Mission-08 単純


 緩やかなジャズと、それを半ば押し潰すDP-18Tの六重奏セクステットが響いていた機内に、コクピットからの放送を知らせるくぐもったチャイムが付け加えられた。


『こちらは機長です。まもなく当機は【エントランス】に到着いたします。しかし、エントランス・タワーから、作戦機第一陣の発艦が完了するまで空中待機するようにとの指示がありました。これによる遅延は、1時間少々と見込んでおります。お嬢様に置かれましては今しばらくお待ちいただくよう、お願い申し上げます』

「おやおや、なんてこった」

「緊急着陸を要請しますか?」


 傍に控えるクラシカルな給餌服に身を包んだ女性に「かまわんさ」と口角を歪め、上等なシートに身を預けたミネルヴァは手元のワイングラスを傾ける。

 彼女が陣取る操縦室の後方に設けられたギャレーには、本来70名ほどが登場可能なスペースがあった。しかし、エコノミークラス同然だったシートはファーストクラス仕様に改装されており、広々とした室内には20名程度の座席があるだけになっている。

 それもそのはずで、ミネルヴァはこの機体を自分の専用機として扱っている。積み荷はともかく、人については彼女が望む相手しか乗る機会は無い。だからこそ、性能も装備も内装も、完全に趣味に合わせて作り替えられていた。


「無理やり乗り付けたところで、荷解きは間に合わんよ。もともと倉庫の肥やしになっていた機体だ。回送飛行フェリー・フライトで運ぶにしても、向こうで組んでたらこの時間には間に合わなかった。どうやっても無理な計算なのさ。しかし――」


「駄目だろうとは思っていたけど、こうして目の前に付き付けられると、中々申し訳なさの様なものがこみあげてくるね」言葉とは全く逆の表情を浮かべながら、大きく空いた窓の外へと視線を向ける。

 早朝、というよりもまだまだ深夜と言った時間帯ではあるが、満月のお陰で外を見ることに苦労は無い。

 手の届きそうなほど近くを、大型の制空戦闘機がピタリと寄り添って飛行していた。滑らかな機体は濃紺を基調とし、両翼の端部についてはトーンを落とした赤と黄で片方ずつ塗装されている。鶴のように長く伸びた機首には、”002”の機体番号がマーキングされていた。

 護衛を務めるSu-30M2の優美なシルエットが、果てしない雲海を背景に銀光の中を整然と航行する姿は文句のつけようもない程に美しい。やはり、戦闘機と言うのはでなければ。

 対照的に、遠くの方では不格好極まりない黒い蛾の様なシルエットが、鈍い輝きを放つ雲の大海の上に浮かんでいた。何分比較対象が悪すぎるきらいがあるが、自分の美的守備範囲から逸脱している事実は変わらない。

 巨大な蛾の胴体に当たる部分では無数の光誘導灯が折り重なった分厚い翼の間から見え隠れし、頭部の方からは翼端灯の微かな粒が1つ、2つと月夜に吸い込まれている。


「シューラ」

「どうぞ」


 長い付き合いになっている従者から通信機を受け取りチャンネルを確認。こちらの意図を過不足なく汲み取っているようで、既に護衛隊の周波数に合わせられていた。


「こちらミネルヴァ。アウル2、聞こえるかな?」

『アウル2です。曲芸飛行でもご所望でしょうか?』

「ダブルクルビットは昼間にお願いする事にするよ。そんなことより、今【エントランス】から何が発艦しているか分かるかい?」


「少々お待ちを」アウル2の落ち着いた声。後席に収まったヘルメットが身じろぎをするかのように動き、ややあって回答が届く。列挙される機体の名は、ぼんやりと予想していた名簿リストと概ね合致していた。


「オーライ、ありがとう。仕事に戻ってくれたまえ」

了解ウィルコ


 役目を終えた通信機をシューラに返し、ついでに空になったワイングラスも手渡す。「下がっていいよ」と一声かけ、月光の海を見ながら頬杖を付き思考をゆるりと巡らせる。

 アウル2が報告してきた機体は、いずれも低空侵入が可能な対地攻撃に向いた連中だった。彼らを第一陣として先発させていると言う事は、ラルフはやはり山蜘蛛を先に黙らせるつもりか。そして第一陣が山岳砲兵陣地を引っ掻き回して無力化させたのち、制空戦闘機とCAS機を含んだ第二陣を王立陸軍と呼応させリスタ河陣地へ突っ込ませる。第一陣が曲芸飛行を強いられる点を除けば、実に無難で堅実な作戦だろう。

 さて、となるとを受け取る筈だった彼は、第二陣に組み込まれるか。

 Mig-21は基本的に迎撃戦闘機の部類に入るが、度重なる改良が施された結果、Mig-21-93に至ってはマルチロール機としての側面が現れだしている。装備しだいだが、近接航空支援Close Air Supportであっても、十分使い物になるだろう。

 【エントランス】での留守を任せた奴には「ノルンに買いたたかれるな」とは言いつけてあるが、はてさて何を積んでいくのやら。――どのみち、激戦区に突っ込むことには変わりはないだろうけどね。


「損はさせてくれるなよ?烏殿」


 酷薄な笑みを浮かべたミネルヴァは、濃紺に暗い黄と赤のラインを描き加えたAn-225に揺られ、【エントランス】後方の待機空域へと侵入していった。



 出撃準備が進められている【エントランス】D4格納庫の一角に、不機嫌そうな娘の声が響いた。


「ったく、ラルフは何を考えてるんだ?」

「何をも何も、ブリーフィングで言っていたじゃないか。だって」


「その結論に至った思考が理解できんのだ」トーイングカーのボンネットに腰かけたノルンが、胸中の不満を文字通り吐き捨てる。彼にとって付き合いは決して長くないが、それでも彼女が不機嫌の極みに有ることは一目瞭然だった。

 こういう時は、あまり刺激しない方が良いのかね。などとレーヴァンはのんびり考えながら、格納庫で出番を待つ愛機の周りを回り、目視で最終チェックを済ませていく。

 以前の戦いから5日と経っていないが、【エントランス】の整備員と魔術工廠は中々優秀なようだ。新品同然とまでは流石にいかないが、機体の調子は良好の一言だった。


空中目標エアターゲットの方が報奨金が高い。新参者があまりドカスカ稼ぎすぎるのも考え物だろう。それに、Mig-21コイツが積めるミサイルの在庫が残り少なかったから、近接航空支援CASに回されるのは悪くない」

Mig-21フィッシュベッドは迎撃戦闘機だったはずだが?」

「対地ロケットをぶら提げれば、襲撃機シュトゥルモヴィークの真似事も出来ないわけじゃないさ」


 レーヴァンのMig-21-93の主翼には短距離対空ミサイルの他に、S-13ロケット弾を収めた5連装B-13L1ロケット弾ポッドが吊り下げられていた。両翼合わせて10発が即時使用可能で、パイロン内に刻まれた不可知領域魔術によって幾度かの再装填が可能となっている。

 不可知領域内に持ち込める弾薬の総数は、領域の維持につぎ込む魔力量に依存した。

 その際の消費魔力は格納する物体の質量と体積の増大に伴って爆発的に増大し、それと同時に、主翼やエンジンに張り巡らされた飛行に不可欠な魔術基盤サーキットのリソースをも奪った。

 端的に言えば、欲張って持っていこうとすれば、その分だけ飛行性能が落ち、最悪の場合では真面に飛ぶことすら出来なくなってしまう事を意味する。

 この魔術が実用化された極初期には、魔力を収めたタンクを不可知領域に収めて維持可能容量を増やす試みもあった。領域の維持に膨大な魔力が必要ならば、維持用の魔力を別に積んでいけばいいと言う、安易ではあるが一見有効そうな理屈である。

 しかし現実は、そう上手くいかない。

 その試みを始めた直後、領域内の純粋な魔術資源は時間経過とともに異界へ拡散し目減りする現象が発見されてしまったのだ。技術者たちは何とかこの現象を抑えようと努力はしたものの、結局満足の行く改善案も生まれず、一連の計画は失敗の二文字を前に膝を付くことになってしまった。

 そして今日に至るまで、このトレードオフはウィザードたちの頭を悩ませ続けている。


「そもそもだ、東側対空ミサイルの在庫管理が甘すぎる。ファルクラムも結局間に合わなかったしな。ミネルヴァアイツには一度灸を据えてやるべきかもしれん」

「東側ミサイルの流通ルートを確保するのは、M2を受領してからの話だったはずだ。反攻作戦が前倒しにならなければ、機体ともども間に合っていただろう。あまり虐めてやるな」

「おい、妙に奴の肩を持つじゃないか」

「少なくとも、スジは通っているからな」


 尾翼の下を潜って一周を終えれば、渋い顔でこちらを見つめるノルンと目が合う。そこで初めて、怒りでは無く焦燥が彼女の群青に浮かんでいる事を知った。

 ノルン自身はそれを自覚しているのかいないのか。レーヴァンは自分でもよくわからない感情に流され、苦笑を零してしまう。


「何が可笑しい?」

「なんだかんだ、心配はしてくれているんだな」

「んなっ!? ――あ、ああ、いや。まあ、それは……それなりに」


 彼女にしては珍しい素っ頓狂な声を上げたかと思えば、歯切れの悪い言葉で表層を取り繕いながらフイとそっぽを向いてしまう。

 普段は泰然と振る舞ってはいるが、今のように不意を突かれると、途端に子供っぽいと言うか、可愛らしいと言うべきか、判断に困る印象が表になった。精神の核心をさらけ出さないように生きてきたからなのか、図星を突かれることに慣れていないようだった。

 本来の彼女は、もう少し内向的な人間なのかもしれない。

 とはいえ、先ほどの反応を恥じてか若干頬を染めながら咳ばらいをした後には、いつもの近寄りがたいオペレーターの仮面が張り付いている。ノルンが長年鍛え上げた自己防衛システムは、再起動にそれ程の時間を必要としなかった。


「貴様ほどのパイロットですら17組目になってしまえば、いよいよ私は店を畳むことを考えねばならん。下に降りたところで伝手つてらしい伝手は無いからな――むしろ、トロイアの店でバイトをする方が現実的かもしれん」

「今のスーツは似合ってるんだ、バーテンダーの衣装でも問題ないだろう。いっその事ミネルヴァの厄介になるのはどうだ?」

「ヤツの下で働く位なら、一から起業して真正面から潰してやるさ」


 冗談めかして言ってはいるが、いざとなれば本当にやりかねないのがノルンと言う娘だった。それどころか、ヴァルチャー相手に一歩も引かず航空機や弾薬を――もちろん、NATO西側の製品限定で――売りさばく様が容易に想像できてしまう。

 苦笑いを浮かべそうになった時、愛機が押し込められた格納庫に注意を促すブザーが流れ、壁面で黄色回転灯の光が踊り出した。何処かのんびりとした空気が流れていた格納庫が俄かに騒がしくなり、整備員やパイロットが慌ただしく駆けずり回り始める。

 ややあって一際大きな警告音が響いた。

 Mig-21の対面に駐機していたズメイ隊のF-4Eが、機首に接続された小型のトーイングトラクターによって格納庫中央の縦貫通路へと引き出される。ファントムがけん引されてゆく通路の先では、赤色回転灯と共に、誘導路へと続く巨大な対爆ドアが重々しく開き始めていた。

 目の前を横切っていくF-4Eのキャノピーには、此方を冷やかすように手を振るパイロットの姿。レーヴァンは、軽く手を上げて答えてやる。

 あの戦いから数日、彼は翼を並べたズメイ隊の連中とそれなりに交流があった。

 もっとも、ほぼ全員から「稼ぎすぎだ」と呆れ混じりの苦言ツッコミを頂いたが、ヴァルチャーにとっては手放しの賞賛に等しい。

 辺りを見渡せば、他のズメイ隊の面々も続々と機体に乗り込み、滑走路へと進出する順番を待ち始めている。気づかぬうちに、出撃までもう間もなくと言った頃合いになっていた。

 自分の発進は彼らの直ぐ後、あまりノンビリとはしていられない。

 機首に横付けされた移動梯子ラダーを駆け上がり、くすんだミントグリーンで塗装されたコクピットの狭苦しいシートに収まってヘルメットを被る。発進準備は既に整ってはいるが、念のため再度確認を始めようとした時だった。


「レーヴァン」


 直ぐ近くで投げかけられた声に手を止め、顔を向ける。すぐそこには、横に移動させたラダーに足をかけているのか、コクピットの縁からこちらを覗き込んでいるノルンの顔。思ったよりもずっと近くで、レンズの奥の群青が自分を見据えていた。


「私も監視はしておくが、対地攻撃にかまけて空への注意を怠るなよ。航空優勢は確保できる見込みだが、それでも制空隊をやり過ごして突っ込んでくる連中もいる。低空で被られそうになったら、味方を見捨ててでも退避しろ。いいな?」

「あいにく、王国も王国陸軍も命を懸けるに値する存在じゃない。例え落ちたところで、君に保険金が入るわけでも、遺族年金が出るわけでもない。自分の命の値段ぐらいは理解しているつもりだ」


 茶化すような声色だが、本心からそう考えている事に違いは無かった。

 元来、ヴァルチャーとはそう言う存在モノだ。彼らの忠誠心は国家では無く、報酬の額面とそれを正当に分配する者共に帰属する。ある意味で、この世界において最も命の値段を理解している人種であるとも言えた。

 無論、ノルンもその事実については了解している。しかし、彼女の注意喚起は更に続いた。


地対空ミサイルSAM陣地は勿論、低空では高射機関砲や携帯型SAMでも脅威になる。ロケットは十分積んでいるのだから出し惜しみはするな。友軍地上部隊からの空爆要請リクエストは出来る限り受けろと言う話だが、逆に対空兵器を見つけたら、その場所を教えて仕事をくれてやれ。120㎜戦車砲なら少々掩体に隠れていても無力化できる。それから――」

「ノルン」


 呟くように発された3文字の言葉が、ブリーフィングの内容を繰り返すノルンの喉を詰まらせた。レンズの奥で揺れるダークブルーの中には、コクピットに収まる自分の姿。

 この青二才に空を飛ぶことの何たるかを叩きこんだ男のように、不安を解きほぐすように柔らかく笑えていると良いのだが――彼女の目を見る限り、その技術に関しては、彼の者の技を盗むことは今だに出来ていないらしい。

 しかし、紛い物でハリボテ同然の不格好な笑みしか作れなくとも、言葉は別だ。本心を言葉に出すことは、らしくない演技を続けるよりもよほど楽だった。


「――君が単なる疫病神か、その名の通り運命の女神なのかを判断するのは僕だ、と。そう言ったはずだ」


 最早騒音に飲み込まれつつある格納庫の中で、ゆっくりと、彼女と自分自身に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。ノルンは何かに耐える様に唇を真一文字に引き結んだ。


「君は君の務めを果たせ、僕は僕で……まあ納得の行くようにやる。リスタ河で僕に何か面倒が起こっても、その責任は全て僕のモノだ」

「だが――」


 納得がいかないと言いたげに口を開いた彼女だったが、「残念ながら」と揶揄からかう様な口調に変わったウィザードの声にさえぎられる。ヘルメットの下には張り付けた様な微笑では無く、悪戯いたずらを成功させた悪童を思わせる、朗らかな表情が浮かんでいた。


「つい先日、微妙な顔をする君と強引に契約を結んだのは、他でもない僕だ。それすら無視して責任を感じると言うのは、生真面目を通り越して少々傲慢じゃないか?」

「ッ!? ――お前な! 私がどんな」


 面食らったノルンは反射的に声を荒げるが、レーヴァンに「、僕には関係ない」と朗らかな顔のまま反論ごと叩き切られ、今度こそ絶句して目を見開いた。

 自分勝手とも表現できる本音に衝撃を受けている娘へ、畳みかける様に青年は言葉を続ける。


「関心があるのは、君が何時ものように判断を下せるかどうか、ただそれだけだ。あいにく僕は、出来ないと思う奴に背中を預ける趣味は無い。疫病神の看板はそろそろ飽きただろ――やって見せろよ、運命の女神ノルン


 笑みを消したウィザードの視線に当てられたノルンは、内から膨れ上がった何かを吐き出そうとして、寸前でその感情言葉を飲み込んだ。

 彼が17組目に成るかもしれないという自らのトラウマを、単なるだと評した彼に瞬時に湧き上がった感情が、外殻を砕かれながら胸の奥へと落ちていく。

 ”怒り”と言う浅ましい自己防衛の殻が包んでいたのは、”疑問から生じる不信”と呼ぶべきものだった。


 なぜ、コイツはジンクスを恐れないんだ?


 なぜ、グラム1は一人で背負い込もうとするんだ?


 なぜ、彼は其処まで自分の腕に自信を持てるんだ?


 なぜ。なぜ。なぜ。


 レーヴァンは――


「何故……貴様を信じていない私を、そこまで信頼する事が出来るんだ?」


 無意識のうちに絞り出された問い。

 恐らく、自分の中で最も大きな疑問として彼に対する不信を作り続けてきた元凶。心の奥底で粘着いていた意外なほどに醜悪な感情シロモノに、思わず顔をそむけたくなったノルンへ投げ返されたのは「なんだ、そんな事か」という、あまりに軽い青年の一言だった。

 彼の目から逃れる様に手元へと落ちていた視線が、反射的にコクピットへと引き戻される。その先では、疑問や不信とは対極の位置に立つヴァルチャーが、不敵な微笑と共に自分を見上げていた。


「ハイラテラでの支援やミネルヴァとの交渉で、君は得難いオペレーターだと確信した。手放す気が毛頭ない相方を信頼できないほど、人間不信には陥っていない」


 あっけらかんとしたレーヴァンの言葉に、胸の奥に仕えていた”疑問から生じる不信”が、すとんと、腹を超えて下界にまで落ちていったような気がした。同時に、先ほどまで頭や胸の奥をぐるぐる回っていた思考が、急に馬鹿馬鹿しく思えてくる。

 つまるところ、彼は胡乱うろんなジンクスなどより、自分の目と耳と勘、そして技能のみを徹底的に信奉する人間なのだ。

 自分の能力の届く範囲で判断し、行動し、抗った末に姿を現した変えようの無い事実を、自らの行動の結果として程度は如何あれ納得して受け入れる。一種の運命論者と言えるかもしれない。

 そんな男にとって、自分の運命が私の様な部外者によって左右されうると言う考えは、考えるに値しないほど馬鹿らしいことなのだろう。まさしく、”知ったことか、自分には関係ない”というわけだ。

 ああ、なるほど。要するに――


「貴様、案外単純だな」


 溜息と共に紡がれた言葉が、彼女の口元をフワリと緩ませる。険しさがすっかり抜け落ちたノルンの顔は、無意識の微笑も相まって呆れているようにも、もしくは救われたかのようにも見えた。


「それはどうも。単純シンプルと言うのは長所だ、なにしろ滅多に故障しない」


 半分以上本気で言っているレーヴァンに、ノルンから苦笑が漏れる。

 そして出撃直前だというのに、随分と呑気な会話をしているものだと考えてしまい、最終的には小さく笑い出してしまった。そう言えば、こんなふうに笑ったのはいつ以来だったかと、本格的に呑気な思考が頭の片隅を掠めていく。

 ひとしきり笑い、やれやれと息を吐いた。

 胸中では、これから死地に行く男に内面をほぐされてどうすると、ヴァルチャーとしての自分が呆れかえったような声を上げていた。これで、不思議と悪い気が全くしないのだから、余計に性質が悪い。


「――ったく、貴様と言うやつは。いいだろう、やるだけやってやる。これだけ大口叩いたんだ、落ちたら許さんぞ」

「もし落ちたら、君の言う事を何でも一つ聞くよ。好きにリクエストしてくれ」

「大きく出たな」

「ハナから守る気は無いからな」

「調子に乗るな」


 苦笑いしたノルンに、ゴンと頭をはたかれる。ヘルメットを貫通した軽い衝撃と共に、平手に込められた動作とは真逆の想いが確かに伝わった。

 ここで無線のコール音。エントランス・グラウンドから格納庫から出る様にとの指示が飛んで来た。周囲には、もうほとんど機体が残っていない。自動化されたトーイングカーが回転灯を回しながら機首へと潜り込もうとしていた。

 ノルンも一つ決心するように頷き、笑みを消してレーヴァンへ向き直る。

 ダークブルーの瞳は、もう揺れてはいない。


「くどいようだが、もう一度言っておく。格納庫ココに返ってくるまで油断はするなよ? ――幸運をグッドラック、レーヴァン」

了解ウィルコ――君もな、ノルン」


 ラダーを機体から離すと直ぐに、レーヴァンを乗せたMig-21-93が動き出した。

 低い天井で輝くライトを鈍く反射する、明灰色の制空迷彩。円筒形の胴体から飛び出したショックコーンを兼ねるレドーム。鋭い刃の様な主翼と、その下にぶら下げられた兵装。コクピット後方からうねるように続くドーサルスパイン。後方に口を開けたR-25-300エンジンのノズル。ピンと立てられた垂直尾翼には、剣を咥えて翼を広げる赤い鴉のエンブレム。

 およそ、人が空で戦う為に必要な最低限度の装備を搔き集め、飛行機と言う形に流し込んだかのような機体。しかし、改めてその姿をじっくり眺めると、野暮ったい無骨さの中に、どういう訳か機能美らしきものが見え始める。なるほど、単純と言うのはそれだけで利点美点なのだ。先ほどの冗談に妙な実感を覚えた。

 縦貫通路に出たコクピットに収まるレーヴァンが、左舷側に見えるノルンに向けてラフに敬礼。彼女が殆ど反射的に右手を上げた時には、既に前へ向き直っている。微かな音を残してキャノピーが閉じられた。


「――死ぬなよ、レーヴァン」


 空を掻いた右手を降ろせば、”幸運をグッドラック”の代わりに言いたかった本音言葉が零れ出る。人知れず紡がれた彼女の祈りは、開け放たれた格納庫扉の向こうから響くDP-18Tの轟音にかき消されていった。



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