Mission-05 飛燕



「護衛機は何をしている!?」


 背後の機長席から苛立たし気な声が届き、思わず首を後ろへと捻じ曲げる。

 コンソールと機体の間に押し込められている航空機関士席よりも、幾らかは快適そうなコクピットには、自分が知らぬうちに焦燥が色濃く漂い始めているようだった。


「アクーラのボケ共め、何が絶対安全だ! 【エントランス】に良い様にやられているではないか! これだからヴァルチャーなぞ信用できんのだ!」

「あ、えーと……撤退を進言しますか?」


 おずおずと言う風に切り出した副操縦士に「撤退だと?」と底冷えのする機長の声が重なった。経験則に基づいて航空機関士――ボロベフは、溜息を吐きつつ視線を目の前の計器盤へと戻し、ヘッドセットを外しつつそっと両手で耳を抑える。

 途端に、備え付けられたエンジンの鼓動と、その出力を受け止めるプロペラの咆哮に負けないほど怒声が機内を蹂躙した。

 あの副操縦士が機長の雷を喰うのはこれで何度目だろうかと、掌を貫通する怒声に思わず顔をしかめてしまう。奴が叱責されるのはどうでもよかったが、そのたびにまき散らされる騒音については、いい加減嫌気が差し始めていた。

 相手がロージアン空軍ならともかく、無駄にプライドの高い機長が、ヴァルチャー相手に背中を見せられるわけもないだろう。ましてや、小規模とはいえ、我々は再建なった連邦空軍の初の攻勢なのだ。ヴァルチャーに追い返され、戦果無しで引き下がれるはずもない。

 とろい新人ウィザードに、侮蔑の言葉が2つ3つ湧き上がっては消えていく。

 しかし、護衛機が苦境に陥っている点については残念ながら疑いようがない。膨らみ始める諦観に近い感情と、仄暗い未来を予想し始めた内心から逃げるように、傍らに口を開けた四角い窓から外界を覗き見た。

 開けた視線の先に居並ぶのは、銀翼を連ね高空を進撃する味方機の姿。

 Tu-95――世界最速のプロペラ機でありながら、差し渡し50m以上の長大な主翼を持つ長距離戦略爆撃機だ。12tに達する爆弾を腹に抱え、1基あたり1万5000馬力近いターボプロップエンジンの四重奏と共に、巨大な二重反転プロペラで大気を攪拌しながら天嶮を覆う蒼空を行く様は、正しく空中戦艦と称するに相応しいだろう。

 その外周では僅かなSu-17が護衛を務めているが、この様相を見ていると何方がより頼りになるのか、認識を誤ってしまいそうになった。

 いや、実際の所もはやSu-17彼等を当てにするのは難しいかもしれない。

 ボロベフは、勇壮なTu-95によって遠ざけたはずの暗雲が、不愉快な現実を前に再び勢いを盛り返したのを感じ取った。

 当初の予定では、ヴァルチャーであるアクーラ隊が露払いを行い、Su-17を装備する連邦空軍のカサートカ隊が直衛を務める予定であった。

 しかし肝心のカサートカ隊は、ここに至る前にF-14Dによる背後からの一撃を受けてしまった。爆撃隊こそ守り抜いたが、被撃墜や落伍などでその数を激減させてしまっている。護衛を継続できているのは、片手で十分に足りる数だ。

 航空機関士である自分は部隊の状況を完全には把握できていないが、もし仮に迎撃機の浸透を許した場合に何が待ち受けているのか。

 想像するだけで、腹の底が冷たくなっていく感覚に襲われる。

 Tu-95はプロペラ機の中では最速の冠を頂いてはいるが、音の壁など軽々と突破する鋼鉄の猛禽共にとっては食い応えのある獲物にすぎない。

 一応、機体の尾部には連装23㎜機関砲が後方に睨みを利かせてはいるが、この”お守り”が役に立ったという話は、とんと聞いたことがなかった。

 また、戦闘機が爆撃機を機銃掃射して撃墜するなどと言う話は、最早過去のモノとなりつつある。現代の戦闘機は、爆撃機の防御機銃が届かぬ距離から、ミサイルを投げつけるだけでよい。チャフやフレアを使ったとしても、鈍重な爆撃機にとっては随分と分の悪い賭けになる。

 どのみち、爆撃機にとって最も有効な盾は護衛機に外ならないのだ。我々は護衛機の奮戦に期待するしかない。

 たとえその盾が、もはやベニヤ板よりは多少はマシと言う有様であっても。

 駄目だな、と頭を軽く振る。追い込まれると後ろ向きな考えを主軸に、碌でもない論理を展開してしまう悪癖だけは、正常に稼働しているらしい。ならば、いつものように対処してしまおう。

 頭の中を巡るごとに膨れ上がる嫌な予感を振り払おうと、尻ポケットに忍ばせてあるボトルに手を伸ばした時だった。

 外郭を固めるSu-17が、怯えたかのようにフラリと姿勢を崩した。

 キャノピーの中ではヘルメットとバイザーに覆われたウィザードの頭が、せわしなく周りを見渡している。乱気流にでも巻き込まれたのか、それとも操縦系統に以上でも発生したのかと首を傾げ、窓枠に顔を近づけてみる。

 瞬間、3色迷彩が施された機体が、後部から膨れ上がった火炎に押し潰されるように砕け散った。

 エンジンブロックが火球となって空に打ち上げられ、長い主翼が2枚、陽光を煌めかせながら回転して落下していく。パイロットは脱出は確認できない。機首だったモノは、深紅の流星となって眼下の白銀へ引きずり込まれていく。

 思考が停止しそうになるが、十数年の軍人生活によって作り上げられた反射行動がそれを辛うじて食い留めた。とっさにコクピットを振り返り、絶叫交じりの警告を発する。


「味方がやられた! 9時方向!」


「何ぃ!?」と機長の怒声が何処か遠く響く中、視界の端で何か細長い影が下から上へと突き上げていく。再び窓に噛り付き、何とかその姿を追おうとしたが、航空機関士席の窓は旅客機よりも多少はマシと言う程度。燕の様に空を自由に掛ける敵機を追うのは、不可能に近かった。

 一つ舌を打ち、外していたヘッドセットを身に着けスイッチをオン。直後、混乱の坩堝るつぼに叩き落とされた隊内無線の阿鼻叫喚が、レシーバーから響き渡る。


『ああっ! 4番機がやられた! コクピットだ! 落ちる!』

『野郎! 早い!』

『カサートカは如何した!?』

『さっきの奇襲で2機とも死んじまったよ! 後はカサートカ6だけだ』

『カサートカ6! 早く奴を落と、畜生ッ!』

『敵は何機だ!?』

『2機、いや3機は居るぞ!』

『6番機が機首に被弾! ああ、駄目だ駄目だ駄目だ引き起こせ!』

『馬鹿野郎! 1機しか見えねぇぞ!』

『弾幕だ! 弾幕を張れ!』

『ケツの23㎜だけでどうしろってんだ!?』

『アクーラがやられたんだ! 引き返そう!』

『全機隊列を乱すな! 敵前逃亡した機は全員軍法会議送りだ!進め!』


 憎悪、恐怖、絶望、憤怒、混乱、焦燥、脅迫――およそ空で生じる、ありとあらゆる負の感情が一時にあふれ出し、ボロベフの脳と意識を汚染していく。

 そしてトドメに、耳障りな火器管制レーダー照射警報が鳴り響いた。正面のアクーラ隊が壊滅し、彼等を相手取っていたヴァルチャーが、自分達次の獲物を見つけた合図だ。


「レーダー照射を受けました! 正面です!」

「回避だ! チャフ、フレア用意! レフトターン!」


 酒が切れているわけでもないのに手が震え、視界が急速に狭まる。見慣れているはずの、愛機の調子を示すメーターで覆われた計器盤が、大小の目で自分を注視する悍ましい化物ナニカに見えて、逃げるように窓の方へと目を逸らした。

 瞬間、視界を塗りつぶしたのは――抜けるような蒼、一面の白銀、少々の乱れは有るがなおも堂々たる銀翼の連なり。

 そんな銀翼の怪鳥の頭に躊躇なく振り下ろされた、曳光弾の大鉈おおなた

 こんどは声を発する間もなく、隣を飛行するTu-95の頭部が飴細工のように拉げた。

 機首で瞬く火花を彩るように、赤く着色されたガラスの破片が舞い、ジュラルミンの欠片が陽光を反射しながら紙吹雪のように吹き飛んでいく。

 全幅50mに達する巨鳥とはいえ、頭蓋を脳髄ごと叩き割られれば飛び続けることはできない。コクピット周辺を廃墟に変換された僚機が、重力に手繰り寄せられるように頭を下げ始めた。


「全員何かに掴まれ! 尾部機銃は敵が見えたらぶっ放せ!」


 機長の警告と共に、愛機が左旋回の為に傾斜を始める。巨人機である事を差し引いても、その動きは亀のように鈍い。

 窓の下半分を占拠していた白銀の世界が、蒼と白の世界に押し下げられるように姿を消し、その代わりに――




 眩いばかりの蒼空を駆け下る、見慣れないMig-21の姿が飛び込んできた。




 轟音と衝撃がほぼ同時に襲い掛かり、誰かの悲鳴を押しつぶした。

 直後、感じる筈の無い陽光と、今まで経験したことのない暴風に飲み込まれ、それらとはまったく別の力で窓側の壁に押さえつけられる。体を固定していたハーネスが肉に食い込み、彼方此方で骨が悲鳴を上げる。

 自分たちに何が起こったのか。身を切られるような冷たさ痛さに耐えながら、場違いな光が指し込んでくる方へ視線を向ける。直後、意味をなさない音が喉を通り抜けていった。

 目の前に広がっていたのは、先ほど窓の先に合った光景の拡大図だった。

 つい数秒前まであったはずの機長席と副操縦士席は、その主ごと細切れに細断されており、捻じ曲がった残骸に辛うじて残った布切れが暴風に弄ばれている。計器盤は巨大な斧に横凪にされたかのように原型を留めておらず、操縦桿の片方は根元から折れ飛んでしまっていた。風防ガラスはそれを支えていたフレームごと破壊され、力任せに捻じ切られた鳥籠のような、無残な姿をさらしている。

 左旋回を行おうとした瞬間、右側面から横殴りに襲い掛かった23㎜機関砲弾の暴風が生み出した地獄だった。

 被害は機体だけにはとどまらない。

 操縦桿を握っていた2人のウィザードは残骸に点々と飛び散った血痕だけを残し消え去り、自分の近くに座っていた航法士は破片に喉を切り裂かれたのか、自らの首を両手で絞める様に絶命している。他の面々がどうなっているのかは解らなかったが、それを知ったところでもはやどうにもならない。

 左旋回の指示を与えられた機体を立て直す者は誰もおらず、手立ても無い。

 コントロールを失った巨鳥はエンジン出力を全開にしたまま、機内に発生した遠心力でボロベフを羽交い絞めにしてハイラテラ山脈へと引きずり込まれつつある。

 辛うじて意識を保っていた彼は何とか脱出しようと藻掻くが、壁に押し付けられた体はびくともしない。せめてハーネスだけでも外そうと留め金に手を伸ばした時、何かが引き千切れる音響とともに視界が一気に開け、圧迫感の代わりに浮遊感に襲われた。



 何処までも澄み渡る蒼穹、彼方に浮かぶ純白の雲、地平線にまで広がる天嶮。



 残骸と化した機体が風圧に耐え兼ねて空中分解し、ハイラテラ山脈の上空へと身一つで放り出された彼が目にした世界は、今まで見た中で最も美しく、そして最も惨い空だった。

 ターボプロップエンジンが生み出す1万5000馬力の行進曲と共に、仲間の脱落すらも意に介さず隊伍を組んで、頭上を突き進む鉄の巨鳥。その雄大な白銀の機体に、蒼空を真一文字に切り裂いた小さな白い槍が次々と突き立てられる。

 左翼の中程に位置していた1機が、機首を巨大なハンマーで殴打されたかの如く潰され、破片の尾を残して項垂れる様に高度を落とす。その隣では、翼をもぎ取られた1機が不規則な回転と共にその身を業火に蝕まれ、大気に揉み解されるかのように空中分解し、遂には無数の流星となって降り注ぐ。胴体に直撃を受けた機に至っては、細長い機体を即座に火球へと変じ、黒と赤の大輪を残して散華した。

 そうやって次々と命を散らしていく鉄の巨鳥たちの上空には、爆撃機の屠殺場となりつつある空域を俯瞰し、我が物顔で飛び回る一羽のちっぽけな燕――単発戦闘機の姿があった。

 眼下の戦場音楽に耳を澄ませるかのように、あるいは白い槍に貫かれる様を見物するかのように、ゆったりと旋回を続けていた機影だったが、唐突に急降下を始める。

 細長い機影の先には、運よく難を逃れた爆撃機。

 狙われたことを悟ったTu-95は藻掻くように回避行動に移ろうとするが、それよりも早く、細い火箭が空を裂いた。

 再び機首に着弾、ガラスとジュラルミンの破片が陽光を複雑に反射しながら散乱し、何かの塊が赤い帯を引きながら破片を追いかけて後方へと流れていく。右旋回を行おうとしていた機体は、主翼を天へ持ち上げながら針路を捻じ曲げ、ずるずると蒼空から滑り落ち始めた。

 一方、巨鳥の頭をついばみ、瞬く間に絶命させた敵機は、次の獲物を求める様に急上昇へと転じる。アフターバーナーの火炎を伸ばし、の雨の中を駆け上がった。

 ここは我の狩場だと主張するように、蒼空こここそが、我の王国であると宣言するかのように。


「ちがう――」


 ごうごうと自身を取り巻く暴風の中で、重力に身を任せたボロベフは、魔術に縋ることも忘れて狂を発したかのように嗤い始めた。

 蒼空の王だと?笑わせる馬鹿馬鹿しいふざけるなマヌケめ阿保が狂っているそんな筈はないチガウチガウチガウチガウ口に出すのも悍ましいアレが王などと言う高尚なモノであるはずがないでは魔王かそれも違うもっともっともっと始末に負えない手に余る惨い度し難い質の悪い目についたもの全てを千切り引き裂き喰らい貪り咀嚼しに堕とす化物災厄――

 刹那、走馬灯と思われる映像の結末に、乗機が被弾する直前に目にした、敵機の姿が現れる。

 単発単座、灰色の制空迷彩。エンジンに三角形の主翼と尾翼を取り付けたかのような、シンプルなデザイン。そして機首と尾翼に描かれた


「緋色の」


 ハイラテラ山脈の名も無き斜面に、赤い華がまた一つ加わった。







【エントランス】の35L滑走路に、仕事を終えたハゲワシ達が1機、また1機と降り立っていく。

 大柄な機体に2発の大推力エンジン、自分好みな無骨なシルエット。中ほどで上方に折り曲げられた主翼の下には、出立していったときにぶら下げていた物騒な獲物は見当たらない。

 テールをエンジン排気で汚したものも居れば、機体に幾つかの弾痕を開けているヤツも居る。中にはエルロンの一部や主翼の先端を失いながらも帰還したタフな連中も。

 格納庫に併設された魔術工廠へ向かう傷だらけの亡霊たちは、自らの身体に刻まれた戦傷をもって、彼らが掻い潜った戦いの激しさを雄弁に物語っていた。

 しかし、機銃の硝煙にいぶされた12機分のシャークマウスは、何処か誇らしげに笑っているようにも見える。

 それも当然だろう。

 彼らが迎撃に向かった爆撃隊は、その護衛機ごと文字通り『食い散らかされて』しまったのだから。

 最終的に、【エントランス】の息の根を止めようと迫った護衛機と爆撃機の大部分は、その多くがハイラテラ山脈の名も無き斜面や谷底で、遥か未来の登山客に発見されるまで永い眠りにつくことになった。

 辛くも難を逃れた者達は、腹に抱えた爆弾を己の地位と名誉ごと捨てて、傷ついた体を引きずりながら遥か北方へ退却しつつある。

 斯くして、【エントランス】に迫りつつあった危機は、それが訪れた時の様に唐突に去ったのだった。

 そして13機目――最後の1機がファイナルアプローチに入る。

 理想的な進入角度、速度、降下率。機体を一切揺らすことも無く、舵をばたつかせるようなことも無く、見えざる滑り台でも滑っているかのようにタッチダウン。アレスティング・ケーブルを引掻け、ややつんのめるようにして停止。滑走路上の防風魔術が作動したことを確認し、グラウンドの指示の下、ゆっくりと誘導路へタキシングしていく。

 着艦完了、全任務終了、RTB。


「やぁ、随分と稼いだようだねぇ」


 ふぅ、とため息をつこうとした瞬間だった。

 背中への衝撃と共に胸元へ回される華奢な腕、トドメに一仕事を終えた今となっては最も聞きたくない部類の声が、疲れた鼓膜を震わせた。

 愛用しているブローニング・ハイパワー自動拳銃を抜きたい欲望を抑えられたのは、我ながら奇跡に近いと言ってよい。9㎜口径の完全被甲弾フルメタルジャケットの代わりに、ダークブルーの瞳が、己の肩に顎を乗せる不躾な闖入者を射抜いた。


「邪魔だ、失せろ」

「おっと、もしかしてご機嫌斜めかな? しかし、せっかく君の相方が大戦果を挙げて帰って来たんだ。もっと嬉しそうな顔をしたらどうだね」

「いいか? 今まさに仕事を終えた瞬間に降りかかる面倒事こそ、可及的速やかに、徹底的に、最優先で排除せねばならぬ敵だ。敵に愛想を振りまく習慣は持っていない」

「ああ、それは同感だねぇ。私だって、仕入れを確定させた後に特急案件を放り込んでくる奴には殺意が沸くよ」


「貴様の事を言ってるんだが?」とさらに視線を鋭くするが、赤金の少女は「知ってるさ」とケラケラ嗤う。やはり、ミネルヴァコイツは厄介事以外の何物でもないと、ため息が漏れた。


「あまりため息ばかり吐いてると幸せが逃げるよ、ノルン」

「不幸を叩き売る奴のセリフでは無いな。――で、何の用だ。これで暇つぶしとかぬかしたら、タダでは済まさんぞ」

「おいおい、人を暇人の様に言わないでくれたまえ。もちろん、商談のためだとも。といっても、最終決定はレーヴァンがするだろうけど」


 気味の悪い程に上機嫌なミネルヴァが、空席になっていた隣のオペレーター席に腰を降ろした。

 成人男性用に作られている椅子に小柄な少女はスッポリと収まってしまうが、常日頃から態度がデカいせいか思ったよりも違和感はない。


「次の機体の件か?」

「ああ、今回の活躍は私も見させてもらった。まさかバラライカをあそこまで振り回すとは、正直ド肝を抜かれたね。それなり以上に目は肥えているはずだけど、別格と言うのは、ああ言う手合いの事を言うのだろう」


 手放しの賛辞に内心で思わず身構えるが、興奮気味に語る彼女の様子からこちらをおだてようとする意志は汲み取れない。どうやら本気で誉めているらしい。

 だが、賞賛を口にしているのは性悪を通り越した邪悪ロリだ。素直に喜ぶには、自分は彼女の内面を知りすぎている。

 とはいえ「違うかい?」と愉快そうな表情のまま、同意を求める様に小首をかしげて見せたミネルヴァに、ほぼ無意識のうちに頷いてしまうのも事実だった。


「確かに。私が今まで見てきた中では、飛びぬけて一級品のウィザードだろう。だが――」


 尤も、自分の評価には賞賛を通り越した呆れが多分に含まれている。


「飛び方があまりにも無茶苦茶すぎる」


 ピシャリと断言したノルンに、ミネルヴァが興味深そうに片眉を上げた。


「アレでは機体と体がいくらあっても足りん。数的有利の敵に喜んで殴りかかるわ、バレバレの罠にはまりに行って真正面からぶち抜くわ、敵エースとせまっ苦しい谷で取っ組み合いするわ、挙句の果てには一当てして後続に任せればいいものを、機銃が余ってるとか抜かしてパイロットキル量産し始めるわ、馬鹿じゃないのか? 行儀よく飛べとは言わんが、せめてもう少し――おい、何が可笑しい」


 視線を感じてミネルヴァの方を見ると、チェシャ猫の様なニマニマ顔を浮かべていた。グーで殴りたい衝動を何とか堪える。


「いやぁ、何も? 君にしては珍しいなと思っただけさ。さて、面白いモノも見れたことだし本題に入ろう」

「いや、おい、面白いモノってなんだ」

「知らぬが華、というやつさ。――本題はもちろん、ミグの話だ」


 年上の友人を揶揄い倒す小悪魔から、金で死を売りさばく雑貨店の看板娘へ転じたミネルヴァが言葉を続ける。


「私は当初、Mig-29Aを君らに売り込む方向で調整していたが、彼の戦果と今回の報酬を見る限り幾らか”投資”をするべきではないのかと思ってね」

「ほう?」


 投資、という言葉にノルンの目が細められた。

 ミネルヴァは確かに信用のならない少女ではあったが、金や商談に対しては慎重な姿勢を見せることが多い。そんな彼女が、自分からリスクの有る投資話を持ち掛けてくることは珍しかった。


「以前言っていた、在庫があるとかいうM型の件か?」

「少し違う。あの時に話に出していたのは《9.15》規格の古い方。量産計画のドタキャンで、宙に浮いた増加試作機の内の1機をチョロまかしてきた奴だよ。で、今回売り込もうとしているのは、《9.15》規格の複座練習機型であるMiG-29UBMから発展した正規量産型、《9.67》規格のM型だ。Mig-29M2と呼ぶ方が一般的かな」

「前々から思っていたが、重複や使いまわし上等な、東側のややこしい型番の振り方はどうにかならんのか?」


「こればかりはどうもね」と肩を竦めるミネルヴァに頭を抱えたくなった。

 東側では、試作機止まりで量産化されなかった航空機に振られていた型番を、量産化に至った全く別の派生機に流用・転用する事が度々あった。その結果、字面は同じでも派生元の機体が異なるなどと言う事態が発生し、事情を深く知らないものに混乱を産んでいるのだった。


「しかし、Mig-29M2と言えば複座型だろう? 私に乗れとでも?」

「別にそれでもかまわないが、今回は一通りの消耗部品類と一緒に、ゴーレムもサービスしておくよ。最新型、とはいかないが性能は保証する」


 ここでのゴーレムとは複座機の後席に据え付ける自動人形のことを指す。

 或る地方に生息している菌類は高度な神経ネットワークを構築する能力を持っており、その菌類を特殊なセラミックと共に各種の魔術で培養することで、ゴーレム・コアと呼ばれる生体CPUが製造される。このコアに魔術的な教育プログラミングを施した後、多数のカメラや各種センサーと共にパッケージしたモノを、ヴァルチャー達はゴーレムと呼んでいた。

 後席で機体と接続されたゴーレムは、後席が為すべき役割――火器管制や索敵等を肩代わりすることで、ウィザードが一人だったとしても複座機が持つ最大性能が発揮可能になった。ズメイ隊の様に複座の機体を愛機とするヴァルチャーにとっては、戦闘能力を落とさず報酬の取り分を増やすために必須の存在であり、馴染み深い。

 また、ゴーレムの歴史は意外なほど古く、甲冑に原始的なコアと魔力で収縮する繊維を仕込むことで、痛みと恐れを知らない忠実な騎士として使役する魔術に端を発している。

 自我と呼ぶべきものは持たない――とされている――が、学習能力を持ち、何より与えられた命令に愚直なまでに忠実だった。術者の命令を元に自律行動が可能な半無機知性体は、刹那の判断力が要求される近接戦闘に十分耐え、無数の戦役で多大な戦果を挙げていた。

 近年では、結晶回路を用いた無機系コンピューター技術が発展する中で、生体CPUゴーレム・コアの再評価も盛んに行われるようになってきている。

 特に、飛行制御・航法・火器管制など多様な役割を受け持つ航空戦闘知性体と呼ぶべき人工知能の開発は、既に実用段階にまで来ていると噂されていた。


「その上で三割五分、いや四割ほど安くしておこう。これなら機体を買っても運用できる余裕が残る。それに、複座型だと君らには何かと便利だろう――今の彼にとってはMig-21バラライカは勿論、A型よりも良い選択のはずだ」

「それだけ勉強するつもりなら、ぜひともストライク・イーグルでやってほしいものだがな」


 何処か納得いかな気なノルンに「そろそろ諦めたまえよ」とため息を吐いてしまう。

 頑固と言うか、一途と言うか、そのスタンスだけは譲らないつもりかな。まあ、私がノルンの立場でもそう言うし、実際そう言って来たのだけれども。

 あの時、レーヴァンが早々に旗色を明らかにしてくれたのはラッキーだったなと再評価し、やや強引に話を推し進めた。


「私がM2を勧めるのには、他にも理由があるのさ。以前も言ったようにM2は前に言ったM型と同じく在庫があってね、調達から始めなければならないA型やイーグルよりも、よほど早く君らに渡すことができる。つまり――2回目に間に合う可能性が高い」


 ミネルヴァの口から飛び出した”2回目”という単語に、ノルンの息が詰まる。

 レーヴァンが出発してからこの方、考えないようにしていた次回の出撃。彼がヴァルチャーとして飛び続けるためには避けては通れない、不愉快なジンクス。


「幾ら彼が優秀だろうとも、君だってバラライカの限界は知っているはずだ。リスタ川の方は、もう随分キナ臭い。あのラルフが、たった1機でズメイ隊と同等以上の戦果を挙げたヴァルチャーを、みすみす放っておくと思うかい?」

「――それは脅しか?」


「半分以上は、ね」念を押すように答え、続けて大げさに肩を竦める。


「実際問題、機体の売り上げは確かにデカいが、そればかり願ってヴァルチャーにバタバタ落ちてもらっちゃ困るのだよ。消費者があってこそ、商売が生まれる。正直、戦闘機を1機売るより、下手なミサイルをドッカスカ撃っててもらった方が儲かるのさ。レーヴァンの様に有能なウィザードには、しっかり生き残ってお得意様になってもらわないと。私だって、この年で路頭に迷いたくは無いからね」


 結局行き着くところは儲け話か、と内心で冷めた分析が頭をもたげるが、結局のところ自分たちの利害は現状一致している。ここは大人しく彼女の提案に乗っておくのが、彼にとっても自分にとっても最善に近いと見える。しかし――

 ここで、以前から頭の片隅で蜷局とぐろを巻いていたある考えが、ゆっくりと鎌首をもたげた。

 レーヴァンの戦果を考えれば、これはある意味で一番合理的かもしれない考え。

 だがノルンがその考えを口にしようする直前、ミネルヴァが「駄目だ」と首を横に振った。その声には、彼女にしては珍しい明らかな嫌悪感が含まれていた。


「頼むから、”今回限りで契約を切る、あれだけの戦果を挙げたのだから引く手数多だ”なんてほざいてくれるなよ? ノルン。他者を利用するのはヴァルチャー武器商人の日常だが、だからこそ、通すべきスジというのが有る筈だ」


 何時になく真剣な暗赤色が、レンズ越しの群青を射抜いた。


「だいいち、私の友人を口説くのにあれだけの啖呵を切っておきながら、”はい、そうですね”などと言って契約を切るヴァルチャーなんざ、今後一切、油一滴売ってやるものか。爆弾ぐらいは売ってやるがね、安全装置セーフティを解除した瞬間に爆発するヤツとか」


 さぞ愉快そうに、冷酷な笑みを薄く浮かべるミネルヴァ。しかし、その声は顔に貼り付けられた冷笑よりも暗く冷たく、殺気に満ちている。

 これが脅しや冗談の類では無く、そうなった場合に確実に実行される計画プランの一つだと、ノルンにさえ直観させるモノだった。

 ピシりと氷の様に張りつめた空気が1秒、2秒と横たわる。

 しかし、そんな凍てついた雰囲気は長くは続かなかった。凍結された時間は「まあ、そんな事には絶対にならんだろうが」と、あっけらかんとしたミネルヴァの言により瞬時に霧散してしまう。


「万一、彼がそう言いだしたのなら、私にはこの商売に必須な人を見る目が致命的に無かったと言う事になる。そうなったら、とっとと下に降りてパン屋でもやることにするよ」


 かと思えば、全く別の方向へ話がすっ飛んでいった。本気とも冗談ともとれる場違いな代替案オルタナティヴ・プランに怪訝な視線を向けてしまう自分へ、赤金の少女はニタリと微笑んで見せる。


「趣味は多ければ多い程良いのさ、人生が豊かになる。――君もいい加減、煮込み料理以外も覚えたまえよ?」


 「やかましい」と不愉快そうに鼻を鳴らすノルンを無視し、話は終わったとばかりに立ち上がって軽い欠伸と共に伸びをする。先ほどまでの氷の様な印象は掻き消えており、今となっては昼寝を終えた猫にしか見えない。


「M2の輸送は急がせるが、どうやっても4、5日はかかる。以前にも乗ったことがあるらしいから、慣熟にはそれほどかかるまい。いや、彼の事だからぶっつけ本番でも問題ないかな?」


 ウィザードやウィッチは、機械的な操作は勿論の事、自分の魔力を機体に流すことで直観的な操作の補助にも利用している。大雑把に言ってしまえば、たとえ初見の機体でも、コクピットに座り魔力を流せばその性質が何となく理解できるため、機体の基本的な操作は直ぐに習得できた。

 ただし、それで戦えるかどうかは全くの別問題だ。

 著名な油絵画家と幼子にクレヨンを渡したところで、生み出されるモノが同一ではないように、結局は個人の力量、経験、センスや戦闘勘に大きく左右されてしまうのだった。


「後はとにかく、リスタ川のドンチャン騒ぎが順延になってくれることを祈るばかりだね」

「貴様の投資が失敗しないためにも」

「もちろん――ただ、Mig-29M2が投資の本題ってわけではないが」

「どういうことだ?」

「Mig-29M2は小柄ながら美しい燕だが、やはり鷲や猛禽類に喧嘩を売っていくのなら、より優美な鶴や、生まれ変わった絶滅者こそ相応しいと思わないかい?」


 ニヤニヤといつもの表情を浮かべながら、此方の返答など期待していないかのように「じゃあね」と踵を返して歩き始めた。

 優美な鶴と生まれ変わった絶滅者。

 前者が意味する機体については直ぐにたどり着く。しかし、後者の単語から連想される機体には、やや無理があるような感覚を覚えた。

 しかし、今ここで追及したところで、ミネルヴァは自らが「出すべき」と定めた情報しか漏らさない。煙に巻くような芝居がかった言い回しは、バラまいたエサ以上の情報には、この場では触れさせないという彼女流の宣言だった。


「ああ、そうそう」


 不意に立ち止まり肩越しに振り返ったミネルヴァは、邪悪に微笑んで言葉を続けた。


「東の方には”仏作って魂入れず”なんて言葉があるらしい。せっかくのだ、じっくり育ててくれたまえ」


 付け加えられるように零された言葉に得体の知れない不穏さを感じたものの、今以上の深入りに対して警鐘を鳴らす経験則がミネルヴァへの追及を押し留めた。

 小柄な少女が通路へと消えていったことを確認し、背もたれに体を預け、ぼんやりと暗い天井を見上げながら先ほどの会話を反芻する。

 とんでもない欠陥機を売りつけて来た――という可能性は低い。彼女も言っていたように、レーヴァンは安定して武器弾薬を消費する金の成る木だ。【商会】にとって、恩を売っておくに越したことは無い。投資、という言い方もまあ的を射ているだろう。

 事実、此方としてもMig-29M2ほどの機体が格安で手に入るのであれば願ったり叶ったりだ。

 開発側が4.5世代戦闘機よりも第5世代に近づいた、第4++世代と銘打つ高性能機。

 部品の調達が気がかりではあるが、元々安いと言われている東側の機体であり、初期型のMig-29から乗り換えた国も数多く、生産数も上々で各地の戦闘詳報を見る限り戦場での信頼性バトルプルーフも問題なし。今回のレーヴァンの戦果がまぐれフロックで無いのであれば、運用に支障はない。

 だが、以上の事を差し引いたとしても、大きな疑問が残り続けている。


「どうにも話が美味すぎるな。一体全体、奴は、いや【商会奴ら】は何を考えているんだ?」


 何と無しにズラした視線の先には、リスタ川の激戦区を表示し続けているメインスクリーン。四角く切り取られた地図の中、赤と青の輝点が、平原を流れる川の両岸でせわしなく蠢いていた。中でも北岸を中心とする赤い輝点の動きは、数日前よりも幾分活気を失いつつあるように見える。

 無骨な造りのオペレーターシートが、どういう訳かいつも以上に堅く感じた。







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