵陣地がロック隊の襲撃から立ち直りつつあることも手伝って無線が先ほど以上に騒がしくなってくる。

 ヘクトール隊にとっては、速度性能に優れる大型迎撃戦闘機であるMig-31フォックスハウンドも、小回りの利く前線戦闘機であるMig-29ファルクラムも同程度に危険な相手だ。とっとと仕事を終え、アフターバーナー焚いてのが上策。

 ディスプレイ上にはオールバンド隊や先行したロック隊の観測により若干の修正を加えられた配達地点が、南側斜面の上方を東西方向へ延びる帯状に輝いている。少々の誤差は目視で何とかするとして、その範囲は想定よりも若干広く、長い。誤配達をする余裕は無いと見ていいだろう。


「各機、ギャラリーが少々騒々しいが編隊を整えろ。攻撃用意!」


了解ウィルコ』の返事が続き、ヘクトール隊の所属機が複数の斜め単横雁行陣を形成し始める。しかしロック隊に蹂躙されたとはいえ、敵の陣地も指をくわえて見ているわけではない。


撃てОгонь!》


 手つかずの斜面下部に布陣する山岳騎兵砲の群れが、周囲の白銀を衝撃波で打ち据えて咆え猛り、152㎜砲弾の馬防柵をもってヘクトール隊の行く手を遮った。一抱えほどもある砲弾が虚空で炸裂し、無数の弾片をツチブタアードバーグの群れへと投げつける。

 火器管制レーダーの脱落により、その精度は奇跡が起きたとしても命中の望めない程度にまで下がってしまっているが。前方で炸裂する黒煙の華や、モノクロの爆煙と共に粉砕される斜面に突っ込んでいくのは、並大抵ではない努力を要した。


《アイツら、また上の陣地へ向かっていくぞ!》

《徹底的に潰そうってのか!?》

《撃て! 撃ち続けろ! 味方を守れ!》

《砲兵舐めんなツチブタ共!》


 悲鳴のように打ち上げられる砲弾の破片が時折F-111Fアードバーグの機体を叩き、膨れ上がる衝撃波がキャノピーを打ち据え身震いさせた。断続的な曳光弾の火箭が、命中する寸前で後方に過っていったのは一度や二度ではない。

 続いて、携帯式SAMに狙われたらしい後方の機が、複数まとまって一斉に派手なフレアをまき散らす。機体から吐き出された熱と魔力を発する光球に、斜面から突き上げられた数本の白条が引き寄せられ、山肌を爆砕。着弾地点から細かな岩や氷が転び出て、雪崩とは行かないまでも雪煙を伴って斜面を下っていった。

 しかしノヴォロミネ砲兵の必死の防戦も、ヘクトール隊の歩みが止めることは出来なかった。ツチブタの群れは、遂に目標とする最初のポイントへと到達する。


「標的確認、針路固定。よーし、全機攻撃開始!」


 合図とともに、ヘクトール1と後続するヘクトール隊のF-111Fの配達が始まる。複数の雁行陣を取った戦闘爆撃機が、ある一定のパターンに従って投下する事で、帯状の範囲に対して、翼の下に抱えてきた長い筒聖剣が均一に散布されていった。

 パイロンから投下された筒は後部からパラシュートを開いて急減速。重力に従って先端が地上へ向けられた瞬間、用済みとなった後部を切り離して搭載していたロケットモーターに点火した。

 帯状に投下された筒が、目の覚めるような蒼が広がりつつある空に向けて噴射炎を噴き上げながら、白銀の斜面へと急降下。900㎞/hを超える速度で、雪煙と共に次々と突き刺さっていく。


《なんだ?不発か?》

《馬鹿逃げろ!連中正気じゃない!》

《防護魔術の出力を上げろ!効果範囲を再設定!》

《駄目です!斜面上部の起点が――》


 勘の良いノヴォロミネ砲兵はヘクトール隊が何を、どんな意図で投下したのかを正確に察知し、陣地に張り巡らせていた魔術の強度を上昇させる。しかし【エントランス】のF-111Fは、既に彼らの魔術では押し留められないだけの聖剣を振り撒き終えていた。

 再装填を繰り返しバラまき続けていた最後の1本が、予定された帯状目標の東端へ閃光を残して潜り込む。これまでリスタ河の王国軍陣地を散々打ち据えてきた山蜘蛛を、文字通りする準備は整った。


『ラスト1発、着弾確認!』

「行くぞ!」

『吹き飛びなぁ!』


 ヘクトール2の咆哮を聞きながら、ヘクトール1は隊長機にのみ組み込まれた起爆プログラムをスタートさせる。火器管制システムの起爆信号が魔力波に乗り、雪面を貫通し山肌に潜り込んだ無数の筒へと到達した。

 途端に、ノヴォロミネ山岳砲兵が布陣した斜面の上方で、分厚い雪の層によるものか、幾分くぐもった響きをともなう小爆発がバラバラと連続する。至近弾の炸裂を受けた運の悪いMLACがひっくり返り、人の破片や鉄の残骸が混じる事もあるが、爆発の範囲に対して直接の被害は決して多く無い。

 しかし逆円錐形に真っ白な雪が控えめに噴き上げられる光景が、何を引き起こそうとしているのか。俄かに騒がしくなった斜面を絶句しながら見上げる砲兵達は、爆発以外の振動を肌身で感じることで強制的に理解させられた。


《に、逃げ――》


 雪国を故郷とする彼らにとっては馴染み深く――出来れば一生関わり合いたくない白い魔王が、あろうことか目と鼻の先で身震いと共に立ち上がろうとしている。爆砕と共に彼方此方で膨れ上がった雪煙が一塊となり、次の瞬間には意志を持った津波のように。地響きの鬨の声を上げ、斜面を駆け下り始めた。

 ノヴォロミネ兵たちは生存本能に従い延ばされる魔王雪崩の手から逃れようとするが、使えるのは平地でも足の遅いMLACと自分の足だけ。魔力を用いた物理障壁を構築しようにも、この状況では、戦艦の様な大規模魔力炉心メガリス・リアクターでも無ければ意味がない。

 表層崩壊により時速200㎞近くにまで加速した雪崩が、生にしがみつこうとする者達を文字通りなぎ倒した。

 砲撃時に車体を固定する駐鋤ちゅうじょを出したままもがく山岳砲が、失禁して固まる軍曹が、背を向けて走る一等兵が、投石の威力を減衰させる程度の出力しか持たない魔力障壁を張る中尉が、尻もちをつき狂ったように笑う大佐が、平等に地響きを伴う数千トンの雪に押し潰される。

 1分と経たない内に、誘爆の閃光や砕かれた肉体から吹き出る血潮といった、彼らがこの世に存在した最後の証すらも、純白の流れが飲み込み漂白していった。

 冬季迷彩を施された鋼の蜘蛛と人の群れが雪煙に消えた後。やや遅れて到達した全層崩壊の雪崩が、土砂交じりの雪と共に第1山岳砲兵師団が存在していた陣地を死者生者の区別なく埋葬する。白き連峰は戦場の痕跡を当事者ごと完全に拭い去り、リスタ河と同じく巨大な集団墓地としての側面を付け加えることとなった。


 ◆


『グレイブ・キーパーよりエントランス・コントロール、作戦第一段階は成功した。ノヴォロミネ山岳砲兵陣地は完全に壊滅したとみられる。少なくとも、渡河作戦中は行動不能』

「ラルフだ。第一段作戦に参加した機は順次帰投。制空隊も適当に切り上げて戻ってこい。王立陸軍司令部シーウェル大将に、作戦成功の連絡を入れろ。第二段作戦開始」

了解ウィルコ。リスタ河南岸陣地に作戦成功の報告、及び第二段作戦を開始』


 【エントランス】の巨大な作戦司令室の彼方此方で歓喜と安堵が溢れる中、荒くれ者のヴァルチャーを従えるラルフは、司令としての鉄仮面を被ったまま次なる戦闘の口火を切る。

 ややあって、正面の大型モニター上では【エントランス】機を示す翼の群れが、待機空域から北上を開始していった。その進路上には、渡河点に展開するロージアン軍地上部隊を示す青いアイコン。陸軍司令部では、対岸のノヴォロミネ陣地への攻撃準備砲撃を何時切り上げ戦車隊を突っ込ませるか、タイミングを計っている事だろう。

 第一段階が上手くいったとはいえ、肝心の本番は此処から。河を超えられなければ、態々手を尽くして山蜘蛛を潰した甲斐がない。

 今後の展開を思案しつつ色の薄いサングラスを押し上げた直後、普段ならばこの場所では聴かない声が、ラルフの耳朶を打った。


「ったく。滑走路破壊爆弾ランウェイ・バスターにあんな仕事をさせるとは、物騒な火遊びを教えた記憶はない筈だけどねぇ?」


 背中に掛けられた自然と背筋を正したくなる類の威厳のある声に、「”使えるモノは紙飛行機でも使え”と仰ったのは、貴方だ――」とラルフにしては随分丁寧な声色と共に振り返る。

 実質的な司令室と化している中二階の中央に位置する、より詳細な情報を天板に表示する巨大な指揮卓。司令部要員がせわしなく行き来する卓の端に、ロックグラスを片手に頬杖を付く老女が居た。

 暗い色の上下に、臙脂色のローブを羽織っている。顔に刻まれた皺は深く、鷲鼻や白銀に染まった頭髪、口の端に浮かんだ嘲笑のように見える微笑が相まって、御伽噺に登場する悪い魔女の最大公約数的な雰囲気。ガーネットの様な赤黒い瞳は、若干の呆れを湛え、メインモニターの逆光の中に浮かぶ【エントランス】司令ラルフへと向けられていた。

 

「トーネードでSAMを潰して、ヴァーディクターで露払いをしつつ敵の斜面保護魔術の起点、それも斜面上側の連中を破壊。雪面を押さえつけるモノが居なくなった場所へ、デュランダルをブち込んじまえば雪崩も起きる。アンタが考えたのかい?」


 ある英雄譚で謳われた聖剣の名を持つ特殊航空爆弾――デュランダル。アーカリア合衆国ではBLU-107として採用されたことを皮切りに、世界中で使用されている爆弾だ。

 特筆すべきはロケットモーターで滑走路地中に貫入したのち、主弾頭の炸裂によって開けられた孔に小型の副弾頭が突入し、時間を置いてもう一度炸裂する独自の二段式弾頭。この弾頭によって深さ5m、直径16mの爆発孔が開けられると共に周囲十数mの地盤を浮き上がらせ、修復を困難にさせた。

 本来、この特性は滑走路を破壊するために付与されたものだが、ラルフをはじめとする【エントランス】司令部は、という性質を意図的に悪用した。

 雪や地面の滑りを抑える斜面防護魔術の効果が及ばない――それも、昨日に大雪が追加された――斜面で、大量のデュランダルを同時起爆し山肌の表面を爆砕したらどうなるか。結果は、オーディエンス隊のヴォイドキャットが捉えた、リアルタイム映像の通りだ。


「大筋は。細かい部分は皆が詰めたがね、何か不満でも?」

「不満も何も、あれじゃあ掘り起こすのに一苦労じゃないか。せっかくの商売のネタだってのに」


 商談ついでに司令部へ乗り込んで来た老女が不満げに口角を歪め、「【商会】にもうちょっと気を使ってくれてもいいんじゃないかい?」と視線を細くする。

 ノヴォロミネのMLACは、生まれ故郷である東側内でもまだまだ情報が出回っていない新型だ。どちらかと言えばNATOとのつながりが深い【商会】にとっては、同重量の金塊にも等しい価値を持っている。


「爆撃して木っ端みじんに吹き飛ばすよりは原型は保ってると思うがね。それはともかく、もうノヴォロミネ側の同業者への根回しは済んでいるのか?」

「そりゃもちろん。廃品回収も業務の一つさ、まあ産廃処理も兼ねてるが」

「相変わらず手の速いことだ――産廃とラベルの張られたが、どれだけ出ることやら」

「金さえ払えばアンタにも卸してやるが、どうするね?」

「砲兵なんざ要らんよ。好きに売り飛ばせばいい」


 吸い終わった細巻を傍らの灰皿に突っ込み、新しいモノに火をつける。対する老女は「だろうね」と気にした風も無くロックグラスの中身を飲み干し立ち上がった。外見年齢からしても随分と若々しく機敏な動作であり、背筋は全く曲がっていない。


「さて、私はそろそろ行くとするよ。何かあったら、看板娘ミネルヴァに宜しく。――そう言えば最近、新しい玩具オモチャを見つけたようだけど。名前は何だったかな?」


 ドわすれをした様な口調ではあるが、その眼の中には試すような輝きがある。その視線は、色の薄いサングラスの奥に潜む翡翠へと集中されているようだ。

 対するラルフは、付き合いの長い老女の意図を正確に汲み取ることが出来る男だった。


「レーヴァン。グラム1の事か?」


 ラルフの素っ気なさすら感じさせる回答に「ああ!そうそう、鴉殿。鴉殿だ」と何処かわざとらしく指を鳴らし言葉を続ける。


「ウチラでも中々噂になっていてねぇ、何でも相方に”魔女殿”を選んだとか。豪胆と言うか、怖いもの知らずと言うか、ラルフ坊やはどう思う?」


 山のモノとも海のモノとも解らぬ商品を手に取り、めつすがめつする卸問屋の様な問いかけ。実際この老女にとって、件のヴァルチャーは興味の対象なのだろう。【エントランス】を牛耳る司令は、ある言葉に若干不機嫌になりつつも律儀に口を開いた。


「さてな――腕が悪けりゃ落ちる、ただそれだけの理屈だろう」


 かつては操縦桿を握って殺し合いを続け、今でも地獄に最も近い場所でヴァルチャーを引き連れ飛び続ける彼が辿り着いた、シンプルな答え。ノルンが担当してきた16組のパイロットを、ためらいも無く”腕が悪い”とバッサリ切り捨てる思考回路。

 彼も、ある意味ではレーヴァンと同類であることを示していた。


「少なくとも、私はレーヴァンが使える、と踏んでリスタ河に送った――貴女も知っての通り、ここは最前線だ。恨み言を吐くのも、噂を流すのも信じるのも恐れるのも勝手だが、失策の代償は己の命だ。最終的には、戦場の論理に適応できない奴から死んでいく。之も貴女の言葉だったか?」


「さて、どうだったかね」老女が唇を歪ませて肩を竦めた。ラルフが続けて「貴女自身はどう思う?」とさらに質問を投げかけると、既に用意されていたらしい答えが広げられた。


「男女が混ざったヴァルチャーは遠からず悲劇を招く――私とラルフ坊やのように、ペアの凄腕である場合を除いてね」


 老女が絶えず浮かべていた嘲笑に似た微笑が、一瞬だけ、凍てつく様な側面を垣間見せた。

 それは言い伝えと言うよりも、経験則から来る統計に近い。

 軋轢や恨みつらみで醸成された戦場場所に、平和な時代ですら争いが絶えない因子を混ぜてやればどうなるか、歴史と噂が証明している。そしてそれらの経験則を『例外』に出来る因子も、これまでの実例が証明していた。

 結局のところ、彼らが存在する世界の根底に存在するのは――強者であればあるほど常識を踏みにじる権利を持つ、『力』の倫理に他ならなかった。

 頭に思い浮かんだ予想におおよそ合致する答えに頷きながらも、ラルフは遂に我慢が出来ないと、ある意味では昔から頭の上がらない老女を睨みつける。


「いい加減、”ラルフ坊や”は止めろ――貴女がオペレーターから商人になった時に、”坊や”は外せと言ったはずだが、これで何度目だ? 」

「おっと、これは失礼。どうにも近頃忘れっぽくていけないね。そろそろミネルヴァに席を譲ってやらんといかんかな?」


「向こう10年は居座る気満々の、どの口が言うんだ?」ラルフがゴキブリをダース単位で踏みつけたかのような不快さを滲ませれば、「この口さね」と踏みつけた彼の足を更に自分の足で踏みにじるように老女が嗤って見せる。

 現在、【エントランス】内で単に”魔女”と言えば、2回目の出撃時に相方を全滅させる件のオペレーターの事を差すが。元はと言えば自分が操縦桿を握っていた時代に、人使いの荒いオペレーターへの、せめてもの抵抗として使いだした言葉だ。

 もっとも、当の本人は何をどう解釈したのか「誉め言葉」として受け取っていたようだが。

 目の前の元祖魔女といい、現魔女ノルンといい、守銭奴看板娘ミネルヴァといい、【エントランス】にはどうしてこうも癖のある女しか集まらないのだ。と、何度目か分からない愚痴同然の疑問が頭をもたげる。引き出しに潜ませた常備薬はまだ残っていただろうか。

 ラルフの胃痛など露知らず――むしろ、確信した上で楽しんでいるようですらあるが――老女は「年を取ると話が長くなっていけないねぇ」などと、欠片も思っていない事を呟きながらヒラヒラと手を振って歩き始めた。


「じゃあ、アンタとアンタのお仲間の武運と金運を勝手ながら祈っておくよ。鴉殿にも【商会】大番頭テリーザ・メルクリウスが宜しく言っていたと伝えておくれ。我々の計画に、もしかすると必要になるかもしれないからねぇ。――

「ヴァルチャー個人に便宜を図るつもりは無いが?」


 老女――テリーザ・メルクリウスの背中に声をかけると、老魔女は肩越しにラルフを振り返り「誰が守れと言ったんだい?」と笑って見せた。


「私が欲しいのは、蝶よ花よと愛でられる王子様じゃなくて、叩き落とされても地獄から蹴り出されるような悪運の有る奴さ――その鼻が鈍ってないことを祈るよ知恵の狼ラルフ


 ◆


 遠雷の様な重砲の遠吠えと、着弾によって湧き上がる大地の悲鳴が、早朝の冷涼な大気を引き裂き、響き渡っている。時折混ざる金属質の甲高い轟音は、【エントランス】機による空爆だろうか。

 対岸の奥の方では、残り僅かになったノヴォロミネ砲兵陣地が散々に叩かれ、混乱が膨れ上がっていることだろう。敵の自由な行動を阻害する制圧射撃が終われば、弾着を最前線に集中させて突撃支援射撃へと移り変わる筈だった。

 ロージアン王立陸軍戦車第2師団、第901独立戦車大隊第3中隊を率いるエレン・メスナー大尉は、指揮下に置いた14両の90式戦車と共に、外界の様子を車長用パノラマ式潜望鏡ペリスコープで垣間見ながら作戦開始の時期を待ち続けていた。

 待機場所は、リスタ河の南岸に連なる低い丘。その南側の斜面に、点々と間隔をあけて掘られた穴にダグインし、カモフラージュネットをかぶせて車体を隠している。騒がしい戦場音楽の他には、獲物を前に喉を鳴らす獣の様なアイドリング音が、車体を静かに震わせていた。

 現在進行形で対砲迫射撃に追われているノヴォロミネの重砲が、態々見つけづらい自分達へ砲撃を加え、その結果直撃を貰う可能性は限りなく低いと考えてよい。少なくとも、作戦が開始され身を起こすまでは安全だ。

 いや、これでは予測では無く単なる願望だな。とヘルメットの下でメスナーは苦笑いを作った。幾ら穴を掘って縮こまっているとはいえ、戦場において安全地帯など存在しない。長距離ミサイルや航空機の発展で、銃後の概念が拭い去られて何年経ったを思っているのだ。

 地面に敷設されている有線通信網に接続された通信機が呼び出しを告げる。短い雑音の後に続くのは、自分たちの中隊を纏める大隊長殿のお言葉。どうやら、馬鹿な考えを転がす贅沢もここまでらしい。


『大隊司令部より各中隊長に達する。予定通り0845より、各中隊は敵北岸陣地に対し攻撃を開始。中隊長車の指示の下、突撃渡河せよ。復唱の要無し、諸君の武運を祈る』


 司令部からの命令に「了解」と返し、中隊各車両へと通信を繋げる。スイッチを切り替える際に腕時計を確認。時刻は午前8時39分、攻撃開始まで残り6分少々。攻撃の手順は事前に伝達してあるが、再度伝えるに越したことは無い。


「3中隊長車より全車、攻撃開始時刻は予定通り。行動開始と共に偽装解除、丘から頭を出し、事前に取り決めていた敵対戦車陣地へ一度のみ発砲。其の後は、中隊長の指示に従う事。復唱の要無し」


 各小隊長車から短い返事が返り、暫し戦場の喧騒が車内に溢れる。

 こういう時、時間というモノは随分と歩みが重くなる。腕に巻いた時計の上で、細い秒針が躊躇いながら1秒を刻んでいくのが妙にじれったい。いっその事、一思いに20秒ばかり進んでくれないかとすら思えてくるほどだ。

 しかし、それは単なる錯覚にすぎない。

 卒業祝いに手に入れたややクラシカルなアナログ時計は、司令部の時計と完全に歩調を合わせ午前8時45分を指示した。


「擬装解除!行動開始!」


 メスナーの指示と同時に14両の鉄牛が咆哮し、黒々とした排気煙と共に10m近い巨体を揺さぶり身を起こす。カモフラージュネットの固縛が弾け飛び、有線通信用のケーブルが外れ、朝日の中に角ばったシルエットを浮かびあがらせた。

 1500馬力のターボチャージド・ディーゼルが猛り、50tを超える重量級の車体を地面に開けられた穴から押し上げる。履帯が泥を踏みつぶし、短い斜面を登った90式戦車は、更に前方に開けられていた溝へと車体を滑り込ませた。

 此方の溝は、先ほど身を隠していた穴よりも浅く作られている。ちょうど、90式戦車の砲塔が、丘の稜線から飛び出すようにあらかじめ調整されていた。生まれ故郷の地形を考慮して搭載された油気圧懸架装置が低い唸り声と共に駆動し、車体後部を持ち上げ、僅かに足りない主砲の俯角を増加させる。射界確保、目標――敵対戦車陣地を捕捉。


「照準良し!」

「撃て!」


 中隊長車の砲手を務めるリプセット曹長が引き金を引く。薬室で焼尽薬莢が燃焼を始め、膨れ上がったガスが120㎜口径の砲弾を押し出し、強烈な反動を残して滑腔砲の滑らかな砲身を駆け抜けていった。

 最も強固な砲塔前面のみを敵陣へ晒す為に、稜線へハルダウンした14両の90式戦車が身震いし、44口径120㎜滑腔砲から黒煙に縁どられた火焔の吐息を吐き出す。

 長大な砲身の先で10を超える紅蓮の華が次々に膨れ上がり、発砲の閃光が重厚な主力戦車の表面を撫で、砲口から漏れ出た衝撃波が青々とした草を引き千切った。

 数㎞の距離を3秒と掛けずに飛翔した14発の120㎜対戦車多目的榴弾HEAT-MPが、偵察により割り出されていた対戦車陣地へ突入して間髪入れずに炸裂する。

 隠匿されていた対戦車ミサイル車両が弾片を真面に浴びて爆発炎上し、内部をメタルジェットで焼き払われたトーチカが黒煙を噴き出して沈黙。BS-3 100㎜野砲の長大な砲身が目の覚めるような火炎と共に宙を舞った。

 そこに、射撃目標を最前線の陣地へ変換したロージアン砲兵の効力射が降り注ぐ。赤黒い逆円錐がそこかしこで吹き上がり、焼け焦げた鉄や有機物の欠片を盛大に空へとバラまき始めた。

 だが、泥と氷の大地と化したリスタ河の北岸陣地付近では、遮蔽物の影に隠れつつある影が無数に蠢いている。ノヴォロミネの機甲部隊の生き残りだ。あれらをどうにかしない限り、ロージアンはリスタ河を超えられない。


 ――だからこそ、我々が居る要る


 隊内無線を繋げ、戦車乗りにとっては誉とも表せる命令を口にする。


「目標、リスタ河北岸陣地――第3中隊前へ」


 もっとも、特に騎士道精神にあふれるわけではないメスナーにとっては、運が悪ければ片道になる地獄発、地獄行の往復切符に等しかったが。


「全車両突撃にぃ、移れェっ!」


 配下の鉄牛が彼の精一杯の皮肉を笑い飛ばすように1500馬力の鬨の声を上げる。敵の防御射撃によって泡立ち始めた丘を乗り越え、14両の90式戦車が泥を跳ね飛ばして斜面を駆け下り始めた。

 彼等だけではない。

 之まで幾度となくノヴォロミネが跳ね返されてきた南岸の陣地から、湧き出る様に無数の主力戦車レオパルト2A4が進出し、紅蓮の閃光を迸らせながら、血と氷と泥が凝固したリスタ河へと乗り入れていった。

 祖国を踏み荒らす不届きモノを叩き出すべく、突撃を始めた重騎兵の上を、耳障りな轟音が掠め飛んでいく。

 急速に西へと追いやられていく群青の中、朝日を翼に反射させた無数の軽騎兵の群れ。

 【エントランス】に所属するヴァルチャー達は、地を這う鉄牛を後目に鉄の豪雨の中に放り込まれた敵陣へとカギ爪を突き立てた。


「グラム1、エンゲージ」

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