Mission-06 虚空の雄猫

 淡い金の光が滲み始めた空に、ぽつりぽつりと白い花が咲いていく。西日を浴びながら寒空に放り出された無数の白花は、天をなぞる3本の飛行機雲を彩るように列をなし、次第に風に優しくほぐされてゆく。

 黄昏時を迎えようとする山地の空に花の種を蒔くのは、やや幅の広いトライアングル編隊を組んだ大型の輸送機。

 T字型の尾翼に高翼配置の主翼。分厚い翼にぶら下がった4発のD-30KPターボファンエンジンが、高層の大気を喰らいながら、天龍ドラゴン・ロードのような飛行機雲の帯を吐き出して大柄な機体を支えている。太い胴体の先端に、ガラス張りとなった航法士席があるせいか、正面から見れば口を開けて笑っているようにも見えた。

 東側の機体を愛用する者たちにとっては馴染みの深い4発大型輸送機、Il-76。

 彼らが世界中の空を世話しなく行き来する姿は、数十年前と何も変わっていない。  

 今日に至っても東側ユーザーの航空路を支える古兵――西日を浴びながら黙々と仕事を続ける3機のIl-76の垂直尾翼には、ノヴォロミネ連邦空軍を示すエンブレムが描かれていた。


「次、投下――」


 開け放たれた後部のランプドアに陣取ったロードマスターが、離れていく白花の姿を確認しつつ機内に向けて手振りで合図を送る。間髪入れず、貨物室に詰め込まれた花の種パレットのブレーキが解かれた。

 1トンを優に超える補給物資を満載したパレットは、貨物室に刻まれたレールを滑るように移動し、瞬く間に空中へと放り投げられる。同時に、パレットに取り付けられていた白い大輪の花バルーンが魔術的な加護を施されたガスを注入されて膨らみ、風に吹かれながらゆっくりと降下を始めた。

 眼下に並ぶのはハイラテラ山脈の末席に位置する連峰、テヒーリヤ連山。

 標高は2000m程度ではあるものの、ハイラテラ山脈を相似縮小したかのような、急峻な山々が連なっている。このまま風に任せていれば、投下された物資は彼方此方に飛散し、岩壁に叩き付けられ、好き勝手に斜面を転げ落ちてしまう事だろう。

 しかし現代の各国空軍は、大量の物資をこのような過酷な環境へ正確に、且つ安全に降ろす術を会得していた。

 西日を受けながら高空の風に揺られるパレット。何処か所在なさげに降下していくはずだった白い花を、突如大きな影が覆った。刹那、巨大なナニカが大気を裂く轟音を残して過ぎ去り、魔力によって編まれた突風の残滓がバルーンごと補給物資を揺らす。

 補給品を木の葉のように揺らした影の主は、翼開長18mに達する大型の飛竜ワイバーンだった。その背には、戦闘機のコクピットを抉り取り移植したかのような、操竜員席が据え付けられている。

 ノヴォロミネ連邦のエンブレムが描かれた翼を一振りした飛竜は、頑強な翼膜に風を一杯にはらませ旋回し再接近。速度と針路を調節しつつ、パレットから垂れ下がった頑丈なテザーを追い抜きざまに脚で掴むと、悠々と曳航を始めた。

 周囲を見渡せば、同様の光景がそこかしこで繰り返されている。眼下の山々から湧き出る様に現れた数十頭の飛竜が、気ままに流されようとしていく補給物資の首根っこを掴み、隊列を組みつつ目的地へと引きずり始めていた。

 この手の作業――竜挺補給ドラボーン・サプライと呼称される空中投下形式は、特に目新しいものではない。

 そもそも飛竜にとって空中で獲物を捕らえる技術は、遺伝子レベルで刻まれた本能から生じる習性であり。また垂直離着陸が可能な程の飛翔能力を持つ彼らが、重量物を吊り下げての長距離飛行を苦手としている事は、この世界において常識だった。

 飛竜よりも大きな航続距離と輸送力を持つ飛行機械が出現すると同時に、空中で荷物を受け渡す方法を思いつき、実行に移した人間が多かったのも当然と言えるだろう。

 この技術――と仰々しく呼ぶにはもはや普遍的に過ぎたが――によって、輸送機が着陸できない地形であっても、訓練された飛竜と操竜員ドラゴンライダーが居れば、物資を散逸することなく特定の地点へ降ろすことが可能だった。

 NATOにおいてもWTOにおいても、輸送ヘリコプターの開発と量産が停滞気味なのは、空飛ぶ小荷駄隊である彼らが、まだまだ現役であることが大きいかもしれない。

 バルーンの浮力でゆっくりと降下を続ける荷物を曳航した竜たちは、仕事を続けるために、事前に知らされていた座標へと首を巡らせる。目指す先は、リスタ川の地獄を見下ろす天空の要塞。山の影に潜む”蜘蛛”の餌を届けるべく、竜たちは魔力を通した翼を打ち付け、空を駆ける。

 そんな天翔ける引き摺る輜重しちょう段列を、虚空から見つめる目が在った。

 山の尾根に点々と配置された、対空陣地の射程圏外。生半可な飛翔物体を拒む超空の世界虚空から、列をなした竜を見下ろす物見の猫。頭上に広がる空に溶け込むような、暗い塗装を施された鋼鉄の翼は、静かに彼らの動向を伺っていた。

 隊伍を組んだ竜たちは用心に用心を重ね、鋭敏な感覚器を持って相互に警戒の網を張り巡らせてはいたものの、遥か彼方から自分たちが監視されている事に気づくモノはいない。

 この空が彼らの王国では無くなってから、余りに時間が経ちすぎていた。



「OK。先行機の報告通り、補給品サプライは座標シルヴァンへ向かっていく。連中はまだ動いていない」


 後席に陣取る相棒の事務的な報告を耳にしながら、高度6万フィートの青黒い空と地表を覆う大気のコントラストを眺めていたウィザードは、「了解」と興味なさげな声を返す。

 素っ気ないと言うには少々機械的な返答ではあったが、後席のフライトオフィサにとっては日常の一角であり、受け取った言葉の以上の意味は持たなかった。反射行動に近い機長の言葉を半ば無視しつつ、淡々と任務をこなしていく。

 むしろ喜色満面と言った反応が返って来たとしたら、即座に操縦系を切り替えてPAN-PAN準緊急事態を宣言しなければならないだろう。機長が狂った、と。

 その間にも、機体本体に搭載された強力なレーダーと、胴体下に吊り下げられた偵察ポッドが収集した情報の洪水が、目の前の巨大なディスプレイを流れていった。

 遥か彼方を、ある一定の地点へと向けて移動していく魔力反応の群れ。

 焦点となっている場所は、キャノピーから望む地平線と混ざり合いかねないほど遠方の出来事だ。単なる高倍率スコープでは、大気の層や山々が邪魔をして碌な情報を得られないだろう。

 しかし遠見の魔術を先祖に持つ戦術航空偵察ポッドシステムTARPSと、地上に満ちる背景魔力と対象物が発する魔力のコントラストを感知する空間魔力探知機の目は、虚空に揺られる彼らが望む光景を映し出し続けていた。

 補給品を携えた飛竜の隊列は、【シルヴァン】とラベリングされた或る山の斜面で渦を巻き始める。この地点へ物資を降ろす為、重力に引かれて物資が着地するまで、旋回しながら待機しているのだろう。

 【シルヴァン】は激戦地となっているリスタ河の味方陣地から見れば、手前にそびえる尾根によって影に、つまり死角となる位置だ。砲撃をしようにも、味方陣地に配備されている野戦砲では、場所が解ったところで手前の山脈を少々削ることしかできない。

 危険物を満載したパレットを受け渡すには、絶好の安全地帯と言うわけだった。

 モニターを操作し、【シルヴァン】の地表面を注視するレーダーの感度を切り替える。途端に、これまで無視されていたノイズが煩わしい程に浮かび上がるが、機体に搭載されたゴーレム・コアによって直ぐに補正が入り、代わりに今回の目的である”蜘蛛”の姿が無数に現れた。

 必要な情報を手早く記録し、データベースへと格納。全任務完了、長居は無用。


「機長、必要な情報は手に入れた。撤退しよう」

「了解。――グレイブ・キーパー、こちらオーディエンス3A-3、ブランク。任務完了Completed mission帰投するRTB到着予定時刻ETA1945」


 墓守の返答を聞きつつブランクが操縦桿を倒し緩旋回、針路を南西へ。

 スロットルを開けば2発のF110-GE-129Kが甲高い唸り声を上げ、対気速度の上昇と共に、開かれていた可変翼が弓を引き絞るように後退していく。オートパイロット・オン、超音速巡航スーパークルーズ開始。沈みつつある恒陽を右斜め前に見ながら、務めを果たした戦闘偵察機は音の壁を易々と突破し、一路【エントランス】への帰途に付いた。

 左右の間隔が離れた双発のエンジンに双垂直尾翼。扁平な胴体はリフティングボディとしても働き、グローブと呼ばれるエアインテーク近くの張り出しからは可変式の主翼が伸びている。タンデムシートを組み込んだ機首は猛獣の牙のように鋭く太い。轟音を引き連れて紫紺の空を駆ける大型の機体――F-14トムキャットは、戦闘機の理想形・基本形の一つという印象を見る者に与えた。

 ただし彼らが駆る機体は、一見するとF-14の中でも、改装を施されたF-14Dのように見えるが、中身は全くの別物と呼んで良い。

 かつて――F-15やF-18と言った機体の改良型が次々と現れ始めていた頃。スーパートムキャット21と銘打ち、高い運用コストや汎用性の低さ等で逆風を浴びていたF-14を、本格的なマルチロール機に仕立て上げる計画があった。

 推力偏向機能を持った強化型エンジンへの換装やグラスコクピット化、ハードポイントの増設など変更内容は多岐にわたり、その上でF-14Dからの改修を利用すれば、導入コストも比較的低く抑えられる予定であった。

 しかし、可変翼機であることによる整備性の不利や、対艦ミサイル搭載の失敗、そもそもF-18E/Fスーパーホーネットの方が安いと言った悲劇が重なり、努力の甲斐なく量産とは至らず。計画は中止の憂き目を見てしまう。

 とはいえ、捨てる神あれば、拾う守銭奴とハゲワシの姿があった。

 この改修案に目を付けた【商会】と【エントランス】は、宙に浮いた計画の情報を技術者から買い叩き、自前のF-14Dを戦闘偵察機へと改造してしまったのだ。

 改修の内容は前述の計画にほぼ沿ったものになったが、機動性と多様な兵装搭載能力を犠牲に、電子・光学探査性能と高高度性能、加速・速度性能を更に向上させ、全体的な生存性能を大幅に向上させていた。

 こうして誕生したのが、エントランス魔術工廠製の高高度戦術戦闘偵察機、F-14D/R『ヴォイドキャット』だった。偵察機としてメーカー側が正式に量産したわけではないため、あくまでもヴァリアントタイプの一つと言う意味で末尾にRが付けられている。

 そんな、ややグレーなルーツを持つ猫の中で、着陸した後に待っているレポートをどうやっつけてしまおうかと言う思考がブランクの脳裏を過った時だった。

 突如レーダー画面に剣呑な輝点が浮かび上がり、同時にヘルメットに鳴り響いた後席の警告が戦場へと意識を引き戻した。


「レーダーに感あり、数1、高度5万フィート、ヘッドオン。加速中だ、速いぞ」


「回避する」短く宣言しオートパイロットを解除、機首を南へと向ける。しかし、レーダー上の不明機アンノウンは加速を止める気配も針路変更をするそぶりも無い、なおも接近を継続している。


敵味方識別装置IFFに応答がない、回線もオフライン。応答なし」

「ならば――敵だ」


 此方の判断に同感なのか「ツイてない」と零れた後席の愚痴を無視しつつ「オーディエンス3、エンゲージ」と宣言。手動で対象を不明機アンノウンからエネミーへと再登録、マスターアームスイッチ・オン。途端に、機体に備えられた火器管制レーダーが作動し、接近する機影を捕捉・追跡を始める。


「緊急回線でもコンタクト不能、恐らく連邦の迎撃機インターセプター戦闘空中哨戒ファイタースイープ。真面に相手をするだけ無駄だ、データは既に確保した。機長、戦術航空偵察ポッドシステムTARPS切り離し用意よし」

「ラルフが泣くな」

「フン、必要経費だ」


 直属の上司のしかめっ面を意図的に忘却し、容赦なく緊急投棄システムを起動。ガコン、と振動が走ると同時に腹の下に抱えていた偵察ポッドが投棄され、身軽になった機体は更に速度を上げる。

 敵機はまだこちらを諦めないのか、更に加速してズーム上昇を開始。こちらと同高度を目指して駆け上がり始めた。

 途端に鳴り響くレーダー照射警報、これがミサイル接近を知らせるモノに代わるまでそう時間は無い。


「敵のレーダー波を受信、魔術妨害MCM開始。一旦回避してやり過ごすか?」

「寄り道をするほど燃料に余裕はない。ミサイルを投げて突っ切る」


 後席の返事を待たず中距離空対空ミサイルを選択。間合いはやや遠いが、対面攻撃に近いため向こうから有効射程に飛び込んでくる。2時方向から接近しつつある敵機をロックオン、発射。

 翼下から4発の中距離空対空ミサイルが連続して放たれ、電子戦機並に強化されたF-14D/Rの強力なレーダー波の導きに従い、ヴォイドキャット目掛けて紫紺へと駆け上がる敵に突き進む。ディスプレイ上では4つの小さな輝点と敵の輝点が引かれ合うように急速に接近。交錯まで8秒、7、6――


「命中まで3、2…チッ、嘘だろ、躱された。全弾命中せず、至近弾も無い。奴は無傷だ」


 焦ったような後席の声が、ブランクのレシーバーから響いた。

【エントランス】に所属する中でF-14D/Rの火器管制レーダーは最強の部類に入る。その上、先ほど放ったミサイルはヴァルチャー達が普段使いしている者よりも格段に良質な代物。さらに、舵の効きが悪化する大気密度の薄い高高度という環境。

 中高度域ですら並のウィザードであれば4度は火達磨になっている筈の攻撃を、この役満とも言える悪条件下にも関わらず無傷でやり過ごせる者は限られていた。


「敵の種類は?」

「おそらくF-15系列、詳しいタイプは不明」


 直後、レーダーロックを知らせる警報。これ以上躊躇う暇は無い。事ここに至っては、この機の強みを生かすことを第一に考えるべきだった。

 間髪入れずスロットルを全開にまで押し込む、アフターバーナー点火。残り少ない燃料を貪り、猛獣の咆哮が虚空を震わせた。操縦桿を引き、機速の減少を最小限にしつつ上昇を開始。がっしりとしたノーズが宙を向き、高度計が6万5千を突破して更に引き上げられていく。

 二次元推力偏向ノズルから蒼白い火焔を吹き伸ばしたヴォイドキャットは、そのまま重力すらも振り切ろうとするかのように、更なる高みを目指して駆け上がり始めた。

 相手は強大な出力を持つエンジンを備え、一時期は最強の名を欲しいままにした制空戦闘機。

 しかし、それはあくまでも常識的な戦場での話だ。

 高高度飛行を前提に徹底的な改造が加えられたF-14D/Rを捉えるには、裸の鷲ストリーク・イーグルあたりで無ければ話にならない。

 あの攻撃を生き延びたウィザードならば、次にどうするべきか判断が付くはずだ。

 急加速による振動で二重三重にブレる視界の中、ディスプレイ上で接近しつつあった敵の輝点が我に返ったかのように針路を北に向ける。同時に鳴り響いていたレーダー照射警報も役目を終えた。

 離れていく輝点が振り返るそぶりを見せない事を確認しつつ、アフターバーナー停止、スロットルを戻し機体を水平に。コンソールの高度計は7万1000フィートを指示していた。


「敵機反転、北へ退却していく――いったい何だったんだ?アイツは」


 大きくため息を吐いた後席に「知ったことか」と口中で吐き捨て、言葉を続ける。


、それ以上でもそれ以下でもないだろう」


 此方に背を向けて去っていく鷲に代わり、より直接的な緊急事態が幕を上げようとしいることにブランクは気づいていた。

 スロットルを更に絞り、機首を降ろして機体を滑空させる。F-14D/Rは自らが大気圏内航空機であることを思い出したかのように、渋々と高度を下げ始める。


「そんなことより空中給油機タンカーだ。【エントランス】でも王国でも良い、とにかく一番近い所へ向かう」


その高高度性能で鷲を振り落とした虚空の猫でも、空腹には抗えなかった。





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